2017年5月21日 クラブ

セリエBのユヴェントス06-07その9(2007.06)

クラブ史上唯一のセリエBシーズンを追った月イチ連載の最終回。それからちょうど10年後の今シーズン、イタリア国内の覇権はもちろんのことヨーロッパでも過去3年で2度目のCLファイナリストとなり、「トリプレッタ」の実現も夢ではないというところまで来ているユヴェントスと、インテル、ミランの凋落ぶりを比べるとちょっとした感慨がありますね。スクデット6連覇もおそらく今日、あと4時間半後には決定する可能性高し。

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前回のこの連載でお伝えしたデシャン監督辞任の後、助監督から昇格したジャンカルロ・コッラディーニの下でシーズンの残り2試合を戦ったユヴェントスは、バーリに0-1、スペツィアに2-3と連敗を喫して、クラブ史上初めてとなったセリエBでの戦いの幕を閉じた。

とはいえもちろん、首位でのセリエA昇格はすでに決定済みであり、最後の2試合は単なる消化試合以外の意味は持っていなかった。

シーズンの通算成績は、42試合で28勝10分4敗(勝ち点85)、83得点はセリエBで最も攻撃的なサッカーを見せたジェノアのそれ(68得点)を大きく上回る1位、30失点は堅守を誇ったナポリ(29失点)に一歩及ばない2位。とはいえ、消化試合となった最終戦でスペツィアに3点(とB残留)をプレゼントしたことを考えれば、事実上は得失点ともにダントツの数字を残したと言っていいだろう。

シーズンが終了した今となっては、セリエBはもはやユーヴェにとって(そしてユヴェンティーニにとって)、すぐにでも忘れたい忌々しい記憶でしかないのかもしれない。もはやクラブも、そしてサポーターやマスコミも、その意識は来たるべきセリエAでの戦いに向いている。

A昇格を決めたユヴェントス首脳陣が、まず最初に直面しなければならなかったのは、デシャン辞任後の指揮官選びだった。監督が決まらないことには、来シーズンに向けた補強のターゲットを絞ることもできない。

前回も触れたように、ユヴェントスは、メルカートに関する最終決定権は監督ではなくクラブにある、という考え方を大原則にしているが、そうは言っても、チームを率いる監督の構想や意向を知らないまま補強を進めるわけにはいかない。現在のユーヴェのように、レギュラー陣の大半を入れ替える大型補強が不可欠な状況に置かれているとあればなおさらである。

最終的に、クラウディオ・ラニエーリ監督の就任が決まったのは6月3日。しかし、デシャンの辞任が発表された5月26日からそれまでの1週間には、紆余曲折があった。

最初に候補に挙がったのは、マルチェッロ・リッピだった。すでにデシャン在任中から招聘が取り沙汰され、強化責任者(スポーツディレクター)のアレッシオ・セッコ、そしてコンサルタントとしてその実質的な後見役を務めているロベルト・ベッテガ元副会長が、水面下でその実現に向けて動いているという噂すらあった大物である。

すでに通算8シーズンにわたってビアンコネーロを率い、スクデットを5度も勝ち取ってクラブの歴史となっている名将が、ワールドカップ優勝監督という看板まで引っさげて戻ってくる。ユーヴェにとってはこれ以上のシナリオはなかっただろう。

しかしリッピは、代理人を務めている息子のダヴィデ(ユーヴェではキエッリーニ、ブラージが顧客)が刑事告訴を受けるという、大きな問題を抱えていた。ルチャーノ・モッジの息子アレッサンドロが経営するエージェントGEAの一員として、旧知の選手に対し、今の代理人を切って自分たちの傘下に入るよう、あるいは自分たちの用意した移籍先を受け入れるよう脅迫したというのが、その容疑である。リッピは以前から、この訴訟が結審するか、少なくとも趨勢が明らかになるまで(早くとも10月)は現場に復帰するつもりはない、と明言していた。

ユーヴェ首脳陣は5月末までの数日間、水面下で説得に当たったが、リッピの意思は固かった。ユーヴェは、現場復帰が可能になるまでの「つなぎ役」として、ワールドカップでもテクニカルスタッフとしてリッピを助けたチロ・フェラーラ(育成部門責任者。カテゴリー2ライセンス所有)を監督に起用するという案もオファーしたが、復帰の日を明確にすることが条件に含まれていたために、リッピはこれにも首を横に振ることになる。

伝えられるところによれば、コボッリ・ジーリ会長もブラン代表取締役も、最終的には説得に成功できると踏んでいたといい、この「NO」は首脳陣を少なからず窮地に陥れることになったようだ。

当初話題に上っていたジャンルカ・ヴィアッリ、アントニオ・コンテという、リッピ時代のユーヴェでプレーした若手監督の起用は、「絶対的なリーダーが必要だ。メルカート戦略に参加し、プレシーズンのプログラムを固め、何よりも巨大なプレッシャーに耐えてチームを勝利に導ける人物でなければならない」(ブラン代表取締役)という観点から、すぐに可能性が消えた。

最終的に候補に挙がった名前は、フランチェスコ・グイドリン(前パレルモ)、スヴェン・ゴラン・エリクソン(前イングランド代表)、そしてラニエーリの3人。ラニエーリの名前は最初のリストにはなかったが、5月末に開かれた取締役会で、役員の1人であるマルコ・タルデッリが名前を挙げて、そこから一気に有力候補に躍り出た。

ラニエーリが評価されたのは、バレンシア、チェルシーでの国際的な経験、今シーズン降格ゾーンにどっぷり漬かっていたパルマを途中就任で残留に導いた確かな手腕に加えて、意志の強さを持ちながらも穏やかな性格や紳士的な振る舞いが、ユーヴェが掲げるカルチャーに合致していたという側面も小さくはなかった。カルチョスキャンダルを経てセリエAの舞台に戻るにあたって、ユーヴェはフェアで紳士的なイメージを必要としていたからである。

パルマとの契約を延長しないことをすでに決めていたラニエーリだが、イングランドのマンチェスター・シティとの交渉が進んでおり、一部ではすでに決定が伝えられていたほどだった。しかしもちろん、正式に契約を交わしていない以上、ユヴェントスからのオファーを断る理由はどこにもなかった。

「ユヴェントスにとっては、クラブの伝統と目標にふさわしい、納得できる人選になったと信じている。国際的な視野と深い経験を持つクラウディオ・ラニエーリ監督とともに、野心的で新たな可能性に満ちたシーズンに臨むことになる」

これが、6月3日にユヴェントスがラニエーリの就任を報じたプレスリリース文面の一部である。契約は、2010年6月30日までの3年契約(年俸100万ユーロ)。リッピ獲得の可能性が消えてから、わずか3日間での決断だった。

以下に、翌4日、ヴィノーヴォの練習場で就任記者会見の席に座ったラニエーリの発言をいくつか引用しよう。少々長くなるが、新監督の姿勢と考え方を理解するためには、これがベストの方法である。

「私を選んでくれたユヴェントスに感謝している。ユヴェントスの歴史と伝統に相応しい結果とイメージを取り戻すために、全力で仕事にあたるつもりだ。サポーターが、ユヴェンティーノであることに誇りを持てるような結果を残したい。来シーズンはイタリアで、それ以降はヨーロッパでも」

「今重要なのは、スクデットを狙うとか狙わないとか、そういう約束をすることではない。それ以上に重要なのは、カルチョの歴史を担ってきたユーヴェというクラブが、本来の存在感とスタイル、振る舞いを取り戻すことだ。結果は確かに重要だが、もっと大切なのは自分たちがユヴェントスであるというのを誇りに思えることだ。もちろん、その上で最大の結果を最短の時間で手に出来るよう、最大限の努力をすることをお約束する」

「コンペティティブなチームを作り、ユーヴェを本来のポジションに連れ戻すためには、投資が必要だ。主力を担ってきた偉大なカンピオーネ、ユースから育ってきた若手、そして新戦力。それらをミックスしてひとつのチームを築かなければならない。ワールドクラスと生え抜きの若手のミックスというクラブの基本方針は、私のDNAにも刻まれている考え方だ。

例えばローマは、メクセス問題のペナルティで補強を禁じられたために、ユース上がりの若手を抜擢して大きく成長させる機会を手に入れることになった。私も若手にたくさんのチャンスを与えるつもりだ。

我々イタリア人はよく、外国のクラブを例に出してそれを褒めることが多いけれど、実際のメルカートではすでに評価を確立した大物にしか興味を持たない傾向がある。しかし、例えばリヴァプールの22歳のDFアッゲルは、まったく無名だったにも関わらずチャンピオンズリーグ決勝ですばらしいパフォーマンスを見せた。ユヴェントスからもそういう選手を輩出したい」

「来シーズンは、過去の偉大なユヴェントスとの比較に絶えず晒されることになるだろう。そのプレッシャーに絶えることができなければ、結果は残せない。ちょっとでも躓くと懐古主義者の声が大きくなることは避けられないが、それでも前を向いて進まなければならない」

このラニエーリの獲得によって、ユヴェントスは、過去との継続性を重視する方向性(リッピ、フェラーラ、ヴィアッリ、コンテ)から一転、クラブの歴史とは何のつながりもない、しかしおそらく招聘可能な監督の中では最もクラブの現状に合った監督を擁して、新たな船出に臨むことになった。

1950年10月20日、ローマの下町トレステヴェレ地区(カルロ・マッツォーネの出身地でもある)で肉屋の息子として生まれたクラウディオ・ラニエーリは、プレーヤーとしてはカタンザーロ、カターニア、パレルモと南イタリアのクラブを舞台に、セリエAとBを行き来しながらキャリアを送った、実直なディフェンダーだった。

現役時代の大半を過ごしたカタンザーロに近い、カラブリア州のアマチュアクラブ(5部リーグ)で監督としてのキャリアを始めると、2年後(88-89シーズン)に当時セリエC1に落ちていたカリアリに抜擢され、そこからの3年間でクラブを一気にセリエA昇格させ、残留まで果たしてしまう。

続くナポリでは、マラドーナが去った翌年のチームを4位に導く健闘を見せ、93-94シーズン、セリエBに降格したフィオレンティーナに招聘されると、1年でのA復帰を果たしただけでなく、バティストゥータ、ルイ・コスタ、トルドをトッププレーヤーに育て上げて、95-96シーズンには3位という好成績を残した。

若いタレントに目をつけ、抜擢して一流に育て上げるという点では、その後に指揮を執ったバレンシアやチェルシーでも大きな実績を残している。バレンシアでは、ガイスカ・メンディエータを右サイドバックから中盤にコンバートして新境地を開かせ、チェルシーではジョン・テリーをレギュラーに抜擢して大黒柱に育て上げた。ウェストハムからフランク・ランパードを引き抜いたのも、セリエBのカステル・ディ・サングロから無名のカルロ・クディチーニを獲得したのも、ラニエーリだった。

これらの事実からもわかる通り、ラニエーリは「すぐに勝つ」チーム作りよりも、何年か賭けてチームを育てていくことを得意とする監督である。その反面、すぐに目に見える結果を残すことができず、時間を与えてもらえないトップレベル(バレンシア、チェルシー)では、蒔いた種を刈り取る前にクラブを離れることを強いられてきた。バレンシアで彼の後を引き継いだクーペル、ベニテスが、そしてチェルシーではモウリーニョが、いずれもリーグタイトル獲得を果たしているのは、決して偶然ではない。

監督としてのラニエーリのこうした側面は、以前から「ワールドクラスと生え抜きの若手をミックスした新しいコンセプトで、サッカー界のフェラーリを目指す」と宣言してきたユヴェントスにとっては、うってつけと言えるだろう。

戦術的な側面から見れば、ラニエーリはオーソドックスな4-4-2をベースにして、攻守のバランスを第一に考える、どちらかといえばコンサバティブなタイプの監督である。しかし、ひとつのシステムにこだわるタイプではなく、例えば昨シーズンのパルマでは、それまでチームの中核だったモルフェオをベンチに追いやり、若いタレントのジュゼッペ・ロッシを生かすために、システムを4-4-1-1から4-3-3に変更する柔軟性も見せている。

いずれにしても、前回のこの連載でも触れた通り、ユヴェントスは4-4-2を基本としたバランス重視型のコンサバティブなサッカーを伝統としているわけで、その点からも適合性は十分だ。

ラニエーリの就任と並行してもうひとつ、クラブレベルでも過去の歴史とのつながりを断ち切り、新たな方向性を目指す動きがあった。それは、ロベルト・ベッテガ前副会長との訣別である。

ベッテガが副会長辞任後も、会長のコンサルタントという形でクラブとの関係を保ち、アレッシオ・セッコSDの後見役としてほとんどすべての移籍交渉に立ち合ってきたことは、本誌6月21日号の特集などでも取り上げられている通り。しかしユヴェントスはこのベッテガとのコンサルタント契約を、6月30日の満了時に更新しないことを決めた。これで、ユーヴェにカルチョスキャンダルをもたらした旧首脳陣は、すべて去ったことになる。

しかし、カルチョスキャンダルで直接の責任を問われたわけでもなく、現体制でもセッコSDの後見役として実質的な役割を担っているベッテガとの訣別は、コボッリ・ジーリ会長とブラン代表取締役にとっても、簡単な決断ではなかったようだ。その決断を最終的に後押しすることになったのは、皮肉なことに、このふたりの新経営陣が昨年、役員会メンバーに招聘したかつてのスター選手タルデッリ(ラニエーリ獲得を提言したのもこの人)の、唐突な役員辞任宣言だった。

タルデッリが、U-21欧州選手権のTV解説者として訪れていたオランダで、突然マスコミに役員辞任の意思を表明したのは、6月14日のことだった。

「私のユヴェントス観と今の経営陣のそれには、大きな隔たりがあることがわかった。私は役員という仕事を通じて、ユヴェントスを、もっとクリーンで透明性の高いクラブに内部から変えることができると信じていた。しかし経営陣にはそこまでの意思はないようだ。その可能性がない以上、私が役員の席にとどまっている理由はない」

突然飛び出したこの発言の裏にあったのは、他でもないベッテガの扱いだった。タルデッリははっきりとこう語っている。

「もしクラブが、ベッテガは旧体制下で重要なポストを占めていたにも関わらず、清廉潔白だと考えているのならば、副会長というポストから外す理由はどこにもない。もしそうではなく何らかの責任があると考えているのならば、完全に縁を切るべきだろう。そのどちらでもない現在の状況は不透明きわまりない。私は首脳陣に何度もそう進言してきた」

前回のこの連載でも触れた通り、セッコとベッテガは、モッジ・ジラウド時代のユヴェントスと現在のユヴェントスを結びつける接点のような存在である。モッジ・ジラウド時代の「負の遺産」を切り捨てなければならないのは当然だが、旧経営陣が築き上げてきた遺産には、クラブにとって生命線ともいえる「正の遺産」(組織体制、ネットワーク、人的資源)なども含まれている。カルチョの世界の外からやって来た新経営陣がこれを継承しようとする上で、ベッテガの存在が非常に重要だったことは、容易に想像がつくだろう。

だが、新たに役員会に加わったタルデッリ(クラブ内での役職は持っていないので、いわば社外役員のような立場である)からすれば、ベッテガの存在に象徴される過去との継続性は、躊躇なく断ち切るべきものだった。タルデッリのコメントからは、ベッテガが担っている役割は自分が担いたかった、それが不可能ならばユーヴェにいても仕方がない、という本音がはっきりとのぞいている。

タルデッリがマスコミを通して発したこの「辞任宣言」は、当然ながら大きな論議の的となった。その焦点は当然ながら、ベッテガが今なおユーヴェの内部にとどまっていることの是非である。コンサルタントという「不透明な」立場に置くことでマスコミのバッシングを避けてきたユーヴェも、こうなってはベッテガとの関係を継続することは難しくなった。もしタルデッリの狙いが、ベッテガと「刺し違える」ことによってユヴェントスをよりクリーンで透明な方向に導くことにあったとすれば、この狙いは成功したことになる。

しかし、まだ経験が浅いセッコSDが、強化責任者として1人でユーヴェの看板を背負っていくには力不足だというのは、誰の目にも明らかだ。したがって、6月30日を限りにベッテガがクラブを去った後、その後任として経験豊富なディレクター(どのようなポストを用意するのかは不明だが、実質的にはセッコの補佐兼貢献役。インテルにおけるオリアーリのような存在か)を招聘するという構想も、内部では検討されているようだ。

その第一候補と言われているのが、フィオレンティーナ、ボローニャ、ラツィオ、パルマなどでゼネラルディレクターを務めたオレステ・チンクイーニ。フィオレンティーナ時代には、ラニエーリ監督と共に仕事をした経験もあり、今回のラニエーリ招聘でもユーヴェとのつなぎ役になったのはこの人だと言われている。

他には、キエーヴォのジョヴァンニ・サルトーリSD、レアル・マドリーのフランコ・バルディーニTD(1年前にゼネラルディレクター就任をユーヴェに打診されて断った経緯がある)といった名前が挙がっている。後任を置くかどうかも含めて、最終的な判断は6月末の役員会において下されることになるだろう。

それまで当面の間は、セッコSDが単独で、しかしチェルシー時代に強化にも携わった経験を持つラニエーリ監督のサポートを受けながら、メルカートを進めて行くことになりそうだ。

そのメルカートだが、6月に入っていくつかの大きな進展があった。以下、本稿を執筆している6月26日時点での状況を、セクション別に簡単に整理しておくことにしよう。

<前線>
ヴィンチェンツォ・イアクインタの獲得に加えて、一時は決裂が決定的と見られたダヴィド・トレゼゲとの契約延長が決定したことで、ほぼ陣容は確定したと見てもいい。現時点での顔ぶれは、トレゼゲ、イアクインタ、デル・ピエーロ、パッラディーノ、ミッコリの5人。トレゼゲとの契約延長によって、ジラルディーノ、フンテラールといった大型プリマプンタ獲得の目は薄くなったといえそうだ。さらにもうひとり獲得するとなれば、ミッコリ、あるいはパッラディーノの放出が前提となる。

<中盤>
かねてからのターゲットだったアルミロンに加えて、リヨンからチアーゴを獲得、すでに獲得済みのサリハミジッチ、レンタル先のピアチェンツァから戻ってきたU-21代表ノチェリーノと合わせて、質の高い補強が実現されたといえる。現時点での顔ぶれは、右サイドがカモラネージ、マルキオンニ、中央がアルミロン、チアーゴ、ノチェリーノ、マルキジオ、C.ザネッティ、左サイドがネドヴェド、サリハミジッチと、一応粒の揃った顔ぶれ。ただし、移籍の意思を表明しているカモラネージとの入れ替わりで、違いが作り出せる攻撃的なウインガーあるいは攻撃的MF(ファン・デル・ファールト?)を狙う可能性が高い。

<ディフェンス>
グリゲラの獲得、クリーシト、モリナーロの復帰、ゼビナとの契約延長はあったものの、最大の補強ポイントとなっているセンターバックがまだ空いている。現時点で最も優先順位が高いのはここだろう。第一候補はG.ミリート(サラゴサ)と伝えられるが、移籍金の高さがネックとなっており、ペペ(ポルト)、ルイゾン(ベンフィカ)といった名前も挙がっている。現時点での陣容は、右SBがゼビナ、中央がグリゲラ、ブームソン、クリーシト、左がキエッリーニ、モリナーロ。

<GK>
ブッフォンとの契約延長が唯一最大のニュース。サブのミランテをサンプに放出したため、ベテランを獲得する可能性もある。

以上のように、最終ラインを除くと、基本となる陣容はほぼ見えたと言っていい。大きかったのは、ブッフォンに加えてトレゼゲの慰留にも成功したことだろう。

スペツィアとの最終戦では、ゴール裏に向かって「俺は出て行く」というジェスチャーをはっきりと示し、試合後の記者会見でも移籍の意思を明言したのは、年俸ダウンでの契約更新をオファーした首脳陣への明らかな抗議だった。しかし、ヴァレンシア、リヨンなど名前が挙がった移籍先も満足のいく条件をオファーするには至らなかったようで、一方のユーヴェも後釜としてリストアップしていたフンテラール、クローゼ、ジラルディーノといった大物獲得のメドが立たないこともあり、お互いが歩み寄って契約更新で合意したという経緯のようだ。

現時点での戦力を見ると、ミラン、インテルには及ばないがローマ、フィオレンティーナとは互角というレベルか。ただしユーヴェは、欧州カップの出場権を持っておらず、シーズンを通して週1試合のペースでカンピオナートに専念できるという大きなアドバンテージを持っており、4位以内、つまり翌年のCL出場権は、十分に現実的な目標だと言っていいだろう。

ブラン代表取締役は「来シーズンの目標はカンピオナートで上位に進出することだが、クラブとしての目標はその先に見えているヨーロッパにある。ユヴェントスにチャンピオンズカップをもたらすことが、私たちの中期目標だ」と言って憚らない。来シーズンはその第一歩に過ぎないということである。

ラニエーリ新体制下でのスケジュールは、7月11日に北イタリアはアルプス山麓、トレンティーノ=アルト・アディジェ州のピンゾーロでキャンプ開始、7月28日から1週間はイングランドに遠征して親善試合を4試合戦い、その後はイタリアに戻っていくつかのトーナメント(トロフェオ・ビッラ・モレッティ、トロフェオTIM、トロフェオ・ベルルスコーニ)を戦い、開幕に備えるというもの。8月14日にサン・シーロで行われるミランとの恒例の親善試合、トロフェオ・ベルルスコーニが、チームの仕上がり具合を占う最初の機会になるだろう。

セリエAの開幕は8月26日。ユヴェントスの新しい戦いはそこから始まる。□

(2007年6月26日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 新しい著書(共著)『元ACミラン専門コーチのセットプレー最先端理論』が好評発売中。 他の著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。

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