ユヴェントスのセリエB降格シーズンを追ったレポート第8回。A昇格を決めながら、翌シーズンのプロジェクトについてクラブとデシャン監督の意見が合わず、シーズン閉幕を待たずして監督が辞任するという事態に進展するなど。その後任として昇格1年目に3位、翌年2位という結果を出したのは、クラウディオ・”ティンカーマン”・ラニエーリ卿だったのでした。

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前回の本連載でお伝えした4月末から、本稿を執筆している5月末までの1ヶ月は、ユヴェントスにとって文字通り「激動の1ヶ月」だった。

ピッチの上では、5試合中アウェー4試合(三連戦含む)という厳しいカレンダーを4勝1分で乗り切り、5月19日の第39節にアレッツォを5−1で下して、もはや時間の問題だったセリエA昇格を決定づけた。しかし、ユヴェントスはそれを手放しで喜ぶことができなかった。

昇格決定前からくすぶっていた、クラブ首脳陣とディディエ・デシャン監督の意見の食い違いが、来シーズンに向けてチーム作りの戦略を巡って、もはや修復不可能なところまで広がり、デシャンの電撃辞任というあるまじき事態に発展したからだ。

セリエBという煉獄からやっと脱して、「本来の場所」であるセリエAでの戦いに臨む準備にかかろうというその時、ユヴェントスは大きな不確定性の渦中に身を置くことになってしまった。次期監督選びにおける困難は、本誌92ページの「ザ・ジャーナリスティック」に、地元トリノの『トゥットスポルト』紙、ジャンカルロ・パドヴァン編集長がレポートしている通りである。

ここでは、もう少し視点を引いて、昇格決定とデシャン辞任という2つの大きな出来事を概括しておくことにしよう。

マイナス9ポイントというペナルティを背負いながら、シーズンをあと3試合残して勝ち取ったセリエA昇格は、天下のユヴェントスという看板からすれば、しごく当然の結果のように見えるかもしれない。

しかし、それが当然視されるような状況であればあるほど、期待値の高さが避けがたくもたらすプレッシャーや、小さな躓きに対する不寛容は大きくなるもの。その重圧を常に受けながら、長いシーズンを通して安定したパフォーマンスを発揮したという事実は、それだけで大きな賞賛に値する。

特に、ペナルティが軽減(-15から-9へ)されて順位が上がり、首位戦線に追いついたことで緊張がやや緩むと同時に、ディフェンスと中盤に故障者が続出したシーズン半ばの停滞期(1〜2月)を、深刻なスランプに進展させることなく乗り切ったことが大きかった。

そして、その最大の功労者をひとり挙げるとすれば、今となっては皮肉な話だが、やはりデシャン“前”監督ということになるだろう。

逆説的に聞こえるかもしれないが、今シーズンのユーヴェが見せたサッカーは、ことその内容に関しては、特に高く評価できるものではなかった。システムはオーソドックスな4-4-2。4バックと2センターハーフはもっぱら守備的な仕事に専念し、ボールのラインよりも前でプレーするのは、2トップと両サイドハーフのうちどちらかの3人まで。奪ったボールは素早くサイドまたは前線に展開し、手数をかけずにゴールを狙う。スペクタクルとはまったく無縁と言っていい、シンプルでソリッドで効率的なサッカーである。

実のところこうしたスタイルは、長い間ユヴェントスが伝統としてきたものだ。トラパットーニ、リッピ、アンチェロッティ、カペッロと監督が変わっても、ユヴェントスは常に、組織と規律、闘志と勝利への執念を全面に打ち出して、効率と結果を追求するリアリスティックなサッカーをそのアイデンティティとしてきた。

「ユーヴェの強さは、トップレベルのプレーヤーを揃えたチームが、まるでプロヴィンチャーレのように献身的なサッカーに徹するところにある」というのは、リッピ時代にもカペッロ時代にも、多くのライバルの口から繰り返されてきたフレーズである。“デシャンのユーヴェ”もまた、その伝統を継承するチームだったということだ。

歴代のユーヴェにおいて、決定的な違いを作り出すのは、プラティニ、バッジョ、デル・ピエーロ、ジダン、ネドヴェドという卓越した個人だった。その点でも今シーズンのチームは変わっていない。

20ゴールで得点王争いのトップを走るデル・ピエーロ(彼のキャリアには欠けていたタイトルだ)を筆頭に、トレゼゲ(14)、ネドヴェド(11)、カモラネージ(4)と、前の4人で総得点81の6割以上にあたる49得点を記録している。

4バック+2MFが築き上げた堅固な守備組織の土台の上で、セリエBというカテゴリーを超越したスーパーな4人のワールドクラスが存分に個人の力を発揮し、圧倒的な力を見せつけてゴールを奪う。それが、デシャンがユーヴェに授けた勝利の方程式だった。

40試合・28勝10分2敗(81得点/26失点)。1試合平均勝ち点(実質)2.350、1試合平均得点2.025という数字は、実はセリエAで独走優勝を果たしたインテルのそれ(勝ち点2.553/得点2.105)には、僅かではあるが及ばない。だがこれは、インテルの偉大さを示す数字であり、ユーヴェに何かが欠けていたことを示す数字ではない。

しかし皮肉なことに、ユーヴェが勝ち点を積み重ね、セリエA昇格に近づいて行けば行くほど、その功労者であるデシャンの立場は、微妙なものになっていった。

その兆候が初めて表面化したのは、4月28日に行われた第36節ヴェローナ戦に1−0で勝った直後の記者会見だった。アウェーとはいえ、残留を争っている格下の相手に辛勝しかできなかったことで、マスコミ陣からは「来シーズンのセリエAをデシャンで戦えるのか、という声もあるけれど」という質問が飛んだ。それに対してデシャンはこう答えたのだ。

「リッピを呼ぼうというキャンペーンを張っているトリノの新聞があることは知っている(注:『トゥットスポルト』のこと)けれど、別にどうということはない。何を考えるかは自由だから。今の私の唯一最大の目標は、できるだけ早くA昇格を決める、それだけだ。

私にセリエAで指揮を執る力量がないと考える人がいるとしても、それはその人の自由だ。ユヴェントスの中にもそう考えている人がいる?それも受け入れている。誰が私の力量に疑いを持っているか、名前を出してほしいかい?いや、今日はやめておこう」

翌日の各紙はこの発言を取り上げると同時に、ユーヴェ内部の“敵”が、スポーツディレクターのアレッシオ・セッコである可能性が高い(という言い方は断言を避けるための方便でしかない)と揃って報じた。すでに番記者たちは、デシャンとセッコの間に軋轢が生じていることを、薄々感づいていたのである。

この軋轢の存在は、セリエA昇格決定の日が近づき、来シーズンの体制や補強が話題の中心になるにつれて、よりはっきりと浮き彫りになっていった。

5月5日、第37節チェゼーナ戦を前にした会見で、デシャンはこうコメントする。

「来年はずっと困難なシーズンになる。昇格でひとつのプロジェクトが終了し、新たなプロジェクトがスタートする。確かなのは、非常に大きな期待と巨大なプレッシャーが待っているということ。私自身、大きな野心を持っている。でも現実感覚を失ってはならない。ユーヴェはあくまでBから昇格したチームであり、どこまで戦えるかは夏のメルカートにかかっている。

スクデットを期待する声があるのは知っている。しかし客観的に言えば、それはユートピアだと思う。どれだけチームを補強できるか、まだ不透明だからだ。プロジェクトの内容について、疑問符がつくところはまだたくさんある。来シーズンの目標は、メルカートが終わってからでないと立てられない」

A昇格を前に膨れ上がるサポーターの期待、そしてそれを煽りたいマスコミの期待に冷水を浴びせる「スクデットはユートピア」という発言は、大きな波紋を呼ぶことになった。以前もこの連載で取り上げたように、デシャンに対して批判的な立場を取り続けてきた『トゥットスポルト』は、5月7日、1面の論説でパドヴァン編集長自らが「“ユートピアの男”は去れ」というタイトルで、正面からこの発言を非難した。

「デシャンはもはやクラブの考えに同調していない。そして、デシャンよりも優秀な監督はイタリアにいくらでもいる。デシャンはユヴェントスを去るべきだ」という過激な論調だった。

もちろん、クラブの首脳陣は、サポーターやマスコミよりはずっとリアリストである。コボッリ・ジッリ会長もブラン代表取締役も「昇格1年目からスクデットを狙う」などとは一度も口にしたことがない。それどころか、就任当初は「以前のポジションに戻るまでに4年から5年が必要だと考えている」と語っていたものだ。

しかし、首脳陣のこのビジョンは、サポーターやマスコミはもちろん、株主からまでも「時間がかかりすぎる」と批判された。昨年10月の株主総会では、すでに当初の見通しを修正し「昇格1年目から上位を争えるチームを作る。最短ならば3年で、イタリアでもヨーロッパでもコンペティティヴなレベルに復帰したい」(ブラン)という発言に変わっていた。

デシャンの「ユートピア発言」は、この前倒しの目標設定に逆行するものであり、上場企業であるユヴェントスFC株式会社の広報戦略にとっても、非常に迷惑なものだったのである。デシャンの会見の翌日、コボッリ・ジーリ会長は次のようなコメントで、世論を和らげようと試みた。

「ユートピアというのは夢のことだ。そして夢というのは、追い求めれば実現できるものだ。誰もが夢を描く権利を持っている。その意味で、デシャンの発言はリアリスティックなものだと考えている」

しかし、こうしたネガティブなリアクションを引き起こしてもなお、デシャンの姿勢は変わらなかった。以下は5月11日、第38節ボローニャ戦の前日会見でのコメントである。

「私の状況は何も変わっていない。来シーズンに向けては、クラブとの間で解決すべき疑問点がまだたくさんある。狙い通りの補強に成功しても、スクデットを狙うことは不可能だ。ユーヴェはセリエBのチームであり、セリエAのライバルは我々とはレベルの違うところにいる。彼らもさらに補強をするだろう。昇格1年目からそれと張り合おうと考えるのは現実的ではない。これ以上話題にしても仕方がないとさえ思っている。

まずは昇格を決めることに集中したい。来シーズンについては、その後でテーブルを囲んでじっくり話し合い、そこで目標を定めなければならないだろう。プロジェクトを進めて行く上では、一緒に仕事をする相手とフィーリングが合うことが不可欠だ。モナコを離れたのは、それがなくなったからだった」

この一連のデシャン発言によって、内部の軋轢が明らかになると同時に、マスコミには「デシャンの後任」に関する憶測記事が出始める。ラツィオのデリオ・ロッシ監督にユヴェントスが接触した、という情報が流れたのは、ボローニャを3−1で下し、次の第38節アレッツォ戦に勝てばA昇格が確定するというところまでこぎ着けた、5月12日のことだった。

昇格を目前にしたこの時点で、ユヴェントスを取り巻く空気を支配していたのは、しかし、喜びよりもむしろ来シーズンに対する不安の方だった。

このボローニャ戦、スタディオ・オリンピコのゴール裏には「セリエAの心配を早く始めたほうがいい」という横断幕が踊っていた。

冬にサリハミジッチ、グリゲラの獲得が決まって以降、来シーズンに向けた補強の動きは、順調に進んでいるとは言い難かった。獲得は確実と思われたトルステン・フリングスは、トリノにまで足を運びながら、結局ブレーメン残留を決断。これはユーヴェにとっては大きなショックだった。

一方、同じ時期にデシャンを訊ねてヴィノーヴォの練習場を見学したといわれるフロラン・マルダ(リヨン)は、デシャンが強力にプッシュしていたにもかかわらず、セッコが移籍金の高さに難色を示し、獲得に動き出そうとしない。 

こうした状況をマスコミ報道を通じて知っているゴール裏のウルトラスは、親デシャン・反セッコ(とベッテガ)という旗色を鮮明に打ち出し、スタジアムに到着したチームバスを入り口でブロックして抗議のコールを浴びせるという行動に出た。「セッコは使えない素人。ユーヴェを去れ」「ブッフォンとデシャンに手を出すな」という手書きの横断幕が、そこには張り出されていた。

そして、デシャンにとってユーヴェにおけるかつてのチームメイトであるアントニオ・コンテが率いるアレッツォとの戦いを控えた5月16日、『フランス・フットボール』誌に、デシャンの代理人ジャンノ・ウェルスのインタビューが掲載される。

「ディディエは、来シーズンどうするかについて、まだ決断を下していない。しかし、ユーヴェからもはや信頼されていない、その仕事が正当に評価されていない、と感じていることは事実だ。来シーズンについて、戦力的にも経済的にも、明確な約束をしてもらっていない。ユヴェントスがディディエに続けてもらいたいのならば、契約の見直しに加えて、補強についての発言権と決定権を与えることが必要だ」

同じ日にアレッツォ戦に向けた記者会見のテーブルに座ったデシャンは、ウェルスのインタビューについて「付け加えることも、差し引くことも、一切ない」とだけコメントする。しかし、セッコが進めようとしている来シーズンに向けた補強については、明確な反対意見を表明することをためらわなかった。

「メストとイアクインタの獲得が近い?誤解されたくはないが、どちらのポジションにも選手は揃っている。イアクインタはサイドハーフとして役に立つかもしれないが、私にとってはセンターフォワードだ。メストは攻撃的というよりは守備的なサイドプレーヤーだが、そのポジションならすでに3人、4人いる」

5月19日、アレッツォを5−1という圧倒的なスコアで下してセリエA昇格が決まったにもかかわらず、お祭り騒ぎはほんの少ししか続かなかった。もはや、デシャンとセッコの間に大きな溝ができていることはあまりにも明らかであり、来シーズンの体制がどうなるのかすらまったく不確かな状態であることが露呈していたからだ。

コボッリ・ジーリ会長は「デシャンは、ユヴェントスというプロジェクトの中心であり続ける。来シーズンもデシャン体制で戦う方針はすでに固まっている。それどころか、契約延長も検討しているところだ」と、現状維持を強調した。しかしもはやデシャンは、態度を硬化させつつあった。「来年も指揮を執るかどうか?はっきりさせるべきことがいくつもある」。

ブラン代表取締役との話し合いの末、デシャンが口頭で辞任の意思を伝えたのは、昇格決定からわずか5日後、5月25日夜のことだった。デシャンは、翌26日のマントヴァ戦では指揮を執ったが、その夜にもう一度ブランと話し合いを持ち、そこで正式に辞表を提出した。ユヴェントスが「友好的な形で契約を解消することで合意に達した」と正式に発表したのは、26日深夜のことだった。

以上がデシャン辞任に至る、この1ヶ月の顛末である。その最大の原因が、来シーズンのチーム作りを巡るセッコとの意見の対立にあることは、ここまで見てきた経緯からも明らかだ。しかし見逃せないのは、そのさらに根底に存在する、監督の権限と強化部門の権限についての、根本的な考え方の相違である。

デシャンにとって「プロジェクトの中心」になるということは、少なくともチーム作りに関しては、自ら主導権を握ってメルカートの戦略を進め、獲得する選手を選ぶ権限を持つことを意味している(もちろん、クラブが提示する予算の範囲内での話)。これは、一連の発言からも明らかだろう。代理人であるウェルスの言葉を使えば、補強についての発言権と決定権を手にするということである。

しかし、ルチャーノ・モッジの下で愛弟子のように育ち、そのやり方を学び取ってきたセッコ、そしてモッジとともに12年間副会長の座にあったベッテガは、まったく違う考え方を持っている。監督は、補強についてリクエストを出すことはできるが、それを聞いた上で選手を選び、獲得する決定権を持つのはクラブでなければならない、というのがそれだ。事実、歴代のユヴェントスの監督は、リッピ、アンチェロッティ、そしてカペッロですら、選手獲得に関する決定権は持っていなかった。

「クラブが与えたチームの力を引き出して結果を出すのが監督の仕事」というこの考え方は、イタリアの多くのクラブに共通する基本思想である。ユヴェントス、ミラン、少し前までのインテル、そしてワンマン会長に率いられた多くのプロヴィンチャーレが、こうした考え方でクラブを運営している。

ただし最近はイタリアでも、マンチーニ(インテル)、スパレッティ(ローマ)、プランデッリ(フィオレンティーナ)、デリオ・ロッシ(ラツィオ)など、監督を長期プロジェクトの中心に据え、大きな発言権を与えてチーム作りを進めるやり方を取るクラブが増えてきている。注目すべきは、そのいずれもが非常にポジティブな成果を挙げていることだ。

しかしユヴェントスは、こうした新たな傾向を取り入れるのではなく、モッジ時代からの古いやり方に固執することを選んだことになる。今回の出来事の構図は、一方にデシャン、他方にセッコ(とベッテガ)という、完全に思想が対立する2つの極があり、その間にクラブ首脳(コボッリ・ジーリ会長とブラン代表取締役)が立っているというものだった。ブランとデシャンの最終的な話し合いが破局で終わったというのは、2人の首脳がデシャンとセッコのどちらを取るかを迫られて、最終的にセッコの側についたことを示している。

会長と代表取締役は、かねてからデシャンを高く評価してきた。それは、その背後にいるオーナーのアニエッリ家も同様である。アニエッリ家の若き当主ジョン・エルカンとその片腕のカルロ・サンタルバーノは、事あるごとにデシャンに対する敬意を表明し続けてきた。

にもかかわらず、最終的に折れたのはなぜか。それは、アニエッリ家も、ユーヴェのふたりの首脳も、カルチョの世界とはまったく関係のない世界からやってきた、外部の人間であることと密接に関わっているように見える。

意思決定権を持つトップとはいえ、チームの強化からクラブの日常業務、育成部門の運営まで、現場の仕事はすべてカルチョの世界のエキスパートであるスタッフに委ねなければならない。トップはすべて入れ替わったとはいえ、ユヴェントスの現場を構成しているスタッフのほとんどは、モッジ時代から変わっていない。

育成部門の責任者はチロ・フェラーラであり、チームマネジャーはジャンルカ・ペッソットである。広報責任者のマルコ・ジロットも留任している。つまり、ユヴェントスというクラブにおいて、現場の企業文化はモッジ時代からの継続性を持っているということだ。

会長と代表取締役は、デシャンの側に立ちたかったかもしれない。しかし、ユヴェントスの現場がすべてセッコの側についていたとすれば、セッコを切ることはデシャンを切るよりもずっと大きな混乱をクラブの内部にもたらすことになる。

いずれにしても、デシャンは去った。ユヴェントスは次期監督の第一候補にマルチェッロ・リッピを挙げているが、リッピは家庭の事情(息子ダヴィデが刑事告訴されており、その結末が明らかになるまで現場には復帰しないと明言している)ですぐには引き受けられない状況にある。しかし、ユーヴェは早く監督を決めなければ、来シーズンに向けたチーム作りで後れを取ることになってしまう。

この複雑な状況がどのように解決するかは、1ヶ月後の最終回でご報告できるはずである。□

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。