ロベルト・バッジョ生誕50周年記念にもう1本。10年前と比べるとめっきり使われる頻度が減った「ファンタジスタ」という言葉について、今はなき『SOCCER KOZO』に書いたテキストを。用語解説つきです。文中でもっとも新しいタイプとして挙げたエジル、イスコ、ゲッツェ、オスカールが、いずれもテクニックやセンスではなくフィジカル能力の限界(とりわけ爆発的なスピードとクイックネスの欠如)によって、世界のトップレベルに届かないままキャリアを送っているというのは、考えさせられる事実です。エル・シャーラウィとバロテッリはもっとダメなままですが……。現在のイタリアでファンタジスタという言葉が少しでも当てはまるのは、CLマドリー戦でいかにもなゴールを決めたインシーニェ(ナポリ)とベルナルデスキ(フィオレンティーナ)くらいでしょうか。ベラルディ(サッスオーロ)はちょっと伸び悩んでいます。

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「ファイナルサードのマジシャン」という本号のテーマに最もぴったりとはまるイタリアのサッカー用語をひとつ挙げるとすれば、やはり「ファンタジスタFantasista」だろう。

直訳すると「想像力の人」。サッカー選手のポジションや仕事、属性を表す呼称は数あれど、これほどわれわれのイメージをふくらませてくれる美しい言葉はめったにない。

この言葉を定義するならば、「卓越したテクニックとセンスを備え、たったひとつの想像力(&創造力)あふれる素晴らしいプレーで試合の流れを一気に変え、あるいは試合そのものを決定づけてしまう天才型のプレーヤー」ということになるだろうか。付け加えれば、背番号はやはり10番でなければならない。

1980年代にジーコ、ミシェル・プラティニ、ディエゴ・マラドーナという世界的な「10番」が覇を競ったのに続き、’90年代から’00年代初頭までの絶頂期には、ロベルト・バッジョ、ジャンフランコ・ゾーラ、アレッサンドロ・デル・ピエーロ、フランチェスコ・トッティといったイタリア人プレーヤーたちが、セリエAの舞台を彩った。ジネディーヌ・ジダンやマヌエル・ルイ・コスタというワールドクラスも含め、「ファンタジスタ」は常にイタリアサッカーの華だったと言えるだろう。

しかし、00年代前半になると事情は少しずつ変わってくる。華麗なテクニックと意外性溢れるプレー選択が生み出す芸術的なラストパスやシュートで決定的な違いを作り出す典型的な「10番」、「ファンタジスタ」はいつのまにかその数が少なくなり、今では絶滅危惧種と言ってもいいほど。イタリア人に話を限れば、’60年代生まれのバッジョとゾーラ、’70年代生まれのデル・ピエーロ、トッティに続く後継者は、’82年生まれのアントニオ・カッサーノを最後に生まれていない。

それは一体何故なのだろうか?

そのことを考える上でひとつの鍵になるのは、「ファンタジスタ」と呼ばれてきたのはほぼ例外なく、いわゆる「トップ下」のプレーヤーだという事実だ。実際、イタリアのサッカー用語には、日本で言う「トップ下」にぴったり対応する「トレクァルティスタ」という言葉がある。

「トレ」は数字の3、「クァルティ」は4分の1を表わす「クァルト」の複数形なので、「トレカルティ」は4分の1が3つ=4分の3のこと。それに「人」を表わす接尾辞-istaがついた「トレクァルティスタ」は、直訳すると「4分の3の人」になる。

サッカー的に言うと、4分の3というのは、ピッチを4等分した時に後ろから数えて3番目、すなわちハーフウェイラインから敵ペナルティエリアやや手前までの地域を意味する。そこを主戦場とするプレーヤーが「トレクァルティスタ」というわけだ。まさに「10番」そのものであり、「ファンタジスタ」ともほとんどイコールで結ばれていると言ってもいい。

話はややずれるが、面白いのは、イタリアではピッチを3等分ではなく4等分してサッカーを語っているところだ。

攻撃のプロセスを、敵陣までボールを運ぶ「組み立て」、敵最終ラインを攻略して決定機を作り出す「崩し」、シュートを放つ「フィニッシュ」という3段階に分けて考えると、ピッチを3等分した場合、「ファイナルサード」は「崩し」と「フィニッシュ」という2つのプロセスの舞台となるゾーンと考えることができるだろう。
 
一方、イタリア式に4等分すると、「トレクァルティ」すなわち3/4のゾーンは「崩し」、そして最後の1/4が「フィニッシュ」に対応するゾーンということになる。区切りがひとつ細かいところが、戦術志向の強いイタリアサッカーらしい。さらに言えば、「トレクァルティ」の中央部分は、敵最終ライン手前のいわゆる「バイタルエリア」と呼ばれる地域とも重なっている。

さて、「ファンタジスタ」にとっての問題はほかでもない、その戦術志向の強いイタリアサッカーが、90年代以来ここまでたどってきた変化の中に隠されている。その変遷はまさに彼らから活躍の舞台を奪い、その存在基盤を失わせるベクトルを持つものだったからだ。

すべてのきっかけとなったのは、80年代末の「アリーゴ・サッキのミラン」を嚆矢とする、ゾーンディフェンス+プレッシングという新たな守備戦術の広まりである。

4-4-2の3ラインを敷き、その間隔を詰めたコンパクトな陣形を保って、常にボールにプレッシャーをかけ続けるというこのスタイルは、とりわけ2ライン(最終ラインと中盤)の間隔を狭めることによって「ファンタジスタ」の主戦場であるバイタルエリアを圧縮し、彼らから時間とスペースを奪った。そればかりか、4-4-2自体がすでに「トレクァルティスタ」という存在を排除することで成立するシステムでもあった。

ジーコ、プラティニ、マラドーナが活躍した80年代はまだ、リベロを置いたマンツーマンディフェンスが主流の時代であり、ピッチ上には広いスペースがありプレーのリズムも今とは比較にならないほどゆっくりしていた。

当時の「10番」たちは、中盤に下がって攻撃を組み立て、ペナルティエリア手前からドリブル突破やスルーパスで決定機を作り出し、自らもエリアに入り込んでシュートを放つ、文字通り万能のアタッカーだった。組み立て、崩し、フィニッシュという攻撃の3つのプロセスすべてに絡み、決定的な仕事を果たすところが「10番」の「10番」たる所以だったと言うこともできる。

しかし、サッキが4-4-2ゾーンのプレッシングサッカーを「発明」し、90年代半ば以降にそれがスタンダードになると、「ファンタジスタ」たちは居場所を失っていく。ミランでサッキの後を継いだファビオ・カペッロは「モダンフットボールにファンタジスタの居場所はない」と言い切り、ズヴォニミール・ボバン、デヤン・サヴィチェヴィッチといった生粋のトレクァルティスタを4-4-2のサイドハーフとして起用、ユヴェントスから移籍してきた全盛期のバッジョは控えのFWに追いやられた。

そのバッジョに取って代わってユヴェントスの10番を背負ったデル・ピエーロも、当初は4-3-3の左ウイング、その後は4-4-2のセカンドトップとしてプレースタイルを磨き、キャリアを過ごすことになる。ゾーラはパルマを追われるようにプレミアリーグの新興勢力チェルシーに移籍していった。21世紀になってからもトップ下としてプレーを続けたトッティも、00年代半ばになると4-2-3-1の1トップにポジションを上げ、「偽のセンターフォワード」としてキャリアの後半を過ごすことになる。

そうした「ファンタジスタ受難の時代」の中、ゾーンディフェンスの組織的な守備戦術は、その後もさらなる進化を遂げてきた。4DFと4MFのフラットな2ライン、計8人で構成する守備ブロックは、最もオーソドックスでかつバランス良くスペースを埋めることができる布陣だが、その2ラインの間隔が開いてしまうと、バイタルエリアに致命的なスペースを与えやすいという弱点がある。00年代に入るとイタリアでは、その事態を避けて常にバイタルエリアをカバーするために、中盤の底に3人目のセントラルMF、いわゆるアンカーを置く布陣を採用するチームが増えて行くことになる。

システムで言うと4-3-3/4-1-4-1(前線は1トップ2ウイング)、あるいは4-3-1-2/4-3-2-1(前線は1ないし2人のFWとトップ下)。守備の局面になると、前者の場合は左右のウイング、後者では1人ないし2人のトップ下に、ボールのラインよりも下に戻ってMFを助けるというハードワークが要求されており、実質的な守備ブロックの構成人数は、8人ではなく9人が今や標準になっている。2トップのシステムを採用するチームが減り、1トップ(3トップという名前でカムフラージュされる場合もあるが)が主流になったのもそれゆえだ。

このトレンドは、イタリアだけでなくヨーロッパ全体に通用する話である。4バックの前に2センターハーフを置くシステムに関しても、4+4の8人に加えて前線から1人がボールのラインより下に戻って中央の厚みを確保し帳尻を合わせる4-2-3-1の方が、2トップの4-4-2よりもずっとポピュラーになっている。

このように、高度化を続ける組織的な守備戦術の前に「ファンタジスタ」がその居場所を奪われた90年代後半以降、カルチョの世界では「ファンタジスタ」を必要としないスタイルが主流になっていった。「ファンタジスタ」を必要としないところに「ファンタジスタ」が育たないのは、物事のごく論理的な帰結というものだ。

現時点のイタリアにおいて「最後のファンタジスタ」と呼べる存在であるカッサーノは1982年生まれ。サッキ以降の組織的で緻密な守備戦術がユースレベルまでは浸透しておらず、セリエAのピッチ上でもバッジョやゾーラ、デル・ピエーロが輝きを放っていた90年代半ばに育成年代を送った最後の世代である。

そのカッサーノ以降、個人のタレントだけで全てを解決するような天才肌のプレーヤーが育つ余地は、カルチョの育成現場からはなくなって行った。90年代末から00年代半ばまでに育成年代を送った80年代生まれのイタリア代表クラスが、安定したテクニックを備え戦術的な躾けが行き届いた、しかし傑出した個性を持たない優等生タイプばかりになってしまったのは、決して偶然ではない。トップチームと同じように結果重視の傾向が強いイタリアの育成現場に、目先の勝利のために必要な組織的な戦術の枠に収まらないタレントを辛抱強く育て開花させる余裕は、もはやなかったということだ。 

だからといって、カルチョから「トレクァルティスタ」というポジションそのものが消えたわけではない。しかし今そこでプレーするのは、中盤の底からゲームを作る敵のレジスタ(プレーメーカー)にプレッシャーをかけ続け、攻撃ではオフ・ザ・ボールで前線に縦に走り込むことができる、テクニックに加えて運動量とダイナミズムをも兼備したプレーヤーであり、決して創造性に満ちた天才肌の「ファンタジスタ」ではない。ナポリにおけるマレク・ハムシク、あるいはEURO2012のイタリア代表におけるリッカルド・モントリーヴォがその典型である。逆に、セリエAで数少ない「守備をしないトレクァルティスタ」だったウェスレイ・スナイデルは、インテルを追われるようにガラタサライに移籍しなければならなかった。

イタリアからヨーロッパに目を移すと、メスート・エジル(R.マドリー)、マリオ・ゲッツェ(ボルシア・ドルトムント)、オスカール(チェルシー)、イスコ(マラガ)など、「ファンタジスタ」という呼称に相応しいテクニックと創造性を備えたプレーヤーがトップ下でプレーしているケースは、今もなお存在している。彼らのポジションはほぼ例外なく4-2-3-1の2列目中央。いずれも、相手ボールになればボールのラインより下に戻ってプレスに加わるという、「9人目」としての守備タスクをしっかりこなすという共通点を持っている。テクニックと創造性を備えながら戦術的にも躾けられた「新世代のファンタジスタ」と呼ぶことができるかもしれない。

興味深いのは、エジルとゲッツェはドイツが00年代に入って導入した新たな発掘・育成システムから生まれた「作品」であるという点。イタリアが他でもないアリーゴ・サッキの手で同様の取り組みをスタートしたのは、2010年W杯で惨敗したつい2年前のことであり、その成果が出るまではもう少し時間が必要だ。それでもすでに、90年代生まれの中からはマリオ・バロテッリ、ステファン・エル・シャーラウィという、「ファンタジスタ」とは呼べないにせよ規格外のタレントが登場している。「新世代のファンタジスタ」が生まれるのも遠い未来のことではないかもしれない。■

(2013年2月10日/初出:『SOCCER KOZO』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。