新年蔵出し連載、09-10シーズンのモウリーニョ第2回です。

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ジョゼ・モウリーニョが監督としてこれまで勝ち取ってきた栄光を支える大きなファクターのひとつは、卓越したチームマネジメントの手腕である。

チーム全員が遵守すべきシンプルな規律をはっきりと提示し、それを守らない選手は一切の例外なくチームから外すが、必ずセカンドチャンスを与える、言うべきことは選手本人にはっきりと明言し決して曖昧さを残さない、マスコミの前では決して選手個人の批判をせず、外部の攻撃からは身体を張ってでも守る――といった原理原則を徹底することを通して、モウリーニョはどのチームでも、選手の信頼とリスペクトを勝ち取り、強い結束と厳格なディシプリンを持ったグループを作り上げてきた。

もちろんインテルでもそれは例外ではない。誰もが認めるチームリーダーのひとりであるにもかかわらず、モウリーニョ就任以来ほとんど出場機会を得ていないマルコ・マテラッツィが「モウリーニョは最高の監督だ。すべてにおいてフェアで筋が通っている」と真顔で語ったというのは、それを象徴的に示す事実だ。

マテラッツィに限らず、キャリアのピークを過ぎレギュラーの座を保つのが厳しくなってきたベテランの扱いは、監督にとって最もデリケートな案件のひとつである。今シーズンのインテルでそれにあてはまるのが、パトリック・ヴィエイラのケースだ。

アーセナルで20歳から28歳までの9シーズンを送り、アンリ、ピレスというフランス代表の盟友とともにプレミアリーグの頂点を極めたヴィエイラが、ユヴェントスを経てインテルにやってきたのは、30歳を迎えた06年夏のこと。だがそれ以来、長年の酷使がたたって膝、腰、太腿などに相次いで故障を抱えて、年間20試合弱の出場に留まり、かつてのような圧倒的な存在感を発揮できないシーズンが続いてきた。昨シーズン終了後、モウリーニョが放出リストに彼の名前を書き入れたのは、避けられない必然だった。

しかし、獲得に手を挙げるクラブがなかったことに加え、本人も移籍に積極的ではなく、移籍は実現せずに終わることになる。一度は戦力外を通告した選手との信頼関係を再構築するのは、決して簡単なことではない。だがモウリーニョの振る舞いはここでも率直かつ明快で、まったく曖昧さを残さないものだった。
 
「ヴィエイラをめぐる現在の状況は、監督が本当に率直でなければ起こり得ないものだ。監督は昨シーズンが終わった後、選手に戦力として期待していないとはっきり伝えた。彼はそれを受け入れた上で、プレシーズンもチームの一員としてトレーニングに参加することを求めた。そして、キャンプの初日から今までたった1分たりとも練習を抜けることがなかった。これはフィジカルコンディションの明らかな向上を意味している。

私は、彼がこれだけインテンシティの高いトレーニングに耐えられるとは思っていなかったので、非常に驚かされた。もちろんそれはポジティヴな驚きだ。私たちは2週間ほど前――カンビアッソが故障するよりも前だ――に話をした。レギュラーのポストは保証しないが、ピッチに立つに値する時にはピッチに送り出す。それは約束できる。私は彼にそう言った」

モウリーニョがこう語ったのは、8月22日の開幕戦を前にした記者会見でのこと。その1週間前に中盤の要カンビアッソが右膝の半月板を傷めて40日間の戦線離脱を強いられたこともあり、ヴィエイラは開幕戦でスタメンに名を連ね、その後もしばしばピッチに送られている。絶対的なレギュラーという位置づけではないにしても、安定したパフォーマンスで一定の貢献を果たしてきた。

しかし、コンディションが回復したにもかかわらず、レギュラーの座を掴むことができないという状況が、ヴィエイラ自身にとっては決して満足のいくものではないこともまた当然だろう。10月の初め、母国フランスの『レキップ』紙のインタビューで、「この程度の出場機会しか得られないならば冬のメルカートで移籍したい」と漏らしたのも、その表れだった。来年はワールドカップイヤー。南アフリカ行きの切符を勝ち取るためにも、コンスタントに出場して実績を残したいと焦るのは当然のことだ。

とはいえ、モウリーニョにとってヴィエイラが、チームに不可欠なレギュラーでないことは明らかだ。プレーヤーとしてのキャリアと実績、トレーニングに取り組むプロとしての姿勢を最大限にリスペクトしながらも、限られた出場機会しか与えていないのがその証拠。

11月末時点での出場時間は、サネッティ、スタンコヴィッチ、カンビアッソ、ムンターリ、スナイデルより少なく、故障がちで離脱期間が長いティアーゴ・モッタをわずかに上回る481分(10試合)に留まっており、MF陣の中で最も低い序列に置かれている。その扱いは、今季もほとんど出場機会を得られないマテラッツィに対するそれと同様、フェアであると同時にきわめてクールでシビアである。

だが、モウリーニョがチームマネジメントにおいて抱えている難題は、マテラッツィやヴィエイラのようなベテランの扱いよりもむしろ、ひとりの若きタレントに関するそれにある。言うまでもなくマリオ・バロテッリのことだ。

バロテッリの傑出したタレントについては、もはや疑う余地はない。今年からチームメイトになったサムエル・エトーなどは、最近のインタビューで「もしここ何年かのうちに世界指折りのプレーヤーにならなかったらぶっ殺す」と語るほど、そのポテンシャルを高く評価している。しかし現在のところ、その大胆不敵というよりは傲岸不遜と言った方がいいパーソナリティ、そして若さゆえの反抗心が、持てる才能を100%発揮するのを妨げているのが実情だ。

すでに昨シーズン、モウリーニョは毎日の練習で力を出し切らないバロテッリの振る舞いに業を煮やし、一度ならず招集メンバーから外すなど厳しい態度で臨まなければならなかった。
 
「私はバロテッリのことを心配している。彼はインテルの、そしてイタリアサッカーの貴重な財産だ。サネッティやクレスポのように、ひとりのプロフェショナルとして毎日の練習に100%の力で取り組まなければならない。彼のようにまだ何の実績も残していない選手が、偉大な選手たちと同じように練習に取り組もうとしない現実を、私は受け入れるわけにはいかない。サネッティやフィーゴの50%の力で練習に取り組むだけで、世界で指折りのプレーヤーになれるだろう。ところがマリオは25%の力しか出そうとしない。これはまったく許容できない。マリオが並の選手で終わることを私は望まない。偉大な選手になるべきタレントだからだ。だがそのためには彼を教育しなければならない」
 
これは昨年12月、モウリーニョがバロテッリをプリマヴェーラに送り返した時のコメントである。しかし、それからまる1年を経た現在も、バロテッリはモウリーニョにとって厄介な存在であり続けている。

今シーズンは11月末までの公式戦19試合中15試合に出場し4得点。エトー、ミリートに続く第3のアタッカーとしての立場はもはや確かなものになった。しかし、プロフェッショナルとしての自覚に欠ける振る舞いを抑えることができず、時にチームの規律を乱し、あるいはピッチ上でチームを窮地に陥れるという悪癖は今なお続いている。
 
「マリオは先週のジェノア戦で文句なしにスーパーなパフォーマンスを見せた。しかし今週1週間練習に取り組む態度は文字通り最低だった。今日、プリマヴェーラの監督フルヴィオ・ペーアと長い時間話して、ひとつわかったことがある。彼は長年この年代を指導してきており、経験も実績も私よりずっと豊かだ。結論は、マリオが抱えている問題は、彼と同じ年代のほとんど全ての選手、そして彼らを取り巻くほとんど全ての人々に共通するものだということだ。

金のことよりも息子の精神的な成長を第一に考えるバランス感覚を備えた両親を持ち、自分の仕事であるサッカーに打ち込むことだけを考え、フェラーリやベントレーといった年俸5億円を稼ぎ出す30歳のスター選手が乗るべき車に興味を示さず自分の身の丈に合った小さな車で満足する選手など、奇跡的な例外に過ぎない。私はこれまでそのことを部分的にしか理解していなかった。

ペーアはプリマヴェーラの監督という立場で、ピッチ上のプレーよりもむしろこういう側面の方をずっと重視して仕事に取り組んでいるという話をしてくれた。つまりこれは、個人の問題ではなく世代的な問題だということだ。今の時代、19歳、20歳で大人として成熟した若者を見つけるのは本当に困難だ」

これは10月23日、セリエAカターニア戦前日の記者会見での発言だ。もはや匙を投げたようにすら聞こえるこのコメントは、バロテッリを巡る問題が決して小さくないものではないことをはっきりと示している。そして、それから2週間後のローマ戦直後にも、モウリーニョはこう繰り返さなければならなかった。
 
「私は考え得るすべてのアプローチを使って彼に接してきた。近寄って手を差し伸べもしたし、逆に突き放してもみた。試せることはすべて試した。今のマリオは、ピッチに立って、その特別なタレントを全て出し切る時もあれば、まったく出さないこともある。今日がそのどちらかなのはその時になるまでわからない。私の言うことにはいつも耳を傾けるが、いつも納得しているのかどうかはわからない。以前よりは良くなった。しかしそのポテンシャルからすればもっとずっと高いパフォーマンスを見せて然るべきだ」

その後もバロテッリは、いい意味でも悪い意味でもマスコミの注目を浴びる存在であり続けている。11月半ばには、プライベートで訪問した養護施設で自分がミラニスタであることを告白し、それが大袈裟にスクープされてマスコミの話題を独占するという出来事もあった。しかしモウリーニョは、ピッチ上のパフォーマンスとは無関係なこうしたメディア的な誇張には取り合おうとしない。
 
「マリオがミラニスタならパトはインテリスタだ。ポルト・アレグレのインテルナシオナルで育ったのだから。冗談はさておき、応援しているのとは別のチームで大きな実績を残した選手や監督は歴史上にたくさんいる。マリオはそれを言わないこともできたとは思うが、いずれにしても大騒ぎするようなことではない。インテルのサポーターは、マリオがミラニスタかどうかよりも、時速240kmで車を飛ばしていることの方を心配すべきだ」

とはいえ、イタリア国籍を持つ黒人選手という特殊な立場がもたらす様々なトラブル(敵サポーターからの人種差別的コールなど)も含め、何かにつけてこうしてマスコミの論議の的になるという環境が、バロテッリに大きなプレッシャーとしてのしかかり、その心を乱していることは明らかだ。まだ19歳という年齢を考えれば、彼の身に起こるすべてを受け入れ消化することを要求するのはあまりにも酷だとすら思えるほどである。しかしその壁を乗り越えない限り、トップレベルのプレーヤーに成長することが不可能だというのも、また明らかだ。

それを誰よりもよく知るモウリーニョは明言する。「バロテッリの理想的な指導法?他の選手と同じように扱うことだ」。昨シーズン、アドリアーノを巡るチームマネジメント上の問題が表面化した時に、モウリーニョはこう語ったことがある。
 
「私は大人を相手にする監督であり、子供の面倒を見ることが仕事ではない。教育的な側面、規律やプロフェッショナリティを育むのに多くの時間を費やしているわけにはいかない。チームのトップレベルのパフォーマンスを要求することが私の仕事だ。選択すべき時には選択して決断を下さなければならない」

この言葉がバロテッリにも当てはまることは言うまでもない。目の前の壁を乗り越えてワールドクラスへの道を歩み始めるのか、それとも今のままの振る舞いを続け自らを損ない続けるのか。モウリーニョにできるのは進むべき道を指し示すことだけだ。その一歩を踏み出すかどうかは、バロテッリ自身に委ねられている。■

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。