新年蔵出し連載、09-10シーズンのモウリーニョ、第3回はイタリアマスコミとの軋轢について。

bar

後半ロスタイムにサムエルが決勝ゴールをねじ込み、4-3の劇的な逆転勝ちを収めた1月9日のシエナ戦で、シーズンの折り返し点を回ったインテル。セリエA前半戦19試合の成績は14勝3分2敗、勝ち点45はもちろん41得点/17失点という数字もリーグトップである。

結果的に余裕でスクデットを勝ち取ることになった昨シーズンと比較しても、勝ち点で+2、2位とのポイント差が+5といずれも上回っており、ことカンピオナートに限れば、インテルの歩みはまったく文句の付けようがないものだ。

CLでも、グループリーグ最初の3試合を引き分けて敗退の危機に直面するなど、予想外の紆余曲折があったとはいえ、最終的にはバルセロナ、ルビン・カザン、ディナモ・キエフという国内リーグ王者4チームが集まった困難なグループを2位で勝ち上がり、ベスト16進出を果たした。つまるところ、昨シーズンに続き今シーズン前半もまた、イタリアサッカーにおける絶対的な主役の座は、モウリーニョ率いるインテルのものだったということだ。

モウリーニョが主役を張ったのは、ピッチの上だけではない。ピッチの外、すなわちマスコミという舞台の上でも、昨シーズンに引き続きモウリーニョは一番の主役だった。ただ、彼がマスコミを舞台に繰り広げた論戦を振り返ってみると、その「質」は昨シーズンとは少なからず異なっていることも確かである。

昨シーズン、モウリーニョにとって一番の「論敵」は、ライバルチームの監督や首脳だった。ライバルに心理戦を仕掛けたり、自分の選手たちを鼓舞するために、モウリーニョがマスコミを通じたコメントを意図的に使うことは、もはや誰もが知るところだ。プレミアリーグ時代のファーガソンやヴェンゲールとの舌戦は今も記憶に新しいし、イタリア1年目の昨シーズンも、ラニエーリ(ユヴェントス)、スパレッティ(ローマ)をはじめライバルチーム監督を標的にした発言が何度もマスコミを賑わせた。

ところが今シーズンは、その論戦の相手が、ライバルよりもむしろマスコミそのものにシフトしているような印象がある。開幕から今まで、レオナルド、フェラーラ、ラニエーリ、プランデッリといったライバルチームの監督たちとの間に、論戦らしい論戦が起こることはなかった。にもかかわらず、モウリーニョがしばしば主役としてマスコミの紙面を賑わせたのは、インテルやモウリーニョ自身をめぐる報道の姿勢や内容をめぐってマスコミとの間に軋轢が起こり、それがニュースとして大きく取り上げられるという事態が繰り返し起こったからだ。

中でも最も世間を騒がせたのは、ウィンターブレイクを間近に控えたベルガモでのアタランタ戦(12月13日)の試合直後に起こった、『コリエーレ・デッロ・スポルト』紙のアンドレア・ラマツォッティ記者に対する侮辱事件である。これは、本来はマスコミの立ち入りが許されていないスタジアムの関係者出口からチームバスへの通路に入って、ロッカールームから戻ってくる選手たちのコメントを取っていた同記者を見咎めたモウリーニョが、チームバスから降りて侮辱的な罵詈雑言を投げつけ、それが各紙の非難の的になったというもの。

一方の当事者である『コリエーレ・デッロ・スポルト』は、この出来事を「試合後モウリーニョが本紙記者に暴行」という見出しの記事で次のように報じている。
 
<「この売女の息子はここで何をしてるんだ?」。気まずい空気が流れる。賞賛すべきことに、我らがアンドレアはこの酷い侮辱にも冷静さを失わず、落ち着いてこう返した。「ミステル。私はあなたを侮辱したことは一度もありませんよ」。しかしモウリーニョは、インテルがモラッティ時代になってからというもの誰も耳にしたことがないような言葉遣いでこう続けた。「このウンコ野郎にここにいる資格はない。プレスルームに戻るべきだ」>(『コリエーレ・デッロ・スポルト』、12月14日付) 

これに対してモウリーニョは、3日後の記者会見でこう反論した。

「今日までの3日間、日曜日にベルガモで起こったことについてたくさんの記事やコメントを読んだ。まるで一方の当事者が言っていることだけが真実のように見える。これに対してここで私の真実を述べる機会をもらったことに感謝したい。正直に認めよう。確かに私はあなた方の同僚を侮辱した。ここで繰り返すわけにはいかない言葉を使ったのは本当だ。しかし私が彼に暴行した、あるいはしようとしたというのは事実ではない。なぜ私がそんなことをしたのか?そこに至るまでにはここ何カ月かに及ぶ一連のプロセスがあった」  
 
この「一連のプロセス」についてモウリーニョは、「身内」であるインテルチャンネルだけに許されたチームバス側の取材ポイントに、部外者であるラマツォッティ記者が入ってきて、コメントを聞き取って持ち帰るという出来事が以前から繰り返されており、このゾーンに立ち入らないよう何度も忠告してきたにもかかわらず、この日もまたその姿を目にしたので思わず汚い言葉を口走ってしまった、と説明している。

だが、モウリーニョがそこまでの振る舞いに出た背景は、おそらくそれだけではない。というのも、このラマツォッティ記者が、各紙のインテル番の間でも普段から常にモウリーニョに対して敵対的な論調の記事を書く、いわば「反モウリーニョ派」の代表格のような存在であることは、インテルの周辺では周知の事実だからだ。

ローマに本拠を置く『コリエーレ・デッロ・スポルト』が、元々インテルをはじめとする北イタリアのビッグクラブに批判的な論調を取っているのはよく知られるところ。しかし、「反モウリーニョ」の旗色を明らかにしているのは同紙だけにとどまらない。地元ミラノの『ガゼッタ・デッロ・スポルト』、トリノの『トゥットスポルト』、さらには三大全国紙の一角を占める『ラ・レプブリカ』と『ラ・スタンパ』のインテル番記者も、事あるごとにモウリーニョを標的に仕立て上げた記事を書き続けている。「親モウリーニョ」の旗色を鮮明にしている記者の方がむしろ少数派と言っても過言ではない。

興味深いのは、彼ら番記者の多くは「反モウリーニョ」であっても「反インテル」ではないというところ。まるで、インテルの監督がモウリーニョであることが気に入らない、と言わんばかりの論調が目につくこともしばしばだ。

その典型が、CLのグループリーグ第5節、アウェーでバルセロナに0-2の完敗を喫した翌日、『ラ・レプブリカ』に掲載された次のような記事である。
 
<ジョゼ・モウリーニョは自ら責任を取ることを好む人物だ。それどころか、新聞の1面には常に自分がいるべきだと考えてすらいる。だとすれば、何かがうまく行かなかった時に批判の矢面に立つのも彼であるべきだろう。それが理屈というものだ。

バルセロナでの敗北はモウリーニョの敗北にほかならない。監督がチームにもたらすべき価値とは何か?それは戦術でありモティベーションだ。ところがカンプノウでのインテルには、戦術もモティベーションもなかった。ピッチのあらゆる地域でバルセロナに翻弄され、何の反撃を組織することもできなかった。ただ萎縮して自陣に押し込められるままだった。

その責任がモウリーニョにあることは火を見るよりも明らかだ。しかもこれは初めて起こったことではない。それどころか、キエフでの逆転勝ちをもたらした後半を除けば、インテルはチャンピオンズリーグでまったく機能していない。カンピオナートを席巻する強いインテルは、ヨーロッパの舞台ではその影すらも見ることができない>(『ラ・レプブリカ』、11月25日付)
 
バルセロナ戦の内容がインテルの完敗であったことに疑問の余地はない。それを真っ先に認めたのは、ほかでもないモウリーニョ自身だった。
 
「2-0という結果は試合内容を的確に反映したものだ。我々はプレーヤーの個人能力においてもチームとしてのプロフィールにおいても、まだバルセロナから遠いところにいる。前半はパスを2本つなぐことすらままならず、スローインすらも大きな困難だった。我々は自陣からボールを持ち出すのにも苦しみ、彼らはつねにスペースを見出した。彼らのインテンシティは攻守両局面で我々のそれを大きく上回っていた。もちろん、さらに勝ち進んだところでもう一度対戦し、一発勝負の試合をすれば勝つ可能性はある。しかしチームとしての総合力では、明らかにバルセロナが我々より上だ」

しかし、こうした率直な姿勢に対してすらも、「反モウリーニョ派」たちの攻撃は容赦がない。『ラ・スタンパ』もバルセロナ戦の翌日、「モウリーニョは今もスペシャル・ワンか?」という見出しを打ち、「モラッティが1000万ユーロもの年俸を支払っているのは、インテルはバルセロナに遠く及ばないと聞かされるためなのか?」と、嬉々として書き立てた。

モウリーニョに対する多くの番記者の反感は、いったいどこから来ているのか。それを理解する上で無視できないのは、モウリーニョのマスコミとの距離の置き方である。

モウリーニョは就任以来、原則として試合前日の記者会見と当日試合後のTVインタビューおよび記者会見だけに、マスコミの取材機会を限っている。個別取材や単独インタビューは、ごく限られた例外を除いて一切受けない。彼は昨シーズン、ある時の会見でこう語ったことがある。

「私はあなた方記者たち全員と、同じ場所で同じように話をする。私と特別な関係にあると言える人は誰もいないし、私が自分から情報をリークするようなことも一切ない。私と皆さんの関係は誠実でストレートなものだ。私が誰を招集し誰を起用するかについて、あなた方の書くことから影響を受けることも一切ない。あなた方にとって私が感じがいい人間かどうかは、私の心配事ではまったくない」 
 
通常、大手メディアとインテルのようなビッグクラブの監督というのは、何らかの形で持ちつ持たれつの関係にあるものだ。ところがモウリーニョはそれを許さない。取材対象者と個人的な、いわば馴れ合いの関係を築き、単独取材やオフレコ談話によって他メディアにはないネタを取ろうとする大手マスコミの番記者にとって、モウリーニョは非常に厄介で仕事のしにくい相手なのである。

イタリアのマスコミが事あるごとにモウリーニョの去就問題を取り沙汰するのも、まさにそうした状況が背景にあってのことだ。つい最近も、ウィンターブレイクの間に、ポルトガルの『プブリコ』、イングランドの『ザ・サン』という国外の2紙が、モウリーニョのインタビューを掲載した。
 
「監督という仕事に対する私の愛は決して終わることがないだろう。イタリアへの愛は終わったか?始まってもいないものが終わることはあり得ない。しかし、繰り返すがここで仕事をするのが私は好きだ。難しいことに取り組むのが好きだし、インテリスタのメンタリティも好きだから。イタリアでの生活には満足している。インテルとの契約は2012年まで残っており、私はそれを全うしたいと考えている」(『プブリコ』、12月26日付)

「いつかはイングランドに戻りたいと思っている。私は自分の気持ちを隠すような人間ではない。実際これまで常に、私はイングランドが好きだと言い続けてきた。しかし、シーズン半ばでクラブを離れるようなことはしない。そもそも、プロジェクトを途中で投げ出すのは私のやり方ではないからだ」(『ザ・サン』、12月29日付)

ところがこれがイタリアのマスコミにかかると、「モウリーニョはイタリアを愛していない。インテルは今シーズン限りか」「イングランドに帰りたがっている。インテルは今シーズン限りか」という見出しで報じられることになる。「今シーズン限り」というのが、モウリーニョではなくむしろマスコミ(番記者)の側が密かに抱いている願望であることは明らかだ。

モウリーニョは12月31日、インテルがミニキャンプを張っていたアブダビで2009年最後の記者会見を行い、そこでこう語った。

「私はイタリアを嫌っているわけではまったくない。そもそも、そのような判断を下せるほど長く暮らしているわけではない。イタリアはそれほど好きではないと私が言うのは、マスコミとの関係という特定の状況を指してのことだ。我々の関係がポジティブなものでないことは明らかだ。私に言わせればその責任はマスコミにあり、マスコミに言わせれば私にある。その点では、私は最初から戦いに敗れているようなものだ。なにしろ相手は大人数でしかも結束しており、私は1人なのだから。

しかし、だからといって私の自立、パーソナリティ、そして思ったことを口にする自由を失うつもりはまったくない。私は誰かにおべっかを使うようなタイプではない。私はイタリアで仕事をするのが好きであり、2012年までの契約を全うしたいとはっきり言った。ここで改めてそれを繰り返しておきたい」

2010年もモウリーニョは、ピッチの上でもマスコミの舞台でも主役を張り続けることになるだろう。■

(2010年1月11日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。