明日(2016年11月20日)はミラノダービー。今夏、南京の蘇寧グループに買収されたインテルに続き、ミランも来月半ばまでには中国資本への売却手続きが完結する見通しということで、「史上初のチャイニーズミラノダービー」と喧伝されていたりします。1986年以来30年にわたりオーナーとしてミランに君臨してきたシルヴィオ・ベルルスコーニ会長、そしてその片腕アドリアーノ・ガッリアーニ副会長にとっては、これが最後のダービー。いい機会なので、そのガッリアーニの独占インタビューを。アンチェロッティ体制2年目の02-03シーズン、「ピルロ・システム」とも言うべきクリスマスツリー(4-3-2-1)を導入してCL優勝を果たす3ヶ月前というなかなかいいタイミングで、1対1でじっくり話を聞いた貴重なインタビューです。当時WSDに連載していた「イタリアクラブ探訪」の番外編として掲載されたもの。写真はありませんがエアではありません。

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2001年1月にスタートしたこの「イタリアクラブ探訪」ではこれまで、地方都市を本拠地とする中小規模のクラブ、いわゆるプロヴィンチャーレの現状をシリーズで取り上げてきた。限られた予算の中、自らの知恵と経験だけを頼りに、残留を目指して厳しいサバイバルゲームを戦っているこうしたクラブの戦略とビジョンは、どれも非常に興味深く示唆に富んだものである。

しかしそれでは、資金力にモノをいわせて強力なチームを組織し、セリエAの主役としてスクデットを争い続けるビッグクラブは、どんな戦略とビジョンを持っているのだろうか?

ユヴェントス、ミラン、インテルといった規模のクラブになれば、クラブやチームにまつわる情報は、毎日山のように伝えられている。しかし、その中枢にいる首脳が何を考え、どんな姿勢で経営に携わっているのか、それを知る機会は、実のところ決して多くはない。事実、ビッグクラブの首脳に直接、1対1でじっくりと話を聞く機会は、イタリアのベテラン記者ですらそう簡単に得られるものではないのだ。マスコミで流されるコメントは、試合前後の囲み取材や記者会見での発言がほとんどであり、それに様々な推測や解釈がつけ加えられて報道されるのが常なのである。

だが今回筆者は、ミランの経営責任者であるアドリアーノ・ガッリアーニ執行副会長の独占インタビュー(今シーズン世界初)に成功した。90年代後半の低迷期から今シーズンの復活までの歩み、ビッグクラブの経営者が背負わなければならない巨大なプレッシャー、そして今後の補強プランまで、ミランの実質的なナンバーワンが、プロヴィンチャーレとはまったく異なるビッグクラブ経営の現実を忌憚なく語った、貴重な生の声をお送りしよう。
 
——今シーズンのミランは、ついに長い過渡期を終えたように見えます。アンチェロッティ監督の率いるチームは、イタリアサッカーに攻撃的なメンタリティを持ち込み、セリエAでもチャンピオンズ・リーグでも成績を残している。これが新たな勝利のサイクルのスタートになり得るとお考えですか?

「かつてカペッロ監督の下で5シーズンに4回スクデットを勝ち取ったような、ああいう勝利のサイクルを再現することは、いずれにせよ非常に難しいと思います。当時と違って今は、4〜5チームがスクデットを狙う力を持っています。この4年間、スクデット争いがシーズン最終節までもつれ込み、しかも毎年違うチームが勝っているのは、決して偶然ではありません。

ですから、ミランのようなクラブにとって大事なのは、何が何でも勝つことではなく、いつもトップレベルにいてスクデットを争い続けることです。その点では、今年のチームがひとつのサイクルの土台になる可能性は高いと思っていますよ。リヴァウド、ネスタ、セードルフ、シミッチといった新戦力がチームに貢献しているのに加えて、マルディーニをはじめとするベテランたちも、昨シーズンより高いパフォーマンスを見せていますからね」

——ミランは以前にも、大きな勝利のサイクルを築いてきました。80年代末から90年代半ばまで、サッキ、カペッロの両監督の下で、あらゆるタイトルを勝ち取りました。最後のスクデットが95-96シーズン。しかしそれから、大きな波が始まった。ひとつのサイクルが終わったことに気がつくのは、どんなことがきっかけなのでしょうか?

「いや、そういう波は、気づく間もなくやって来るものです。95-96シーズンにスクデットを獲得した後、続く2シーズンは11位、10位という惨憺たる成績でした。しかしその翌年には、再びスクデットを獲得したのです。その間、クラブとしての経営方針が変わったということはありません。ひとつのサイクルが終わったことに気がつくのは、ずっと後になって振り返り、総括する時の話であって、その最中にはまったく気づかないし、説明のしようもないものなのです」

——ミランが大きな不調に落ち込んだ96-97シーズン、97-98シーズンは、ヨーロッパサッカー界全体にとって、非常に難しい時期でした。ボスマン判決によってEU域内の外国人枠が撤廃されたこともあり、多くのクラブが外国人選手の獲得に走り、その一方で育成部門への投資を縮小しました。ミランもこの路線を取っていたように見えます。

「それが不調と関係あったとは考えていません。我々は96-97シーズンにダーヴィッツを、翌年はクライフェルトを、それぞれ移籍金ゼロで獲得しました。彼らはいずれもアヤックスでヨーロッパの頂点に立ったプレーヤーです。補強としては悪くなかったし、チームの総合的な戦力も十分なレベルにあった。監督も、過去に5年間で4度のスクデットを勝ち取った名監督カペッロでした。彼自身、補強の内容には満足していましたよ。そう考えると、どうしてああいう不振に陥ったのか、納得の行く説明をすることは難しい。

いずれにせよ私は、ボスマン判決や他の外的要因に不振の原因を求めようとは思いません。スポーツというものは、もっとシンプルなものですよ。その時々で考え得るベストを尽くしたにもかかわらず、勝つこともあれば負けることもある。それはどうしようもないことなんです。そう言っても説明になっていませんが、説明がつかないのがスポーツなんだからしょうがない。ミランの近年の歩みも、結局そう受け止めるしかないんですよ。

唯一確かなことは、どんなスポーツでも常勝はあり得ないということ。どんな偉大な選手、偉大なチームであっても、敗北を知らないということはあり得ないですからね。しかし、それが何故起こったのか、その理由をはっきりと知ることはどんな場合でも難しい」

——11位と10位に低迷したあの2年間から学んだことは何かないのでしょうか?

「私がミランの役員に就任したのが86年2月20日ですから、もう17年になります。ですから、それなりの経験を持っているという自負はあります。不振に陥った時には必ず、何かしらの原因はあるものですが、それを未然に突き止めて予防することは非常に難しい。

カペッロが率いた97-98シーズンのミランが、プレシーズンのベルルスコーニ杯でユヴェントスを破った時、マスコミはこぞって優勝候補の筆頭に挙げたものです。しかし結果は10位。私の長い経験から言えるのは、我々が事前にできることは、その時ベストだと思うことをきちんとやる、それだけだということです」

——結果が良かった時と悪かった時があったにせよ、チームの強化にあたっては、ミランというチームはこうあるべきだという一貫したコンセプト、ミランというクラブのアイデンティティがあったと思います。それはどういうものなのでしょうか?

「ミランというチームのDNAには、自分たちが試合の主導権を握って自分たちのサッカーを展開するという姿勢が刻み込まれています。イタリアには、伝統的にカウンターアタックを武器として、つまり守備的な戦い方で勝利の歴史を築いてきたクラブもありますが、ミランは違います。

例えば、クライフのアヤックスを破ってチャンピオンズ・カップを勝ち取った60年代末のミランは、ソルマーニ、プラーティ、ハムリン、リヴェーラ、つまり3人のFWと攻撃的MF、4人を同時にピッチに送って戦っていました。このように、常に攻撃的で美しいサッカーを目指して来たのです。それは、ベルルスコーニ会長の時代になってからもずっと、今に至るまで一貫して変わりません。私自身も、常にそれを考えながらチームの強化に当たってきましたよ」

——監督や選手を選ぶ時にも、常にその考え方が背景にあったということですね。

「もちろんそうです。今シーズン、リヴァウドやセードルフを獲得したのもその表れですし、ネスタを獲ったのも、彼の存在があれば攻撃的な選手をより生かせるようになると考えたからこそです」

——ザッケローニ、テリムといった監督を選んだのも?

「言わずもがなでしょう。成功も失敗もありましたが、考え方はいつも同じでした」

——2年前のザッケローニ(シーズン終盤に解任)はともかく、96-97シーズンのタバレス、そして昨シーズンのテリムは、開幕からわずか3ヶ月足らずで解任されています。しかも監督交代は、必ずしも大きな成功をもたらしたとはいえませんでした。ミランだけに限らず、イタリアのクラブは監督の首をすげ替え過ぎるという批判があります。

「監督の立場というのは、非常に強く結果に左右されるものです。ビッグクラブを率いる以上、結果を出すことは監督の義務だといっても過言ではありません。ビッグクラブの監督に就任すれば、年俸はもちろん、知名度や注目度から社会的地位まで、すべてにおいて一流の立場を得ることができます。しかしそれと引き換えに、重要な結果を勝ち取る義務を負うのです。

ですからもしチームが結果を残せず、先の見通しが立たない時には、監督を変えることにならざるを得ません。選手はクラブにとって重要な資産ですし、メルカートが開いている時期も限られていますから、シーズン中にチームを大きくいじることは難しい。

私はよく、サッカーを映画や演劇に例えるのですが、この場合は、役者を総入れ替えするのが無理である以上、作品の質を高めるためには監督を交代させる以外にはないということですね」

——昨シーズンのテリム解任には、アンチェロッティが当時、パルマとの契約書にサインする寸前だったことも関係していたのでしょうか?

「いや、単なる偶然です。もしあの日(2001年11月4日)、ミランがトリノに負けていなければ、もしインザーギがPKを決めて引き分けに持ち込んでいれば、少なくともあの時点でのテリム解任はありませんでした。そうなっていれば、アンチェロッティはパルマの監督に就任したでしょう。まあそれは、もし私たちの両親が出会っていなければ、私たちは今ここにいなかったはずだ、という類いの話ですよ(笑)。サッカーに限らず人生すべてにおいて、偶然性というものは重要な要素を占めています。それを運命と呼ぶ人もいますがね」

——しかし、その偶然性を最小限に押しとどめるのが、企業経営者として、あるいはプロサッカークラブの役員としての仕事ではないのでしょうか?

「理屈の上ではもちろんそうなりますよ。しかし、プロサッカークラブというのは、企業としては特殊な存在です。試合結果に左右される部分が異常に大きいのです。もちろん、どんな企業でもその経営は事業の結果によって左右されますよ。しかしカルチョの世界には、このスポーツがもたらす巨大な社会的反響、結果をめぐる感情の起伏が関わってきます。問題はそれです。

もしあなた方の雑誌、『ワールドサッカーダイジェスト』の販売部数が2000部か3000部減ったとしても、それを知っているのは社内のごく一部の人だけでしょうし、それが社会的な反響を巻き起こすことはないでしょう。しかしカルチョは違います。チームの動向、クラブの動向にイタリア中が、いや世界中が注目している。毎週毎週、勝ったにしても負けたにしても、その結果は巨大な社会的反響をもたらすのです。

ある日曜日の試合に1-0で勝つか0-1で負けるか、それを左右するのはほんの小さなことでしかありません。にもかかわらず、勝利と敗北では、それが巻き起こす感情の起伏、そしてテレビや新聞などのマスコミ、そして何百万人というサポーターが作り出す反響は極端なほどに異なります。

そういう、カルチョに特有の感情的要因に影響されることなく、一般の企業経営と同じようにクラブを運営し、決断を下すというのは、残念ながら不可能に近いですね。カルチョの世界は、ある意味では理屈の通じない世界、感情に支配された世界といってもいいのかもしれません」

——ミランは、1年前にルイ・コスタ、今シーズンもネスタを、クラブの収支が大赤字になることを承知の上で獲得しています。それもやはり、企業経営の論理よりも感情の起伏が優先された結果ということでしょうか。

「われわれビッグクラブの経営者は、周囲からの抗し切れないほど巨大な圧力に、常にさらされています。ライバルチームが強力な新戦力を補強したとなると、こちらもそれに対抗しないわけには行かない。それはまさに、カルチョがもたらす社会的反響の強さ、感情の起伏ゆえのことです」

——今シーズンに向けたチーム作りの段階で、“プロダクト(商品)の質を高めることが大事だ”という発言を繰り返していらっしゃっいましたが……。

「プロサッカークラブの経営は映画制作会社のそれと似たところがあります。サッカーの試合は、プロダクトとしては映画と非常に近い。我々はプロデューサーであり、監督がいて選手、つまり俳優がいて、かれらの演じるエンターテインメントを楽しむ観客がいる、ということです。

われわれにとっての商品はチームであり、そのチームが見せる試合です。その質を左右するのは、まず個々の選手ということになるわけです。もちろん、組織としてのチームは大事ですよ。でもトップレベルの選手が揃っていなければ、頂点を争う舞台で差を作り出すことは難しいですし、スタジアムのサポーター、そしてTVを見ているファンを喜ばせ、楽しませることもできない。ですから、そういう選手を獲得することが第一のテーマでした。リヴァウド、そしてネスタという世界トップレベルの選手を補強したのはそのためです」

——そのリヴァウドとネスタをチームに加えた今シーズン前半のミランは、一番楽観的な予想さえも裏切るほどの躍進ぶりで、セリエAとチャンピオンズ・リーグに旋風を巻き起こしました。しかしこのところやや失速気味です。ここまでのチームの戦いぶりには満足していますか?

「もちろん。もしここ数試合の低迷がなければ、100%満足だと断言するところだったんですがね……。ここまでの戦いを全体的にみれば、十分満足できる結果と内容だと言うことができますよ。セリエAではまだスクデット争いを続けていますし、チャンピオンズ・リーグでは、デポルティーヴォ、バイエルン、レアル・マドリー、ドルトムントといった強豪を破って、早々とベスト8進出を決めました。コッパ・イタリアでもベスト4に残っていますからね」

——もしシーズンが終わってみたら何のタイトルも勝ち取れなかったとしても、今と同じことをおっしゃいますか?

「ええ。この3つのコンペティションで最後までタイトルを争うことができれば、もし最後に勝てなくとも同じことを言いますよ。アンチェロッティに我々が義務づけているのは勝利ではありません。最後まで勝利のために戦うことです。もし最後までタイトルを争い続ければ、それで十分に義務は果たしたといえるでしょう。最後に勝敗を分ける1ポイント、2ポイントというのは、ほんのちょっとした偶然や運不運に左右されるものですからね」

——今シーズンが、ミランにとって新しいサイクルの始まりだとすれば、これからさらに強化すべきポイントはどこにあるのでしょう?中期的にはどんなプロジェクトを持っていますか?

「ミランはすでに今の段階でも、欠点がなく十分に完成度の高いチームだと思っています。来シーズンにも、ほとんど今のチームそのままで臨むつもりでいます。今年のチームから大きく顔ぶれが入れ替わることはありませんよ」

——先日、“伸び盛りの若手がミランの環境で力を発揮するのは難しい。これからのミランは、すでに完成されたトッププレーヤーを1人、2人チームに加えることで強化を図って行く”とおっしゃっていましたが。

「この何年かでわかったのは、プロヴィンチャーレで1〜2シーズン活躍しただけの若手は、ミランのようなビッグクラブに来ても、すぐにカンピオーネたちと同じレベルでプレーできるわけではないということです。しかしこのチームに必要なのは、トップレベルで戦える即戦力です。そこに達するまでには、外で“修業”してもらった方がお互いにとっていい、ということなのです。バレージやマルディーニのような逸材は10年に1人出るか出ないかですからね。

誤解してほしくないのですが、私は育成部門を軽視しているわけではありません。ただ、プリマヴェーラからすぐにトップチームに上がってプレーすることは非常に難しい、ミランの一員にふさわしいプレーヤーに成長するためには、もっとレベルの低いクラブで十分な経験を積むことが不可欠だ、と考えているだけです。私が言っているのは、ミランのようなビッグクラブでは、育成部門とトップチームの間のギャップがあまりにも大き過ぎるので、その間を埋める方策が必要だし重要だということです」

——では例えば、レアル・マドリーの“ジダン&パヴォン政策”についてはどう思われますか?

「あれはひとつのスローガンですからね。実際に試合でプレーしているのは、パヴォンではなくイエロ、グティではなくジダンでしょう。あのチームに不可欠なのは、やはりジダン、フィーゴ、ロベルト・カルロスといった選手ですよ。確かにカシージャスやラウールは育成部門の出身ですが、ミランにもマルディーニ、コスタクルタ、アルベルティーニがいる。アンブロジーニだって17歳からミランでプレーしていますし」

——来シーズンは変わらないとしても、2〜3年のスパンで見れば変化は出てくると思います。

「それはもちろんです。何人かのベテランは引退することになるでしょうからね。でも、少なくともこれから2年間は、現在のチームを土台にして戦って行く。これは間違いありません。2005年の夏には、おそらく抜本的なモデルチェンジが必要になると思います。しかしそれまでの2シーズンは、このチームをマイナーチェンジしながら戦って行くということです」

——2005年のモデルチェンジに関しては、すでに基本となる方向性をお持ちなのでしょうか?

「いや、それを考えるのはまだ早過ぎます。これからさらに2シーズン過ぎた後に、誰がチームの核になっているのか、どんなチームを作って行くべきなのかは、今の段階では予想のつけようがありませんからね」

——最後にひとつうかがいたいのですが、ヨーロッパのビッグクラブが集まるチャンピオンズ・リーグが世界的な人気を集めている一方で、国内リーグへの注目度は低下しています。ミランをはじめとするヨーロッパのビッグクラブは、以前構想があった“ヨーロッパ・スーパーリーグ”のように、国の枠を超えた国際リーグの実現に向かって行くのでしょうか?

「それがいつになるかは、今の時点ではまったくわかりません。しかし方向性としてはそうなるしかないと思っています。欧州連合ができて経済的な国境がなくなった時点から、世の中全体がそういう方向に向かっているわけですからね」□

(2003年3月24日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。