今週末のセリエAはトリノで「イタリアダービー」ことユヴェントス対インテルが組まれています。この何年かはインテルの低迷もあってそう呼ばれるほどクオリティの高い試合ではなくなっていましたが、今回は10月にステーファノ・ピオリを監督に迎えたインテルが「V字回復」を成し遂げてCL出場権争いに参入しようとしているタイミングだけに、内容的にもなかなか興味深い対戦になりそう。
そのインテル、ここに至るまでは今夏のマンチーニ解任とデ・ブール招聘、さらにはそのデ・ブールを3ヶ月足らずで解任という迷走があったわけですが、それがこのクラブのDNAに属する事柄だということを思い出させてくれるのが、ここで取り上げた2011年夏のレオナルド辞任からガスペリーニ就任までのドタバタ(この時もやはり3ヶ月後には解任されてしまうわけですが……)。当時のレポートをどうぞ。

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2011年6月24日、インテルはジャン・ピエロ・ガスペリーニの監督就任を発表した。2008年夏のマンチーニ解任とモウリーニョ招聘から数えて、3年間で4度目の監督交代である。

レオナルド前監督の辞意が表面化し、次期監督問題が持ち上がってからここに至るまでの10日間、マスコミを巻き込んで展開されたのは、「インテル的」としか言いようがないドタバタ喜劇だった。その内幕も含めて、この交代劇を振り返ってみることにしよう。

事の発端は、6月14日付の『ガゼッタ・デッロ・スポルト』が1面トップで報じた「モラッティがビエルサに電話」というスクープだった。ビエルサとはもちろん、春先にチリ代表の指揮官を辞任したばかりのアルゼンチン人監督、マルセロ・ビエルサのことである。

この時点ではまだ、レオナルドの続投が既定の事実とされていただけに、このスクープは誰にとっても青天の霹靂だった。同紙の看板記者アルベルト・チェッルーティによる記事は「この新シーズンのためなのか、さらに先のためなのか、モラッティの真意はわからない。確かなのはロサリオの自宅にいるビエルサがモラッティからの電話を受けたことだけだ」と伝えていた。

ミランの監督を辞してからわずか半年後の昨年末、同じミラノのライバルであるインテルの指揮官となったレオナルドは、セリエA中位に低迷していたチームを建て直して優勝戦線に浮上させ、最終的には2位でシーズンを終えるという「つなぎ役」としては上々の結果を残し、新シーズンも引き続き監督の座に留まることが発表されていた。

ただし、100%の説得力を持っての留任決定だったかというと、そこには疑問符がつく。セリエAでは驚異的な追い上げで首位ミランと5ポイント差に迫り、CLでも決勝T1回戦でバイエルンをうっちゃってベスト8に進出と、シーズンの流れが決定的にポジティブな方向に向かおうとしていた4月初め、決定的なビッグマッチを2つ続けてしくじった記憶が、レオナルドの監督としての手腕に疑問を投げかけていたからだ。

4月2日のミラノダービーは0-3の完敗。5日に行われたシャルケとのCL準々決勝でもホームで2-5の惨敗を喫して、たった3日間で2つのタイトルへの可能性を失った出来事は、サポーター、マスコミ、そしてもちろんマッシモ・モラッティ会長の心中に決して小さくないわだかまりを残していたようだ。

実際、モラッティは6月初め、『インテル・チャンネル』に対して「レオナルドは優秀なゼネラルディレクターになる資質を持っている。しかし自己犠牲の精神と強い意欲によって監督という仕事も十分にこなせることを示した」と語っている。今後も監督としてのキャリアを続けて行くとは考えていないようなこのコメントが、奇妙なひっかかりとなっていたこともまた事実だった。

『ガゼッタ』がスクープしたビエルサとの接触の裏に何があったのか、それが明らかになるまでには、大した時間は必要ではなかった。同じ14日の午後になって、フランスのスポーツ紙『レキップ』のウェブサイトが「レオナルドがカタールで、PSGの新オーナーとテクニカルディレクター就任について交渉中」というスクープを報じたのだ。

2つの話はすぐにつながった。モラッティはレオナルドからすでにこの話についての報告を受けており、後任監督の選定に入っていた。その第一候補としてビエルサをリストアップし、打診の電話をしたところ、それが何らかの形で『ガゼッタ』の知るところとなった――というわけである。

「エル・ロコ」(ザ・マッドマン)というニックネームを持つマニアックな戦術家として知られるビエルサは、緻密な攻守のメカニズムを持つ3トップの攻撃サッカーの使い手だ。インテルの主将ハヴィエル・サネッティとCBワルテル・サムエルは、かつてアルゼンチン代表の一員としてビエルサの元でプレーした経験を持っている。モラッティはかねてより彼らの口から評判を聞いていたに違いない。昨年の南アW杯でチリ代表が見せた魅力的なサッカーも、この選択を後押ししたはずだ。

問題は、ビエルサに魅力を感じているのがインテルだけではないこと、そしてビエルサ自身が次の仕事場選びに対して、確固たる信念を持っていたこと。チリ代表監督を辞して以降、彼の下にはセビージャ、レアル・ソシエダ、ローマ、そしてアメリカ代表から監督就任のオファーが届いたが、彼はそのすべてに対して「NO」という答えを返してきていた。

しかし、7月3日に予定されているアスレティック・ビルバオの会長選挙に立候補しているジョシュ・ウルティアから持ちかけられた、当選を前提にした監督就任要請に対しては、「選挙結果を待つ」と返事している。クラブの格やチームの戦力よりも、大きな権限を持って自分の理想を追求できる場所かどうかに強いこだわりを持っていることは明らかだ。

翌15日、『ガゼッタ』を筆頭とするイタリアのマスコミ各紙は揃って、あたかもビエルサの招聘が決まったかのように、このニュースをトップで報じる。マスコミからマイクを向けられたモラッティも、接触の事実を認めるコメントを口にした。しかし、それから24時間も経たないうちに明らかになったのは、ビエルサがインテルからのオファーを丁重に断ったという事実だった。

ビエルサという選択に対しては、マスコミからは賛否両論が挙がっていた。その戦術家としての優秀さ、率いたチームが見せたサッカーの質の高さに話を限れば、議論の余地はない。しかし、ヨーロッパでの監督経験がほとんどない上に、最後にクラブチームを率いてからすでに13年もの時間が経っていることを、小さくないリスクだと見る向きも少なくなかった。しかしいずれにしても、すべてはビエルサの「NO」によって机上の話のまま終わってしまった。

モラッティにとっては、そしてもちろんインテリスタにとっても、意中の監督がインテルよりもアスレティック・ビルバオを選ぶというのは信じられない、というよりも屈辱的な出来事だったに違いない。しかし元イタリア代表監督で現在は育成年代のイタリア代表を統括するアリーゴ・サッキは、あるインタビューでこう語っている。「ビエルサは、インテルは自分のサッカー観に合わないチームだと考えたのではないか」。

ビエルサ本人が口を開いていないこともあり、真相は霧の中である。確かなのは、この時点でインテルの監督選びは方向性を失ってしまったということだ。ビエルサの「NO」が明らかになってから、マスコミに候補として挙がった名前は10人近くに上る。

実際モラッティ、そしてテクニカル・ディレクターのマルコ・ブランカは、かなりの人数に監督就任の可能性を打診したようだ。マスコミの「ビエルサをはじめ誰も監督になり手がない状況をどう思うか?」という挑発的な質問に対して、モラッティが「そんなことはない。私にNOと言ったのはビエルサだけだ。それ以外にはたくさんのYESという返事を受け取った。あとは選ぶだけだ」と、苛立たしげに答える一幕もあった。

ここから、最終的にガスペリーニの就任が決まるまでは、毎日日替わりで「本命」が現れては消えて行く、という展開が続くことになる。まずシニーサ・ミハイロヴィッチ、続いてアンドレ・ヴィラス・ボアス、そしてファビオ・カペッロ、さらにはフース・ヒディンク。監督としてのスタイルもサッカー観も、天と地ほどに異なる顔ぶれであり、そこに一貫性を読み取ることはほとんど不可能だ。これを「迷走」と言わずして何と言えばいいのだろうか。

ミハイロヴィッチは、マンチーニ監督の下で選手、そして助監督を務めた経験があり、インテルという環境を熟知していることが大きなアドバンテージと見られた。『ガゼッタ』のライバルである『コリエーレ・デッロ・スポルト』は、ここから一貫してミハイロヴィッチを本命に推し続けることになる。その辺りの事情については、本号の「ザ・ジャーナリスティック」の中でジャンカルロ・パドヴァンが触れているので、ここでは繰り返さない。ただ、モラッティはミハイロヴィッチの就任を強く望んでおり、フィオレンティーナのデッラ・ヴァッレ会長も契約解除に同意していたが、インテル内部の反対で実現しなかったという噂は、筆者も別ルートで耳にしている。

続いて本命視されたのは、ポルトを率いてポルトガルリーグとヨーロッパリーグを勝ち取った33歳の若手監督ヴィラス・ボアス。長年モウリーニョの戦術スタッフを務めた彼は、監督として独立する前の最後の年(08-09シーズン)にインテルで1年間仕事をしている。クラブの環境を知っているというだけでなく、モウリーニョの流れを汲みながらさらに大胆でスペクタクルな攻撃サッカーを操る、今最もセンセーショナルな存在だという点で、インテルには打ってつけの指揮官であるように見えた。

モラッティが望むミハイロヴィッチの招聘がスムーズに行かなかった時点で、ヴィラス・ボアスの招聘に最も積極的だったといわれるブランカは、自らオポルトに飛んで本人の説得を試みる。これが6月18日土曜日のことである。

今最も「旬」な監督だけに、ヴィラス・ボアスの去就は早い時期からマスコミの注目を集めていた。問題はポルトとの契約があと1シーズン残っており、クラブ側が1500万ユーロという監督としては異例に高い違約金を設定していたこと。それもあって本人も「ポルトにもう1シーズン残ってCLでこのチームの力を試したい」という公式コメントを出していた。

とはいえ違約金が設定されているということは、本人と合意に達した上でそれを支払いさえすれば、招聘が可能だということである。しかしモラッティは不可解なことに「1500万ユーロは高過ぎる。そんな金額を支払うわけにはいかない」と、当初から否定的だった。だが、モウリーニョとの契約に同様の違約金を設定し、最終的にレアル・マドリーにそれを支払わせたのもモラッティである。

単に違約金だけの問題ではないことが明らかになったのは、オポルトから戻ってきたブランカが「ヴィラス・ボアスはインテルには来ない。違約金だけが理由ではない」とコメントしたため。そのわずか3日後に、チェルシー行きが発表になったことを考えれば、彼が最初から「インテルよりもチェルシー」を選んでいたことは明らかだった。

インテルには「我々は世界チャンピオンのクラブだ」という自負がある。しかしチームを率いる立場に立てば、セリエAよりもプレミアリーグがより魅力的な舞台であり、インテルよりもチェルシーが経済的にも戦力的にもより多くを保証してくれることは明白だ。ビエルサに続くヴィラス・ボアスの「NO」は、はからずも現在のセリエA、イタリアサッカーの「国際競争力」の低さを改めて認識させることになった。

ちょうど同じ18日、ミハイロヴィッチもフィオレンティーナのオフィシャルサイト上で、「フィオレンティーナが私を選んだのと同じように私もフィオレンティーナを選んだ。この関係ができる限り長く続くことを心から望んでいる」という声明を発表して、インテル行きの噂を全面的に否定する。

そして週が明けた20日、ブランカがアプローチしたのはファビオ・カペッロだった。監督としてはあらゆる面でヴィラス・ボアスと対極にある人物である。この一貫性の欠如には首をひねる以外にはない。しかしこの交渉も、本人の合意は得たもののFAが契約解除に応じる意志を全く持っておらず、まとまる見通しはないに等しかった。事実、カペッロ本命説はたった1日で消え去ることになる。

ビエルサ、ミハイロヴィッチ、ヴィラス・ボアス、カペッロと、4人の名前が浮かんでは消えたこの時点で、当初有力候補と見られてきたビッグネームを招聘する可能性はほぼなくなった。ここで「消去法」によって本命に浮かび上がってきたのが、昨シーズン途中でジェノアを解任されて以来フリーだったガスペリーニである。

緻密に構築された3-4-3という個性的なシステムの使い手であり、モウリーニョをして「私が対戦した中で戦術的に最も優秀で手強い監督」と言わしめたガスペリーニは、このオフにもすでにナポリ、そしてパレルモの監督候補に挙げられたが、前者はワルテル・マッザーリ監督のユヴェントス行きが流れて留任が決まったため、後者はマウリツィオ・ザンパリーニ会長との間で合意に達しなかったため、それぞれ話が流れていた。

ビッグクラブで指揮を執った実績こそないものの、ユヴェントスで10年間育成コーチを務めて多くの選手を育て、さらにジェノアで質の高い攻撃サッカーを見せたこと、さらに人間的にも人格者として広くリスペクトを集めていることなど、候補としての資質は申し分ないように見えた。

ブランカとSDのピエロ・アウジリオは21日、ガスペリーニを訪ねて、監督就任の可能性について具体的な話し合いを持つ。その結論がポジティブなものであったことは、最終的に彼が監督に選ばれた事実からも知ることができる。しかしこの期に及んでもなお、モラッティは決断を下すことができずにいた。

もはや他に候補が残っていなかったにもかかわらず、決断までさらに3日を要したのは、モラッティがミハイロヴィッチ招聘の可能性に最後までこだわり続けたからとも、単にその優柔不断な性格から決してファーストチョイスとはいえない人事に踏ん切りがつかなかったからとも伝えられるが、真相は知る由もない。最終的にガスペリーニの就任が発表されたのは、24日になってからのことだった。

一連の迷走の末に選ばれたという就任の経緯は、ガスペリーニの監督としての立場にとってひとつのハンディキャップになり得る。クラブの内部(トップから現場まで)にも、そして外部(サポーターやマスコミ)にも、彼は「仕方なく」選ばれた監督だというひとつのエクスキューズ、あるいはアリバイを与えることになるからだ。

これは昨シーズンのベニテスが置かれていた立場と、ある面で共通している。ベニテスは、チームがちょっとした躓きを見せるたびに、モラッティのファーストチョイスではなかったという就任の経緯をマスコミに蒸し返され、解任論を書き立てられた。そしてモラッティも、困難な立場に置かれたインテルを積極的に守ることを(あえて?)しなかった。

ガスペリーニが同じような状況を避けるためには、まず、モラッティをはじめとするクラブ首脳をその仕事によって説得し、全面的な信頼と支持を勝ち取ること、そして結果によってマスコミを黙らせることが必要になる。その意味で、プレシーズンも含めた最初の2~3ヶ月は決定的な重要性を持つことになるだろう。まずはお手並み拝見、である。■

(2011年6月29日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。