今日も「エアじゃないインタビュー」を1本投下しましょう。ここ2日ほど巷を無駄に騒がせている不毛なエアインタビュー騒動で、根拠薄弱な憶測に基づく不当かつ理不尽な「エア疑惑」の標的にされ誤爆の被害に遭っている『ワールドサッカーダイジェスト』に寄稿したものです。
イタリアでは「ご意見番」というポジションを斜め上に越えて「ただの頑固ジジイ」になりつつあるアリーゴ・サッキ翁に、プランデッリ監督の下でEURO2012準優勝を果たしたイタリア代表の質的転換について、その半年後にご意見をうかがいました。前振りだけで3000字くらいありますが、その後にちゃんと長いインタビューが続きますのでご安心下さい。電話取材だったので写真はありません悪しからず。
このインタビュー、EUROでの躍進がイタリアサッカー全体をポジティブな方向に向かわせるきっかけになったのではないか、という期待をもって取材を準備したのですが、翁のお答えはその期待を否定するような悲観的でネガティブなニュアンスに満ちていました。実際、この1年半後に行われたブラジル2014でイタリアは、一部の選手(ここでも数日前に取り上げたばかり)の利己心や嫉妬といったつまらない感情に振り回されて自己崩壊し、2大会連続のグループステージ敗退を喫することになります。といいつつも、全体としてはイタリアも少しずつ、ここでサッキが言う「トータルフットボール志向」へと向かっていると思います。サッキ自身は「ストレス過多」を理由にFIGCの仕事を辞してTVオピニオニストに戻りましたが、その仕事は今もマウリツィオ・ヴィシディが引き継いでいます。

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2010年の南アフリカで1勝もできずにグループステージ敗退(しかも相手はパラグアイ、ニュージーランド、スロヴァキア)という惨敗を喫してから3年半、イタリアはまったく違うチームに変貌を遂げて2014年のブラジルW杯に向かおうとしている。

南アフリカからブラジルまでの中間総括となったEURO2012で準優勝、そして今年6月のコンフェデレーションズカップでは3位と、いずれも王者スペインに行く手を阻まれたとはいえ、世界の頂点を争う強豪国と互角に渡り合っての好成績はもちろんだが、それ以上に強い印象を与えているのは、「カテナッチョ」という言葉に象徴されるイタリアの伝統的な堅守速攻スタイルとは明らかに一線を画した、ポゼッション志向の攻撃的なスタイルへの大変革である。いうなれば「脱カテナッチョ」。

それを象徴するのは、チェーザレ・プランデッリ監督がこの11月、フレンドリーマッチ2試合(ドイツと1-1、ナイジェリアと2-2)の後に行った記者会見で発した、次のようなコメントだ。

「このイタリアは攻撃するために生まれたチームだ。リスクを冒して攻め続ける以外に進むべき道はない。もしそれをしなければ、並のチーム以上の存在にはなれないだろう。我々の最大の強みは中盤のクオリティにある。このクオリティを全面に打ち出して行くという考え方を変えるべきではない。ブラジルではギリギリまでリスクを取って攻撃するチームを完成させたい」

ほかでもないイタリア代表監督の口からこのようなコメントが飛び出すというのは、数年前までは想像すらできなかったことだ。

1982年と2006年に世界の頂点に立った時はもちろん、94年にアリーゴ・サッキの下で準優勝した時ですら、イタリアの最大の強みは個と組織の両面で他を寄せ付けないレベルにあった守備力の高さだった。

攻撃で傑出していたのは、バッジョ、デル・ピエーロ、トッティ、ヴィエーリといった看板ストライカーの個人能力であり、チームとしての振る舞いは常に、主導権を相手に委ねて自陣に人数をかけた守備ブロックを築き、奪ったボールは手数をかけず前線に供給してあとは傑出した攻撃陣の個人能力にすべてを委ねるという堅守速攻、攻守分業スタイルだった。

ところがプランデッリは、代表監督として初めてイタリアサッカーの伝統的なスタイルを真っ向から否定し、ポゼッションで主導権を握りリスクを冒して敵陣で戦うモダンでコレクティブな攻撃サッカーという新しいスタイルを打ち出した。しかも、南アW杯の歴史的な惨敗からわずか2年で欧州選手権準優勝という大きな結果を残し、その勢いに乗ったままブラジルW杯に向かおうとしているのだ。

2013年に戦った18試合(公式戦と親善試合の合計)で、イタリアは32得点を挙げる一方で18失点を喫している。しかも全体の半分にあたる9試合が2失点以上。最も多いスコアも2-2(6試合)である。「相手に点を与えないサッカー」から「相手よりも1点多く取って勝つサッカー」へ。これは、ワールドカップがどのような結果に終わるかにかかわらず、アズーリの歴史における大きなエポックとなるだろう。歴史的転換、と言っても大げさではないほどだ。

そして最大の注目点は、このプランデッリによるアズーリの大変革は、単にA代表のレベルにとどまらず、U-21以下育成各年代の代表すべてに及んでいるというところにある。いや、正確にいえばこの表現は正しくない。イタリアサッカー協会(FIGC)の代表部門である「クラブ・イタリア」(総責任者はデメトリオ・アルベルティーニ副会長)で変革の先頭に立っているのは、A代表よりもむしろ育成年代の各代表だからだ。

その中心的な存在となっているのが、育成年代代表統括コーディネーターという長い役職名を持つアリーゴ・サッキ。80年代末にミランを率いてゾーンディフェンスによる4-4-2プレッシングサッカーで革命を起こし、イタリア代表監督として94年のワールドカップ・アメリカ大会で準優勝したあのサッキである。

その2年後のEURO96でグループリーグ敗退を喫した後、W杯予選不振の責任を問われる形で代表監督を辞任したサッキは、その後アトレティコ・マドリー、パルマを率いた後監督としてのキャリアに終止符を打ち、パルマのゼネラルディレクターとして親会社パルマラット破産後のクラブ建て直しに尽力(2001-2003年)、続いて第1次ペレス政権末期のレアル・マドリーでフットボール・ディレクターを務めたが、2005年にその職を辞してからは、一線を退いてサッカー討論番組のオピニオニストを務めていた。

監督時代から一貫して、主導権を相手に渡して守りを固め、相手の隙を衝くカウンターで狡猾にゴールを奪うイタリアの伝統的なスタイルと、それを支える結果至上主義のメンタリティを厳しく批判する態度を崩さなかったサッキは、イタリアのサッカー論壇の中でも主流とはいえない、ある意味ではむしろ煙たがられる存在だった。

しかし、過去の圧倒的な実績(とりわけミラン時代)に加えて、まったくブレのない筋の通った正論を主張し続けてきたこと、そしてなにより時代の趨勢が、彼の主張するコレクティブな攻撃サッカーへと向かってきたことから、一部の心ある人々の間では再評価の気運が高まりつつあった。

リッピ監督率いるイタリア代表が、2006年ドイツ大会を制したベテラン中心のメンバー構成で南アフリカ大会に臨み、目を覆うような惨敗を喫したのは、ちょうどそんな時期だった。こうして、南アW杯直後の2010年8月、ジャンカルロ・アベーテ会長とデメトリオ・アルベルティーニ副会長が中心となって、代表レベルからイタリアサッカーの復活と再生を図るべく、サッキを総責任者とする育成部門代表の抜本的な改革プロジェクトが立ち上げられることになる。

そのサッキは就任に当たっての記者会見で、こんなコメントを残している。

「イタリアサッカーのカルチャーそのものを変えて行く必要がある。クラブは育成部門にもっと積極的に投資しなければならない。そこを出発点とすれば自ずと結果はついてくるはずだ。私たち全員が、結果だけに目を向けてとにかく目先の勝利だけを追求し、プレーの内容やスペクタクル性を無視するメンタリティの変革に取り組まなければならない。週の間、週末に戦う相手のサッカーを壊すことだけを考えているような監督はもうたくさんだ。

育成年代のすべての代表チームに、ひとつの新しいスタイルを定着させることを夢見ている。DFが守備に専念し、守備的MFが敵のエースをマークし、トップ下が創造し、FWがゴールを決めるという分業主義的サッカーの時代はもはや幕を閉じた。イタリアサッカーに足りないのはプレーヤーではなくスタイルだ。キーワードは、パス、ボールポゼッション、主導権。常に相手がボールを持っている状況で、サッカーの質を高めることは困難だ。これは単なる夢かもしれない。しかし全員で力を合わせて実現のために努力していきたい」

サッキがこのポストに就任する直前、リッピの後任となるA代表監督に、ほかでもないそのサッキの下でパルマを率いて大きな実績を挙げ、監督としての評価とステイタスを確立したプランデッリが就任したのは、果たして偶然だったのかどうか(ちなみに、最後まで対立候補として残ったのがほかでもないアルベルト・ザッケローニだった)。

それを知る術は今もないが、少なくとも確かなのは、プランデッリもまた、サッキが育成年代すべてのイタリア代表に「新しいプレーモデル」として導入した、ポゼッション志向のコレクティブな攻撃サッカーをA代表に積極的に取り入れ、その路線を突き詰めることでアズーリに新しい顔とスタイルを与えたことである。

厳密に言うならば「クラブ・イタリア」の中でプランデッリ率いるA代表は、アベーテFIGC会長が直接管轄しており、サッキをトップとする育成年代のプロジェクトと直接のつながりはない。しかし、両者の間にはっきりとした「共犯関係」が生まれていることは明白である。

というわけで、前置きが異常に長くなってしまったが、そのアリーゴ・サッキに今回、プランデッリ率いるA代表の現状、そして育成年代プロジェクトとの関係についてインタビューすることができた。
 
――プランデッリのイタリア代表は、それまでの伝統的なイタリアサッカーのメンタリティを乗り越えたように見えます。あなたは常に伝統的なスタイルに否定的な立場を取ってきました。その立場から今のアズーリをどう見ていますか?

「プランデッリは素晴らしい仕事をしている。その成果は賞賛すべきものだ。私は彼をずっと以前から高く評価してきた。パルマのテクニカルディレクターを努めていた当時(02-03シーズン)、前年ヴェネツィアを解任されてフリーだった彼を監督に抜擢したのは私だった。パルマは若いチームだったが彼の下で質の高いサッカーを見せて二度5位に入った。その後フィオレンティーナを経て代表監督になったわけだが、ここでも非常にいい仕事をしている。

彼が就任したのは、イタリアが南アフリカW杯で惨敗した直後で、代表はほとんど瓦解しているように見えたが、その2年後には欧州選手権で準優勝するところまで行った。A代表だけではなく、U-21、U-17もそれぞれのカテゴリーで準優勝している。

その点だけを見れば、イタリア代表を統括するクラブ・アズーリのプロジェクトが順調に行っていることは確かだ。しかし、それでは伝統的なメンタリティを変えるようなシステムが作られつつあるかといえば、答えはNOだ。

FIGCは代表に投資してくれているが、クラブは育成部門に積極的に投資しようとせず、施設の整備も遅れている。またその活動にも一貫性と継続性が欠けている。最も欠けているのは、プロジェクトの核となるべきプレー哲学だ。それが欠けているというのは、映画を作るのに脚本がないまま一流の役者を揃えるようなものだ。イタリアという国が困難に陥っているのと同じように、イタリアサッカーも小さくない困難の中にある。

しかしイタリアではこれまでも常に、最も困難な状況の中に置かれて初めて、利己心や嫉妬といったつまらない感情を捨てて自らの持てる全ての能力を結集し、文字通りひとつのチームとなって、その困難を乗り越える何かを生み出してきた。現在のイタリア代表もまた、イタリアとイタリアサッカーが直面している困難の中で戦っている。実際、プランデッリが率いる選手たちはそうしたつまらない感情を表に出したことは一度もない。

プランデッリはイタリア代表に確固たるプレー哲学を提示した。筋の通ったレベルの高い脚本を用意したのだ。そして、その脚本に相応しい役者を選び、その能力を個人レベルで、そして集団レベルで引き出すことに成功した。少なくない選手たちが、代表に招集された時にクラブでのパフォーマンスよりもさらにいいプレーを見せているのは、象徴的な事実だ」
 
――プランデッリがひとつの明確なプレー哲学を導入したことで、少なくともイタリア代表というチームの中では、様々なことがポジティブに噛み合って動き始めた、ピッチ上のパフォーマンスと結果はその表れだ、ということができそうですね。

「代表に起こっていることは、確かに模範となるべきポジティブな事例だ。しかし革新というものは、本来底辺から起こるべきものであり、頂点から起こることはない。今のイタリア代表が、これまでとは違うメンタリティを備えたチームに育ちつつあるとすれば、それはたまたま生まれた有利な状況の中で、特定の個人が情熱を傾けて真剣に取り組んでいる努力によるものだ。

しかし、イタリアサッカーそのもののメンタリティは以前からほとんど変わっていないし、イタリア代表のプロジェクトが置かれている状況そのものも、決して好ましいものではない。

メンタリティを変えるためには、その基盤となるシステムを構築することが必要だ。だがイタリアという国では、ひとつのシステムを構築し計画的に物事を進めて行くよりも、行き当たりばったりで目の前の状況に対応するというやり方の方がずっと支配的であり、そういうカルチャーが深く根付いている。

サッカーに対してこれほど大きな愛情を持っている一方で、クラブは資金のほとんどすべてを選手を獲得するために使ってしまい、長期的な視点でスタジアムやトレーニング施設に投資することをしない。『ワールドサッカー』誌によれば、ミランはサッカー史上最も偉大なクラブだそうだが、そのミランですらヨーロッパのトップレベルからは大きく遅れを取っているのが現実だ。

カルチョのメンタリティが変わるのは、クラブの経営者たちが長期的な視点に立ってプログラムを立て、スタジアムなどの施設を改善し、自分たちで発掘した若手を育てるシステムを整備してそれらを機能させていくようになった時だろう。それがない限り、目立った成果を挙げるクラブやチームが出てきたとしても、それは個人レベルでの発想や取り組みがたまたま上手く行った単発の結果であり、それ以上ではない。

他のクラブやチームもそれを真似ようとするかもしれないが、その基盤となるカルチャーもメンタリティも持っていない以上、ひとつのシステムが生まれることは難しい。だから今後も、私がミランにいた時がそうだったように、他のクラブやチームも代表のサッカーを表面的に真似しながら、根本のところではその哲学を理解しておらず、結果的に本質的な革新には結びつかないということは十分に起こり得る」

――底辺からの変革という点から見ると、代表レベルではA代表だけでなく、あなたがコーディネーターを努めるU-21以下育成各年代の代表においても、一貫したプレー哲学の下で新しいスタイルを確立するための試みが進められています。これは非常に大きな変化だと思うのですが。

「我々は自分たちの仕事を着実に進めているが、残念ながらクラブからは十分な協力やサポートは得られていない。ほとんどのクラブ首脳たちは、トップチームの成績にばかり気を取られており、育成部門に投資しようという意欲がない。残念なことに、サポーターも育成部門には興味を持っていない。

私がレアル・マドリーでフットボールディレクターを努めていた当時、チームにはフィーゴ、ジダン、ロナウド、ベッカム、ロベルト・カルロスなどを擁していたが、マスコミとサポーターからは、カンテラから昇格した生え抜きが少ないと言って批判されたものだ。

しかしイタリアでは、インテルをはじめ大半のクラブは、トップチームの過半数、下手をすれば大多数が外国人選手で占められており、生え抜きはほとんどいない。しかしマスコミもサポーターもそんなことは気にしていない。

そんな状況の中で我々はどのような取り組みを進めてきたか。私が最初にFIGCに求めたのは、各年代ともに国際舞台での経験をより多く積めるよう親善試合の数を増やすことだった。協会はその要請に応えてくれ、試合数は全体で30%増えて昨シーズンは育成年代全体で100試合を超えた。対戦相手もできる限りヨーロッパ、そして世界のトップレベルを選んでいる。試合はFIFAの国際マッチウィーク以外にも組まれているが、クラブはそれに協力して選手を出してくれるようになったので、月に少なくとも3~4日は代表としての活動を行っている。

また、スカウティングスタッフの人数も増やして、毎週末40~50試合をチェックし、各年代ごとの代表候補選手のデータベースを更新している。以前はU-16からスタートしていた年代別代表にU-15を加え、おそらく来年からはU-14も創設することになる。

しかし、育成年代レベルの問題は小さくない。フランスやドイツ、イングランド、ベルギー、スイス、オーストリアなどではほとんどのプロクラブに備わっているアカデミーを持っているクラブが、イタリアにはほぼ皆無だ。こうした国々のクラブが1週間で行う内容をこなすのに、イタリアのクラブでは1ヶ月が必要だ。これでは、エリートレベルでの選手育成で遅れを取るのは避けられない。

またこうした国々では、協会と代表が選手育成の基準や指針を作り、クラブがそれに沿った指導を行う中央集権的な仕組みができ上がっている。イタリアではまったく実現不可能だ。そもそも、ひとつのクラブの内部にすら明確な育成のためのプレー哲学が存在しておらず、年代が上がるごとに違うタイプのサッカーをする、違うことを教えられるということが日常化している。クラブの内部ですら考え方がバラバラで、しかもそれが矛盾し合っていたりするのだ。

こうした状況の中で、我々はできる限りの仕事を進めている。ここまで3年半の成果は評価に値するものだと自負しているが、もしクラブがアカデミーやトレーニング施設、スタッフを整備するなど、もっと育成部門に力を入れてくれれば、成果はさらに大きなものになるだろう。とりわけ重要なのは、トップチームから育成各年代までを通して一貫したプレー哲学とそれに基づくサッカーのスタイル、そしてそれを実現するための育成指針を持つことだ」
 
――そのプレー哲学とサッカーのスタイルは、今進めているイタリア代表のプロジェクトにおいてはどうあるべきなのでしょう?

「イタリア代表はトータルフットボールを志向する。ひとことで言えばそうなる。プレッシングとボールポゼッションを通してゲームを支配し、主役として戦う。守備の局面においてもっとコレクティブに振る舞うことができれば、さらに良くなるだろう。しかしイタリアではすでに12歳から相手をマークしろ、それ以外のことは考えるなと教えられる。そこで組織的なディフェンスを浸透させるのは難しい。

我々が目指しているのは、勝利に相応しい内容の試合をして勝利を掴むこと、そしてそれを通じて選手を成長させることだ。選手はプレーを楽しむ方が、楽しまずにプレーするよりもより大きく成長する。そしてプレーを楽しむためにはまずボールを持たなければならない。だからまず、できるだけ早くボールを奪うことを教え、奪ったボールをより良く支配することを教える」
 
――そのプレー哲学は、育成部門の代表からプランデッリのA代表まで一貫しているように見えます。その点では、代表レベルでの取り組みは大きな成功を収めていると言ってもいいのではないでしょうか。

「私の立場から言えば、昨春のU-21欧州選手権を戦った選手の中から、今度のワールドカップでプレーする選手が1人でも多く出てくることが、大きな満足であり喜びだ。U-21以下の育成年代は過程に過ぎないのだからね。代表のプロジェクトを通して彼らの成長を助け、より多くの選手をA代表に送り込むというのが、私とマウリツィオ・ヴィシディが進めている育成年代の代表プロジェクトの目標だ」

――あなたの言うトータルフットボールというプレー哲学は、プランデッリのA代表においても満足のいくレベルで実現されているとお考えですか?

「最初に言わなければならないのは、プランデッリには年間でせいぜい30日しかトレーニングの時間が与えられていないということだ。我々にしても、1回の招集では数日間の時間しかない。その中で仕事を進めるために最も必要なのは忍耐だ。招集のたびにひとつずつ何か新しいことを身につけさせていくこと。

だが残念なことにこの国は、一度に全てを手に入れないと気が済まない気質を持っている。しかもできればあまり苦労をしないでだ。しかしもちろん、そんなことは不可能だ。クラブは過度に目先の結果にとらわれているので、トータルフットボールという考え方を時間をかけてひとつの文化として根付かせて行くことには興味がない。

ヨーロッパではこの30年から40年、トータルフットボールが支配的なプレー哲学であり続けている。過去40年間で最も偉大なチームと言われているのは、70年代前半のアヤックス、80年代終わりのミラン、そしてここ5年間のバルセロナ。いずれもトータルフットボールを最も高いレベルで実現したチームだ。現在トップにいるバイエルンやボルシア・ドルトムントも、トータルフットボールを実践している。

もしイタリアのクラブすべてがトータルフットボールを志向しそのプレー哲学を共有したとすれば、代表にとっても大きな力になるだろう。しかし残念ながらそうではない。イタリアでは大半のクラブがそれとは異なるタイプの、より守備的なサッカーをしている。

今シーズンのセリエAでは、多くのクラブが最終ラインに5人のDFを置いて戦っている。相手に主導権を渡し、カウンターでゴールを奪おうという伝統的なプレー哲学が今も幅を効かせている。こうした戦い方は、選手を成長させる上では最良とは言えない。

選手を成長させるのに最も適しているのは、11人全員が攻撃でも守備でも常にチームとともに、チームのためにプレーするサッカーだ。しかしイタリアでは今でもスペシャリストを育てようとする。GKはゴールにとどまってシュートをセーブすればいい、DFはマークするのが、FWはゴールを決めるのが、そしてMFはその間にできるあらゆる穴を埋めるために奔走するのが仕事だという考え方だ」
 
――クラブレベルでトータルフットボールを志向しているチームは見当たらないということですか?

「いや、いくつかのチームはそれを目指している。ユヴェントス、ナポリ、ローマは、よりインターナショナルなサッカーをしている。しかしクラブ首脳やサポーターに忍耐力があまりにも欠けているので、監督たちはほんの数試合結果を出せなければ、そこでチームを追われてしまう。彼らもそれを知っているから、まずは目先の結果を追求し、敗戦のリスクを最小限にして戦わざるを得ない。若手が活躍の場、成長の機会を与えてもらえないのもそのためだし、イタリアのサッカーが魅力に欠けるのもまたそれが理由だ。

クラブがもっと広い視点に立ち、理想と忍耐を持って長期的なプロジェクトに取り組まない限り、この状況を変えるのは難しい。イタリアのクラブはここ数年、チャンピオンズリーグでベスト4にすら進出できなくなっている。その中で代表だけは、トータルフットボールを明確に志向し、この2年間でヨーロッパ2位のタイトルを3つ勝ち取った。これが何かを意味していることは明らかだ。

次のワールドカップでも、A代表が大きな結果を残してくれることを祈っている。そうでないとまた、リスクを冒しすぎたから勝てなかった、もっと引いて守らなければならなかった、と言われて状況が逆戻りしてしまう。スペインでは、リーガで優勝するためには誰よりも多くのゴールを決めなければならないと言われる。イタリアでは今だに、スクデットを獲るのは一番失点が少ないチームだと言われる」

――6月のワールドカップで4年のサイクルが一巡した後も、あなたとヴィシディは育成レベルの仕事を続けられるのでしょうか?

「誰がこの仕事をすることになっても、ここまでの積み重ねが引き継がれることを望んでいる。まず最初に見るのは選手のパーソナリティ、意欲と向上心、献身性。続いてトータルフットボールというプレー哲学に合った資質を持っているかどうか、そして絶対的なタレント、クオリティがあるかどうか。どんなに素晴らしいタレントの持ち主でも、インテリジェンスが欠けていれば決して一流にはなれない。頭は足以上に大事なのだ。しかしイタリアでは常に頭よりも足が重要だと考えられてきた。

幸運なことに、イタリアという国にはサッカーが深いところまで根付いているし、偉大なタレントも数多く生み出してきた。ピッチ上でも大きな結果を勝ち取ってきた。しかし、その結果に見合うような内容を見せてきたか、そのサッカーを通じて世界から評価とリスペクトを集めてきたかといえば、必ずしもイエスとは言えない。私たちはインテリジェンスとカルチャーを備えた選手を育て、彼らが結果だけでなく内容においても説得力のあるプレーを見せて勝利を勝ち取ることを願っている」

――最後に、来年のワールドカップについて聞かせてください。イタリア代表は今の世界のパノラマの中でどこに位置していると見ていますか?

「未来のことは誰にもわからない。しかし少なくとも言えるのは、ヨーロッパ勢がヨーロッパ以外で開催された大会で優勝したことは一度もないということだ。したがって、優勝候補は南米勢、ブラジルとアルゼンチンだろう。アフリカ勢に優勝する力はないし、我が友人ザッケローニの日本も、いいサッカーを見せるだろうが偉大な結果を残すことは難しい。ヨーロッパ勢の中ではスペイン、ドイツ、イタリアが主役を演じる力を持っているが、最後には南米勢が勝つことになると私は見ている」□

(2013年12月11日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。