マッシモ・フィッカデンティ(現サガン鳥栖)の下、ジャッケリーニや長友を擁してセリエA残留を果たしたのが、今からもう5年以上前の10-11シーズン。そのシーズン開始直後に現地を訪れて取材したレポートです。
チェゼーナはその後セリエBに降格して破産寸前に陥り、しかもそれが当時オーナーだったイーゴル・カンペデッリ以下クラブ首脳の不正行為(クラブの資金を横領)によるものだったことが発覚、その後かつて長年クラブを保有していたルガレージ家が経営権を引き取って再建に取り組んでいます。14-15シーズンにはセリエAに昇格したものの1年で降格、クラブの規模から言ってもセリエB中〜上位が定位置ですかね。本文中で触れているように元々育成に強いクラブで、近年も今夏サッスオーロに引き抜かれたMFステーファノ・センシを輩出しています。この伝統を守ってエンポリやアタランタのように安定して息長く続いてくれるといいんですが。

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ホームタウンは人口9万人強の地方都市。クラブを率いる会長は36歳の地元不動産会社社長。つい2年前にはレーガプロ1部(3部リーグ相当)で戦っていたチームは、17もの国籍を持った選手の寄せ集めで、登録25人の人件費総額は820万ユーロと、イブラヒモヴィッチ1人の年俸より安い。監督もセリエAでの実績をほとんど持たない43歳の若手――。

こうして並べてみると、ACチェゼーナがセリエAで戦っていること自体がひとつの奇跡であるかのように見える。しかし、1990-91シーズン以来19年ぶりにトップリーグ昇格を果たした今シーズン、チェゼーナは開幕戦でローマと引き分け、続く第2節ではミランを2-0で下す大金星を挙げるなどして、序盤戦をかきまわすビッグサプライズとなっている。

日本代表の長友祐都がプレーしていることも含め、一躍大きな関心を集めているこのクラブについて、この機会を捉えて少し掘り下げたレポートをお送りしたい。

チェゼーナが位置するのは、イタリア半島のちょうど付け根に位置するエミリア=ロマーニャ州。その中でもアドリア海に近い平野部を占めるロマーニャ地方の中心都市だ。このロマーニャ地方は、イタリアでもとりわけサッカーが盛んな地域のひとつ。セリエAに定着するクラブこそ持たないものの、チェゼーナを筆頭に、ラヴェンナ(LP1)、リミニ(昨シーズンまでLP1)、ベッラーリア(LP2)など少なくないプロクラブを擁している。

チェゼーナはその中でもこの地方のシンボルと言うべき存在だ。設立は1940年と比較的新しく、1960年代まではセリエC(当時の3部リーグ相当)で戦っていたが、1968-69シーズンにセリエB昇格を果たすと、4年後の72-73シーズンにはクラブ史上初めてセリエAに昇格し、4シーズンにわたってトップリーグで戦った。

その後80-81シーズンにA復帰を果たし残留を勝ち取るも翌年は15位で降格。3度目の昇格となった87-88シーズンからは、足かけ4シーズンに渡ってセリエA定着を果たした。89-90シーズンには、それまでセリエCでの指揮経験しかなかった41歳のマルチェッロ・リッピを監督に抜擢、大方の予想を裏切って3年連続となる残留を勝ち取ったが、続く90-91シーズンは開幕から不振が続きそのリッピを途中解任、セリエB降格を喫することになる。この時を最後に昨シーズンまでの19年間、チェゼーナはセリエBとCを往復しながら過ごすことになった。

チェゼーナは伝統的に育成部門が優れていることでも知られている。これまでにセバスティアーノ・ロッシ(GK・元ミラン)、アルベルト・フォンターナ(GK・元インテル、パレルモ)、ルッジェーロ・リッツィテッリ(FW・元ローマ、バイエルン・ミュンヘン)ロレンツォ・ミノッティ(DF・元パルマ)、マッシモ・アンブロジーニ(MF・ミラン)、ニコラ・ポッツィ(FW・サンプドリア)といったプレーヤーを輩出してきた。

現在レギュラーを務めるエマヌエレ・ジャッケリーニ(FW)、ルカ・チェッカレッリ(DF)もクラブの生え抜きである。パレルモ、ラツィオなどの指揮を執ったダヴィデ・バッラルディーニ、ボローニャやカリアリの監督を務めたダニエレ・アッリゴーニも、このクラブで育ち、引退後に育成部門のコーチから指導者としてのキャリアをスタートしている。若き日のアリーゴ・サッキも1977年から82年まで、育成部門のコーチを務めていた。

このようにカルチョの世界に重要な人材を数多く供給してきたチェゼーナだが、都市自体の規模が小さいこともあり、トップチームはセリエAに定着することができず、長年に渡ってセリエBを主戦場にしてきた。クラブの経営権は1964年から40年以上にわたって、大手青果輸出入会社を経営するマヌッツィ=ルガレージ家が所有してきたが、2度の世代交代を経た同家にとっては、チェゼーナを持ち続けることが重荷になってきていたようだ。

今から3年前、そこに現れたのが、地元で急成長中の不動産会社グループを率いる33歳(当時)のイーゴル・カンペデッリだった。カンペデッリ(ちなみにキエーヴォ会長のルカ・カンペデッリとは同姓なだけで姻戚関係はない)は、自らもアマチュアリーグで26歳までFWとしてプレーを続け、その後も事業の傍ら、近郊のアマチュアクラブで副会長を務めていたサッカーフリーク。しかも5歳年下の弟ニコラはプロサッカー選手で、モデナでセリエAを経験した後、自らが育ったチェゼーナに戻ってプレーを続けていた。この若き新会長へのオーナー交代は、チェゼーナが20年近くにわたる低迷期から脱出する大きな転機となる。

2007年12月、会長に就任したカンペデッリは記者会見でこう語った。

「子供の頃からずっとチェゼーナのサポーターだった。長期的なプロジェクトを立ててこのクラブを立て直して行きたい。まずは財政を健全化すること、そして育成部門をさらに強化することから始めるつもりだ。ウディネーゼ、エンポリ、キエーヴォといったクラブをモデルにしたいと考えている。彼らがセリエAでやれるのだから、チェゼーナにもそれを夢見る権利はあるはずだ」。

当時チェゼーナはセリエBで降格ゾーンに低迷しており、この07-08シーズンにはなすすべなく最下位でLP1に降格を強いられてしまう。だがここで一度すべてをリセットして再出発する機会を得たことが、結果的にはその後の大きな躍進につながった。

カンペデッリ会長は、ジャッケリーニ、チェッカレッリをレンタル先から呼び戻すなど、選手を大幅に入れ替えて若返りを図り、指揮官にも若手のピエルパオロ・ビーゾリ(現カリアリ)を抜擢する。これが功を奏してLP1グループAで最終節に逆転で優勝を飾り、1シーズンでのセリエB復帰を果たす。

就任2年目のビーゾリの下でセリエBに臨んだ昨シーズンの目標は、数年後のA昇格を睨んで中位に定着し、昇格争いに参入する足がかりを作ることだった。ところがチームは期待以上の戦いを見せ、シーズン終盤まで首位レッチェを追う2位グループに踏みとどまる。そしてシーズン最後の5試合に5連勝、残り2試合となったところでブレシアを抜いて2位に躍り出て、プレーオフなしでのA昇格を勝ち取ったのだった。

3部リーグから2年連続で昇格を果たし一気にセリエAへ、というのは、過去にもそれほど例がない偉業である。この10年間にフィオレンティーナ、ナポリ、ジェノアという名門クラブが成し遂げているが、いずれも財政破綻や不正行為などで降格した後、多大な資金を投資して強引に勝ち上がったもの。一介のプロヴィンチャーレ(地方都市の中小クラブ)が実現した例となると、近年では1995-96シーズンと96-97シーズンのエンポリ(監督はルチャーノ・スパレッティ=現ゼニト・サンクトペテルブルク)とレッチェ(監督はジャンピエロ・ヴェントゥーラ=現バーリ)、くらいしか思い浮かばない。 

ダブル昇格の一番の立役者はチームを率いたビーゾリ監督だろう。しかしその背後には、限られた予算の中で的確な補強を行ってチームを強化し、監督をバックアップしたクラブ経営陣の力があったことは言うまでもない。

その点で注目すべきは、チェゼーナにはチーム強化の担当責任者であるスポーツディレクターが存在せず、補強に関してもカンペデッリ会長自らが絶対的な権限を持っている点だ。クラブの組織図上は、このクラブで育ち90年代のパルマでリベロを務めたロレンツォ・ミノッティがテクニカルディレクターに就いているが、メルカートに関する決定権は持っていない。

2009年3月から副会長兼ゼネラルディレクターを務めているルカ・マンチーニは、次のように語ってくれた。

「会長は自身がアマチュアのかなり上のレベルでプレーしていたし、サッカーへの情熱は人一倍強い。彼も私もこの町で生まれ育って、子供の頃からずっとこのチームを応援してきた。親の代からビアンコネーロ(チェゼーナのチームカラー)の血が体の中を流れているんだよ。

ビジネスで成功してチェゼーナのオーナーになるというのは、私たちのような人間にとっては究極の夢だ。たまたま運良くそのチャンスが巡ってきて、会長は勇気と決意を持ってクラブを買い取ることに決めた。私は元々は税理士でカルチョの世界とは何のつながりもなかったのだけれど、クラブのマネジメント部門を統括する人間が必要だという話があって、会長と話をしたら色々な点で意見が一致したので、こうしてこのクラブの一員になったというわけ。

マネジメントに関しては私が統括しているけれど、チームの強化やメルカートについては、会長が直接取り仕切っている。私も助言をすることはあるよ。専門のスポーツディレクターがいなくて大丈夫かと言われることもあるけれど、この2シーズンの結果を見れば、我々にも十分な能力があることは明らかだろう?」

強化責任者をあえて置かず、会長自らがチーム作りやメルカートを取り仕切っている成功例としては、ラツィオ(クラウディオ・ロティート会長)が挙げられる。カンペデッリ会長の場合は、自らもプレー経験がある上に弟が元セリエAプレーヤーで、元々カルチョの世界に太い人脈を持っているのが強みだ。

その人脈上には、地元チェゼーナ出身でヴェローナ、パレルモ、トリノのSDを歴任し、現在はセリエBのパドヴァでSDを務めるリーノ・フォスキや、90年代にパルマのSDを務めた後2006年までヴェローナのオーナーだったジャンバティスタ・パストレッロの子息で有力代理人のフェデリコ・パストレッロといった名前が連なっているといわれる。

カンペデッリ会長の強化手腕が本物であることを示すのは、これだけの結果を残してきたにもかかわらず、補強に費やしたコスト(移籍金収支)、そして人件費がきわめて低く抑えられているという事実だ。

LP1で戦った08-09シーズンのクラブ売上高はわずか500万ユーロ、セリエBで戦った昨シーズンのそれは900万ユーロに過ぎなかった。セリエAに昇格した今シーズンは、TV放映権料収入が桁違いに増えるため売上高も約3000万ユーロへと跳ね上がる見込みだが、今夏の補強に費やした資金(移籍金収支)はわずか40万ユーロにとどまった。しかもこれは、移籍期限直前にMFルイス・ヒメネス(ウェストハム/パルマ)、DFヨアン・ベナルアン(サンテティエンヌ)に計300万ユーロを投資しての結果である。

この2人はまだ調整中でスタメンには名を連ねていないため、開幕以来ピッチに立っている11人は、まったくコストをかけずに(正確にはメルカートで260万ユーロの黒字を出して)整えたメンバーということになる。同じく昇格組のブレシアが755万ユーロ、レッチェが480万ユーロを補強に注ぎ込んでいるのと比較すると、信じられない数字だ。実際、今夏補強した新戦力の多くは、レンタル(長友、ペジェグリーノ、カゼルタなど)、あるいはフリートランスファー(アッピアー、ボグダーニなど)という、コストのかからない手法で獲得した選手だ。

人件費の低さに関しては、すでに各所で話題になっている通り。登録メンバー25人の年俸総額は830万ユーロで、セリエA20チーム中最低額。なんとイブラヒモヴィッチひとりの年俸(900万ユーロ)よりも低い数字である。ただしこれにはからくりがある。年俸の固定給部分を低く抑えるかわりに、勝利給や残留ボーナスなどの成果給を高く設定するという給与制度が導入されているのだ。

イタリアでは、契約書に記載された総年俸のうち最大50%までを成果給にできるという取り決めになっているが、選手が望まないこともあり、ほとんどのクラブでは年俸の大部分を固定給としている。しかしチェゼーナは全選手が固定給の抑制と成果給部分の拡大を受け入れた。固定給に話を限れば、一番の高給取りはヒメネスで35万ユーロ、長友は30万ユーロとそれに次いでチーム2番目の高給取りである。チームのトッププレーヤーの手取り年俸がこの程度というのは、Jリーグ並みかそれ以下の水準と言ってもいい。

カンペデッリ会長は、あるインタビューで次のように述べている。「選手たちは、チェゼーナのように小さなクラブは人件費のベースを低く抑える必要があることを理解してくれた。もちろん、結果を出せば数字は上積みされる。チームの運命と選手の年俸がリンクしているというのは、正しいことだと思う」。

このように、限られた資金の枠内で健全経営を進めながら、知恵と工夫と努力で格上のライバルと渡り合うというのは、プロヴィンチャーレの王道と言っていいやり方だ。カンペデッリ会長がモデルとしているウディネーゼ、エンポリ、キエーヴォといったクラブは、まさにその成功例である。

果たしてチェゼーナもこうした「お手本」の後に続くことができるかどうか。その最初の試練となるのが、セリエAに昇格した今シーズンである。もちろん、唯一最大の目標はA残留である。

ダブル昇格の立役者だったビーゾリが、ミランの監督に就任したアッレーグリの後釜としてカリアリに去った(余談になるが、2人は90年代半ばのカリアリで中盤を担ったチームメイトだった)ことで、カンペデッリ会長はセリエAに昇格したチームを新たな指揮官に任せることを強いられた。ジャンルカ・アツォーリ(現レッジーナ=セリエB)、フランコ・レルダ(現トリノ=セリエB)といった候補の中から選ばれたのは、昨季途中にセリエBで降格ゾーンにいたピアチェンツァを引き受け、見事残留に導いた43歳のマッシモ・フィッカデンティである。

選手時代は頭脳派のMFとしてメッシーナ、ヴェローナ、トリノなどでセリエBを主な舞台にプレー、監督としては04-05シーズンから3年間に渡ってセリエBで率いたヴェローナで、4-3-3システムを操ってダイナミックな攻撃サッカーを見せ、一気に頭角を現した。当時はまったく無名だったベラーミ(現ウェストハム)、カッサーニ(現パレルモ)、デッセーナ(現ナポリ)といった20歳そこそこの若手を抜擢し、シーズン終盤までA昇格を争う健闘を見せた04-05シーズンは、今も地元では語り草である。それが評価されて07-08シーズンには当時セリエAのレッジーナに招聘されたが、この時は結果が残せず開幕から3ヶ月足らずで途中解任。2年あまりのブランクを経て現場復帰した昨シーズンのピアチェンツァは、そのリベンジの舞台だった。

マンチーニ副会長は、「フィッカデンティを選んだのは、若手を積極的に抜擢して攻撃的なサッカーを見せるから。いい選手を揃えなければ結果を出せない監督ではなく、チームが持っている選手を育てながら結果を出し、その価値を高める力を持っている点を評価した」という。

フィッカデンティ自身はこう語る。

「チェゼーナの監督を引き受けたのは、セリエAで戦えるというのはもちろんだが、会長以下全員が、自分たちのプロジェクトを強く信じていることがわかったから。何かに取り組んで行く時には、全員が自分たちの可能性を信じ、一丸となることが何よりも重要だ。疑いを持ったり反対したりしている人間が1人でもいると、ヴィールスのように周りを蝕んで行くことになる。物事が上手く行かなくなると、すぐにこれではダメだ、何かを変えた方がいい、という話になって混乱を招いてしまう。大事なのは一貫性と継続性だ」

そのサッカーは、ヴェローナ時代から今まで、コンセプトも戦術もほぼ一貫している。システムは相手に関わらず常に攻撃的な4-3-3。守備の局面では9人がボールのラインの後ろに戻って4+5のコンパクトな守備ブロックを構成し、ボールを奪うと素早い縦への展開で快足を誇る両ウイングを活かして、一気に相手ゴールに肉薄する。モダンサッカーのお手本とも言うべき、ダイナミックでスピードあふれるプレーは、堅実でありながらもきわめてスペクタクルだ。

「4-3-3は、攻守の両局面で最もバランスよくピッチをカバーできるシステムだ。守備の局面では10人で組織的に守り、攻撃に転じても全員が何らかの形でそのプロセスに参加する。そういうサッカーをするには最も適していると考えている。クラブと話をする時にも、私のこういうサッカー観を共有してもらえるかどうかが、お互いのために一番重要なポイントになる。

カンペデッリ会長とは、その点で忌憚なく話ができてお互いによく理解し合えた。彼は私のサッカー観を受け入れてくれ、私はチェゼーナというクラブが持っている、補強の予算が限られているとか、若手を抜擢して育てながら結果を出さなければならないとか、そういった要請を受け入れた。非常にいい形で仕事ができていると思う。今後困難な状況に直面することも間違いなくあるだろうが、その時も力を合わせてそこから抜け出すことができると信じている」

チームの中核を担うレギュラー組は、セリエBで戦った昨シーズンからのメンバーが中心だ。ローマ戦とミラン戦で主役級の活躍を見せた生え抜きの2人、右SBのチェッカレッリと左ウイングのジャッケリーニに至っては、2年前のLP1時代からのレギュラーである。アルゼンチンとイタリアの二重国籍を持ち、イタリアU-21代表で主力として活躍する右ウイングのスケロットも、LP1時代の08-09シーズン途中に加入している(保有権はアタランタ)。そして、中盤センターで攻守のバランスを取りプレーのリズムを作り出すコルッチ、豊富な運動量で広範囲をカバーする左インサイドハーフのパローロ、41歳のベテランGKアントニオーリは、昨シーズン加入し主力としてA昇格を勝ち取った選手たちだ。

フィッカデンティはここに、04-05シーズンのヴェローナでプレーして自らのサッカーを熟知しているFWボグダーニをはじめ、ペジェグリーノ(ヴァレンシアなどで活躍し現在はインテルでベニテス監督のアシスタントを務めるマヌエルの弟)、フォン・ベルゲン(スイス代表)、長友(日本代表)という3人のDF、そして経験豊富なガーナ代表MFアッピアーという5人の新戦力を組み込む形で、プレシーズンからチーム作りを進めてきた。その成果は、開幕からの好調ぶりが示す通り。すでに指揮官の掲げるサッカーがチームに十分浸透しており、長友も新戦力とは思えないほどチームに馴染んで、溌剌としたプレーを見せている。

チェゼーナの練習場「チェントロ・スポルティーヴォ・ヴィッラ・シルヴィア」は、町の中心部から車で10分ほどの郊外にある。芝のピッチ3面にロッカールーム棟が付属しただけの、シンプルで簡素な施設だ。筆者が取材に訪れたのは、ホーム開幕戦となった第2節でミランを2-0と破った週明けで、火曜(午後)、水曜(午前・午後)のトレーニング内容も、戦術練習ではなくフィジカルトレーニングと技術練習が主体だった。

17もの国籍を持つ選手たちが集まった多国籍軍で、しかも新戦力も少なくないため、チームには新学期のクラスのようにぎこちない雰囲気も漂っていたが、ムードメーカーのスケロットをはじめ古参組を中心によくまとまっている印象。長友も持ち前のキャラクターを活かして、ごく自然にグループの中に溶け込んでいた。

火曜日の練習で興味深かったのは、通常なら軽い回復トレーニングを行う日であるにもかかわらず、8分走3セットという比較的負荷の高い持久系のメニューが取り入れられていた点。選手は能力によって3つのグループに分けられ、それぞれ異なるペース(目標タイム)を与えられていたが、最もハイペースだったのが、ジャッケリーニ、スケロット、長友という3人のグループ。守備の局面では自陣まで戻って中盤のブロックに参加し、攻撃では快速を飛ばしたカウンターで敵陣深くまで攻め上がるという運動量の高いタスクを要求される両ウイングが、ピッチ上で違いを作り出している理由の一端をうかがうことができた。フィッカデンティ監督の戦術の中では、今後さらに攻撃参加の頻度を高めることが要求されて行くであろう長友も、それに十分応えられるポテンシャルを持っていることを示していた。

いずれにしても、シーズンはまだ始まったばかり。チェゼーナは開幕からの3試合で勝ち点7を挙げて、順位表のトップに立つという望外のスタートダッシュを見せたものの、その後の2試合でカターニア、ナポリに連敗して、夢から現実に引き戻されたという状況にある。今確かなのは、このクラブが若きカンペデッリ会長以下、明確なポリシーと具体的なプロジェクトを掲げ、その実現に向けて結束して取り組んでいるということだ。果たしてそれが実を結び、セリエAに定着して第2のキエーヴォ、さらには第2のウディネーゼになることができるか。その大きなステップとなるであろう今シーズンの戦いぶりを今後も見守って行きたい。■

(2010年9月20日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。