前回に続いて2013年末から14年初頭に起こったバルバラ・ベルルスコーニの無血クーデター(未遂)について。その後の展開はここで予想したのとは少なからず異なっていますが、当時の状況を理解する上では参考になると思います。

ところで、ミランのシルヴィオ・ベルルスコーニ会長が5月6日、自身のfacebookページでクラブ売却の意思をはっきりと認めるビデオメッセージを発表しました。「できればイタリア資本に売りたい」と言ってはいるもののそれは事実上単なる言い訳でしかなく、実際に売却交渉を進めている相手は中国資本。中国スーパーリーグの広州恒大を保有している恒大地産グループがその中心になっていると伝えられます。一方、インテルにも中国資本が資本参加しようとしていますが、こちらは江蘇蘇寧のオーナーである蘇寧電器グループ(ちょっと前には日本の家電量販チェーンLaOXを買収しています)。来シーズンはミラノダービーが広州恒大と江蘇蘇寧の代理戦争になる可能性もたっぷりあるというわけです。時代の変化というのは加速する時にはほんとすごい勢いで加速するものですね。

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2014年1月12日のセリエA第19節サッスオーロ対ミランは、日本ではもちろんイタリアでも、本田圭祐のデビュー戦として大きな期待と注目を集めていた。しかし蓋を開けてみれば、ミランが2点を先行しながら19歳のベラルディに4得点を喫してまさかの逆転負け、しかもそれがマッシミリアーノ・アッレーグリ監督の解任劇につながるという、まったく思ってもみない展開となった。

ちょうどシーズンの折り返し点となったこの時点において、ミランの成績は5勝7分7敗(勝ち点22)の12位。クラブが目標として掲げるチャンピオンズリーグ出場権(3位以内)はおろか、ヨーロッパリーグ出場権(5位以内)確保すら困難という惨状からすれば、監督交代は避けられない必然であったようにも見える。

しかし、ミランは本来、シーズン途中の監督交代には最も慎重なクラブであり、実際それが起こったのは、2001年11月のファティ・テリム解任、カルロ・アンチェロッティ招聘以来13年ぶりのこと。しかも、後任に招聘したのが、その時点ではまだ現役選手としてボタフォゴ(ブラジル)でプレーしていたクラレンス・セードルフだったのだから、これはもう異例ずくめと言っていい。

実際、アッレーグリの解任が決まった時点で、最初に後任候補として名前が挙がったのは、長年助監督を務めてきたマウロ・タソッティであり、育成部門で指揮官としてのキャリアを築きつつあるプリマヴェーラ(U-19)監督のフィリッポ・インザーギだった。セードルフは、来シーズンの監督候補として有力視されてはいたものの、まさか急遽引退させてまでこのタイミングで招聘することはあり得ないと見られていたのだ。

しかしどうやら、ベルルスコーニの頭の中では、次の監督はどうしてもセードルフでなければならなかったようだ。就任が決まった後にアドリアーノ・ガッリアーニ副会長が口にしたこんなコメントがそれをはっきりと裏付けている。

「元々、7月からの新シーズンにクラレンスが監督になることは、すでに決定済みだった。それまではアッレーグリがチームの指揮を執る予定だったが、ピッチ上の結果がそれを許さない状況になった。そこでクラレンスの就任が半年早まったということだ。なぜクラレンスだったか?これはひとえにベルルスコーニ会長の直観によるものだ。かつてのサッキやカペッロがそうだったように、クラレンスの中に名監督の器を見たということだろう。会長がそう決断した以上、私は全面的に賛同してそれを受け入れる」

ベルルスコーニが1987年、当時セリエBのパルマを率いていた無名の若手監督アリーゴ・サッキを抜擢し、たった2年でヨーロッパの頂点に駆け登ったエピソードは、今や伝説である。ゾーンディフェンスとプレッシングでサッカーの世界に革命を引き起こしたサッキが代表監督に転身した91年、後任に迎えられてその後5シーズンで4度のスクデットを勝ち取ったカペッロも、監督経験のほとんどないマネジメントスタッフだった。セードルフという人選もまた、この2人の抜擢と同じくベルルスコーニの直観的な人物評価眼に基づくものだったということだ。

しかし、本来ならば今シーズン終了後に行われるはずだった監督交代が半年早まり、シーズン中に行われたことは、誰にとっても大きな誤算だったであろうことは間違いない。直接の原因はもちろん、最初に触れたチームの深刻な不振である。

今シーズンのミランの戦力が、ユヴェントス、ナポリ、ローマというライバルと比べるといささか見劣りするというのは、衆目の一致するところ。だとしても、2ケタ順位に低迷するほどレベルが低いわけではもちろんない。問題はむしろ、ひとつのチームとして機能していないところ、かつてあったグループとしての結束を失ってしまったように見えるところだ。

その原因を考える上で無視できない背景は、アッレーグリ監督がすでにチームの中で求心力を失っていたこと。一般的に言ってイタリアのチームには、すでに先がないとわかっている監督に忠誠を誓いベストを尽くして戦い続けるメンタリティが欠けている(ザッケローニやデル・ネーリが監督を務めた当時のユヴェントスや、ストラマッチョーニが率いた昨シーズンのインテルなど、その具体例には事欠かない)。

アッレーグリの場合も、ミランとの契約は今シーズンが最終年だが、昨シーズン末の時点ですでにベルルスコーニ会長が続投に難色を示し、ガッリアーニ副会長の説得で今季も監督を続けることになったという事情があった。それに拍車をかけたのが11月初めに起こった、バルバラ・ベルルスコーニによるアッレーグリとガッリアーニへの不信任表明と、その結果として起こったクラブ経営陣レベルでの大きな混乱である。

きっかけは、11月2日のフィオレンティーナ戦で0-2の完敗を喫した翌日、バルバラが通信社ANSAを通して「現在の危機の原因は、計画性の欠如、スカウト網の不在、オーナー家の指示を無視した夏のメルカートにある。クラブの経営方針を早急に転換することが不可欠」というコメントを公にし、経営の全権を握るガッリアーニを公然と批判したこと。これによって、クラブ内でのアッレーグリの立場がさらに弱体化しただけでなく、20年にわたってクラブ運営の意思決定権をその手に収め、チームにとって唯一の基準点となってきたガッリアーニまでが、その権力基盤であったオーナー家からの信頼を疑われる状況に追い込まれてしまった。クラブの上層部に突然生まれた混乱を前にして、チームの内部に動揺が拡がったであろうことは想像に難くない。それがピッチ上のパフォーマンスにも影響を及ぼすのは、避けられないことだった。

2011年4月に特命プロジェクト担当役員という肩書きでミランの取締役に就任したバルバラは、当初はマーケティング部門だけにかかわっていたが、その後徐々にクラブの業務全体に対して発言権を広げようという動きを見せてきた。2012年には、自らの腹心であるアントニオ・マルケージを経理担当取締役として役員会に引き込み、その後もミラノの中心街(トゥラーティ通り)にあったクラブオフィスを、スタジアムに近い再開発地域に全面移転するというプロジェクトを責任者として進めるなど(移転は今年12月に完了)、クラブ内部での存在感は明らかに強まっている。近い将来、父シルヴィオの後継者としてミランのトップの座に就くことは既定路線、もはや「時間の問題」であるように見えていた。

しかし、その「時間の問題」でいえば、シーズンがまだ半ばにも達していない11月に、経営体制刷新を要求するというのは、タイミングとして最悪に近かった。クラブとチームに大きな動揺をもたらして、不振に拍車をかけたというだけではない。シーズン途中のこの段階で、経営方針を転換し人心を一新することは、現実問題として不可能だったからだ。

その前後に明らかになってきたバルバラの構想する新体制で、ゼネラルディレクターやスポーツディレクターの候補として名前が挙がっていた面々は、いずれも現在他のクラブで仕事をしており、シーズンオフまで招聘することができない。たとえガッリアーニの追い落としに成功したとしても、その後には強化をはじめクラブ運営の実務を取り仕切る責任者が誰もいない空白状態が生まれる以外にはなかった。

こうしてバルバラが仕掛けた「クーデター」は未遂に終わることになる。仲裁に乗り出したベルルスコーニが下した決定は、ガッリアーニは2018年まで、これまで通り代表取締役筆頭副会長の座にとどまって、トップチームから下部組織まで「スポーツ部門」の全権を握り、バルバラは新たに代表取締役次席副会長に昇格、マーケティングなどのコマーシャル部門からスタジアム開発、そしてクラブの財務まで、経営にかかわる残りすべての分野を統括する――というものだった。当初バルバラは、パオロ・マルディーニを強化部門のトップに据えて、スカウティングと育成の体制を再構築するという構想を持っていたようだが、これは当分の間凍結されることになるだろう。

とはいえ、いずれにしても確かなのは、ミランが今、チームレベルではもちろんクラブレベルにおいても、ひとつの大きなサイクルの終わりを迎えており、それに伴う「移行期的混乱」とでも呼ぶべき、きわめて不安定な状況に直面しているということ。1986年にオーナーとなって以来、四半世紀にわたって繁栄の時代を築いてきたベルルスコーニも今年78歳。その片腕としてクラブ経営に携わってきたガッリアーニも70歳を迎えた。否が応でも「世代交代」を真剣に考えるべき時期である。

ガッリアーニがクラブ運営の最高責任者という地位を失って、言ってみればテクニカルディレクターと変わらぬ立場に「降格」し、その一方でバルバラがクラブの内部で発言力と存在感を大きく高めてきたこと、そしてガッリアーニの肝いりだったアッレーグリが解任されて、バルバラの後見人でありそれ以前に現在もオーナー会長として絶対的な権力を持つベルルスコーニが望んだセードルフが監督の座に就いたこと。これらすべては、チームレベルのみならずクラブレベルまで含めた「世代交代」の大きな流れの一環としてとらえ直す必要がある。

「欧州カップに出られないことを恥じる必要はない。どんな偉大なクラブも経験してきたプロセスだ。私はミランを再構築するためにここにやって来た。時間が必要な仕事であることは明らかだ」というセードルフのコメントからも明らかなように、今シーズンはミランにとって完全な「移行期の過渡的な1年」という位置づけとなった。とすれば、クラブとチームの今後を考える上で注目されるのは、今シーズン終了後の体制見直しだろう。

スポーツ部門の全権は引き続きガッリアーニの手中にとどまると見られるものの、昨年一杯でクラブを離れた長年のパートナー、アリエド・ブライダに代わるスポーツディレクター(現ヴェローナのショーン・ソリアーノが最有力)の招聘、バルバラが批判したスカウティング体制の刷新、そしておそらくミーノ・ライオラ、エルネスト・ブロンゼッティなど一部の代理人との「癒着」解消といった、強化にかかわる「変革」が進むことは間違いない。

セードルフ監督はベルルスコーニときわめて親密な関係にある一方で、現役時代からガッリアーニとはそれほど相性がいいというわけではなかった。今後の強化に関しては、形の上ではガッリアーニがトップであり続けるにしても、ベルルスコーニ父娘がセードルフ、そして新SDと直結して、ガッリアーニの頭越しに強化案件に介入することも十分に考えられる。

一方のバルバラは当面、マーケティング、新スタジアム開発(全面新設あるいはサン・シーロの大改修)、そしてコミュニケーションの分野で自らの存在感を見せて行こうとするはずだ。コミュニケーションに関してはすでに、クラブロゴの刷新を含む大がかりなCI(コーポレート・アイデンティティ)プロジェクトが進行中。オフィシャルサイトの壁紙や動画コーナーのジングル映像、先頃引っ越しを終えた新クラブオフィス「カーザ・ミラン」やミラン財団10周年のロゴタイプ、そしてツイッターの#weareacmilanタグなどに、その片鱗を見ることができる。

本田の加入もあって、日本でもミランのコミュニケーションが露出する機会は今後急増することが予想されるだけに、それをバルバラの仕事だと思って注目すると、新しいクラブ戦略を理解するヒントが見えてくるかもしれない。□

(2014年1月18日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。