イタリアがスペインを2-0で下してベスト8に進出したのを記念して、イタリア代表のシンボルカラー「アズーリ」についてのテキストを。2013年のコンフェデ直前に書いたものです。
しかし昨日のスペイン戦、受けに回った最後の20分はそれなりに押し込まれましたが、それまでの70分はスペインにサッカーをさせず、内容でも上回って勝ってしまいました。相手の出来が悪かったことは事実ですが、連動性の高いプレスで最終ラインからのクリーンなビルドアップを許さず、ボールポゼッション(前半は47対53。中盤の守備が緩いスペインはボール支配率が55%を切ったらかなりの危険信号)だけでなく地域的にも優位に立って試合を進めた戦いぶりは素晴らしかったと思います。
終盤押し込まれて苦しくなったのは、それまでに何度も作り出した決定機を決められず1-0のまま来てしまったせい。チームとしてのパフォーマンスから見たら、もっと楽に勝てた試合だったと思います。GKからのリスタートで後ろから組み立てることにこだわりながら、パスの精度が低く自陣でつまらないボールロストを連発してそこからピンチにつながった場面も再三ありました(ロングボールはペッレが大半を収めていたので素直に蹴っておいた方がリスクは少なかった)。
チャンスに決めきれないのも含めて、個のクオリティが低いという弱点がそういうところに露呈しているのは確か。それを組織的戦術の緻密さでカバーしておつりが来ているところは大したものなのですが、戦いがシビアになればなるほど小さなミスが致命傷になる確率は高まるので、ここから先(つか次のドイツ戦)はそう簡単には行かないと思います。
とりあえず今大会のイタリアはベスト8が目標だったので、ここから先は全部「オマケ」。昨日のスペイン戦もそうでしたが、アンダードッグの気楽さを活かして萎縮せずに力を出しきってほしいものです。

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「アズーリazzurri」とは、イタリア語で「青」(晴天の空の色)を表わす名詞/形容詞「アズーロazzurro」の複数形。サッカーに限らずすべてのスポーツ種目において、イタリア代表はこの色をシンボルカラーとしており、それを受けて「アズーリ」もイタリア代表の代名詞として使われている。

ご存じの通り、イタリアの国旗は緑・白・赤のトリコロールだ。にもかかわらず、代表チームのシンボルカラーが青なのはなぜなのか、不思議に思われたことはないだろうか。地中海のブルーにちなんだもの、という説もよく聞かれるが、これは通説であって実際にはそうではない。「アズーロ」は、1861年に実現したイタリア国家統一のシンボルカラーなのだ。

5世紀に西ローマ帝国が滅亡して以来、1500年近くにわたっていくつもの都市国家に分断されていたイタリアが、統一国家として独立を果たしたのは1861年のこと。日本の明治維新とほぼ同時期である。

その統一・独立から、第二次大戦後の1946年に国民投票によって共和制に移行するまでの85年間、イタリアは王制の国だった。このイタリア王国の王座にあったのが、トリノのサヴォイア家(元々のオリジンはフランス北西部のサヴォワ地方にある)。「アズーロ」は、そのサヴォイア家のシンボルカラーなのだ。

イタリア王国時代の1934年と38年、2大会連続でワールドカップを勝ち取った時のイタリア代表のユニフォームは、わたしたちに馴染みの深い最近の青と比べるとずっと淡い、水色に近いブルーだった。これは「アズーロ・サバウドazzurro sabaudo」(サヴォイア家の青)と呼ばれる色で、現在もトリノ市の紋章の背景色となっている。

元々はこれがイタリア代表のカラーだったのだが、その後時代を経るごとに青が濃くなって行き、1982年に三度目のワールドカップ制覇を果たした時には、現在の「アズーリ」のイメージに通じる深く鮮やかなブルーになっていた。

それが一度薄くなり、かつての「アズーロ・サバウド」に近い淡い色調になったのが、EURO2000の時。この大会、決勝まで勝ち進んだイタリアは、フランスを1-0でリードしながらロスタイムに同点ゴールを許し、さらに延長でゴールデンゴールを喫して準優勝に終わった。

長年深いブルーに慣れた人々にこの「水色」が不評だったのに加えて、こういう痛恨の結果となったこともあってか、続く日韓2002からは、以前と同じ濃いめの色調に戻っている。2006年に4度目の世界制覇を果たした時のユニフォームも、1982年の優勝時、そして1994年の準優勝時にトーンが近い、深く鮮やかなブルーだった。

さらにその後、もう一度だけ薄くなったのが、2009年に南アフリカで行われたコンフェデレーションズカップ出場時。この時にはアズーロ(青)というよりもチェレステ(水色)と呼んだ方がいいほど薄いトーンになり、しかもパンツとストッキングは茶色という、かなり議論を呼ぶ大胆な組み合わせだった。

しかしこのコンフェデは、アメリカには勝ったもののエジプト、ブラジルに完敗を喫してグループリーグ敗退という大醜態。大会の記憶とともに、この水色と茶色のユニフォームも、早々にアズーリの歴史から消し去られることになった。

奇妙な話だが、本来の「アズーロ」はどうやら今の代表チームにとってはあまり縁起が良くないようで、南アフリカ2010以降、現在までは常に「アズーリ」の標準色といえる深く鮮やかなブルーが継続的に使われている。

ちなみに、イタリア代表にユニフォームキットを提供するテクニカルスポンサーは、2003年に10年契約を結んだプーマが供給しているが、それまでは4~8年単位で異なるメーカーがスポンサーを務めてきた。1974年から78年まではアディダス(製造はイタリアのバイラ社が担当していた)、続いてル・コック・スポルティフ(79-84年)、ディアドラ(85-94年)、ナイキ(95-98年)、ローベ・ディ・カッパ(99-2002年)という具合である。

スポーツメーカーがテクニカルスポンサーとして代表チームやクラブチームにキットを供給し、宣伝に利用するようになったのは、70年代前半のアディダスとプーマが先駆け。しかし他国の代表チームがスポンサーのロゴやストライプ入りのキットを身につけるようになってからも、イタリアサッカー協会は代表のユニフォームを「クリーンに保つ」ことにこだわり、ロゴマークなどは入れないという不文律を守ってきた。しかし90年代末になるとさすがに商業主義の波には勝てず、99年に4年契約を結んだカッパ以降は、メーカーロゴが入るようになったのだった。

ちなみに、今回のコンフェデでは、右袖に緑、襟元に白、左袖に赤という国旗のトリコロールがあしらわれた新モデルのユニフォームキットがデビューしている。これが来年のワールドカップでも使われるかどうかは、コンフェデの結果次第ということになるのかもしれない。□

(2013年6月9日/初出:『SOCCER KOZO』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。