来週月曜日のイタリア対スペインは、前々回のユーロ2008準々決勝、前回EURO2012決勝(とGS初戦)に続く3大会連続の対戦。9月から始まるロシアW杯予選でも同組になったし、すっかり定番化した感があります。
そのイタリアとスペインの力関係が入れ替わったのが、ほかでもない8年前のEURO2008でした。
2年前のドイツW杯で優勝し、この大会にも優勝候補のひとつとして臨んだイタリアに対し、ドイツでもGSでは絶好調だったのにR16でフランスにころっと敗れるなど、「いいサッカーをするけど勝てない」といわれ続けていたスペイン。
しかし0-0のままPK戦にもつれ込んだこのEURO2008準々決勝を分水嶺として、勝ったスペインはその後5年以上に渡って世界の頂点に君臨し、イタリアは長い凋落の道を歩み続けることになりました。
このテキストはその直前、EURO2008開幕時に書いた大会とイタリアの展望。まだイタリアが当たり前のように優勝候補の一角を占めていた時代なので、書きぶりにもちょっと上から目線が入っています。結果的には、2年前のドイツで決勝を戦ったフランスとイタリアがともに早期敗退したことで「成熟の時代」は4年続くことなくフェードアウトし、そのかわりここから南アW杯、さらにEURO2012まで足かけ3大会におよぶ「ティキタカの時代」が始まることになりました。2年前のブラジルW杯ではドイツがそれを駆逐して新たな時代の橋頭堡を築いたわけですが、さてこの大会はどうなるのか……。

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大会の展望と位置づけ

EURO2008が開幕した。6月7日から22日まで16日間ぶっ通しでグループリーグと準々決勝の計28試合が行われ、最後の1週間で準決勝と決勝が戦われる。たった3週間にすべてが凝縮された、タフでシビアな大会である。

出場国の平均レベルが高く力が均衡しているユーロは、コンペティションの質という点ではワールドカップをも上回る、とよく言われる。グループリーグ初戦から一切気を抜くことが許されない真剣勝負が始まり、どんな強豪もたった1試合しくじっただけで、早期敗退という屈辱を味わう危険にさらされる。ワールドカップと比較して、波乱やサプライズがずっと多いのも、まさにそれゆえである。

過去の歴史を紐解いてみても、ワールドカップが過去18大会でたった7つしか優勝国を生んでいない(ウルグアイ、イタリア、ドイツ、ブラジル、イングランド、アルゼンチン、フランス)のに対して、EUROは過去12大会でソ連(現ロシア)、スペイン、イタリア、ドイツ、チェコスロヴァキア(現チェコ)、フランス、オランダ、デンマーク、そしてギリシャと、なんと9カ国が優勝を飾っている。

4年前のポルトガル大会は、誰ひとり想像すらしなかったギリシャの優勝で幕を閉じた。その一方では、イタリア、スペイン、ドイツがグループリーグ敗退を喫している。それ以前にも、強豪国の早期敗退(2000年ドイツ、イングランド、96年イタリア、92年フランス、イングランド)やビッグサプライズ(96年チェコ、92年デンマーク)には事欠かない。ワールドカップに勝てるのは歴史と伝統を備えた真の強国だけだが、EUROは中堅国にも優勝の可能性がある「開かれたコンペティション」だと言うことも可能だろう。

だが、ちょっと視点を変えて、ここ10年の欧州サッカー界全体の流れを振り返ってみると、代表レベルのフットボールは、<ワールドカップとEURO>をひとつのセットとした4年単位のサイクルで動いているように見えてくる。

フランス98とEURO2000は「ジダンのフランス」が支配した時代だった。当時の欧州サッカー界は、ボスマン判決によるEU圏内移籍の自由化と、衛星ペイTVの普及による放映権料収入の拡大によって、現在まで続くビジネス化の大きな流れが始まったところだった。とはいえ、クラブと代表の力関係でいえば、まだ代表にそれなりの重きが置かれていた。

それまで最強国だったドイツが斜陽の局面に入り、長期的な視点に立って地道に育成システムの強化を進めてきたフランスが、その成果を実らせて頂点に立つ。ワールドカップとEUROの連覇は、1972-74年の西ドイツ(順番は逆だが)以来の偉業だった。

それに続く4年間は、「混乱とサプライズの時代」だった。欧州サッカー界のビジネス化が急速に進展しクラブの発言力が増加(その象徴がG-14)、クラブサッカーの日程が過密化すると同時に、代表の位置づけが低下したのがこの時期だ。

日韓2002ではフランスを筆頭に強豪国がバタバタと敗退、EURO2004も過去最大といっていい番狂わせで幕を閉じた。欧州クラブサッカー(特にCL)が、世界的な人気を集めるスーパーコンテンツとなった反面、その主役であるスター選手たちは、過酷なシーズンに疲弊して、代表のビッグトーナメントでは期待を裏切るプレーに終始するようになる。

そして今、ドイツ2006からこのEURO2008につながる4年間をひとつのサイクルとして捉え、あえて何事かをこじつけるならば、「成熟の時代」という言葉が当てはまりそうな気がする。

ビジネス化の流れが極限に達したクラブサッカーの世界では、プラティニのUEFA会長就任以降、G-14解散に象徴されるように、ビジネス一辺倒の流れにブレーキを欠けようという揺り戻しの動きがようやく見え始めた。クラブと代表の力関係を代表の側に引き戻すことも、FIFAとUEFAが抱える大きな課題である。

そんな中ドイツ2006では、ベスト4をすべてヨーロッパ勢が占め、フランス、イタリアという、最も平均年齢が高く経験豊富な、きわめて成熟度の高いチームが頂点を争った。クラブサッカーのスターシステムが主役として祭り上げようとした若きヒーロー候補たちが軒並み期待を裏切る一方で、もはや過去の人とすら見られていたジダンが最後の輝きを放ち、主役不在のイタリアが組織力でタイトルをもぎ取った。「混乱とサプライズ」はとりあえず一段落、その間に混迷を経験したふたつの強国が、再び表舞台に戻ってきたという構図である。

もし今回のEURO2008でもこの流れが続くならば、主役を演じるべきなのは、世代交代よりもさらなる熟成を選んだこの両国、そしてドイツ2006でベスト4に残ったチームを土台に、着実に成熟を遂げつつあるポルトガル、ドイツ、という筋道になる。実際の出場国リストを眺めてみても、ここに絡んでくる可能性があるのは、スペイン、オランダまでだろう。そのオランダがグループリーグでイタリア、フランスと同居し、少なくともひとつが早期脱落を強いられるというのは皮肉な巡り合わせだが……。
 

イタリア代表

というわけで、イタリアである。

ワールドカップではブラジルに次ぐ4度の優勝を誇るが、EUROに関しては、開催国だった1968年に一度タイトルを取っているだけで、3回優勝のドイツ、2回優勝のフランスに後れを取っている。過去20年を振り返っても、92年は予選敗退、96年と2004年はグループリーグ敗退という不甲斐ない結果に終わっており、唯一主役を張った2000年も決勝でフランスを1−0とリードしながら、終了直前に同点ゴールを喫し最後はゴールデンゴールで逆転負けという苦い結末だった。

世界王者として臨む今大会のアズーリ(イタリア代表)には、ワールドカップに続く連覇という形でこの悪しき伝統にピリオドを打ちたいという気運が漲っているように見える。

世界の頂点に立ってから2年、最も大きな変化は、監督がマルチェッロ・リッピから若いロベルト・ドナドーニに替わったことであり、チームの顔ぶれはほとんど変わっていない。2年前に29.5歳だったレギュラー11人の平均年齢は、軽く30歳の大台に乗った。同じく11人中8人がオーバー30というフランスと並んで、「成熟の時代」の象徴のようなチームと言っていいだろう。

世代交代を担うべき若手が育ってきていないという側面がないわけではない。しかし、組織的な完成度という観点から見れば、レギュラー11人中ワールドカップ組が9人を占める今回のチームは、他の追随を許さないレベルにある。メンバーの多くにとって、この大会が最後のビッグトーナメントとなる可能性が高いだけに、モティベーションも十分だ。

イタリアでは過去に2度(72年、86年)、ワールドカップで決勝を戦ったメンバーをそのまま引っ張った結果、2年後のEUROでは予選突破すらできないという事態を経験しており、その記憶から「一度頂点を極めるとハングリーさを失うもの。過去の実績だけで<ワールドカップの英雄>を代表に残すのは危険」という論調が強かった。

しかし今回に限っては、そうした議論はほとんど出てこない。それは、過去2回とは異なり、監督が替わって新たな刺激がもたらされたというだけでなく、ドナドーニの下で予選を戦う中でチームが着実に成長を遂げ、説得力のあるサッカーを見せてEURO本番に臨もうとしているからにほかならない。

2年前のワールドカップも含め、イタリアといえばソリッドで堅固な守備、戦術的秩序とハードワークが最大の武器というイメージが強い。しかしドナドーニはその長所を土台としながらも、そこに、組織的なメカニズムを活かしたダイナミックな攻撃という要素を上乗せして、チームとしての完成度をより高めることに成功した。

基本となるシステムは1トップ2ウイングの[4-3-3](状況に応じて[4-1-4-1])。2月のポルトガル戦や本大会直前のベルギー戦では、1タッチのパスを3本、4本とつないでボールを動かし、オフ・ザ・ボールの動きを活かしてゴールに迫るという、クラブチームさながらの組織的な攻撃を再三見ることができた。

そうした流れもあって、EUROに向けたマスコミの論調や世論は、概ね期待に満ちた楽観的なものだった。イタリアは、ビッグトーナメントに出場する以上優勝を狙うのが当たり前だしその可能性は常にある、と誰もが平然と考えることができる、世界でも数少ない国のひとつである(他にはブラジル、アルゼンチン、ドイツくらいだろう)。

歴史的にそれだけの成功体験を持っているからこそだろうが、今回ももちろん、ドイツ、フランスと並んで優勝候補の一角を占めているという「自覚」を、マスコミや世論はもちろん、実際に戦う選手たちまでが、ごく自然に持っているように見える(スペインやポルトガルやオランダに対しては、美しいサッカーをするけれど最後には勝てずに終わる国だという確固たるイメージが定着している)。

本番に向けたアプローチも、順調に進んできた。23人の登録メンバー選定にはつきものの論争にも、焦点になっていたふたりのファンタジスタ、デル・ピエーロとカッサーノが共に招集されたおかげで、ほとんど火がつくことはなかった。

ところが、大会期間中の本拠地となるオーストリア、ウィーン近郊のバーデンに乗り込んで最後の準備に取り掛かった6月3日、キャプテンにして最終ラインの支柱であるファビオ・カンナヴァーロが、練習中に左足首の靭帯を痛めて戦線離脱するという、大きなアクシデントが起こってしまう。これは、イタリアにとってはきわめて大きなダメージである。

今大会のアズーリに関して言えば、最も選手層が薄く不安が大きいのは、ほかでもない最終ラインだった。ネスタはすでに代表を引退、マテラッツィもシーズン前半を棒に振った故障の影響でコンディションが上がっておらず、レギュラーの一角は国際経験のほとんどないバルザーリに頼らざるを得ない状況だった。そんな中で計り知れない存在感とリーダーシップを発揮して守備陣を引っ張ってきた百戦錬磨のキャプテンが、ピッチに立てなくなってしまったのである。

2年前のワールドカップにおいて、カンナヴァーロが果たした貢献は非常に大きなものだった。純粋なDFとしては史上初めてバロンドールを獲得したのも、それを世界中が認めたからにほかならない。その大黒柱を失ったことで、イタリアの守備力が大きく低下したことは否定のしようがない。

代役としてピッチに立つのがマテラッツィだとしてもキエッリーニだとしても、スピード、読み、駆け引き、パスカットの技術、そしてファウルの数、いずれをとってもカンナヴァーロに大きく劣ることは間違いない。FWにクサビの縦パスを通される回数、自陣の危険な位置でファウルを与える回数、シュートを許す回数は、明らかに増えるだろう。共に武闘派でファウルの多いタイプだけに、カードをもらって退場になる可能性も高まる。

本誌の予想アンケートで「優勝国はイタリア」と答えた時点で、筆者は、贔屓目を抜きにしても70%くらいの確率でイタリアが優勝するに違いないという確信を抱いていた。だが、カンナヴァーロを失った今、その確率は半減したと言わざるを得ない(それでも35%はあると思っているわけだが)。

中盤のハードワーカー、リーノ・ガットゥーゾは、開幕日前日の記者会見でこう語っていた。

「俺たちは2年前のドイツと同じくらい強いチームだ。唯一の違いはカンナヴァーロがいないことだ。残念だけど、それを受け入れてやって行くしかない。優勝するためには何が必要かって?歯を食いしばって耐えること、ナイフを口にくわえて闘い続けること、そして自分たちが世界王者だってことを忘れることだ。でも、それで十分だとは限らない。ドイツでの試合をビデオで見返してみてわかったのは、俺たちは持てる力を100%出して戦い、そして勝ったけれど、どの試合も負けていたところで全然おかしくなかったということだった。100%で戦ってもだ。勝つためには運も必要だってことだよ」

一見すると悲観的なコメントのように聞こえるが、決してそうではない。どんな時でも目の前の現実を直視し、無意味な幻想を抱くことも必要以上に悲観的になることもなく、ありのままを受け入れてそれと対峙する強さこそが、イタリア的なリアリズムの真骨頂である。

修羅場をくぐり抜けてワールドカップを勝ち取ったこのチームには、逆境に陥っても決してうろたえたり浮き足立ったりしない胆の座ったところがある。もしこのEURO2008が、2年前のワールドカップに続いて「成熟の時代」を記すことになるとすれば、イタリアはその主役を演じなければならないはずである。□

(2008年6月7日/初出:『footballista』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。