「イタリアはなぜディフェンスが強いのか」についての考察シリーズその2は、あまりにも安直な常套句として使われ続けている「カテナチオ」についてがつんと掘り下げた長いテキストを。

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イタリアサッカーといえば「堅守速攻」というのが通り相場。「ポゼッション」と「カウンター」というシンプルな二項対立に当てはめれば、間違いなく「カウンター」側の代表格と言えるだろう。

ボールポゼッションにこだわることなく試合の主導権を相手に渡し、攻撃は少人数によるカウンターアタックが主体、一旦首尾よくゴールを奪った後は、自陣に引きこもって守りを固めリードを死守する――というのが、イタリアサッカーに対して広く抱かれているステレオタイプ的なイメージだ。

そのシンボルとしてしばしば使われるのが「カテナチオ」という言葉である。

その語源は、イタリア語で「閂(かんぬき)鍵」を表すcatenaccio。少々細かいことを言えば、イタリア語の発音に最も忠実なカタカナ表記は「カテナチオ」ではなく「カテナッチョ」である。「カテナチオ」というのは、「ピッツァ」を「ピザ」と言うのと一緒で、イタリア語によく出てくる促音(つまる音)をうまく発音できない英語圏の人々の訛りに過ぎない。

さらに言えば、イタリアで言う「カテナッチョ」と、日本も含めた世界(イタリア国外)で広く言い習わされている「カテナチオ」は、その言葉に込められた意味内容もいささか異なっている。

イタリアのサッカー用語としての「カテナッチョ」は、1950年代から80年代にかけてこの国で主流だったひとつの具体的な戦術、すなわちリベロを置いた左右非対称の布陣によるマンツーマンディフェンスと少人数のカウンターアタックによる攻撃を武器とするそれを指して、限定的に使われることがほとんどだ。

1990年代以降の現代サッカーがゾーンディフェンスを基本としていることが示す通り、この戦術は20年前にはその歴史的役割を終えており、WMシステムなどと同様、すでに博物館入りした過去の遺物でしかない。実際、今のイタリアにおいて「カテナッチョ」という言葉は、時代遅れの守備的戦術を指すネガティブな意味合いを込めて比喩的に使われることがほとんどだ。イタリアの監督に、今日は素晴らしいカテナッチョで勝ちましたね、と言ったら気分を害すること請け合いである。

とはいうものの、歴史を振り返ってみれば、この「カテナッチョ」という戦術の全盛期はもちろん、それが生まれる以前から現在に至るまでイタリアサッカーを一貫して特徴づけてきたのが、攻撃よりも守備、ゴールを決めるよりも失点しないこと、勝つこと以上に負けないことを重視するといった守備的なメンタリティと戦い方であることも、また明らかな事実である。それを象徴的に表す言葉としてイタリア以外の国々で使われてきたのが、英語訛りの「カテナチオ」だったとすることもできるだろう。

「カテナチオ=ゴールに閂をかける=ガチガチの守備的サッカー」というステレオタイプ的なイメージは、イタリアサッカーに対する先入観や偏見を助長する側面を持っている。しかしその一方で、イタリアサッカーの底流に流れるひとつのメンタリティを端的に切り取るキーワードとしての有効性を持っていることもまた事実である。

というわけでここからは、「戦術としてのカテナッチョ」をひとつの鍵として「カテナチオ的メンタリティ」に迫る――というアプローチから、イタリアサッカーの過去と現在を読み直してみることにしたい。
 
「戦術としてのカテナッチョ」がイタリアに出現して、セリエAを戦うクラブチームの間に浸透していったのは、第二次大戦が終わった1950年代のことだ。意外な話だが、この戦術はイタリアのオリジナルではなくて外国からの「輸入品」である。

その創始者は、1938年と54年のワールドカップでスイス代表を率いたオーストラリア人監督カール・ラッパン。敵FWをマークするストッパーの背後にディフェンダーをさらに1人余らせたきわめて守備的な布陣を敷いたスイス代表は、38年のW杯フランス大会でドイツを下し、ベスト8進出を果たした。

この戦いぶりを見たフランスのマスコミが、最後尾に1人余ってカバーリングのために左右に動くDFをヴェロウverrou、すなわち閂鍵と呼んだことから、この戦術はヴェロウという名前で知られるようになった。それがイタリア語に直訳されて「カテナッチョ」と名付けられたというわけだ。

ものの本によると、この戦術がイタリアに「輸入」されたのは、終戦直後の1946-47年のこと。初めて採用したのは、セリエBのサレルニターナを率いていたジポ・ヴィアーニという監督だった。その後、1953-54シーズンからインテルを率いてスクデット2連覇を果たしたアルフレード・フォーニ、後にミランを率いてチャンピオンズカップを2度勝ち取ることになるネレオ・ロッコといった監督がこれを採り入れて発展させていく。

それが国際レベルで大きな果実を実らせたのは60年代に入ってから。ミランが63年にロッコの下でイタリア勢としては初めてヨーロッパの頂点に立ち、続く64年からはアルゼンチン人監督エレニオ・エレーラの「グランデ・インテル」が2年連続でチャンピオンズリーグカップを制する。国際レベルで「カテナチオ」のイメージが確立したのもまたこの時期である。

しかし、それよりもはるかに以前、1934年と38年にワールドカップを連覇したイタリア代表のスタイルには、すでに「カテナチオ的メンタリティ」がはっきりと刻印されていた。

1934年、自国開催の第2回ワールドカップは苦戦の連続だった。準々決勝のスペイン戦は1-1で延長にもつれ込んだが決着がつかず、翌日の再試合を何とか1-0でモノにした。続くオーストリアとの準決勝も1-0の辛勝。そして決勝のチェコスロヴァキア戦も、2-1で勝利を掴んだのは延長戦を戦った末のことだった。

当時のヨーロッパでは、オーストリア、チェコ、ハンガリーなど中欧の国々が、ショートパスを網の目のようにつないで攻撃を組み立てる「ドナウ派」と呼ばれるテクニカルなスタイルで一世を風靡していた。

しかし名将ヴィットリオ・ポッツォ率いるイタリアは、古典的な2-3-5ピラミッドシステムの両サイドハーフ、両ウイングをそれぞれ低い位置まで戻した実質4-3-3の(当時としては)守備的な布陣を採用し、ロングパスによるカウンターアタックを最大の武器とするチームだった。80年近い昔からすでに、「ポゼッション」に「カウンター」で打ち勝つというのが、イタリアの役回りだったのである。

38年の決勝で「ドナウ派」の雄ハンガリーを下し連覇を飾ったアズーリも、4年前と変わらぬ堅守速攻のチームだった。まだプレースピードが遅くゆっくりとしたパスサッカーが主流だったこの時代、イタリアは「パス3本でシュートまでたどり着ける」と言われていた。まったく奇妙な話だが、カテナッチョという言葉が生まれる前からすでに、イタリアサッカーの中にはその実体が存在していたというわけだ。

こうして見ると、ポッツォの下で連覇を果たした当時から連綿と受け継がれてきた「カテナチオ的メンタリティ」に、改めてひとつの明確な形を与えたのが、60年代に絶頂期を迎えた「戦術としてのカテナッチョ」だった、と理解することができるかもしれない。

敵の攻撃陣全員にマンツーマンでマーカーを貼り付けた上、最後尾にリベロを置くことで堅い守備にさらなる「保険」をかけ、攻撃は少人数によるカウンターアタックに徹する「カテナッチョ」は、その後90年代初頭まで30年以上に渡って、イタリアサッカーのスタンダードとして不動の地位を築くことになる。

「戦術としてのカテナッチョ」がその歴史的な役割を終えたのは、1990年代に入ってからのことだ。80年代末にアリーゴ・サッキ率いるミランが、前線からのプレッシングとオフサイドトラップという新たな武器を備えたアグレッシヴなゾーンディフェンスの4-4-2システムによって、イタリアはもちろん世界のサッカー界に革命を引き起こしたことで、マンツーマンディフェンスを基本とする「カテナッチョ」は急速に過去の遺物となっていった。

しかし、だからといって「カテナチオ的メンタリティ」までが消え去ったわけではない。カテナッチョに代わって4-4-2ゾーンが主流となった90年代、セリエAの戦術トレンドを決定づけたのは、低めの位置にコンパクトな2ライン(4+4)の守備ブロックを構築し、攻撃は2トップ+αの個人技に依存するというきわめて堅実な戦い方で、92-93シーズンから3連覇を果たしたファビオ・カペッロ率いるミランのスタイルだった。

最終ラインをハーフウェイライン付近まで押し上げ、FWも含む10人全員を動員した組織的なハイラインプレッシングからショートカウンターを繰り返し、相手にサッカーをさせないまま押し切るという「サッキのミラン」の革命的なスタイルは、そのままの形でイタリアに広まることはなかった。定着したのはむしろ、それを「カテナチオ的メンタリティ」に従って読み替えた、守備的な4-4-2ゾーンのスタイルだったのである。

その後現在に至るまで、セリエAは様々な戦術的実験の場であり続けてきた。中には、積極的にボールを支配し、常に主導権を握って試合を運ぼうとする攻撃的なスタイルで結果を残したチームもある。

3トップの連携した動きによる組織的な崩しのメカニズムを武器とする3-4-3システムで97-98シーズンにセリエA3位という大躍進を果たしたアルベルト・ザッケローニのウディネーゼや、イタリアでは異例にポゼッション志向の強いスタイルを確立してCLを二度制するなど、00年代に一時代を築いたカルロ・アンチェロッティのミランがその典型例だ。

しかし、こうした攻撃的なスタイルが、そのままひとつのトレンドとなってセリエAに定着することはなかった。00年代半ばから現在に至るまで、セリエAで最も一般的なシステムはトップ下を置いた4-3-1-2だが(別稿で見るように今シーズンは3バックも流行している)、ほとんどのチームは7~8人で守って2~3人で攻める重心の低いスタイルを採用している。

イタリアサッカーの主流を形成する戦術のトレンドは常に、守備の安定を最優先事項とし、失点のリスクを最小限に抑えた上で、その余力を攻撃に振り向けるという考え方を土台としてきた。

もちろん、喜んで相手に主導権を譲り渡して自陣に引き込もり、数少ないカウンターのチャンスを活かしてゴールを奪ったら、後はひたすら守り倒すという「古き良きカテナッチョ」は、世界中どこに行ってもそうであるように、もはや戦力的に劣勢にある弱小チームが仕方なく選ぶ戦術以上のものではあり得ない。

しかしそれでも、これだけ攻撃よりも守備、ゴールを決めるよりも失点しないこと、勝つこと以上に負けないことに重きを置くスタイルが支配的な国が他にはないことも事実である。カルチョの黎明期から現在まで、イタリアサッカーの底流には、常に「カテナチオ的メンタリティ」が存在し続けてきた。

ではそれは一体どこから来ているのか、というのは当然の疑問である。

サッカーには国民性が反映する、というのはよく言われることだ。その観点から見た時に指摘できるのは、この国においてサッカーに求められるのは、唯一結果だけであり、それ以外ではないという現実である。

もちろんイタリアでも、攻撃的でスペクタクルなサッカーの方が、守備的で退屈なサッカーよりも評価されることに変わりはない。しかしそれはあくまで勝利という結果を前提にしてのことだ。クラブオーナーもサポーターも「美しいサッカーをして負けるよりも酷いサッカーをして勝つ方がずっとましだ」と公言して憚らないし、実際、いいサッカーをして敗れたチームに対しても、1試合目には健闘を讚える拍手が贈られるが、3試合それが続けば待っているのは怒号や罵倒や抗議の声だ。

そうした環境の中で生きていれば、ただひたすら結果「だけ」を目的としてそれを全面的に追及する姿勢が発達し、洗練されていくのは必然的な帰結だろう。

実際、「攻撃的スタイル」「美しいサッカー」「スペクタクル」といった言葉をめぐってイタリアの監督たちと話をすると、返ってくる答えはいつも同じである。「攻撃的なサッカーで美しく勝つ」というのは誰もが夢見るユートピアだ。しかしユートピアはユートピアでしかない。勝つためには現実を直視し、受け入れ、それに対応することが必要だ――。

それを踏まえつつ現在のイタリアサッカーを眺めた時に、最も顕著な特徴のひとつは、攻撃におけるダイレクトプレー志向の強さ、そしてその裏返しでもあるボールポゼッションの軽視である。

ボールを奪ったらできるだけ速く、相手の守備陣形が整う前にシュートまで持っていくのが最も効率が良く、しかも得点の確率が高い攻撃だというシンプルな考え方は、1930年代にワールドカップを連覇した時代から現在まで変わることがない。

ボールポゼッションを軽視するのは、パスをつなぎ続けてチームが前がかりになればカウンターを喫するリスクが高まるから。ダイレクトプレー志向は、得点の可能性を最大化するだけでなく失点の可能性を最小化するという点においても、「カテナチオ的メンタリティ」にきわめて親和性が高いスタイルなのだ。

ポゼッションサッカーが馴染まないのも、言ってみればその「コインの裏側」である。だから、攻撃的なサッカーを志向しても、プレッシング&ショートカウンターというアグレッシブなスタイルに向かうことになる。

現在のイタリアサッカーを象徴する戦術的キーワードをひとつだけ挙げるとすれば、それは「バランス」(イタリア語でエクイリブリオequilibrio)だろう。ザッケローニが日本代表監督就任時に掲げたあの言葉だ。

具体的には「攻守のバランス」のこと。緻密な戦術に基づく安定したディフェンスを確保した上で、失点を増やすことなく攻撃により多くの人数をかける、あるいは攻撃的な選手をひとりでも多くピッチに送り出す――。イタリアの監督たちは、それを様々な形で模索し続けてきた。

実際、近年のイタリアで高い評価と結果を残したチームはいずれも、単なる堅守速攻だけではない攻撃的なスタイルを備えながらも、高いレベルで「バランス」を実現している。「相手より1点多く取って勝つ」というイケイケの攻撃サッカーは、この国では完全な異端である。

セリエAでは異例にポゼッション志向が強かった「アンチェロッティのミラン」ですらも、パスをつなぎつつも決して前がかりにならず、一瞬の隙を衝いた2~3人のコンビネーションでゴールを奪う成熟したしたたかさを備えたチームであり、カウンターから失点を喫することは稀だった。

ルチャーノ・スパレッティ(現ゼニト)が率いた00年代後半のローマは、トップ下を本職とするトッティを[4-2-3-1]の1トップに置いて「偽のセンターフォワード」として機能させる「ゼロトップ」戦術による、ダイナミックな速攻を武器としていた。一旦攻撃に転じれば4人、5人のボールのラインより上に送り込むが、守備に回れば9人を自陣に戻したローラインプレスを駆使する失点の少ないチームだった。

09-10シーズンのCLを制した「モウリーニョのインテル」も、今シーズン6年ぶりにスクデットを勝ち取った「コンテのユヴェントス」も、高度な戦術的規律によって高いボール支配率と堅固な守りを両立させている。

2006年のワールドカップを制した前イタリア代表監督マルチェッロ・リッピは、ユヴェントスを率いていた時代にこんなことを言っていた。

「イタリアのサッカーはこの何年かで大きく進歩した。もちろん、ディフェンスの強さが一番の武器であることは変わらない。しかしだからといって、我々のサッカーをカテナッチョなどという言葉で表現しないでほしいね。いい試合をするために必要なことはふたつある。しっかり守ること、相手の弱点を突いて素早く攻めることだ。我々はそのふたつをうまくやることができる」。

いま、例えばアントニオ・コンテ(ユヴェントス)やマッシミリアーノ・アッレーグリ(ミラン)にイタリアサッカーについて訊ねれば、やはり似たような答えが返ってくるに違いない。サッカーのスタイルは進歩しても、その底流に連綿と流れる「カテナチオ的メンタリティ」だけは変わることがない。それが文化というものなのだろう。■

(2012年5月1日/初出:『SOCCER KOZO』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。