ウルトラス/ゴール裏ものをもうひとつ。イタリアの場合、この手の問題にしてもダフ屋やバッタもんグッズの問題にしても、あるいはスタジアム整備の問題にしても、何十年もずるずると引きずったまま解決しないのは、現実を直視してきちんと対応するよりもそれを見なかったことにして何事もなかったかのように振る舞う傾向が強いからだと思います。まあ日本も一般的に言ってそういうところがかなりありますが……。

bar

「イタリアサッカーを仕切っているのはウルトラスだ。残念なことに彼らは好き放題に振る舞っている。スタジアムでは誰をどんなふうに罵倒しても許される」

10月26日、フィレンツェのイタリアサッカー協会テクニカルセンターで行われたシンポジウムにおける、イングランド代表監督ファビオ・カペッロの発言である。

「スペインにはリスペクトがある。スタジアムは子供連れの家族であふれている。イタリアと比べたら別世界だ。一度、ある観客が私に向かって丸めた紙を投げつけたことがあったが、その男はすぐにスタンドから連れ去られた。イングランドのスタジアムはいつも満員で、観客のマナーも素晴らしい。それと比べて、イタリアのスタジアムで起こっていることは残念だと言うしかない。このままではこの格差はさらに拡がって行くだろう。法律をきちんと適用しさえすれば、凋落を食い止めることは可能なはずだが……。人々をスタジアムに呼び戻すために、当局もクラブもはっきりとした決断を下すことが必要だ」

イタリアのスタジアムとゴール裏が抱える問題については、これまでこの連載でも何度か取り上げてきた通り。スタジアムでの暴力事件は減少傾向を辿っているものの、スペインやイングランドのように、家族連れが何の心配もリスクもなく気軽に足を運べる安全で快適な場所だとは言い難い。

イタリアはもちろん、両国の現実をも肌で知るカペッロからすれば、これは当然の感想であるように見える。しかし、サッカー界の内部からは、同意よりもむしろ反発の声の方が多かった。

スポーツ界の総元締めであるイタリアオリンピック連盟(CONI)のペトルッチ会長は「ウルトラスが仕切っているなどということは全くない。外国から母国の批判をするのは簡単だ。耳を傾けるべき言葉ではない」と神経質に語り、イタリアサッカー協会(FIGC)のアベーテ会長も、「一握りの少数派の振る舞いが大多数のサポーターのそれであるように語られたり報道されたりすることは好ましいとはいえない」とコメントした。

当局側の立場にいるCONIやFIGCが自分の立場を守るためにこうした発言をするのは、理解できないことではない。しかし、ウルトラスの一番の被害者とも言うべきクラブからも、カペッロに同意する声はほとんど聞かれなかった。

「少なくともミランに関しては、誰からも脅されてはいないし問題も抱えていない。親愛なるカペッロにはっきりとそう言っておきたい」(ガッリアーニ副会長/ミラン)

「パレルモのサポーターは常に模範的に振る舞ってきた。私が会長になってから、暴力的な問題を起こしたことは一度もない」(ザンパリーニ会長/パレルモ)

「カターニアを仕切っているのはウルトラスではない」(ロ・モナコSD/カターニア)

——といった具合である。

だが、日々ゴール裏からの物理的なプレッシャーに晒される立場にある現場からの声は、トーンが少なからず異なっていた。フィオレンティーナのプランデッリ監督は「100%カペッロの言う通りだと思う」とコメント、ローマのラニエーリ監督は翌日の記者会見でこう語ったものだ。

「私にできるのは自分の経験を話すことくらいだ。昨シーズン、スタンコヴィッチをユヴェントスに獲る話がほとんどまとまっていたのだが、結局流れてしまった。サポーターが強く反対したからだ。その結果は皆さんもご存じの通りだ」

ちなみに言えば、昨シーズン、ラニエーリ率いるユヴェントスは中盤のクオリティ不足に悩まされ続け、インテルは当初放出リストに挙がっていたスタンコヴィッチをトップ下に置いた4-3-1-2をシーズン半ばから採用して、スクデットを勝ち取っている。

偶然か必然か、カペッロ発言からほんの5日後に、彼の言葉をそのまま裏付けるような出来事が起こった。その舞台となったのは、ほかでもないそのラニエーリが監督を務めるローマである。

読者の皆さんならご承知の通り、今シーズン(09-10)のローマは混迷の真っ只中にある。クラブは深刻な財政難に直面して満足な補強ができず、ここ数年の好成績を支えてきたルチャーノ・スパレッティ前監督は開幕2連敗の後自らチームを去った。後任のラニエーリも、就任からの5試合で3勝2分とまずまずの結果を残したものの、10月18日にミランに逆転負けを喫してからはリヴォルノ、ウディネーゼにも敗れて3連敗、順位も降格ゾーンにほど近い14位まで落ち込んだ。

プライドと要求水準が高い上に熱くなりやすいロマニスタたちは、続く10月31日のボローニャ戦で、ため込んだ鬱憤を一気に爆発させる。試合の前夜、選手たちが合宿しているローマ郊外トリゴリアの練習場に大音響で爆発する花火を数発投げこんだかと思えば、翌日はスタジアムに向かうチームバスに車で並走して、生卵やトマト、果ては石ころまでも投げつける。

チームバスが着いたスタジアムの入り口には、「ローマは死んだ」と大書された大きな葬式用の花輪が飾られていた。そして、選手たちがウォームアップに出てくるや否や、あらん限りの罵声とブーイングの口笛を投げつける。普段ならば一番盛り上がるはずの選手紹介のアナウンスも、耳をつんざくようなブーイングの口笛にかき消された。

試合が始まってもウルトラスの抗議は続く。プレーの展開などそっちのけで、ローマ凋落の元凶として昨シーズンからターゲットになっているロゼッラ・センシ会長を罵倒するコールが延々と繰り返され、前半32分にボローニャが先制すると「♬真夜中までここから出られると思うな」という脅迫めいたコールがそれに取って代わる。

最も馬鹿げていたのは、その3分後にローマが同点に追いついた時の反応だった。ゴールを決めたヴチニッチに対して、あろうことかゴール裏は一斉にブーイングの口笛を浴びせたのだ(ヴチニッチはこのところ故障がちで貢献度が低かったこともあり、かねてから抗議の標的になっていた)。それに続いたのが「♬セリエAに生き残るぞ」というコール。これは残留争いをするゴール裏の定番であり、ローマサポにとっては自嘲以外の何物でもない。この馬鹿げた抗議がやっと収まったのは、後半に入ってペロッタが逆転ゴールを決めてからのことだった。

試合後、ラニエーリは怒りと落胆が入り交じった表情でこうまくし立てた。

「いったい、我々に向かって『セリエAに生き残るぞ』と叫ぶことにどんな意味があるのか教えてほしい。おそらく彼らはチームがダメになることを望んでいるのだろう。でも、もしローマが降格したらセリエBの試合を観に行くのは彼らの方だ。自分で自分のキンタマを切り落とすようなことをしてどうしようというのか。ローマ人として、それ以上にロマニスタとして私は傷ついた。ゴールを決めた選手を味方のゴール裏がブーイングするなど、58年生きてきて一度も見たことがなかった。いい試合をして結果を出しているチームを応援し拍手を贈るのは簡単だ。困難に陥っている時にこそ本当のサポーターかどうかが問われるものだ」

問題は、ウルトラスのこの行動が、冗談ではなく「チームをダメにする」ことを目的としているように見えるところだ。このままセンシ家が経営権を持ち続けていてはローマには未来がない、それならばクラブを手放さざるを得ない状況にローマを追い込んで無理やり手放させる以外にない――というのが彼らの論理である。

一握りのサポーターが実力行使でクラブオーナーの首をすげ替えようと本気で考え、公然と実行に移し、それが当たり前のように、とは言えないまでもある種の諦めと共に受け入れられる。カペッロが「イタリアサッカーを仕切っているのはウルトラスだ」と言うのは、まさにこういう事態を指してのことだ。

カペッロやラニエーリと、CONI、FIGCそしてクラブオーナーたち、そのどちらの言葉が現実を反映しているかは、誰の目にも明らかだ。□

(2009年10月6日/初出:『footballista』連載コラム「カルチョおもてうら」)

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。