ミラノダービー(今シーズンはもう先々週で終わってしまいましたが)に通い始めてから10数年、04-05シーズンくらいからはほぼ毎回、両ゴール裏のコレオグラフィをカメラに収めてきました。雑誌にも関連の原稿を書いたものがあるので、その中からいくつか思い出深いものを取り上げようかと思います。今回は04-05秋のダービーのミラン。この頃はガッリアーニがカネ出してたので毎回手間ひまかかってました。

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「インテリスタは気が狂いそう」。応援はミランの完勝

ミラノダービー観戦の楽しみは、ピッチ上で繰り広げられる戦いだけではない。両クルバ(ゴール裏)の応援合戦も大きな見物だ。

ウルトラスは、この1試合、しかも選手入場時のたった数分間だけのために、クルバ全体を使った大がかりな演出を準備する。数十万円もの予算と何ヶ月かの時間を費やした、マスゲームと呼べるくらいの代物だ。今や暴力的な「抗争」とは(幸いなことに)ほぼ無縁になった両ウルトラスにとって、年2回のダービーの演出こそ、プライドを賭けた最も重要な決戦の場なのだ。

午後8時20分。選手入場を間近に控えて、双方のクルバが動き出す。インテリスタが陣取るクルバ・ノルドは、チームカラーである青と黒のストライプで染め抜かれた。シンプルながら美しい光景だ。そしてその中央に、白地に赤い十字とビショーネ(=蛇)の絵をあしらったミラノ市の紋章が現れる。

そしてその上下掲げられた巨大な横断幕には「太古からミラノの正式なシンボル」、「FCインターナショナルこそがビショーネだ」という文字が躍った。ミラノを代表するのは俺たちインテルだ、という誇りを精一杯に表現した演出である。ただし、このところダービーの勝利から遠ざかっているとあって、説得力に欠けるのは仕方がない。

一方、ミラニスタが陣取るクルバ・スッドの演出は、それよりもずっと手が込んでいた。まず最初に現れたのは、「何ひとつ勝てなかった15年間」と、これは明らかにインテルをからかい侮辱する横断幕。そして気がつくと、クルバ全体が徐々に赤く染まっていく。と同時に、その中央に黄色い長方形の額縁が現れた。その中だけが、暗く澱んだ青と黒に彩られている。

この間およそ5分。いよいよ選手入場が近づくと、額縁の中に下からするするとひとりの人物が現れた。両耳を押さえて口を開けているおどろおどろしい顔に見覚えがあると思えば、19世紀末にノルウェー人の画家ムンクが描いた名画『叫び』である。しかもご丁寧に、インテルのユニまで身にまとっている。次の瞬間、その下に巨大な横断幕が垂れ下がった。「インテリスタは気が狂いそう」。

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これで一丁上がり。大部分がミランサポで占められたメインスタンドとバックスタンドからは大きなどよめきと歓声が上がり、拍手が広がった。

ここ2年ほど、ミラニスタがスタジアムで必ず歌う「愛唱歌」がある。当然この日も、クルバ・スッドに響き渡っていた。この横断幕のメッセージも、実はその歌詞が出所なのである。

開幕前にはいつものように/インテリスタが大言壮語/
スクデットとチャンピオンズリーグ/それがお前らクズどもの夢/
インテリスタは気が狂いそう/何ひとつ勝てずに15年/
ヨーロッパは遠過ぎる/ミラノから一歩も動けない/
歌いもせず叫びもせず/スタジアムに来て何やってんだ/
大言壮語は勝手だけれど/俺たちこそがミラノだ!

ピッチ上の戦いは0−0の引き分けに終わったが、クルバ同士の戦いはミランの完勝だった。インテリスタはやりこめられて地団駄を踏むしかないわけだが、それがまた、次の雪辱に向けたエネルギーになる。こうして毎年2回のダービーが続いていくのである。■

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。