イタリアの監督はマスコミやサポーターからどんなプレッシャーを受けているか、そのメカニズムについてのお話。これは掘り下げるともっといろいろ深い話があるので、そのうちどこかで書くこともあるかと思います。

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他の国々と同様イタリアにおいても、監督批判の「主体」は、クラブの外部に話を限ればマスコミ、そしてサポーターということになる。  

イタリアの監督たちは、どんなにひどい内容でも結果さえ残せば賞賛されるが、どれだけ美しいサッカーをしても勝てなければ批判に晒されるという、極端な結果至上主義の中で仕事をしている。時にはほんの2、3試合勝ち星から遠ざかっただけで、批判の矛先が向かってくるのが彼らの運命だ。

その先鋒を切るのは、往々にしてマスコミである。TVやラジオのコメンテーター(ジャーナリストや元選手)も新聞記者たちも、不振に陥ったチームに対しては「戦犯探し」を欠かさない。そこで槍玉に挙がるのは、不振に陥ったチームが話題ならばやはり指揮官ということになる。

一般的にマスコミはクラブに迎合する姿勢が強いため、クラブのトップを叩くことは避けて監督を槍玉に挙げる傾向がある。

一方、「サポーター世論」の中で大きな影響力を持つのは、「ウルトラス」と呼ばれるコアなサポーターグループが陣取るゴール裏の振る舞いだ。ただし、「サポーター世論」は、必ずしもマスコミの論調と一致するわけではない。

例えば今シーズンのインテルは過去50年で最低の順位に終わり、欧州カップの出場権を逃したにもかかわらず、チームを率いたストラマッチョーニ監督は、ゴール裏から一度も抗議を受けることなくシーズンを終えた。これは、この大不振の「戦犯」はモラッティ会長をはじめとするクラブ首脳であり、監督はその犠牲者に過ぎない、力は及ばなかったがベストは尽くしたというのが、一致した「サポーター世論」だったからだ。

監督個人がターゲットになるのは、結果が出ないという事実に加えて、サポーターが支持している選手を冷遇している、サポーターやウルトラスに対して友好的でないといった、特別な理由がある場合。

今季ローマを率いた攻撃サッカーの伝道師ゼーマンがサポーターの支持を失ったのは、大勝と大敗を繰り返すばかりで一向に順位が上がらなかったというだけでなく、サポーターにとってはトッティと並んでアンタッチャブルな存在であるデ・ロッシを冷遇したことも大きな原因だった。

ゴール裏の抗議は、ターゲットが誰であるかにかかわらず、コールやチャントによる露骨な罵倒、退陣を要求する横断幕といった、敵意がこもっているが「民主的」な手段が中心。しかし、状況がさらに悪化したり敵対関係が強まったりすると、スタジアムの入り口でチームバスを囲んだり、練習場に押し入って直談判を要求し辞任を迫ったりといった、悪質な「武力行使」に発展することもある。

とりわけ、下位に低迷して降格が濃厚になったチームでは、自暴自棄になったウルトラスが暴力的な振る舞いに出ることも少なくないのが現実だ。残念ながらこのあたりはイタリアサッカーの恥部のひとつである。□

(2013年6月21日/初出:『サッカー批評』)

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。