前回上げたゼニトの話に絡めて、ゴール裏の差別行為絡みの話をもうひとつ。ナポリはイタリアでも際立って特殊な地域です。その歴史的背景についてはこの本がとても詳しいので、ご興味のある方はぜひご一読を。
話はいささか旧聞に属するが、2013年9月26日に行われたセリエA第5節のインテル対フィオレンティーナ、28日の第6節ミラン対サンプドリアの2試合で、ホームチームであるインテルとミランのゴール裏が閉鎖されるという出来事があった。
これは、両チームのウルトラスが、その前に行われたホームゲーム(第3節インテル対ユヴェントス、第5節ミラン対ナポリ)で対戦相手に対して差別的なチャントを行ったことに対し、FIGCの懲罰委員会が罰則規定を適用して、両クラブに対してそれぞれ1試合のゴール裏閉鎖処分を下したため。
昨シーズンまで、こうした観客席の一部閉鎖や無観客試合といった処分の対象は、サポーターの暴力行為に限られていた。しかし、UEFAがここ数年力を入れている反人種差別への取り組みを受ける形で、今夏からは、「人種、肌の色、宗教、性別、言語、民族または地域に対する直接的、間接的な差別的行為」に対しても、暴力行為と同じ基準で処罰するという新たな罰則規定が導入されている。2節続けてサン・シーロのホーム側ゴール裏が閉鎖されるという前代未聞の事態が起こったのも、それが厳格に適用された結果だった。
とはいえ、処罰の対象となった「差別的行為」の内容は、インテルとミランで少なからず異なるものだった。
インテル・ウルトラスの振る舞いで問題とされたのは、ユヴェントスの黒人選手(ポグバとアサモア)に対して「Buuuu」といういわゆるモンキーチャントを行ったこと。これは明らかな人種差別行為であり、イタリアに限らずヨーロッパの他の国々でも、特に民族主義や移民排斥をスローガンに掲げる極右系のサポーターグループ/ウルトラスが以前からしばしば行い、問題視されてきたものだ。
しかし、ミラン・ウルトラスが処罰されたのは、人種ではなく地域、具体的にはナポリとそこに住む人々に対する強い侮辱や誹謗中傷を含むチャントを繰り返し歌ったことが理由。このチャントが人種差別ならぬ「地域差別」にあたると見做されたわけだ。
実際、その歌詞は、単なるからかいや悪ふざけの域を超えたひどく醜悪なものだ。
♫ なんてひどい臭いだ
犬まで逃げて行くぜ
ほら、ナポレターニ(ナポリ人)がやって来た
コレラ患者、地震の被災者
石鹸で身体を洗ったこともない
ナポリはウンコ、ナポリはコレラ
お前らはイタリアすべての恥……
イタリアのゴール裏で歌われているチャントの多くは自分たちのチームを鼓舞し支えるものだが、その一方で、バカと痴呆とかクソとか死ねとか売女の息子とか、そういう汚い言葉を使って敵のチームやサポーターを罵倒する聞くに耐えないチャントも、実のところ決して少なくない(いや、全体の何割かを占めている)。
それ自体がモラルに反する行為であることは言うまでもないのだが、スタジアムという限られた場においては、そうしたネガティブな感情の発散も単なる悪ふざけ、「無礼講」として渋々ながらも許容されてきたというのが、この国の現実である。
しかしそんな中でも、イタリア中のゴール裏からナポレターニが受けている侮辱は、このチャントの歌詞にはっきりと表れている通り、特別なものだ。ここまで侮蔑的かつ差別的な罵倒を受けている例は他にはない。その背景には、ナポリという地域とそこに住む人々に対する歴史的な偏見や差別感情がイタリア全土に根付いている(※)という事実がある。
※注:これには19世紀の国家統一以来続くイタリアの南北問題(かつては人種問題であるとすら考えられていた)に根ざした複雑な経緯があるのだが、ここではとても説明できないので、ナポレターニはイタリア中から明らかな偏見を受けているという事実を伝えるだけにとどめておく。
それが象徴的な形で表出しているこのチャントも、実を言えば最近生まれたものではない。それどころか、ナポリでマラドーナがプレーしていた30年前からイタリア中のゴール裏で歌い継がれてきた、非常にポピュラーかつ歴史のある(という言い方もアレだが)チャントなのである。
今回の問題は、今までは眉をひそめられることはあっても結果的に許容されて来たウルトラスの差別的な振る舞いが、今シーズンから突然、ゴール裏閉鎖という厳しい処分の対象になったところにある。
モンキーチャントをはじめとする「人種差別」行為が厳しく処罰されるべきだという点に関しては、すでに明確な社会的合意が成立しており、ウルトラス自身もそれを受け入れざるを得ない立場に置かれている。実際、インテル・ウルトラスに対するゴール裏閉鎖処分に対しては、マスコミ・世論からも否定的な意見はまったく出なかった。
しかし、ナポレターニに対する「地域差別」がそれと同等に扱われるべきかについては、議論が割れているのが実情だ。
ミラン・ウルトラスは、「スタジアムでのからかい・悪ふざけと人種差別を混同することで、ウルトラスの自由を侵害し抑圧しようとする振る舞いであり、絶対に受け入れることはできない」という声明を出し、ゴール裏から閉め出しを喰らったサンプドリア戦の試合前、スタジアムの外に終結してこのチャントを歌い続けた。
イタリアのウルトラスは、自由と団結をその存在基盤として掲げ、それを抑圧する権力に対しては断固として戦うという明確なイデオロギーを持っている。普段は対立あるいは敵対関係にあるウルトラス同士も、権力を相手にした時には連帯して戦うというのが彼らの不文律だ。
それを考えれば、同じミラノのライバルであるインテル・ウルトラスが次のような声明を出して連帯を表明したのも、決して不思議なことではなかった。
「次の日曜日からは、イタリア中すべてのゴール裏が地域差別行為を行い、その結果としてすべてのスタジアムが閉鎖されることを希望する。全試合が無観客試合になったセリエAはとても魅力的なコンテンツになるだろう」
実際、今シーズンから導入された新罰則規定においては、差別行為が繰り返された場合、その処分は観客席の一部閉鎖、無観客試合、不戦敗(0-3)、そして勝ち点剥奪と、どんどん重くなることになっている。インテル・ウルトラスの呼びかけは、それを逆手に取り「地域差別チャント」を確信犯的に繰り返すことで、クラブはもちろんセリエAというコンペティション自体を自縄自縛に追い込もうという、頭脳的かつ悪質な脅迫行為として機能するものだった。
このインテル・ウルトラスの呼びかけに対して、イタリア中のウルトラスが賛同の意思表示を行う。「地域差別」の被害者であるはずのナポリ・ウルトラスに至っては、10月6日のリヴォルノ戦でゴール裏に「ナポリ=コレラ。さあ俺たちのゴール裏も閉鎖してくれ」という横断幕を張り出して、連帯の意思を打ち出したほど(このあたりの強烈なユーモア感覚には脱帽するしかない)。
不幸中の幸いだったのは、この一件の後にちょうど国際Aマッチウィークによる2週間の中断期間が入り、FIGC側に「対策」を練る時間がもたらされたこと。
FIGCはリーグ戦の再開を前にして、「地域差別」が人種差別と同様に厳しく罰せられるべきものであるという立場を維持しながらも、今後は処分の実施について1年間の「執行猶予」を与え、その間に「再犯行為」がなければ処分は行わない(再犯があった場合は処分を「倍返し」にして即時執行)、という窮余の妥協案を導入して、とりあえず目先だけはしのぐ形になった。
「スタジアムの大部分を占める健全なサポーターを人質に取ってクラブやサッカー協会を脅迫する機会をウルトラスに与えるわけにはいかない」(アベーテFIGC会長)というのがその説明だ。
この執行猶予によって当面ゴール裏へのアクセスが許されたことで、ウルトラス側もとりあえずは矛を収める気になったのか、再開後はどのスタジアムでも問題のチャントが露骨に歌われることはなくなった。
とはいえ、ミラン、インテルはもちろんローマ、トリノ、ウディネーゼなど多くのゴール裏は、くだんのチャントを歌いかけては止める、地域差別には当たらないと判断されたギリギリのチャント(「俺たちはナポレターニじゃない」)をしつこく繰り返すといったやり方で、FIGCに対する敵対的な「おちょくり」を続けている。
こうした駆け引きが続く中で、状況はなし崩しというかグダグダなものになりつつある。決定的な決裂を回避して問題を先送りする、というのはこの国によくある対処方法だが、これを続けてきた結果が、ウルトラスのネガティブな影響をスタジアムから根絶できないという現実であり、それがヨーロッパにおけるイタリアサッカーの競争力低下の主因のひとつでもある。ここまで複雑にこんがらかった糸を解きほぐすのは絶望的に困難な仕事であることもまた事実だが……。□
(2013年10月27日/初出:『footballista』連載コラム「カルチョおもてうら」)