噂通り来シーズンからバイエルン・ミュンヘンを率いることが正式発表されたカルロ・アンチェロッティ。イタリア、イングランド、フランス、スペインに続き、これで5大リーグ全制覇ということになります。
この15年間でCL3回(ミラン2、R.マドリー1)、リーグタイトル3回(ミラン、PSG、チェルシー)を勝ち取ってきたことが示す通り、現役監督の中では最もコンスタントに結果を残してきたひとり。
90年代末のユヴェントス以来、最後までリーグタイトルを争いながら逃したシーズンも5回はあったため、何となく勝負弱い印象もあるのですが、目先の1勝のためにそれまで築き上げたものを危機に晒すような振舞いをしないというのは、それはそれでまたひとつの見識です。20年のキャリアで途中解任が一度もないという事実がそれを象徴しています。
これは、PSGでリーグ優勝を逃したその夏に書いた紹介記事。
彼についてもっと知りたい方は、不肖わたくしが手がけた『アンチェロッティの戦術ノート』と、『アンチェロッティの完全戦術論』の2冊をぜひご一読ください。

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カルロ・アンチェロッティが、ファーガソン、モウリーニョ、グアルディオラらと肩を並べて、現代サッカー界で五本の指に入る名将であることは疑いない。

ミランを率いてチャンピオンズリーグを二度制しただけでなく、セリエA、プレミアリーグで優勝を果たしたという実績。中盤の底に展開力のあるプレーメーカーを置いた4-3-1-2システムによる、ポゼッション志向を持ちながらも攻守のバランスを高度なレベルで実現した戦術スタイル。常にロッカールームを結束させ、トラブルや内紛による深刻な危機をチームに生じさせたことが一度もないという傑出したチームマネジメントの手腕。常に正直かつ真摯な態度でマスコミと向き合い、大多数から好感とリスペクトを勝ち取るコミュニケーション能力――。監督に求められるほぼすべての資質において「一流」という評価を集める名監督である。

ローマ、ミランでプレーした現役時代は、80年代のイタリアを代表するミッドフィールダーの1人であり、プレッシングサッカーで世界のサッカー界に革命を起こした「アリーゴ・サッキのミラン」では、中盤で攻守をオーガナイズする「ピッチ上の監督」だった。

引退後は、そのアリーゴ・サッキのアシスタントとしてイタリア代表コーチを3年務めた後に「独立」、デビュー2年目にはパルマを率いてセリエA2位とエリートにふさわしいスタートを切る。

続いて率いたユヴェントスでは2年連続でスクデットを逃して「勝てない男」というレッテルを貼られたこともあった。しかし、2001年に就任したミランでは、足かけ8シーズンに渡って指揮を執り、チャンピオンズリーグ優勝2回、スクデット、コッパ・イタリア各1回など、多くのタイトルを勝ち取って、ヨーロッパ屈指の名将という評価と地位を確立するに至った。

キャリアで初めて率いたイタリア国外のクラブ・チェルシーでも、1年目の09-10シーズンにプレミアリーグを制覇。続く10-11シーズンは、プレミア王者の座をマンチェスター・ユナイテッドに譲り、CLでもそのマンUに準々決勝で敗れるなど無冠に終わって、終了後に解任(契約はあと1年残っていた)されるという結果になったが、その手腕に対する評価が揺らいだわけではなかった。

続く11-12シーズンは、アーセナル、リヴァプール、トッテナム、マンCといったプレミア有力クラブで監督の椅子が空くのを待つ形で浪人生活を送っていたが、昨年12月、ミラン時代の盟友レオナルドがスポーツディレクターを務めるPSGからのオファーを受け、監督に就任した。

パリでの1シーズン目は、2位モンペリエに3ポイント差の首位でチームを引き継ぎながら、最終的には逆に3ポイント差をつけられての2位で終了。ある意味では「義務」と見做されていたリーグ優勝を逃すというスタートになった。

実を言えば、途中就任の1年目に成績が振るわないのは、アンチェロッティにとっては「デフォルト」と言ってもいい。

ユヴェントス(98-99シーズン)では、2月半ばにマルチェッロ・リッピから9位で引き継ぎ6位でフィニッシュ、CLでは準決勝まで勝ち進みながら優勝したマンUに第2レグで逆転負けを喫した。ミラン(01-02シーズン)でも、11月にファティフ・テリムから5位で引き継ぎ、CL出場権を何とか確保する4位でシーズンを終えている。UEFAカップでは準決勝でボルシア・ドルトムントに第1レグ0-4という大敗を喫し、ベスト4止まりに終わっている。

アンチェロッティは、例えばフース・ヒディンクのように、短期間で劇的にチームを変革するノウハウを持った「魔術師」タイプの監督ではない。ある程度の時間をかけて自らのサッカーをじっくりとチームに浸透させ、安定した強さを発揮させるタイプ、医者にたとえれば、目先の症状を緩和するための応急処置よりも、元々の原因に対処することによって病気を根治させる治療を得意とするタイプなのだ。

同じ1年目でも、プレシーズンキャンプからチームを率いたチェルシーではリーグ制覇を成し遂げている。また、一旦軌道に乗せたチームがどれだけ安定して力を発揮し、長期間に渡って結果を残すかは、ミランを率いた8年間が証明する通りだ。

チーム作りのポリシーは「まず選手ありき」。チームが持っている選手の能力を最大限に引き出すことを目的としてシステムや戦術を構築するべきであり、監督自身の理想や戦術思想は二の次だという考え方だ。

「いくら素晴らしい戦術思想を持っていても、それをピッチ上で実現できる戦力が揃っていなければ形にはならない。例えば、チームの中で最も質の高い、中心になるべき選手の資質やキャラクターによっても、システムや戦術は大きく変わり得る。その選手を活かすことが結果を出すために最良の道であれば、その選手に合わせた戦い方を選ぶのが監督としての正しい選択だ」(本誌連載『カルロ・アンチェロッティのS級カルチョ講座』より)。

監督キャリアの初期、90年代にパルマを率いていた当時のアンチェロッティは、師サッキから受け継いだ4-4-2システムの信奉者であり、このシステムに合わないジャンフランコ・ゾーラを使いこなせずチェルシー移籍に追い込んだり、ロベルト・バッジョの獲得を拒否して物議をかもしたりしていた。

それが大きく変わるきっかけとなったのは、ユヴェントスでジネディーヌ・ジダンと出会ったこと。別世界と言っていいタレントの持ち主だったジダンは、しかしトップ下で起用しない限りその持ち味を発揮しようがない、言ってみれば特殊技能の持ち主だった。

アンチェロッティはそのジダンを中心に据えたチームを作るため、1年目は4-3-1-2、2年目は3-4-1-2という、トップ下を置いたシステムを採用する。彼の率いたユヴェントスは、中盤のアグレッシブなプレッシングで奪ったボールをできるだけ手数をかけずジダンに預け、後はジダンと2トップの3人に攻撃を委ねるという、攻守分業の見本のようなスタイルを持っていた。

しかし、選手の特性に応じてチームを構築すべき、という思想を最もよく表わしているのは、やはり00年代半ばにCLを二度制覇する黄金時代を築いたミランである。

就任2年目、プレシーズンキャンプからチームを率いる実質1年目だった02-03シーズン、アドリアーノ・ガッリアーニ副会長から与えられたチームには、マヌエル・ルイ・コスタ、リバウド、クラレンス・セードルフ、アンドレア・ピルロと、4人もの「10番」が顔を揃えていた。

この4人の同時起用を模索した結果、アンチェロッティがたどり着いたのが、トップ下としてはスピードと突破力に欠けるが、抜群の視野と左右両足のパスワーク、そして天性のサッカーセンスを備えたピルロを、中盤の底からゲームを組み立てる「レジスタ」にコンバートするという解決策だった。セードルフはインサイドハーフ、残る2人をトップ下に並べた4-3-2-1システムは、「アルベロ・ディ・ナターレ」(クリスマスツリー)と呼ばれて「アンチェロッティのミラン」のトレードマークになる。

画期的だったのは、システムだけでなくサッカーのコンセプトとスタイルそのものにも大きな変化がもたらされたことだった。チームの「臍」に据えたピルロを核としてショートパスをつないで後方から攻撃を組み立てるテクニカルなポゼッションサッカーは、フィジカルを重視したプレッシング&ショートカウンターのアグレッシブなスタイル一辺倒だった当時のイタリアにおいては、革命的と言っていいインパクトを持っていた。しかもそのスタイルを貫いて、1年目にチャンピオンズリーグまで制覇してしまったのだ。

続く03-04シーズンにカカという新たなタレントが加わると、アンチェロッティはシステムを4-3-2-1から4-3-1-2に切り替える。これは、トップ下にカカが自由にプレーできるスペースをより大きく取ることが狙いだった。こうして、選手に応じてチームに微調整を加えながら、「アンチェロッティのミラン」は06-07シーズンに二度目のCL制覇を果たすまで5シーズンに渡って主役としてCLを戦い、ヨーロッパ最強の地位をほしいままにすることになる。

その間もアンチェロッティは、チームのフィジカルコンディションが落ち、陣形が間延びしがちになってボール奪取位置が低くなった時には、中盤を1ラインにした4-4-1-1にシステムを変更してバランスを取るなど、ひとつのシステムにこだわることなくチーム状況に応じて適切な修正を加えつつ、安定した結果を残し続けた。

選手起用は、レギュラーの顔ぶれをある程度固定してチームを構築し、必要以上のターンオーバーは行わずに15-16人のレギュラー、凖レギュラーを回しながらシーズンを戦うタイプ。ミランでは指揮を執った8シーズンのほとんどを通して、GKジダ、CBネスタ、マルディーニ、MFガットゥーゾ、ピルロ、セードルフ、FWカカ、インザーギという顔ぶれが不動のレギュラーだった。

レギュラーを固定して戦うということは、チームの中に出場機会が少ない選手を抱え込むことを意味する。トップレベルの選手を数多く抱えるメガクラブにターンオーバーを積極的に行う監督が少なくないのは、こうした選手が不満分子となってチームの結束を乱さないための「ガス抜き」の意味合いがあるからだ。しかし、こうしたやり方を採らないにもかかわらず、パルマからユーヴェ、ミラン、チェルシーまで、アンチェロッティの率いるチームは常に結束を保っており、内紛やトラブルが表面化したケースは皆無と言っていい。

その秘訣について彼はこう語っている。

「毎日、ひとつのグループとして長い時間を共に過ごしているチームの中では、たとえ1人、2人であっても、個人の不満や反発心は、周囲の選手たちにも容易に“伝染”するものだ。それがチームの結束や集団としてのモティベーションに与えるマイナスの影響は、想像するよりもずっと大きなものだ。

監督がこの状況に対する上で大切なのは、チームの中には不満を抱えている選手もいて当然、という前提に立つことだ。試合に出ている選手よりもむしろ、出ていない選手により注意を払い、ケアし、対話することを心がける必要がある。

その点で特に重要なのは、毎日の練習の内容だ。出場機会の少ない選手たちにも、チームの一員としての参加意識を持たせ、試合に出ている選手と同様の高いモティベーションを与え続けることは、毎日の練習において最も優先順位の高い項目のひとつだ」

もうひとつのポイントは、アンチェロッティが選手やスタッフとの対話をきわめて重視する監督であるという点にある。自分の考えや構想を一方的に押し付けるのは彼のやり方ではない。チーム全体とも、ひとりひとりの選手とも労を惜しまず対話を繰り返し、お互いに納得した上で同じ考えを共有できるところまで突き詰めていく。こうしたきめ細かいチームマネジメントの手腕が、監督として結果を出す上で重要な鍵となっているのは疑いのないところだ。

こうした真摯な姿勢は、チームの内部だけでなく外部、すなわちマスコミへの対応についても変わらない。挑発したり駆け引きをしたりすることは一切せず、常に自然体でマスコミに向き合い、冷静さを失うことなく穏やかに、しかし率直に自分の考えを語る。はったりのないフランクでオープンな振る舞いは、マスコミに敵を作らずむしろその大部分を味方につけるだけの魅力を持っている。

イングランドでは英語で、フランスではフランス語できちんと対応するのも、ファンやマスコミに対するリスペクトの表れだ。フランス語はイタリア語と同じラテン言語で文法的にも近いため、彼にとってはそれほど難しくはないはず。むしろ英語を習得する方が大変だっただろう。

PSGでの1年目は納得が行くとはいえない結果に終わった。しかしすでに見た通り、アンチェロッティが本領を発揮するのは、途中就任した翌年からだ。その意味では今シーズンこそが、彼とPSGにとって勝負の年と言える。

そのメインの舞台は、国内リーグよりもむしろCLだろう。1億ユーロ近い投資によってティアーゴ・シルヴァ、イブラヒモヴィッチ、ラヴェッシという3人のワールドクラスを加えた今シーズン、リーグ1制覇はもはや義務であり、その上でCLで少なくともベスト8に勝ち上がり、優勝を狙うメガクラブと互角に張り合うことが要求される。

チーム掌握の手腕に不安を抱く理由はないため、鍵になるのはやはり戦術的なレベルでチームをどう機能させるか。イブラヒモヴィッチ、ラヴェッシ、メネーズ、パストーレという4人のアタッカーを前線で共存させるのは簡単なことではない。おそらく昨シーズン終盤に固まった4-3-2-1システムの中で、4人のうち3人を前線に起用しながら回していくことになるだろう。

昨シーズン、前線の構成で試行錯誤を続けたことが取りこぼしにつながり、それが原因で優勝を逃したことを考えると、まずは基本となるレギュラーの顔ぶれと攻守のメカニズムを早い時期に確立することが大きなポイントになるのではないか。□

(2012年8月18日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。