昨シーズンまでフィオレンティーナを率いていたヴィンチェンツォ・モンテッラが、選手時代にもプレーしたサンプドリアの監督に途中就任しました。最初の2試合は連敗と多難なスタートではありますが、監督としては今のイタリアで最も興味深い存在のひとりゆえ、今後の仕事ぶりを注目したいところ。これはフィオレンティーナの監督に就任した直後、2012年7月に書いたテキストです。ここからの3年間、これまでのセリエAではほとんど見たことがないようなポゼッション志向のスタイルをチームに浸透させて、3年連続4位という結果を残すことになります。

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現役時代は、抜きん出たセンスとテクニックを武器にゴールを量産する生粋の点取り屋だった。セリエA通算13シーズンで141得点。クリスティアン・ヴィエーリ、フィリッポ・インザーギらと並んで、90年代末から00年代前半のイタリアを代表するストライカーのひとりである。ニックネームは「アエロプラニーノ」(軽飛行機)。両腕を水平に広げた飛行機のポーズでピッチを走り回るゴールパフォーマンスから名付けられた。

頭脳派というよりは感覚派、戦術的な動きよりも狡猾な駆け引きを得意とし、チームのためよりも自分のためにプレーするタイプで、引退後監督を目指すとはとうてい思えないような選手だった。

事実、10-11シーズン半ば、ローマが育成部門のコーチだった彼をトップチームの監督に抜擢した時には、誰もが驚きを隠せなかったものだ。ところが、ふたを空けてみれば、現役時代のイメージとはまったく異なる堂に入った指揮官ぶりを見せ、キャリアの階段を一足飛びに駆け上がっている。

残り3ヶ月で途中就任したローマでは、崩壊しかけたチームを建て直して6位でシーズンを終えた。カターニアを率いた昨シーズンは、緻密かつ柔軟な戦術を駆使しシーズンを通して10位前後をキープ、チームを余裕の残留に導き、プロヴィンチャーレの監督としては屈指の評価を集めた。そして今シーズンは、新たなサイクルの立ち上げに手間取り低迷が続く名門フィオレンティーナの再建に取り組もうとしている。

08-09シーズンを最後に現役を退いたモンテッラは、キャリアの大半を過ごしたローマで育成コーチとして第2のキャリアをスタートした。ジョヴァニッシミ(U-15)を率いて、1年目(09-10)は14連勝(最終成績は3位)、2年目(10-11)は21連勝という記録を作り、監督としても只者ではない手腕の持ち主であることを示す。

ちなみに当時ローマの育成部門では、ひとつ上のカテゴリーであるアッリエーヴィ(U-17)をアンドレア・ストラマッチョーニ(現インテル監督)が、育成年代のトップカテゴリーであるプリマヴェーラ(U-19)をダニエレ・デ・ロッシの父がそれぞれ率いていた。

トップチームの監督に途中就任したのは、10-11シーズンも半ばを過ぎた2月のこと。クラウディオ・ラニエーリ監督が一部の選手と対立してチームを掌握できなくなり、インテル、ナポリ、ジェノアに3連敗を喫して順位が8位まで急降下。経営責任者だったロゼッラ・センシ会長、スポーツディレクターのダニエレ・プラデ(現フィオレンティーナSD)は、下部組織で目を見張る実績を挙げていたモンテッラの抜擢を決断する。

当時のローマは、前オーナーのセンシ家が財政難に陥ってクラブの売却を余儀なくされたため、実質的な経営権は債権者であるウニクレーディト銀行の手中にあり、しかもアメリカ人新オーナーの下で翌シーズンの体制がどうなるのかがまったく見えない状況で、クラブ、チーム共に内部は大きな混乱状態にあった。

そんな中でモンテッラは、ラニエーリとの関係がぎくしゃくしたことでチームにネガティブな影響をもたらしていたかつてのチームメイト、フランチェスコ・トッティを中核に据えてチームを建て直すことに成功する。

その手法はきわめて巧妙なものだった。表向きは「トッティだからと言って特別扱いはしない」と明言しながら、ラニエーリが採用してトッティに不満をもたらしていた4-3-1-2システムを棚上げし、本人が最もやりやすい4-2-3-1の1トップに据えることで前向きなリーダーシップを発揮させ、チームを再び結束させたのだ。

どちらかと言えば一匹狼タイプで、チーム内で積極的にリーダーシップを執ることもなく、監督との関係もむしろトラブルの方が多かった選手時代からすればきわめて意外なことだが、非常にデリケートなグループ内部の力学を的確なインプットでバランスさせたそのやり方は、モンテッラがチームマネジメントにおいて卓越した手腕を持っていることを示すに十分なものだった。

このシーズンは、最後の13試合を指揮して7勝3分3敗。チームは6位でシーズンを終え、ELプレーオフへの出場権を確保した。

翌10-11シーズン、ローマはアメリカ人投資家グループをオーナーに迎えて新たなスタートを切る。フランコ・バルディーニGDとワルテル・サバティーニSDは、モンテッラを続投させるよりも、まったく新しいコンセプトを掲げた新監督を招聘して、変革色を打ち出す方を選んだ。指揮官に迎えられたのはスペイン人のルイス・エンリケ。

モンテッラは、育成部門に戻って少年たちを指導するよりも、監督として一本立ちすることを選び、カターニアのロ・モナコGDからの2年契約オファーを受け入れてシチリア島に渡り、新たなキャリアを本格的にスタートさせることになった。

前年、前半はマルコ・ジャンパオロ、後半はディエゴ・シメオネの下で戦ったカターニアは、ロ・モナコが発掘してきた無名のアルゼンチン人選手が主力の大半を占めるという、ある意味ではユニークなチームだった。

モンテッラは当初、前年途中に加入して17試合で10ゴールを上げ、残留の立役者となったマキシ・ロペスをCFに据えた4-3-3システムで開幕に臨んだ。しかし、マキシがコンディション、モティベーションともに不十分で、チームが機能しないことを覚ると、わずか1ヶ月で見切りをつけ、前線にベルゲッシオ、アレハンドロ・ゴメスというダイナミックなFW2人を置き、グラウンダーのパスをつないで後方からビルドアップする3-5-2システムを導入するという柔軟な対応でシーズンを軌道に乗せる。

本来はトップ下だった左利きのテクニシャン、フランチェスコ・ローディを中盤の底に下げてレジスタにコンバートし、積極的にボールを支配し主導権を握って戦うスタイルで、特にチームの完成度が高まった後半戦はラツィオ、フィオレンティーナを下し、インテル、ミラン、ナポリと引き分けるなど、格上とも互角の戦いを見せた。

シーズン終了まで2ヶ月を残して早々と残留を決めた後、終盤戦はチームがモティベーションを落として最終順位を下げたものの、監督として一本立ちして実質初めてのシーズンだったことを考えれば、カターニアでの1年には全面的にポジティブな評価を下すことが可能だろう。3-5-2、4-3-3という異なるシステムを使い分けるだけでなく、相手によってゲームプランや戦い方をがらっと変えるなど、戦術的な観点から見ても緻密かつ柔軟な手腕の持ち主であることを示し、評価を一気に高めるシーズンとなった。

事実、すでにシーズン中から、ルイス・エンリケがシーズン限りで退任を表明していたローマとの間で、水面下の話し合いが始まっていた。モンテッラ自身は表向き「カターニアとはもう1年契約が残っている。自分をここまで成長させてくれたクラブには恩があるし、続投するのが筋だと思っている」と優等生のコメントを出していたが、自分にとってある意味で「ホーム」であり、クラブとしても格上であるローマに戻りたいと考えていることは明らかだった。

しかしカターニアのプルヴィレンティ会長は、2年契約の解除に強い難色を示し、交渉は暗礁に乗り上げてしまう。一度はモンテッラを本命と考えたローマも、この状況に痺れを切らせて方向転換、ズデネク・ゼーマンとの交渉をまとめ上げる。カターニアとの関係もこじれて、完全にハシゴを外された状況に陥ったモンテッラに手を差し伸べたのは、09-10までローマのSDを務め、この5月末からフィオレンティーナのSDに就任したプラデだった。ローマでモンテッラをユースからトップチーム監督に抜擢したその人である。

この時点ですでに、カターニア監督として続投する可能性が消えていたこともあり、フィオレンティーナの申し出に対してプルヴィレンティは今度は首を縦に振り、契約解除に応じることになる。こうして6月11日、フィレンツェで監督就任が発表された。

まだ38歳とセリエA最年少指揮官だが、監督キャリアをスタートしてわずか3シーズン目にして、早くもセリエA中堅クラブという重要な舞台にたどり着いたのは、名前ではなく実力によって。

フィオレンティーナは、09-10を最後にチェーザレ・プランデッリが去ってひとつのサイクルにピリオドを打って以来、ミハイロヴィッチによる新たなサイクルの立ち上げに失敗し、一時的な低迷期を迎えている。オーナーのデッラ・ヴァッレ兄弟が、以前ほど積極的にチームに投資しなくなった事情もあり、サポーターとの関係も冷えているなど、仕事の環境は決して簡単なものではない。そこで新監督はどんな手腕を見せるのか。モンテッラにとってもフィオレンティーナにとっても、きわめて重要なシーズンが始まろうとしている。□

(2012年7月24日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。