用語集もそろそろネタ切れです。今回は、イタリアのサッカー用語を日本語に移し替える時のもろもろについて、『footballista』の連載コラムに書いたテキストを。用語の細かさはそのまま、どれだけ細かいディテールを認識しているかにつながっているものであり、それがサッカー文化の豊かさ、深さともつながっているという話です。

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サッカーの試合やその中で行われているプレーについて、イタリアの監督やエキスパートに分析を依頼し、それを日本語の原稿にするという作業を仕事の一部にしてから10数年になる。

そもそものきっかけは、通訳としての仕事でセリエC1(3部リーグ)のチームを指揮する監督に直接話を聞く機会を持った時に、その説明の緻密さと明快さに驚かされたことだった。

当時(90年代末)、日本のサッカージャーナリズムはもちろん、イタリアのスポーツ新聞でも、そこまで細かく、また豊かな言葉でピッチ上で展開されているゲームや個々の選手のプレーを描写し、分析し、表現しているものを、見たり読んだりしたことはほとんどなかった。

これは単に筆者の見聞が不足していたためだった可能性も大いにあるが、いずれにしても送り手、受け手の双方ともに、サッカーの戦術についての情報、知識、理解のレベルが、現在よりもずっと低かったことは確かだ。これを日本に紹介したいという気持ちが湧いてきたのは、ごく自然なことだった。

その3部リーグの監督(今はイタリア代表の育成年代責任者)と一緒にデータを使ったゲーム分析の連載企画を始めた当時も今も、しばしば直面するのは「用語」の問題である。よくあるのは、イタリアのサッカー用語にそのまま対応する日本語のそれが存在しないというケース。直訳してもうまくニュアンスが伝わらない場合が多いので、どのように日本語に置き換えようかと頭を悩ますことになる。

例えば、イタリア語で「深さ」を表す「プロフォンディタprofondità」という言葉。

攻撃でゴールにつながる危険な状況を作り出すためには、自陣や中盤、つまりピッチの「浅いところ」でボールを(横に)回すだけでなく、敵陣のより「深いところ」にボールを(縦に)運ぶ必要がある。そのための試みを「攻撃にプロフォンディタを作る」とか「攻撃にプロフォンディタがある」と表現するわけだ。

日本語でこれを「攻撃に深さを作る」とか「攻撃に深みがある」と直訳してしまうと何だかわけがわからなくなるので、「攻撃に縦の奥行きを作る」「攻撃に奥行きがある」という表現を訳語として充てるようにしている。

では「プロフォンディタ」は何でも「奥行き」と訳せばいいかというと、話はそう簡単ではない。この言葉は例えば「~に走り込む」とか「~をアタックする」という形でも使われるからだ。

この場合「プロフォンディタ」が指しているのは、ピッチの一番深いところ、つまり敵最終ライン裏のスペースのこと。「奥行きに走り込む」「深みをアタックする」と言っても何のことかわからないので、この場合は「裏のスペース」と意訳することになる。文脈によっては「裏」というひと言で済ませることも可能だ。

これはイタリア語の表現を日本語でどう置き換えるかという問題の一例だが、用語に関するもうひとつの問題は、日本語ではひとつの言葉で済んでいるプレーや動きがイタリア語ではもっと細かいところまで細分化され、複数の言葉で定義されている(それに対応する言葉は日本語にはない)というケース。ボキャブラリーの細かさや深さが違うのだ。

その一例として挙げられるのが「ボール奪取」だ。筆者の知る限り、日本のサッカー用語では、相手からボールを奪うプレーはすべてこのひと言に集約されていて、それ以上には細分化されていないようだ。イタリア語にもこれにぴったり対応する「レクーペロ・パッラrecupero palla」(直訳すればボール回復)という言葉はあるが、そこにはさらに細分化された「内訳」も存在している。

ボール奪取の「内訳」は3つ。まずは、パスを受けてボールを持った相手、ドリブルで仕掛けてくる相手に正面から対峙してボールを奪うプレーで、これは「コントラストcontrasto」(直訳すると対立、ぶつかり合い)と呼ばれる。

一方、パスコースを先読みして相手がパスを受ける前に横からそれをカットするのは「インテルチェッタメントintercettamento」(英語のインターセプト)。こちらはフィジカルコンタクトが伴わないプレーだ。

さらにもうひとつ、パスの受け手を背後からマークし、その足下に入って来る縦パスを身体を前に入れて(あるいは足を出して)奪うプレーは「アンティチポanticipo」と呼ばれる。典型的なのはゴールに背を向けたFWをマークするDFが鋭い出足で縦パスをかっさらうような場面。ファビオ・カンナヴァーロはこの「アンティチポ」にかけてはナンバーワンだった。

イタリア語の「アンティチポ」に対応する英語「アンティシペーション」は、サッカー用語としては「予測」という抽象的な意味で使われている。面白いのは、イタリア語には逆に予測という意味での「アンティシペーション」に対応する単語がないこと。「状況を読む」「周りより先にわかる」といった言い方が使われている。

ひとことでボール奪取と言っても、ボールホルダーに1対1で対峙して奪う、敵をマークせずパスコースを読んでスペースでカットする、パスを受けようとする敵を背後からマークして直前に奪うという3つは、それぞれまったく異なったプレーである。

例えば、ガットゥーゾ(ミラン)は「コントラスト」の名手だが「インテルチェッタメント」は得意ではない。それは常にボールホルダーを狙って1対1(あるいは2対1)でのボール奪取を仕掛けるからだ。逆にピルロ(ユヴェントス)は、「コントラスト」はからっきしだが「インテルチェッタメント」によるボール奪取の回数が思ったよりもずっと多い。フィジカルコンタクトを避けてボールを奪おうと、最初からそういうポジショニングを取っているためだ。

どちらも「ボール奪取」が上手いことに変わりはないのだが、その手段はまったく異なっている。そのあたりを端的に表現する用語は、日本語にはない。「アンティチポ」にしてもそれは同様だ。うまくひとことで言い表せる言葉があれば、ぜひ教えていただきたい。

もうひとつ、日本語と比較してボキャブラリーが細分化されているのは「オフ・ザ・ボールの動き」に関する言葉。日本語では、ボールを持っていない選手の動きについては「走り込み」「動き出し」「引き出し」「飛び出し」といった言い方が使われることが多いが、イタリアには動きの種類や質に応じていくつもの言い方がある。

マークを外してフリーになりパスを受ける動き全般は「スマルカメントsmarcamento」(直訳するとマーク外し)、スペースに入り込む、あるいはペナルティエリアに走り込む縦の動き全般は「インセリメントinserimento」(英語にするとインサート。日本語の「走り込み」に近い)。

その中でも、斜めに走り込む動きは「タリオtaglio」(英語にするとカット、つまり「切る」こと)と呼ばれ、それがまた、最終ラインの手前か裏か、裏の場合はDFの前を横切るか背後から行くか、ゴールに向かうのかゴールから離れるのかによって、いちいち異なる形容詞がついてくる。

日本では「あの選手は動き出しが早い」という言い方をしても、その「動き出し」の種類や質を掘り下げるためのボキャブラリーが不足している感があるが、イタリア語では「DFの背後を取って裏に飛び出す動き」「DFの前を横切って裏に飛び出す動き」「一旦手前に引くと見せかけて反転し裏に飛び出す動き」「裏に飛び出すと見せて2ライン間に引いてパスを引き出す動き」などが、「タリオ」という言葉に形容詞をひとつつけるだけで済んでしまう。

このあたりは、戦術的なディテールの細かさがそのままボキャブラリーの豊かさに表れているという感じがする。

その流れで言えば、サッカーに関するボキャブラリーの豊かさは、サッカー文化の豊かさと密接に結びついていると思う。日本においても、代表がこの10年間でこれだけ強くなったのは、戦術に関するボキャブラリーと言論が10年前とは比較にならないほど豊かになったことと、決して無関係ではないと思う。■

(2011年11月19日/初出:『footballista』連載コラム「カルチョおもてうら」)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。