用語集その7は、戦術用語を離れてもう少し一般的な言葉。マンチーノというのは左利きのことです。複数形はマンチーニ。でもロベルト・マンチーニさんは右利きなんですね。

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イタリア語では、左利きのことを「マンチーノ」と呼ぶ。

左利きと言えば、右脳が発達した天才肌というイメージが強い。サッカーでもそれは同じだろう。レフティと聞いて最初に頭に浮かぶのは、やはりディエゴ・アルマンド・マラドーナの姿だ。

たった1人で、それも左足1本で、当時世界のサッカー界に革命を巻き起こしていた「サッキのミラン」をねじ伏せ、ナポリにスクデットをもたらした89-90シーズンの偉業は、今も人々の記憶に焼き付いている。

このマラドーナをはじめ左利きのプレーヤーに特徴的な、直感的で創造性に満ちたプレーは、イタリアでよく使われる「ファンタジスタ」という言葉とぴったり重なるものだ。

ところが不思議なことに、イタリアサッカーの歴史に燦然と名を残すファンタジスタたちの中に、マンチーノ、すなわち左利きのプレーヤーは皆無と言っていい。

1960年代にイタリア人として初めてバロンドールを勝ち取ったミランのスーパースター、ジャンニ・リヴェラと、その宿命のライバルだったインテルのサンドロ・マッツォーラに始まり、94年のワールドカップでイタリアを決勝に導きながらそのファイナルで悲劇のヒーローとなったロベルト・バッジョ、代表では不遇だったがチェルシーで「マジックボックス」と呼ばれファンから愛されたジャンフランコ・ゾーラ、今なお現役としてプレーするアレッサンドロ・デル・ピエーロやフランチェスコ・トッティ、そして先のEURO2012で背番号10を背負ったアントニオ・カッサーノまで、イタリアが世界に誇るファンタジスタは、ひとりの例外もなく右利きである。

バッジョ、ゾーラと並んで90年代のイタリアを代表するファンタジスタで、卓越したサッカーセンスと芸術的なボールスキルでゴール以上にアシストを量産した異才ロベルト・マンチーニ(現マンチェスター・シティ監督)にいたっては、苗字が「左利き」(複数形)であるにもかかわらず利き足は右だった。

実を言えば、ファンタジスタに限らず、イタリアには左利きのトッププレーヤーが少ない。左利きのためのポジションとも言える左サイドバックにしても、歴代の名選手3人のうち、左利き82年ワールドカップの優勝メンバーであるアントニオ・カブリーニのみ。60年代のグランデ・インテルとイタリア代表を支えたジャチント・ファッケッティ、90年代から00年代にかけて世界最高のDFだったパオロ・マルディーニのふたりは右利きだ。

長年にわたって“世界最高の左サイドバック”の称号をほしいままにしたマルディーニは、左SBでプレーしている時には、左肩をやや下げて身体を半身に開いたピッチでの立ち姿から左足でドリブルするボール捌きまで、まるで生まれつきのマンチーノのように見えたものだ。しかし彼は純粋な右利きであり、“左”にかかわるすべては、努力と鍛練によって身につけた賜物だった。

このマルディーニやファッケティもそうだが、マンチーニやゾーラ、トッティといった才能豊かなプレーヤーは、右利きというよりも実質的には左右両足を自在に使いこなす両利きである。どういう脳と神経の絡み合い方でそうなるのかは知らないが、サッカーに話を限れば左右両利きのプレーヤーは、ほぼ間違いなく元々は右利きだ。

逆に言うと、左利きの選手の大部分は、マラドーナと同じように左足1本しか使いこなせない。だから、右利きの左サイドバックはよく見かけるが左利きの右サイドバックというのはほとんどいない。

ちなみに、イタリア語で右利きは「デストロ」。普通に「右」という方向を指す時に使う名詞と同じだ。「左」を指す名詞は「シニストロ」なのだが、「左利き」はなぜか「シニストロ」とは言わずわざわざ「マンチーノ」と言う。これは、社会の中で左利きが普通とは異なる特殊な存在だと見られてきたことの表れだろう。日本の「ぎっちょ」と似たようなニュアンスかもしれない。

両利きのことを「デストロ」に「アンビ」という「両方」を表わす接頭辞をつけて「アンビデストロ」(直訳すると「両方とも右」)と呼ぶのも、右利きが普通という感覚の表れだろう。

実際、イタリア語の「シニストロ」という名詞は、「左」のほかに「不幸」「災難」といった意味を持っており、形容詞としても「不吉な」「縁起の悪い」という意味で使われる。

右と左を「聖と俗」「浄と不浄」といった二更対立で捉えるシンボリズムは世界のどんな文化にも存在するが、イタリアもまた例外ではない。ただし、これがイタリアのトッププレーヤーに「マンチーノ」が少ないという事実とどう関連しているのかと聞かれても、残念ながら筆者に答える術はない。

イタリア歴代の名選手の中で数少ない左利きを挙げるならば、1970年のワールドカップで準優勝したアッズーリのエースで、「雷鳴」というニックネームで知られたパワフルなストライカーのルイジ・リーヴァ、82年ワールドカップ優勝の立役者の1人で、左利きながら右ウイングとして違いを作り出したブルーノ・コンティ、そして90年代末から00年代初頭にイタリアのエースストライカーだったクリスティアン・ヴィエーリがトップ3ということになるだろう。□

(2012年8月23日/初出:『SOCCER KOZO』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。