かつて鹿島アントラーズでプレーし、ミラン、インテルの監督、PSGのスポーツディレクターを務めたレオナルドが、来週日本に来て東京と鹿島でトークショーを開くとのこと。彼にはかつて2度ほどインタビューしてけっこう深い話をしたこともあって、いろいろな思い入れがあります。せっかくの機会なので、来日を祝福して今まで彼について書いたテキスト5本を順次上げていこうかと思います。まずは、2009年にミランの監督に就任した時に書いたものから。

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足かけ8シーズン続いた“アンチェロッティ政権”が終わりを告げ、四半世紀に渡ってチームのシンボルだったマルディーニが引退、そしてエースのカカも巨額の移籍金と引き換えにレアル・マドリーに去った。

ミランがいま大きな転換期を迎えていることは、誰の目にも明らかだ。ひとつの“サイクル”が終わった、というような生易しい話ではない。ひとつの“時代”が終わった、と言った方がずっと的確だ。

シルヴィオ・ベルルスコーニが、破産寸前だったACミランの経営権を買い取ったのは、今から23年あまり前、1986年2月のことだ。

全国ネット6チャンネルのうち民間に割当てられた3チャンネルを独占する民放ネットワークを築き上げ、実業界の風雲児となっていたベルルスコーニは、巨額の資金を投下してわずか数年でミランを世界の頂点に押し上げると、1994年、その人気をテコに「フォルツァ・イタリア」という冗談みたいな名前の政党を旗揚げし、一気にイタリア共和国首相の座にまで登り詰める。それから10数年間、ミランの人気と成功は、政治家ベルルスコーニのイメージを支えるシンボルとして、きわめて重要な役割を担ってきた。

しかし、そのベルルスコーニも72歳を迎え、政治家としてのキャリアは終幕に近づいてきた。数年前に心臓バイパス手術を受けたというのに、10代の少女に入れ込んで再婚相手である現夫人から離婚を迫られたり、サルデーニャの別荘に政治家志望のアイドルタレントから高級娼婦までたくさんの女性を集めてパーティを開きスキャンダルになったりと、あちらの方では相変わらずお盛んだが、数年後に行われる次期総選挙に中道右派の首相候補として立つ可能性はきわめて低い。それはつまり、“政治家ベルルスコーニのイメージシンボル”としてのミランは、その役割を終えつつあるということでもある。

ベルルスコーニが実業家として築き上げた、マスコミから金融・保険にまで及ぶ一大帝国「フィニンヴェスト・グループ」も、経営の実権はすでに娘のマリーナ、息子のピエルシルヴィオ(いずれも80年代に離婚した前夫人との間に生まれた子供)の手に委ねられている。ミランも、ベルルスコーニ個人の所有物ではなく、このフィニンヴェスト・グループ傘下のいち子会社という位置づけだ。

ACミラン株式会社の売上高はここ数年、2億ユーロ強で伸び悩んでいる。だがその戦力をトップレベルに維持していくためには3億ユーロ規模の支出(その大半は人件費)が必要だ。かくして、多い時には1億ユーロを超える赤字を垂れ流すことになる。

その赤字は、親会社であるグループの持ち株会社「フィニンヴェスト」が資本金を積み増しするという形で、毎年穴埋めされてきた。この赤字補填は、政治家ベルルスコーニにとっては、そのイメージを保つために不可欠な“必要経費”だった。しかし、マリーナとピエルシルヴィオという2人の子供にとって、ミランはいまや単なる“父の道楽”でしかない。フィニンヴェストが毎年支出を余儀なくされる巨額の赤字補填を、彼らが快く思っていないことも、以前から周知の事実だった。要するに、彼らにはミランを父から引き継ぐ気などさらさらないということだ。

ACミラン株式会社は、2008年12月決算で6800万ユーロの赤字を計上した。しかし、フィニンヴェストはその赤字を穴埋めする増資を行わなかった。ミランが「カネのために選手を売ることは決してしない」という禁をついに破って、カカというチームのシンボルをレアル・マドリーに売却したのも、引き換えに受け取った移籍金が6800万ユーロだったことも、だからまったく偶然ではない。ついに「その時」がやって来たのだ。

フィニンヴェストが赤字補填を止めた以上、ミランは今後ガッリアーニ副会長の下、独立採算によって経営を成り立たせていく以外にはない。しかし、支出の大半を人件費(ベテラン選手の高額年俸)が占めるという構造的な赤字体質は、一朝一夕に改善できるものではない。となれば今後も、主力選手の売却によって収支の帳尻を合わせないわけにはいかないはずだ。噂に上るピルロやパトの売却も、決して根拠のない話ではない。ましてや、高額の移籍金や年俸を必要とするワールドクラスを新たに補強することなど不可能である。

この大きな転換の先に何が待っているのか、それを予想するのは難しいことではない。政治家ベルルスコーニにとって必要がなくなり、子供たちにそれを引き継ぐ気がないとすれば、ベルルスコーニ家(=フィニンヴェスト)がミランを所有し続ける必然性はない。事実、「ベルルスコーニはこの2年以内にミランを手放す」という憶測は、数カ月前からミラノの記者たちの間で公然と囁かれている。にもかかわらず、イタリアのマスコミが半ば意図的にそこから目を背け、ベルルスコーニの時代が今後も続くかのように振る舞っているという事実は、むしろ噂の信憑性を補強する材料になっている。

売却先は、一時噂に上ったアブダビのオイルマネーではなく(さすがにベルルスコーニも外国資本への売却は望んでいないようだ)、レイバン、ペルソル、オークリーといったメジャーブランドを持ち、プラダ、シャネル、D&Gなどのライセンス生産も一手に引き受ける世界最大のアイウェアメーカー「ルクソッティカ」(グループ年間売上高は約52億ユーロ)を率いる実業家レオナルド・デル・ヴェッキオだというのが専らの噂だ。
 
いずれにせよ、これから数年間のミランは「ベルルスコーニ後」を見据えたひとつの過渡期を迎えることになるだろう。待っているのは、緊縮財政とそれに伴う戦力ダウンという縮小均衡戦略を通じて、クラブ売却の環境を整えるというきわめて困難な仕事である。チームを率いる監督の座にも、ミランが置かれた状況とその戦略を理解し、ガッリアーニ副会長と緊密な関係を持ちながらチームを率いていくタイプ、いわば“トレーナー”ではなく“マネジャー”が必要になってくる。

しかもそれが、マスコミ/サポーター受けするクリーンなイメージを持った、若くハンサムで知性的でスタイリッシュな人物、これまでのミランのイメージを一新して新たな顔になり得るような人物であるならば、まったく申し分がない。ライバルのインテルを率いる知性派ながら傲岸不遜なジョゼ・モウリーニョに対抗し、それとはまったく違うミランの知的かつ清新なイメージを担う監督として、レオナルドほどの適役がいるだろうか。

監督候補として挙げられたレオナルド以外の名前、すなわちファン・バステン、ライカールト、タソッティ、スパレッティといった人々は、優秀な“トレーナー”であり得ても、有能な“マネジャー”にはなり得ない。ベルルスコーニの時代がこれまでと同じように継続していくならば、ミランの監督に就いても不思議はないが、今はそういう時期ではないのだ。

しかし、監督という立場と仕事に求められる資質は、有能な経営幹部に求められるそれとも、理想的なイメージシンボルに求められるそれとも異なるものだ。25人のトップアスリートからなるグループを率いてピッチ上で戦い、勝利を勝ち取るリーダーとしての手腕が果たしてレオナルドに備わっているのか、それは現時点ではまったくの未知数と言うしかない。

レオナルドがこれまでミランで携わってきた仕事は、ガッリアーニの片腕としてクラブの活動のすべての領域に首を突っ込み、的確な助言や調整を行って副会長をサポートするというものだった(以前インタビューした時に本人がそう言っていた)。言ってみれば、意思決定以外の全てのプロセスに携わってきたということだ。だが監督の仕事はまさにその正反対。あらゆる要素を勘案して決断を下すことにすべてが集約される。

どちらの仕事がレオナルドに向いているように見えるか、個人的な印象だけで言うならば、それは明らかに前者である。今は、その印象が間違いであることを祈るだけだ。□

(2009年7月18日/初出:『footballista』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。