チーム強化に関する総責任者であるスポーツディレクターと、チームの現場を預かる総責任者である監督は、必ずしも利害が一致するとは限りません。イタリアにおけるそのあたりの事情を理解する上では、それぞれの仕事について書いた2本のテキストを読み比べるとよさそうなので、ここに並べてみることにします。

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監督 allenatore

イタリア語では、監督のことをアレナトーレallenatoreと呼ぶ。直訳すれば「鍛える人」。その元になっている動詞アレナーレallenareは、英語の動詞トレインtrain(鍛える、訓練する、トレーニングする)とまったく同じ意味。英語でいうところのトレーナーtrainerが、イタリア語のアレナトーレになるわけだ。

日本語でトレーナーというといわゆるフィジカルコーチを指すことが多いが、ドイツでは監督をトレーナーを呼ぶので、それと同じだと考えればいいだろう。

実際、イタリアのクラブにおいて監督に与えられている権限は、毎日のトレーニングを通じて技術・戦術を指導し、メンバーを決めて試合の采配を振るう、現場(トップチーム)の最高責任者としてのそれに限られている。イングランドの監督(こちらはマネジャーと呼ばれる)のように、チームの強化・編成権と運営予算までを握り、プロジェクトそのものを統括管理するマネジメント権限は持っていないのだ。

チームの強化・編成業務に関しては、通常スポーツディレクターと呼ばれる専門の責任者が置かれており、クラブの経営トップ(通常はオーナー自身)と緊密な関係を持ちながら、選手の獲得・放出、査定など強化にかかわるマネジメント業務に当たっている。

つまるところ、イタリアにおいては、選手を獲得してチームを編成するのはあくまでクラブサイドが担うべき仕事であり、監督はクラブが揃えたチームを預かり、鍛えて勝たせるのが仕事――と考えられているということだ。文字通り「トレーナー=鍛える人」なのである。

どんな監督にとっても、自分が望む選手を集め、自分が理想とするスタイルのサッカーをピッチ上で実現することはひとつの夢だろう。イングランドの「マネジャー」には、それを可能にするだけの権限がある。しかしイタリアにおいて、それはほとんど実現不可能な夢だと言っていい。チームの強化・編成権はクラブサイド、というかクラブを所有するオーナー自身がしっかり抱え込んで、手放そうとしないのが現実だからだ。

イタリアに限らずヨーロッパではよく、サッカークラブのオーナーになるのは男にとって最大の夢のひとつ、と言われる。その夢を現実にしたオーナー会長たちが一番やりたいのは、(サッカー好きなら誰でもそうであるように)監督であるに違いない。

しかし監督というきわめて専門性の高い仕事には、能力はもちろんそれ以前に資格も必要であり、いかにオーナーといえども自らがその座につくわけにはいかない。だがチームの強化、つまり選手の獲得と売却ならば資格はいらない。能力がいらないわけではないのだが、そこはスポーツディレクターにサポートしてもらえばいいことだ。

イタリアのオーナー会長の大半は、クラブは自分の持ち物であり、自分がカネを出しているのだから、どんなチームを作るかを自分が決めるのは当たり前のこと――と心から思っている。実際、チームの強化に口出しするのはもちろん、自らが獲得交渉に当たりすべてを決めないと気が済まないという会長も少なくない。

ロティート(ラツィオ)、デ・ラウレンティス(ナポリ)、ザンパリーニ(パレルモ)、チェッリーノ(カリアリ)、プレツィオージ(ジェノア)あたりはその典型である。ミランもオーナーのベルルスコーニから経営の全権を委ねられているガッリアーニ副会長が、強化のすべてを握っている。

もちろん、監督にまったく発言権がないというわけではない。しかしどんな戦力、どんなタイプの選手がほしいかという意見をクラブに伝えても、往々にしてその要請は無視されてしまうことが多い。経済的な事情もあるが、会長には会長のほしい選手がいるのだから、そちらの方が優先なのだ。

監督に求められているのは、そうしてでき上がったチームに形を与え、すぐにピッチ上で結果を出すことだけだと言ってもいい。それができなければ、ほんの数ヶ月でクビになってしまうというのが、「アレナトーレ」たちが直面している現実である。

実際、昨シーズンのセリエAでは、20チーム中半数の10チームが、計19回もの監督交代に踏み切っている。監督としてどんなに高い理想や革新的なアイディアを持っていようと、そしてピッチ上で「美しいサッカー」を展開していようと、目先の結果を出せなければそのポストに留まることはできない。

それゆえイタリアの監督たちは、自分の理想を曲げてでも、クラブから与えられたチームを短時間で形にして目先の結果を出すための「妥協」を強いられる。「勝つ」ことよりも「負けない」ことを優先する姿勢、リスクの少ない攻守分業・堅守速攻のスタイルが支配的になる理由もまたそこにある。

しかし、そんな環境の中でも、真に優秀な「アレナトーレ」たちは結果と内容を両立させて頭角を現し、キャリアの階段を上っていく。今や国外のトップクラブで指揮を執るアンチェロッティ、マンチーニ、スパレッティ。そして現在セリエAで違いを作り出しつつあるコンテ、マッザーリ、アッレーグリ、そしてモンテッラ――。イタリアが戦術大国であると同時に監督大国である理由も、またそこにある。

(2012年10月6日/初出:『SOCCER KOZO』)

スポーツディレクター direttore sportivo

スポーツディレクター(イタリア語ではディレットーレ・スポルティーヴォ)というのは、クラブの組織図上では監督よりも上位にあって、強化に関する全責任を担うポストだ。監督の選定から補強戦略策定、移籍交渉、査定など、チームの編成・強化に関する予算と権限を握っており、日本で言うところの強化部長にあたる。

監督がマネジャーmanagerと呼ばれてトップチームの指揮権だけでなく、強化・編成までも統括する総責任者としての立場にあるイングランドとは異なり、イタリアではヨーロッパ大陸部の他の国々と同様、チームの編成・強化に関する権限は監督ではなくクラブサイドにある。それを担う役職がこのスポーツディレクター(以下SDと略記)ということになる。

その仕事内容に関しては、日本も含めた他の国々のSD/強化部長のそれと特段違いがあるわけではない。トップチーム全体を統括する管理職として、監督の仕事を見守りその結果に対する最終的な責任を負うと同時に、次のシーズン以降に向けた補強戦略策定、監督・選手のスカウティング、契約・移籍交渉など、「チームレベルのマネジメント」業務すべてを行う、というのがそれだ。

キャリア的に見ると、最も一般的なパターンは、プロ選手が引退後、スカウトや育成部門のスタッフを経てこのポストに就くというもの。強化・編成の責任を担う以上、監督・選手の能力やチームとしての戦力を的確に評価・判断するプロフェッショナルとしての目を持っていることは大前提であり、プレーヤーとしての経験がそれにとってプラスになることは間違いない。

しかしこのポストには同時に、管理職としてのリーダーシップと組織運営能力、目先だけでなく将来まで見据えた強化戦略を構築できる構想力、契約・移籍における交渉力といった、プレーヤーとしての資質や経験とは別の手腕が要求されることも事実。それゆえ、プロ選手の経験を持たず、クラブのマネジメントスタッフとしてキャリアを積んでこのポストにたどり着いたSDもまた少なくない。

こうしたキャリアを持つSDが、強化にかかわるチームレベルのマネジメントだけでなく、運営からマーケティング、財務にいたる「クラブレベルのマネジメント」も同時に担うようになっていくケースもよく見られる。ただし、ここまで職掌が広がっている場合には、スポーツディレクターではなくゼネラルディレクター(イタリア語ではディレットーレ・ジェネラーレdirettore generale、以下GDと略記)と呼ばれることになる。

チームレベルとクラブレベルの両方を統括するGDがいるクラブでは、その下に強化・編成のサポート役としてのSDを置くというパターンが多い。セリエAのクラブは多くがこれに当てはまる。

その一例がユヴェントス。GDのジュゼッペ・マロッタは、セリエCの小さなクラブの育成部門スタッフからキャリアをスタートしてSDとなり、そこからいくつものクラブを渡り歩いてキャリアを築いてきた叩き上げ。オーナー家から送り込まれたアンドレア・アニエッリ会長の下で、クラブ経営の全権を委ねられている。その下にいるSDのファビオ・パラティチは、チームレベルのマネジメントにおける片腕という位置づけだ。ローマ、フィオレンティーナ、サンプドリアといったクラブも同じ形を取っている。

一方、セリエAの中には、チームレベルを統括するSDだけを置き、GDは置いていないクラブもある。大きなクラブの中ではミラン、インテル、ナポリ、ラツィオがそうだ。この4クラブに共通しているのは、クラブのトップ(ほとんどの場合オーナー会長)が経営に直接携わっており、その手がクラブレベルだけでなくチームレベルのマネジメントにまで及んでいるという点。

例えばミラン。オーナーのベルルスコーニからクラブ経営の全権を委ねられているガッリアーニ副会長が、監督選びから補強戦略、契約・獲得交渉まで、チームレベルのマネジメントすべてを自ら行っている。以前はその片腕として大きな役割を担っていたブライダSDも今は単なる名目上の存在でしかなく、その代わりにバロテッリやイブラヒモヴィッチの代理人であるミーノ・ライオラが、移籍市場での相談役になっている。

ロティート(ラツィオ)、デ・ラウレンティス(ナポリ)、ザンパリーニ(パレルモ)、チェッリーノ(カリアリ)、プレツィオージ(ジェノア)といった「ワンマン会長」たちは、チームの強化に口出しするだけでなく、契約・移籍の交渉にも自らが当たりすべてを決めないと気が済まない。こうしたクラブのSDは、エキスパートではあるが予算も決定権も持たない単なる補佐役にとどまっているのが実際だ。

こうしたクラブはトップが文字通り全権を掌握しているから話は分りやすい。たちが悪いのは、形の上ではGDやSDに予算や権限が委ねられているにもかかわらず、トップが中途半端な形でそこに介入してくるようなケース。

インテルのモラッティ会長がまさにこのタイプで、特に監督人事に関しては一貫性をまったく欠いた選択を繰り返し、チームを混乱に陥れている。現在チームを率いているストラマッチョーニも今シーズン限りの解任が濃厚。果たして来年、長友祐都の監督になるのは一体誰だろうか……。□

(2013年4月14日/初出:『SOCCER KOZO』)

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。