たまには15年以上古いテキストを。現在セリエBで戦っているペルージャは、かつて中田英寿が活躍したことで知られるクラブ。その当時、オーナー会長のルチアーノ・ガウッチを紹介したテキストです。ガウッチはその後、セリエBのカターニア、セリエCのヴィテルベーゼ、サンベネデッテーゼなども保有し、息子を会長に据えたりしていましたが、2005年にペルージャを偽装倒産させ(現在のペルージャはその後継として新たに設立された別クラブ)、その罪を問われたことでカリブ海のドミニカ共和国に逃亡し、サッカー界から姿を消しました。その後2009年に司法取引を行って帰国、一度も刑務所に入ることなく余生を過ごしているようです。

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「活火山」、「監督を食う怪物」、「独裁者」…。ペルージャのルチアーノ・ガウッチ会長は、イタリアのクラブ・オーナーの中でも、性格の激しさでは一、二を争う名物パトロンである。シーズンに何度も監督の首をすげ替え、選手を獲得しては売り払い、チームが負けると激怒して選手から休みを取り上げ制裁の合宿に送り込む。そのやり方が常に極端であることから、イタリアサッカー界の中でも、毀誉褒貶の最も多い人物のひとり。

しかし、1979年にパオロ・ロッシを擁してセリエAで無敗の2位を勝ち取った後、そのロッシも絡んだ八百長疑惑などでセリエB、さらにはCに低迷していたペルージャが、いま再びセリエAの檜舞台に立っているのは、ほかならぬ彼の功績であることもまた事実である。

本稿では、イタリアの雑誌、新聞に掲載されたインタビューにおける様々な発言を中心に、この名物会長の素顔に迫ってみたいと思う。

ガウッチ会長はローマ出身。市営バスの運転手から叩き上げてセリエAのクラブ・オーナーにまでのし上がった彼の人生は、まさにイタリア版立身出世物語の典型である。サッカーの世界に入ったのは、’80年代にローマの副会長となってから。ローマを離れ、ペルージャを買い取ったのは7年前、1991年のことである。

馬主としてもヨーロッパに名をとどろかせており、ジャパンカップにも出場したトニービンという馬で、フランス最高のトロフィー、凱旋門賞を勝ち取ったこともある。2人の息子がおり、アレッサンドロ(22歳)はファミリーが経営するスポーツウェア・メーカー「ガレックス」とペルージャの代表取締役を兼務、リッカルド(20歳)はペルージャの副社長兼ユース部門責任者(昨年まではペルージャのプリマヴェーラでプレーもしていた)と、若いながらいずれも要職に就いている。
 
どうしてサッカーの世界に身を投じることになったのか。そのいきさつについてガウッチ会長はこう語っている。

「子供の頃からサッカーには惹かれていた。7歳の頃、近所に住んでいたある友達がローマのサポーターで、よくスタディオ・オリンピコのクルヴァ・スッド(南側ゴール裏。ローマ・サポーターの応援席)に連れて行ってくれたものだ。だから、もう50年以上もサッカーを追いかけていることになる。

クラブ経営者としてサッカーとかかわるようになったのは、’70年代に私のいとこがローマの役員だった縁から。彼のおかげでこの世界を間近で見ることができ、数年後にヴィオーラ会長(当時)が経営権を取得した時に、私も副会長になった。1982/83シーズン、まさにローマがリードホルム監督の下で二度目のリーグ優勝を勝ち取った年のことだ」

しかし、やはり激しい性格で知られていたヴィオーラ会長との関係は、必ずしもうまくは行かなかったようだ。ガウッチもインタビューの中で「愛憎相半ばする関係だった」と述懐している。とはいえ、そのヴィオーラ会長が死去した後には、ガウッチ自身がローマの会長になるチャンスもあった。

「ヴィオーラ会長が死んだ後、ローマの経営権取得のポールポジションにいたのは私だった。彼を除けば、私がナンバー1だったからだ(訳注:ガウッチの辞書にナンバー2という文字はない)。私はアンドレオッティ首相(当時)の支持も取り付けていた。

ローマほどのクラブを買うというのは金の問題ではない。重要なのは政治だ。何人かの実業家が、莫大な金額での買収を申し出ていたが、まったく相手にされなかった。私が買うか、それともライバルだったチャッラーピコが買うか、いずれにせよどちらかだった。結局、クラクシ(当時のイタリア社会党党首)の支持を得ていたチャッラーピコが私との競争に勝ち、ローマの会長になった。長年愛した恋人に去られたような気分だったが、政治によって決まったことだから仕方がない」

しかし、それから数週間後、当時はセリエC1に低迷していたペルージャのオーナーになるチャンスが巡ってくる。

「ローマの問題に決着がついた後、ペルージャ近郊のトッレ・アルフィーナにある私の城で休暇を過ごしている時に、当時のペルージャのオーナーから、クラブを買い取ってくれないか、という電話があった。この申し出を受けた大きな理由は、ウンブリア州でいくつかの事業をしていたということ。他にペスカーラからもクラブ買収の要請があったが、実業家としての私の関心からは離れ過ぎていた。ペルージャはセリエC1に低迷していたが、私はサッカーを愛している。何としても私の力でかつての栄光を取り戻したいと思ったことも事実だ」

こうして1991年、ペルージャのオーナー会長となったガウッチは、金に糸目をつけずに上のランクの選手を買い集め、ペルージャをすぐにセリエBに押し上げた。’96年には10数年ぶりのセリエA昇格も実現。この時は1年でBに逆戻りしたが、昨シーズンには再びA昇格の切符をもぎとった。とはいえ「金を出しているのは私だ。私の思い通りにやってなぜ悪い」式の、極端で限度を知らないやり方には非難の声も少なくない。しかし、彼自身はこう反論する。

「ペルージャよりもずっと大きいいくつもの都市のクラブがセリエAに上がれずにいることを考えれば、私のやり方が間違っているとは思えない。ペルージャはナポリ、トリノ、ジェノヴァなどと比べたら単なる一地方都市に過ぎない。もちろん、私も多くの間違いを犯してきたかもしれない。だが、ナポリもトリノもジェノアもセリエBで低迷している一方で、今ペルージャはセリエAで戦っているという事実は、誰もが認めざるを得ないだろう」

ガウッチ会長は、毎シーズン、ときには1シーズンに何度も監督の首をすげ替えることから、「監督を食う怪物mangia allenatori」という異名でも知られている。

「私は今まで、優秀だといわれた監督がチームやサポーターとの間にいい関係を作れず様々な問題を引き起こしてしまうのを見てきた。どんなに優秀な監督でも、チームの中に彼に不満や反感を持つ選手を何人も作ったり、結果が出せずにサポーターから抗議されるような状況では、本来の力を発揮することはできない。一旦そうなってしまったら下り坂を転げ落ちていく以外にない。そういう時に、オーナーの私が、何の手も打たないまま指をくわえて見ているわけにはいかないだろう。

昨シーズンも、ほとんど誰もがペルージャの昇格はもう無理だと言っていた時期があった。私は選手たちに向かってこう言ったものだ。『もしお前らの中にセリエAに行きたくない奴がいても、私が首根っこをひっつかまえて引きずっていってやる』。

私はチェッリーノとヴィドゥリッチ、2人の監督を首にし、選手も入れ替えて、チームに刺激を与え続けた。あの時は世界中の反感が私に集まったようにさえ見えたが、もしあれをやっていなかったら、ペルージャは今年もセリエBに留まっていたことは間違いない。だとすれば、どうして私が反省しなければならないというのだろうか?周囲の反感を買ったからか?

しかし、結果がこうである以上、私は自分のやったことに満足する以外にはない。どんなやり方が一番効果的なのか、常に考える必要がある。物わかりのいい、なまぬるいやり方をとってきたクラブは、今でもセリエBやセリエCに残っている。結局、最後にセリエAに行くのは、私のように大胆で勝利につながるやり方だ。昨シーズンだって、監督をクビにし、選手を入れ替えたことが、成功への足掛かりだったと信じている」

その昨シーズン、「怪物」の餌食となったチェッリーノ、ヴィドゥリッチ両監督の後を継いだのは、78/79シーズンにペルージャをセリエA2位に導いたその人、イラーリオ・カスタニェール監督だった。

その後も再びペルージャの指揮を執り、ガウッチ会長の性格を熟知している同監督は、就任後12試合無敗という成績を挙げてチームを昇格圏内ギリギリの4位(トリノと同ポイント)に導く。そして迎えたトリノとのプレーオフは120分を戦っても決着がつかずPK戦にもつれ込んだが、ペルージャが見事勝ってドラマチックなA昇格を決めた。

そのカスタニェール監督は、ガウッチ会長についてこう語る。

「ガウッチは非常に情熱的な人物だ。激情型、といってもいいかもしれない。ペルージャで彼と一緒に仕事をする人間は、そのリスクを十分に理解する必要がある。なにしろ監督の首を切ることに関してはイタリアで一番だから。もちろん私は彼のことも、そのリスクも理解しているつもりだ。試合の後にはいつも興奮したサポーターのような振る舞いを見せる。私はそれを知っているから、会長との話し合いはいつも翌日に持ち越すことにしているんだ」

しかし、それを知っているカスタニェール監督といえども、ガウッチ会長の「雷」を鎮めることは不可能である。昇格が決まるのが遅く、補強の動きに出遅れたため、中田、ゼ・マリーア、ストラーダなど何人かの選手を除いては昨シーズンのチームのままセリエAに臨むことになった今シーズン、ユヴェントスを相手にした開幕戦を3-4で落とした直後、早速ガウッチ会長が爆発した。

選手起用で「間違った助言をした」ジャンナッターシオ・コーチはユース部門のコーディネーターに格下げされ、ミスを連発したGKのパゴットは「失格」の烙印を押されて、代わりの正GKとしてエンポリからロッカーティが獲得された。ガウッチ会長にとっては、カスタニェール監督が中田にPKを蹴らせなかったのも気に入らなかったようだ。こうして、たった1試合で早くも監督の首は危機に瀕することになる。

だが、カスタニェール監督には強い味方がいた。ペルージャのサポーターたちである。続く第2節のサンプドリア戦では、早くも「イラーリオに手を出すな」という横断幕が応援席に踊る。サポーターにとっては、Aを戦うには不十分なメンバーしか揃えられないガウッチ会長こそが「悪者」なのであり、ペルージャをセリエAに導き、弱体チームで善戦するカスタニェールはあくまで「英雄」なのだ。

第6節のパルマ戦では、プレシーズンに獲得を約束しながら幻に終わった選手の名前(レコーバ、ペッキア、ジュンティなど)を書いた横断幕がずらっとゴール裏に並んだ。補強に失敗したガウッチ会長に対するサポーターの抗議である。この試合を通して、ペルージャのサポーターたちは「イーラリオ、イーラリオ」とカスタニェール監督の名前を連呼し続けた。これではさしものガウッチ会長も手出しができない。

この日を境に、会長とサポーターの間は決裂状態。中田が再び2ゴールを決めたピアチェンツァ戦までの1ヶ月間、ガウッチ会長がスタジアムに姿を見せることはなかった。

「私はこの7年間、ペルージャにすべてを捧げてきた。昇格だって4度(注:A、B各2回)も勝ち取っている。しかし、これだけの結果を出してもサポーターたちは満足しない。そうである以上、私としても違う方向に進むことを考えざるを得ない。最近受けた、別のセリエAのクラブを買い取らないかというオファーについて、真剣に考えてみることにした」

——というのが、パルマ戦後のガウッチ会長のコメントである。あるペルージャ番の新聞記者によれば「ガウッチは、誰であろうと自分に反対する人間には我慢できないんだ」ということである。
 
しかし、そのガウッチ会長も、彼にとって今シーズン最大の「収穫」である中田について話すときだけは表情が崩れる。

「中田がいい選手なのは獲る前からわかっていた。今の活躍も私にとっては驚くべきことではない。もちろん、これからもこのレベルのプレーを安定して続けていくことが必要だが。中田の選手としての価値は試合ごとに高まっている。今や、イタリアはもちろん、ヨーロッパ中のビッグ・クラブのスカウトがペルージャに注目している。日本のメディアの攻勢はもっとすさまじいがね。

しかし、断わっておくが中田を売る気はまったくない。売るために買ったわけではないのだから、値段をつける気もない。もちろん、私が払った移籍金の少なくとも4倍の価値がつけられることは確かだろう。もし中田を売ったりしたら、ペルージャでは暴動が起こる。それよりもむしろ、中田のような隠れた才能を発掘してチームを強くすることの方を私は選ぶ。まだ21歳だというのに、まったく違うイタリアの世界に何の苦労もなく馴染んで、すぐに実力を発揮していることを見ても、中田がプレーヤーとしてだけでなく、ひとりの人間としてもインテリジェントだということがわかるだろう」

まったく手放しのほめようである。中田が、ペルージャがここまで善戦してきた最大の功労者であることは誰の目にも疑いのないところ。今や中田は、弱小ペルージャを背負って立つ中心選手のひとりである。さらに、息子のアレッサンドロ・ガウッチが経営するスポーツウェアメーカー、ガレックスのレプリカ・ユニフォームの日本への大量輸出など、ガウッチ・ファミリーのビジネスにも大きな貢献を果たしている。すでに20億円近い移籍金をオファーするクラブが現れていることも含め、ガウッチ会長にとって中田は「金の卵を生む鶏」でもあるのだ。

事実、ガウッチは「売る気はない」と断言しているが、ここイタリアでは、中田が来年もペルージャでプレーしていることはまず考えられない、という見方の方がずっと強い。ユヴェントスのリッピ監督も「ペルージャは中田にとってもはやきつすぎるシャツのようなものだ」と語っている。
 
さて、12月5日、会長自身の言葉を借りれば「別れた恋人」であるローマに1-5と完敗したことで、「ガウッチ火山」はまたも噴火間近の様相を見せている。ローマのスポーツ紙「コリエーレ・デッロ・スポルト」は、1月の移籍マーケット再開に向けて、ガウッチ会長は大幅なチームの革新を断行するだろうと報道している。

ガウッチ会長のコメントは「ペルージャにはセリエAで戦う上で役に立たない選手が多すぎる」というもの。Bを戦った選手が大半を占めているのだからこれはある意味で当然なのだが、いずれにしても、年内に残された2試合(カリアリ戦、フィオレンティーナ戦)で「失格」の烙印を押された選手は、放出も免れないと見られている。

噂に上っているのは、ロッカーティ、パゴットの両GK、今季パルマから移籍してきたストラーダとゼ・マリーアなど。さらに11月にチリのコロコロから無理矢理獲得してきたばかりのブラジル人、エメルソン・ペレイラまでも放出リストに入っていると伝えられる。確かに、監督の首をすげ替えることが難しいとなれば、ガウッチ流の手法で「チームに刺激を与える」ためには、選手を入れ替えるしかないわけだ。

まだシーズンは3分の1を過ぎたばかり。ペルージャにとっては今シーズンも何かと騒がしい1年になりそうである。目標のセリエA残留までの道のりはまだまだ長い。□

(1998年12月7日/初出:『週刊サッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。