ジョゼ・モウリーニョさんは、2010年に『モウリーニョの流儀』という本を書いたこともあって、常に気になっている監督の1人です。チェルシーに戻って2シーズンが過ぎましたが、1年目で基盤を作って2年目にビッグタイトルを獲るというのは、インテル、R.マドリーと同じ。違うのは、今回は最初から長期政権を想定しているところです。
このテキストを書いたのは、R.マドリー解任が濃厚になっていた12-13シーズンの終わり。まだ「次」は決まっていませんでしたが、目先の結果だけを追い求める成り上がりフェーズはこれで完結、という基本認識は、今から振り返っても間違っていなかったと思います。

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ジョゼ・モウリーニョがチャンピオンズリーグの舞台にデビューしてから、今シーズンはちょうど10年目にあたる。

ポルトを率いた2003-04シーズンに、CL初挑戦でビッグイアーを勝ち取るという偉業を成し遂げ、その数日後に行われたチェルシー監督就任会見で「私はスペシャル・ワンだ」とうそぶいて以来、モウリーニョはプラネット・フットボールの絶対的な主役のひとりとして常に大きな注目を集めてきた。

しばしば傲慢かつ尊大に見えるその振る舞いや言動が、賛否両論、毀誉褒貶の的になってきたことは確かに事実だ。しかし、この10年間ピッチ上で残した実績は、誰にもまったく文句のつけようがない偉大な名将のそれである。

国内リーグでは、ポルト(02-03、03-04)、チェルシー(04-05、05-06)、インテル(08-09、09-10)、レアル・マドリー(10-11)と、4ヶ国4チームで計7度にわたってタイトルを勝ち取り、09-10にはインテルを率いて自身にとって2度目のCL優勝を果たした。優勝を逃したのは、チェルシーを率いた06-07(翌07-08は開幕間もなく解任)、マドリーでの10-11、そして今シーズンの3度のみ。

ヨーロッパ最高レベルのクラブがしのぎを削るプレミアリーグ、セリエA、リーガ・エスパニョーラで「勝率7割」というのは、驚異的な数字である。しかも優勝を逃した06-07にはFAカップ、10-11にはコパ・デル・レイを勝ち取って面目を保っており、「zelo tituli」(無冠)でシーズンを終えたことはまだ一度もない。

さらに評価されるべきは、世界最高峰のコンペティションであるだけでなく、偶然や運に左右される一発勝負の要素が入ってくるCLでも、今季を含めた9シーズン中7回にわたってベスト4以上という結果を残していること。

これは、この期間に活躍した監督の中でも、アレックス・ファーガソン(4回)やカルロ・アンチェロッティ(3回)すら足下にも寄せ付けない数字である。唯一、在任中4シーズン連続でベスト4進出を果たしたグアルディオラがいるが、その彼にしてもバルセロナ以外のクラブ(来季から就任するバイエルン)で実績を残すまでは、比較の対象にはなり得ないだろう。

レアル・マドリーで指揮を執るのはこれが3シーズン目。噂されているように、今シーズン限りで退任することになるのかどうか、現時点ではまだわからない。しかし、それがいつになるかにかかわらず、マドリーを去るその時が彼の監督としてのキャリアにとって大きな、おそらく最大の節目となるだろうという気がする。

母国ポルトガルを皮切りに、イングランド、イタリア、そしてスペインと、主要なサッカー大国はドイツを除いてすべて経験した。そのドイツで行先になり得る唯一の名門クラブ、バイエルン・ミュンヘンの監督にグアルディオラの就任が決まった今、少なくとも当面のところ「五冠」を目指す可能性は低い。

実際、最近のインタビューでモウリーニョはこんなコメントを残している。

「シーズン終了後にマドリーを去るか?何が起こるか見てみないと。私の家族にとって、また引っ越しをするのは簡単なことではない。ポルトガル、イングランド、イタリア、スペインを渡り歩いた後、また新しい国を選ぶのは難しい。一度過ごした国に戻ることもあり得る」

これは、彼のキャリアがこの10年間で「一巡」してひとつの踊り場を迎えたことを意味している。 

クラブの「格」という観点から見ても、モウリーニョはすでにある意味で頂点を極めてしまった。母国ポルトガルから国際舞台に飛び出した最初のクラブであるチェルシーは、その資金力はすでに図抜けていたものの、プレミアリーグの中では新興勢力であり、その意味では選手経験のない叩き上げのアウトサイダーとして一躍表舞台に躍り出た野心的な若手監督という当時のモウリーニョのイメージと、立ち位置がぴったり重なるクラブだった。

そこでプレミアリーグ連覇、二度のCLベスト4という実績を挙げ、次に乗り込んだインテルは、イタリアではユヴェントス、ミランと並ぶ名門だが、近年の実績ではこの2つのライバルに大きく遅れを取っている「ナンバー3」のクラブだった。とりわけCLでは今なお1960年代の「グランデ・インテル」のノスタルジーに浸るしかない状況で、大きな勝利を渇望していた。

イングランドとは文化もサッカーのスタイルもまったく異なるセリエAという舞台は、もはや新進気鋭の若手ではなく、すでに確かな実績を築いた一流監督となっていたモウリーニョが、異なる環境でも同じように結果を残せる絶対的な手腕を証明し、ナンバーワンとしての評価を確立するステップとして、申し分のない条件を揃えていたと言えるだろう。

そのインテルを率いて自身にとって二度目のCL制覇を成し遂げた後、モウリーニョは満を持してレアル・マドリーに乗り込むことになる。その歴史と伝統、売上高に象徴される経営的な実力、そして知名度と人気とステイタス、あらゆる点において世界最高峰と呼べる「エル・ブランコ」は、どんな監督にとってもキャリアの頂点を示すべきクラブである。

極端な話、もしこのクラブを率いてCLを制覇してしまったら、その先のキャリアは半分「上がり」のようなものだ。それ以上の実績を残そうとすれば、それこそそこに留まって連覇をする以外にはない。

モウリーニョの監督としてのキャリアは、ただひたすら勝利という結果を追い求めることで成り立ってきたように見える。ヨーロッパでも辺境に位置しフットボール的にも小国に過ぎないポルトガル人、しかもプロ選手としてのキャリアをまったく持たない純粋な理論派が、育成コーチから出発し自分の才能と努力だけを頼りに叩き上げていくためには、誰にも文句を言わせない結果という絶対的な価値を周囲に突きつけて来るしかなかったのだとすれば、それはよく理解できる。

しかし、目先の結果以外のことにはまったく頓着せず、そのためならばすべてを犠牲にすることも厭わない、2年、3年という短期間で最大限の結果を得るために絞り上げられたチームは、彼が去った後には抜け殻のようになって何も残らない――というのは、果たして100%の真実なのだろうか。

筆者は、それには小さくない疑問を感じている。もちろん、モウリーニョが短期的なスパンで結果を出すことを最優先事項として仕事に取り組んでいることは間違いないだろう。しかし、彼のメソッドが、それこそ去った後にはペンペン草も生えない「焼き畑農業」なのかと言えば、必ずしもそうではないようにも見える。

カルロ・アンチェロッティがチェルシーの監督に就任したのは、モウリーニョが去った2年後の09-10シーズンのことだったが、コブハムのトレーニングセンターから、アカデミーの運営組織やスタッフ、フィジカルコンディショニングのためのデータ収集・管理システム、スカウティングのシステムなど、ハード、ソフトの両面で今なお「モウリーニョの遺産」がクラブのリソースとして蓄積され、活用されていることに驚いたという。

モウリーニョは、チェルシーではスティーブ・クラーク、インテルではジュゼッペ・バレージ、マドリーではアイトール・カランカと、必ずクラブ生え抜きの人材を片腕として起用してきた。その理由について、インテル時代にこんなことを語ってもいる。

「私は自分のキャリアのためだけに仕事をしているわけではない。私はクラブのために仕事をしている。私が去った後も私の仕事、私のプロジェクトが継続しクラブの財産として残っていくことが理想だと考えている。また今日、監督の仕事は20年前のそれとは大きく異なっている。私がやりたいことを実現するためには、私1人の力では不可能だ。多くのスタッフの助けが必要だ。そうした人的資源のマネジメントも私の重要な仕事のひとつだ。クラブの職制とスタッフの構成を私の哲学に合わせて変えることが必要だし、彼らには私の哲学を理解し共有して働いてもらわなければならない」

インテルでもモウリーニョは、育成部門のトップカテゴリーであるプリマヴェーラ(U-19)とトップチームの連携を密にし、同じトレーニングセンターで練習するだけでなくサッカーのプレーコンセプトも共有するなど、クラブの長期的な発展を見据えたいくつかのプロジェクトをスタートさせている。

ピッチ上のチーム強化にしても、短期的な結果のためにワールドクラスの即戦力を獲得するというやり方を彼自身が要求したことは、実のところ一度もない。

チェルシーで1年目に望んで獲得したのは、ドログバ、ロッベン、ツェフ、R.カルヴァーリョ、P.フェレイラなど。いずれも、まだメガクラブでのプレー経験がなく、これからキャリアのピークを迎えようという若手・中堅で、金満クラブにしては渋いというか地味な補強だった。これは、短期というよりは4~5年タームの中期でチームを築き上げていこうという意図の表れだったように思われる。

翌05-06に大金を投じて補強したのも22歳のエッシェン。バラックやシェフチェンコの獲得は、プレミア2連覇にもかかわらずCLで優勝できなかったことに痺れを切らしたオーナーのアブラモヴィッチが、監督の意図に反して押し付けたものであり、その「ボタンの掛け違い」こそが、1年後の喧嘩別れにつながる発端だった。

マドリーでの1年目に獲得したエジル、ケディラ、ディ・マリアも、やはり伸び盛りの若きタレントであり、決してトップレベルでの実績を持っていたわけではない。強化のコンセプトは変わっていないという読み方をしても、間違いにはならないだろう。

インテルでは、1年目に18歳のサントンとバロテッリをレギュラーに抜擢し、2年目に向けてはベテランを大量に整理し育成部門から4人を引き上げる構想をクラブに提示したが、モラッティ会長の優柔不断と強化スタッフの力不足でベテランの売却が進まなかった(この時昇格を提案した生え抜きのうちデストロ、クルヒンは現在ローマ、ボローニャでそれぞれ活躍中)。

そればかりか、チームの中核と考えていたイブラヒモヴィッチがプレシーズンキャンプの途中でバルセロナに「逃げる」という事態になり、そこから付け焼き刃で補強したエトー、スナイデルをチームに無理やり組み込んでチームを再構築、CL制覇という結果を掴み取った。

こうして振り返ってみると、目先の勝利をひたすら要求し、スター選手の獲得を望むのはむしろクラブの側であり、モウリーニョはひとりのプロフェッショナルとしてそれを受け入れ、あるいはそれに適応して最善を尽くしているだけではないかという気もしてくる。

初めてのメガクラブだったチェルシーでは、野心を抱いて理想を追求しようと試みたが、オーナーの介入によってプロジェクトが歪められる結果になった。その経験を糧として臨んだインテルでは、オーナーの求める目先の勝利を実現することを出発点に、徐々に世代交代と軌道修正を図ろうと目論んだが、結局クラブ主導の補強を受け入れてそれに対応したチームを作り、改めて結果を出して見せた。

クラブとしては「成り上がりのブルジョア」であるチェルシー、「没落貴族」だったインテルは、それでも結果を出しさえすれば応分の評価を受け、周囲を黙らせることができた。ところが、プラネットフットボールにおいて最も高貴な「王室」のような存在であるレアル・マドリーでは、単に結果を出すだけではクラブもサポーターも、そしてあろうことか選手ですら満足しようとしない。紳士的に振る舞い、美しく勝たなければ勝利には意味がないと言い放ち、なりふり構わず勝利を追求するモウリーニョの姿勢を野卑だと毛嫌いしさえするのだ。

チェルシーとの別れは、愛し合っているがゆえに憎しみ合った結果だった。インテルを立ち去る時には、すがりつく相手を突き放すように背を向けたが、それでも相手は今なお未練たっぷりだ。しかしマドリーでは最後まで心底愛されることがないまま、冷たい別れを迎えようとしている。

これまで絶対的な権威を帯びてチームを掌握してきたリーダーシップが否定され、選手がクラブに対して「モウリーニョか我々か」という選択を突きつけるという事態は、もし今シーズンCL制覇という結果を勝ち取ってもなお、「モウリーニョの流儀」が通じなかったという意味で、ひとつの敗北となるに違いない。

いずれにしても、旅にピリオドが打たれる時、ひたすら勝利という結果を追い求めそれを武器にして頂点への階段を駆け上がってきた、モウリーニョのキャリアの第1幕は終わりを告げることになるだろう。マドリーを離れる時、「次」のクラブはもはや彼にとって「ステップアップ」の舞台ではあり得ない。ポルトガルからスタートして、イングランド、イタリア、スペインを巡ってきた「頂点を極めるというゲーム」はこれでコンプリートであり、その先はまったく別の目標に向かって、別のルールで新たなゲームを始めなければならないはずだ。

それがどのようなものになるのかは、現時点では想像がつかない。しかし、50歳を過ぎて監督としての円熟期を迎えようとしている今、「頂点ではないところ」を次に目指すとすれば、それは自らの流儀に従って理想のチーム、そしてクラブを築き、目先の勝利を性急に求めるあまりプロジェクトを歪めるような介入を受けることなく、「持続可能な勝利の環境」を時間をかけて極めることではないかという気もする。

パリ・サンジェルマンやマンチェスター・シティで、改めてリーグ優勝やCL制覇を目指すよりは、勝手知ったるチェルシーやインテル、あるいはファーガソン引退後のマンチェスター・ユナイテッドで、バルセロナとは異なる、しかしひとつの明確な理念とコンセプトに基づいた偉大なクラブを築くというプロジェクトに取り組んでみてはくれないものか。もちろんこれは「モウリーニョの流儀」にシンパシーを抱くひとりの観察者の妄想に過ぎないのだが……。□

(2013年4月23日/初出:『Soccer KOZO 006』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。