セリエAの監督になるためには通常10年前後の下積みが必要で、しかもそこからビッグクラブまでステップアップするのはさらに困難、ビッグクラブの監督はビッグクラブの選手になるよりもずっと「狭き門」だという話を2本まとめて。これを書いたのは8年前ですが、事情は今も同じです。

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過酷な競争にさらされるセリエAの監督たち(2006.12)

ご存じの通り、カルチョポリの余波を受けて、アブノーマルなシーズンとなっている今季のセリエA。そろそろ折り返し点が近づいてきたところで順位表に目をやると、インテルの首位独走は別にして、本来ならば残留争いをしているはずのクラブが堂々と上位に進出するなど、サプライズに満ちた展開だ。なにしろ、上位10チームのうち半分の5チーム(パレルモ、シエナ、エンポリ、カターニア、リヴォルノ)が、つい5年前にはセリエBやC1で戦っていた地方都市の中小クラブなのである。

セリエAは、3年前の03-04シーズンまで、18チーム制でしかも4チームが降格するという新陳代謝の激しい仕組みを採用していたため(注)、中小クラブの栄枯盛衰も非常に激しいものがある。5年前から一度も降格せず定着しているのは、全20チーム中たったの7チームに過ぎない。

しかし、それ以上に栄枯盛衰が激しいのは、実は監督の世界である。なにしろ、ここ5年間を通して、常にセリエAで指揮を取り続けてきた監督は、アンチェロッティ(ミラン)とマンチーニ(フィオレンティーナ→ラツィオ→インテル)のたった2人しかいないというくらい、出入りの激しい“業界”なのだ。

セリエAの監督20人のうち、5年前の01-02シーズンにセリエAで指揮を取っていたのは、上の2人を含めてもわずか6人に過ぎない。サンプドリアを率いて今年で5シーズン目を迎えるノヴェッリーノは、その1年目(02-03シーズン)にセリエBを経験しているし、今季パレルモに復帰したグイドリンも、昨年は浪人生活を強いられ、シーズン途中からモナコ(フランス)の指揮を執っている。

98-99シーズンにミランを率いてスクデットを獲得したザッケローニは、01-02シーズンにラツィオを指揮した後、03-04シーズンのインテルを挟んで計3年間の「失業」を経験しなければならなかった。今シーズンが始まってからキエーヴォの監督に復帰したデル・ネーリも、ここ2シーズン、ポルト、ローマ、パレルモと途中解任の連続だった。

5年とは言わずとも、ここ数年安定して好成績を残している監督には、上記に加えてスパレッティ(ウディネーゼ→ローマ)、プランデッリ(パルマ→フィオレンティーナ)、ロッシ(レッチェ→アタランタ→ラツィオ)の3人を挙げることができる。

残る11人の多くは、下部リーグでの厳しい競争を勝ち抜いてセリエAの舞台にたどりつき、その実力を試されている若手・中堅の監督たちだ。

セリエAからC2(4部リーグ)まで、合計132ものプロチームがあり、400人を超えるカテゴリー1(日本のS級にあたる)の指導者がしのぎを削る中では、下位リーグで誰もが注目するような実績を何年か残さない限り、セリエAへの道は拓けてこない。

キャリア的に見ると、30代で現役を引退した後、ユースコーチからスタートして、下位リーグで実績を詰む間に7〜8年はすぐに経ってしまうから、監督としてセリエAにデビューする年齢は、40代半ばというのが普通である。代表クラスのトッププレーヤーとして活躍した後、30代でセリエAの指揮官になるとすぐに大きな成功を収めたアンチェロッティやマンチーニのようなエリートは、例外中の例外だ。

事実、今シーズン注目すべき結果を残している3人の指揮官は、いずれもプレーヤーとしてはセリエC1(3部リーグ)を主戦場とし、監督としても下部リーグで実績を詰んで階段をひとつずつ上がってきた叩き上げである。

セリエAの下位チームにあるまじき攻撃的な4-3-3を引っさげて、4位という望外の好成績を残しているカターニアのマリーノは、監督としてのキャリアを5部のアマチュアリーグからスタートし、セリエBにたどり着くまで7シーズンの下積みを過ごした。6位リヴォルノのアリゴーニも、アマチュアリーグから10年かけてセリエAに這い上がった苦労人だ。

そして、この2人以上に高い評価を受けているのが、アタランタのコラントゥオーノ。現役を引退してC2のサンベネデッテーゼでユースコーチをしていた時、当時クラブを所有していたルチアーノ・ガウッチ(中田がいた当時のペルージャのオーナー)の息子アレッサンドロに見出されて、シーズン途中にトップチームの監督に抜擢され、それから5年のキャリアで率いた4チームのうち3チームを昇格に導いた手腕の持ち主で、セリエA初挑戦の今シーズンも、期待を上回る結果を残しつつある。

しかしそんな彼らも、セリエAという過酷な舞台で、今後4年、5年と生き残っていけるかどうかはわからない。それは例えば、5年前に同じような立場にいたコズミ(当時ペルージャ)、カモレーゼ(当時トリノ)、デ・ビアージ(当時モデナ)、バルディーニ(当時エンポリ)といった監督たちが、いま浪人生活を強いられていることを見てもわかる。

40代前半でセリエAにたどり着き、そこから欧州カップに出場するような中堅クラブで実績を残すまでまた数年。そこでさらに結果を残した者だけが、チャンピオンズリーグを戦う名門クラブの指揮を執ることができる。ビッグクラブの監督になるのは、選手としてビッグクラブのレギュラーになるよりも、ずっとずっと狭き門なのである。□

(注)04-05シーズンからは、スペイン、イングランド、フランスと同様、20チーム制/降格3チームという仕組みになって、やや落ち着いてきつつあるが、上記3ヶ国ではそれぞれ20チーム中14チームが5年前と同じ顔ぶれであり、イタリアと比べればずっと安定度が高い。

(2006年12月14日/初出:『footballista』連載コラム「カルチョおもてうら」)

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セリエA監督は狭き門(2007.06)

今シーズンのセリエAで指揮を執った監督(途中解任、途中就任含む。助監督の昇格は除く)は計25人。生年別の構成を見ると、1960年代生まれ(47歳以下)は6人で、全体の24%にとどまっている一方、50年代生まれ(57歳以下)が17人で68%を占めており、40年代生まれ(58歳以上)は4人だけとなっている。

ここからわかるのは、イタリアで監督のキャリアがピークを迎えるのは、年齢でいうと40代の終わりから50代前半にかけてだということ。通常、選手生活を終えて指導者の道を歩み始めるのは、30代半ばからだから、セリエAの大舞台にたどりつくまでには、10年前後の下積み経験が必要とされていることがわかる。

ロベルト・マンチーニ(インテル)は、現役を引退した翌年(00-01シーズン)、すぐにフィオレンティーナの監督に途中就任したではないか、といわれるかもしれないが、これは例外中の例外である。実際、過去の事例を見ても、引退後すぐにセリエAのクラブの指揮を執った例は、他にはひとつもない。というのも、後で見るように、イタリアでは制度上それが不可能な仕組みになっているからだ。

一般的に監督としてのキャリアは、現役を引退した後に、育成部門の指導者、トップチームの助監督、あるいはセリエD以下のアマチュアクラブの監督を数年間経験するところから始まる(その理由も後で述べる)。その間にセリエCのプロクラブで指揮を執れるセコンダ・カテゴリア(カテゴリー2)のライセンスを取得し、チャンスを見つけてセリエCのクラブから本格的なキャリアをスタートするのが普通である。

今シーズン、昇格1年目のアタランタを率いて9位という好成績を残したステーファノ・コラントゥオーノ(来季はパレルモ監督に内定)は、現役時代、セリエA、B(アスコリ、コモなど)でプレーしたディフェンダーだった。30代になってからは、セリエC2のクラブでプレーを続けながら育成部門の指導者も兼任していたが、現役最後となった01-02シーズンの終盤、トップチームの監督に抜擢されてサンベネデッテーゼをC1昇格に導き、そこから監督としての本格的なキャリアをスタートした。

そこからはとんとん拍子。“サンベ”を率いてC1で5位と健闘した後、セリエBのカターニア、ペルージャ(2位で昇格を決めるもクラブが破産)で指揮を執り、昨シーズンはアタランタをA昇格に導いて、キャリア5シーズン目、44歳でトップリーグに到達した。

これでも、キャリアとしては順調な方である。カターニアを率いてA昇格と残留を果たし、来季はウディネーゼの指揮を執るパスクアーレ・マリーノは、セリエCでプレーした後、アマチュアクラブ(5部)の監督としてキャリアをスタート、セリエC2(4部)に到達するまで4年、セリエBまで8年、Aまで10年の歳月を費やした。

イタリアサッカー協会(FIGC)は監督の資格に非常に厳しく、どんなに優秀でその手腕が認められている監督であっても、プリマ・カテゴリア(カテゴリー1)のライセンスを保持または取得中でない限り、セリエA、Bのクラブで指揮を取ることは許されない。

マンチーニが「例外中の例外」だったのは、フィオレンティーナの監督に就任した当時、プリマ・カテゴリアどころか、その下のセコンダ・カテゴリアでさえ未取得(講習を受講中だった)にもかかわらず、紛糾の末に例外規定が特例で認められるという「イタリア的」な解決によって、監督就任が認められたという経緯があったからだ。

プロ監督のライセンス講習は、カテゴリー1(10月から翌年7月まで断続的に計60日)が年間25人、カテゴリー2(5月から7月まで計45日)が年間60人という狭き門である。紙面の都合上、詳しく見ることはできないが、ライセンス講習への参加資格は、選手としての実績、監督としての実績、学歴という3つの項目について、定められた基準に従って計算したポイントの合計点が高い順に与えられることになっている。選手としてセリエAや代表での実績がある監督は、そうでない監督よりもポイント面で明らかに有利になるため、ライセンス講習受講の資格が得やすい仕組みになっている。

とりわけ優遇されているのが代表経験者だ。カテゴリー2、カテゴリー1ともに、その受講資格には「A代表の一員としてワールドカップに参加した経験があれば、特別枠として参加を認める」という一項が記されている。実際、先月末からスタートした今年のカテゴリー2講習には、この特別枠を通して、アレッサンドロ・コスタクルタ、チロ・フェラーラ、ルカ・マルケジャーニ、ジャンルカ・ペッソット、モレーノ・トッリチェッリの5人が参加している。

一方、プロ選手としては特に傑出した経験を持たず、セリエB、Cを主な活躍の舞台にしてきたような監督は、カテゴリー2ライセンス講習の受講資格を得るために、監督としての実績でポイントを稼がなければならない。育成部門の指導者、トップチーム助監督、セリエD監督からキャリアをスタートするのは、それが理由である。

カテゴリー2ライセンス保持者の「主戦場」であるセリエCは、C1(18チームx2グループ)、C2(18チームx3グループ)、合わせて90チームという大所帯である。ここからカテゴリー1の講習を受ける資格を得られるのは、毎年わずか25人だけ。ここでも、受講資格は前述したポイント制によって決まるので、選手としての実績が少ない監督は、ピッチ上で監督として結果を出してポイントを稼がなければならない。

ただし、ここにも特別枠が存在しており、ワールドカップ経験者は、25人枠とは別に無条件で講習を受講することができる。今シーズンのカテゴリー1講習には、この枠を使ってアントニオ・コンテ、ルイジ・アポローニ、フランチェスコ・モリエーロの3人が参加している。イタリア代表監督のロベルト・ドナドーニ、U-21代表監督のピエルルイジ・カジラギも、この特別枠を利用してカテゴリー1のライセンスを「最短距離」で取得したくちだ。

とはいえ、これはあくまでも「資格」の話である。その資格を手にした上で、ピッチの上でそれなりの実績を挙げ、それを周囲に認めさせない限りは、セリエAのクラブからオファーの声がかかることはまずあり得ない。例えば、アントニオ・コンテは今シーズン、セリエBのアレッツォの監督を務めたが、途中解任されて呼び戻された末に降格という、期待を裏切る成績に終わった。アポローニはまだ監督経験がなく、モリエーロはアフリカのコートジヴォワールのクラブで監督を務めている。

選手としての実績があれば、チャンスを得られる可能性は高くなるが、それを生かす力量がない限り、セリエAの大舞台に立つことは難しい。

今シーズンのセリエBの監督(途中解任、途中就任含む。助監督の昇格は除く)は計34人だが、その中に60年代生まれが占める比率は41%(13人)と、セリエAと比較してぐっと多くなっている。しかし、現役時代のキャリアとの関係を見ると、セリエAで通算5シーズン以上プレーした経験を持つ監督が13人中6人、B、Cを中心にキャリアを送ったか、プロ経験がない監督が7人。選手としての実績が監督としての能力と関連しているとは言い難い。

これは、セリエAでも同様である。60年代生まれの6人中、セリエA5シーズン以上はマンチーニ、コラントゥオーノ、ピオリの3人。マリーノ、ジャンパオロ、デリオ・ロッシは、セリエCを主戦場としてプレーしていた。

セリエA、Bで指揮を執る若手の中で、特にその手腕が高く評価されている監督を挙げるとすれば(マンチーニは当然除く)、前出のコラントゥオーノ、マリーノに加えて、カリアリのジャンパオロと、レッジーナの新監督に内定したマッシモ・フィッカデンティという、67年生まれの2人だろう。

ジャンパオロは、セリエCでMFとしてプレーした後、00-01シーズンからセリエBのクラブで助監督としてキャリアをスタートした。03-04シーズンには、カテゴリー2のライセンスも持たない助監督の立場で、実質的な監督を務めてトレヴィーゾをセリエB残留に導き、翌04-05シーズンからはアスコリを率いてA昇格・残留を果たし、今シーズンはカリアリを指揮している。4-4-2のオーソドックスな布陣をベースとする、攻守のバランスを重視した堅実なチームづくりが持ち味。タイプとしてはプランデッリに近いか。

フィッカデンティは、ヴェローナ、トリノなどセリエBでキャリアのほとんどを過ごした頭脳派のMFだった。03-04シーズンにC1のピストイエーゼを率いて頭角を現し、翌年はBのヴェローナで貧弱なチームを7位に導く手腕を見せた。ここ2シーズンは、クラブの財政難でセリエC並みの戦力しか持てず、残留が精一杯だったが、4-3-3のオープンな攻撃サッカーが高く評価されて、レッジーナから白羽の矢が立った。

こうして見ると、現在台頭してきている60年代生まれの監督の中で、現役時代にトップレベルで活躍していたのはマンチーニただ1人ということになる。もう少し上の年齢まで枠を広げても、元代表クラスの現役監督で名将と呼べるのは、アンチェロッティ、カペッロ、トラパットーニの3人だけ。「名選手必ずしも名監督ならず」という格言は、イタリアサッカー界にも当てはまるようである。□

(2007年6月10日/初出:『footballista』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。