2015年1月17日 監督・戦術

カペッロ:アンチフットボールの伝道師(2007.08)

ファビオ・カペッロについてもう1本。06-07シーズンにR.マドリーを率いてリーグ優勝を果たしながら1年でクビになった経緯についての論評です。2本並べてみるとイタリアとスペインのメンタリティの違いが良くわかります。

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「カペッロには感謝している。しかし、彼が今シーズンもたらしてくれたものは、レアル・マドリーというクラブにとって十分とはいえない。このクラブの伝統は、結果以上の何かを我々に要求している。サポーターに満足と歓びを与えるためには、今シーズンのサッカーとは違うタイプのサッカーが必要だ」

これは6月末、ファビオ・カペッロの解任を発表したプレドラグ・ミヤトヴィッチの言葉である。結果だけでは十分ではない、美しいサッカーを見せなければ——。スペインにおいては、しかもレアル・マドリーほどのクラブになれば、これは十分な説得力を持った正論であり得る。

しかし、このコメントに違和感を感じたのは、筆者だけではないはずだ。理由は単純である。「それならどうしてカペッロを呼んだのか?」。

“勝利”という唯一最大の利害だけに焦点を絞り、それを手に入れるために最も効率的かつ効果的な手段をとことん追求する徹底した結果至上主義こそが、カペッロのカペッロたる所以である。そういうサッカーのことを、スペインでは“アンチフットボール”と呼ぶらしいが、だとすればカペッロはまさに“アンチフットボールの伝道師”だ。

ミヤトヴィッチやカルデロン会長がそれを知らなかったはずはない。それでもあえてカペッロを選んだとすれば、それは喉から手が出るほど“結果”が欲しかったから、という以外の理由はあり得ない。

06-07シーズンを通してレアル・マドリーが見せたサッカーは、「美」や「スペクタクル」という観点から見れば、確かに目を覆うようなものだった。しかしそれは最初からわかっていたことである。もしこれで無冠に終わっていれば、マドリーを石もて追われたところで仕方ないところだったが、カペッロは最終的にリーグ優勝という結果を残した。たとえそれが、敵失に助けられた超ラッキーな勝利だったにしても、優勝は優勝である。

心から求めていた“結果”が手に入ったのだから、カルデロン会長もミヤトヴィッチも、堂々と胸を張って自らの選択の正当性を主張すれば良さそうなものだが、そのコメントはむしろ、後ろめたさを感じているかのような内容だった。

「カペッロのサッカーはサポーターが2年目に向けて求めるそれとは異なっている。1年目は受け入れられた。それは、治療のために必要な、口に苦い薬のようなものだということを知っていたからだ。不味い薬を我慢して飲み込み、タイトルという結果を勝ち取ったことで、我々は健康体に戻ることができた。これからは美しいサッカーを取り戻さなければならない」(カルデロン会長)

カペッロは、不味いのを我慢して呑み込んだ苦い薬。ポリティカリー・コレクトネスのかけらもない失言だが、これが本音であることも容易に察しがつく。

だがもちろん、誰に何を言われようと、カペッロの側にはやましいことも恥じるようなことも、何ひとつない。マドリーから求められたのは結果を出すことであり、彼はリーグ優勝を勝ち取ることでそれに応えた。過去3シーズン、誰がどんな手を打ってもますます泥沼に落ち込むばかりだったマドリーを、1シーズンで「健康体」に戻したのである。カペッロ自身は、この結果を誇りに思って、堂々と胸を張っているに違いない。

マドリーの逆転優勝をめぐる最大の謎は、CLでも国王杯でも敗退し、ベルナベウの観衆からは試合のたびに「パニョラーダ」(白いハンカチを振って不満を伝える意思表示)を浴びるという極度にネガティブな状況に追い込まれながらも、チームが崩壊するどころか、逆に結束を強めてみごとに終盤戦を戦い抜いたことである。それは、これだけの逆風の中でもチームがカペッロを見放さなかったこと、カペッロもチームを掌握し続けていたことを意味している。過去3シーズン、マドリーが繰り返してきたゴタゴタぶりからすれば、これは奇跡に近い。

その秘密がどこにあったのかは、外部から伺い知れるものではない。しかし確かなのは、終盤戦の復活劇はカペッロの手腕に負うところ大ということである。一度ははっきり戦力外だと明言して切り捨てたベッカムを、「誤りだとわかった時に考えを変えないのは愚か者だ」と言い放ってチームに復帰させるというのは、並の監督にできることではない。発言の一貫性など糞喰らえ。その時に最善と信じる策を、辻褄合わせに拘泥することも、周囲の評価や批判を怖れることもなく、平然と遂行する徹底したプラグマティズムこそ、カペッロの真骨頂である。

選手に恨まれようが、マスコミに叩かれようが、サポーターに嫌われようが、一切構わない。結果こそがすべて。ミランでも、ローマでも、ユヴェントスでも、そして10年前のマドリーでもそうだったように、カペッロは今回もまた自らのやり方を貫いて、勝利を勝ち取った。

客観的に見て、今回のマドリーでの勝利は、カペッロがこれまで勝ち取ってきた勝利の中で、最もぶざまで見苦しいものだったと言えるだろう。カルデロン会長が、そんな勝利を後ろめたく思って、思わず言い訳をする気持ちは、わからないではない。しかし、彼らが勝利を手に入れるために、そんなカペッロにすがらなければならなかったというのも、また動かしようのない事実なのである。□
 
(2007年8月4日/初出:『エル・ゴラッソ』連載コラム「カルチョおもてうら」)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 新しい著書(共著)『元ACミラン専門コーチのセットプレー最先端理論』が好評発売中。 他の著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。

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