レオナルド来日記念特集第3弾は、ミランの監督を辞してからわずか半年足らずで、今度はインテルの監督に就任した時(10-11シーズン半ば)の話です。この時にはWSDとfootballista、それぞれに原稿を書いたのですが、これはWSDの方。

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「オファーを受け入れるまでに時間はかからなかった。でも本当にこんなことが起こるとは想像もしていなかった」。就任記者会見で当の本人がそう語った通り、レオナルドのインテル監督就任は大きなセンセーションだった。

周知の通りレオナルドは、1997年にプレーヤーとして加入してから昨シーズン末に監督の座を退くまで足かけ14年にも渡って、インテルの最大のライバルであるミランの一員として過ごしてきた。選手時代はともかく、2002年にガッリアーニ副会長の補佐役として経営スタッフに加わってからは、監督を務めた昨シーズンも含めて10年近くクラブの中枢にあったのだ。

最後にはシルヴィオ・ベルルスコーニ会長と決裂する形で去ることになったとはいえ、ミランとこれだけ深いつながりで結ばれていたレオナルドが、そのたった半年後にインテルの監督に就任したというのだから、これは異例の出来事には違いない。

この異例の監督交代をもたらしたのが、ラファエル・ベニテス前監督とマッシモ・モラッティ会長以下クラブ首脳陣との信頼関係の破綻であったことは間違いない。

12月18日、アブダビで行われたクラブW杯を制覇した直後の記者会見、タイトル獲得を祝福すべきその席上で、ベニテスは公然とクラブを批判し最後通牒を突きつけた。

「CWCはシーズン前半の大きな目標だった。このタイトルは我々にさらなる力を与えてくれるだろう。しかし、今の状態のままで前進して行くことは不可能だ。クラブが全面的に私をサポートしてくれなければ。私は100%のサポートを必要としている。

監督に就任した時、クラブは新戦力3人の獲得を約束したにもかかわらず、実際には1人も獲ってはくれなかった。故障者が続出したことにも明らかな原因があったにもかかわらず、すべて私の責任であるかのように言われ続けた。過去2年間、インテルの選手たちはひどく酷使されてきたにもかかわらず、練習には筋力トレーニングがまったく取り入れられていなかった。故障の最大の原因はそれだ。

今クラブは3つの選択肢を持っている。プロジェクトを見直して冬のメルカートで選手を4人補強するか、今のまま監督1人にすべての責任を押し付けてシーズンを送るか、それとも会長が私の代理人と話するか、そのいずれかだ」

この唐突な爆弾発言が明らかにしたのは、ベニテスは就任以来一度たりとも、クラブ首脳との間に全面的な信頼関係を築くことができなかったという事実だ。

今シーズンのインテルは、誰が監督になってもモウリーニョという偉大過ぎる前任者と常に比較されるという難しい状況にあった。カペッロ、ヒディンク、スパレッティ、ドゥンガといった候補の中からベニテスを指名したのは、少なくともその時点では妥当な選択であるように見えた。

しかしおそらくモラッティ会長は、この選択に100%納得していたわけではなかったのだろう。8月下旬のUEFAスーパーカップでアトレティコ・マドリーに完敗を喫した後、当初約束していたというレギュラー級3人の補強を見送ったのも、もちろん財政上の要請はあったにしても、このままベニテスに長くチームを委ねて行くべきかどうか、すでに迷いを抱き始めていたからではないか。

そう考えれば、開幕してからの数ヶ月、インテル首脳陣がそれほど熱心にベニテスを守ろうとしてこなかったことにも説明がつく。

そもそもベニテスは、チームの選手たちも完全には掌握していなかったように見える。サッカーのコンセプトも毎日のトレーニングメソッドも、ベニテスのそれはモウリーニョとは少なからず異なるものだ。

モウリーニョのやり方で結果を出したチームに、それを納得ずくで受け入れさせるのは簡単なことではなかったはず。キヴが試合中に戦術的な問題でベニテスに食ってかかったり、エトーやスタンコヴィッチが途中交代時に不満を露にしたりと、監督とチームが全面的な信頼関係で結ばれていない兆候は、シーズン序盤からすでに明らかだった。

つまるところ、ベニテスはモウリーニョの幻影に打ち勝つことができなかったということだ。クラブから全面的な信頼を得られず、それゆえチームに対しても強いリーダーシップを発揮することができない(クラブのトップが評価していない監督の言うことを誰が聞くだろうか)という状況が続く中、ベニテスはある時点で、CWCをひとつの節目として、自分を全面的に支えるか、それとも見限るかという選択をモラッティ会長に突きつけようという決心を固めたに違いない。決勝後の会見はその結果だった。

ベニテスが突きつけたこの選択に対するモラッティの答えも、おそらく最初から決まっていた。彼もある時点からベニテスに対する不信感を(建前上の発言はどうあれ)隠すことができなくなっていた。ダービーでミランに完敗を喫した時には「以前の私なら監督をクビにしていただろう」と口走ったほどだ。

だが問題は、シーズン中の途中解任がほとんど常にそうであるように、後任監督の人事だった。モラッティにとって夢の監督であるグアルディオラは、もちろん獲得不可能。ベニテスを今シーズン一杯引っ張り、その間に来シーズンからの招聘に向けて説得に乗り出すというのが、モラッティの夢に希望をつなぐ上では最もいい展開だったのだろうが、その可能性は消えた。

いずれにしても選択肢は、今シーズン一杯を乗り切る「つなぎ」の監督を半年契約で迎え、中期的なプロジェクトの見直しを先延ばしにするか、それとも今後数年を委ねることができる「つなぎ」ではない本格的な後任監督を見出すかの2つにひとつ。

前者は、シーズン終盤ならともかくまだ12月であり、CL、スクデット、コッパ・イタリアとすべてのタイトルの可能性を残している現時点では、賢明な選択とは言い難かった。候補に挙がったゼンガやバレージ(内部昇格)も、経験・実績ともに未知数な部分が多く、残り半分のシーズンを委ねるにはリスクが大き過ぎるように見えた。

だが後者も、シーズン途中ゆえに招聘可能な人材が大きく限定されるというネックがあった。事実、当初候補として名前が挙がったファビオ・カペッロ(イングランド代表監督)、ルチャーノ・スパレッティ(ゼニト・サンクトペテルブルク)は、いずれも現在の契約を解除しない限りインテルのオファーを受けることが不可能で、選択肢からは外さざるを得なかった。

スパレッティに関しては、ロシアリーグがちょうどシーズンオフに入っていたこともあり、本人を説得してゼニトに契約解除を迫らせるというやり方で「強奪」することも不可能ではなかった。しかしそうした強引でアンフェアなやり方をモラッティは好まない。しかもモラッティの本業である石油精製会社SARASは、ゼニトのオーナー企業であるロシアの天然ガス会社ガスプロムとビジネスを行っており、その関係に配慮する必要があった。

そこで浮上してきたのがレオナルドの名前である。モラッティとの関係は、ミランで経営スタッフとして仕事をする中で自ずと知り合い、その後少しずつお互いの間に敬意と共感が醸成されて来たというもの。ミラン、インテルというライバルクラブに分かれていたため、個人的な親交を深める機会はほとんどなかったようだが、公の場では継続的な交流があり、モラッティはその中ですでにレオナルドの優秀なマネジメント能力、そしてその人間性に惚れ込んでいたようだ。昨シーズンミランを率いて見せた手腕がそこに加われば、きわめて魅力的な次期監督候補としてモラッティの目に映ったであろうことは容易に想像がつく。

さらに付け加えれば、古くはピルロやセードルフ、最近はイブラヒモヴィッチと、インテルは自らが手放した選手がミランで活躍するという形で何度も恥をかかされてきた。レオナルドを監督として招聘し大きな成功を収めミランにリベンジするというシナリオも、モラッティにとっては心をくすぐるものだっただろう。

レオナルド自身には、ミランからインテルに「寝返る」ことに抵抗はなかったのだろうか。その疑問に答えてくれるのが、就任記者会見での次のようなコメントだ。

「率直に言えば、私はいつも自分自身のアイデンティティを持った自由な人間であろうとしてきた。ミランに強い結びつきを持っていることは事実だし否定するつもりもない。はじめは選手、続いて経営スタッフ、そして監督として、計13年間も過ごしてきたのだから、それは当然のこと。

でも私はインテルの中にも共感できる部分をたくさん見出している。私は自由な人間だから、それを矛盾だとは思わない。インテルを率いるというのは私にとってあまりにも大きく魅力的なチャレンジだ。予想だにしなかったことだけれど、それにNOということはできなかった」

レオナルドは、インテルのオファーを受け入れるという決断を下した直後、ある意味で恩人でもあるミランのアドリアーノ・ガッリアーニ副会長に電話を入れ報告したという。ガッリアーニはそれに対して祝福のメッセージを送ったと伝えられる。

レオナルドはこうも語っている。

「ミランを辞めた時に、監督という仕事を続けて行くべきかどうか深く考えた。この仕事はとても濃密でデリケートだから。でもインテルからオファーが来た時に、これこそが自分が本当にやりたかったことだとわかった。私は強い刺激を、大きな夢を、困難なチャレンジを探していた。今この時、インテルの監督を引き受ける以上に大きな戦いは他にはない」

レオナルドにとって有利なのは、比較される対象がモウリーニョではなくベニテスだというところだろう。ベニテスは、自らに対してはもちろん、モラッティ会長からチームの選手たちまで、インテルのすべてにつきまとうモウリーニョの幻影と戦わなければならなかった。ポゼッションサッカーという新たなコンセプトを導入しようとしたのも、新戦力の獲得を要求したのもそれゆえだろう。だがレオナルドにはその必要はない。監督としてのアプローチも、ベニテスのそれとは全く異なるものだ。

「インテルはすでにでき上がったチームだ。自らのアイデンティティを思い出すだけで十分だ。私は何も新機軸を打ち出すつもりはない。ただ選手たちがベストの力を出せる環境を整えるだけだ。このチームに必要なのは、多くの勝利を挙げいくつものタイトルを勝ち取っていた当時の自信と落ち着きを取り戻すことだ。スクデット?もちろんチャンスは十分にあると考えている」

事実、ウィンターブレイク明けの2連戦に臨んだインテルは、モウリーニョ時代を彷彿とさせるソリッドでダイナミックなチームに戻っていた。5得点のすべてがMF陣のゴールというのは、組織的な戦術メカニズムが噛み合っていることを示すデータだ。ナポリ、カターニアを下したインテルの戦いぶりを見る限り、チームに「自らのアイデンティティを思い出」させるという第一のステップは成功しつつあるようだ。

モラッティ会長もすっかり上機嫌で、「ベニテスもいなくなったことだし、新戦力を4人くらい獲得するか」と軽口を叩くほど。ベニテスという回り道を経由はしたものの、インテルは最も意外な形でモウリーニョの真の後継者を見出したのかもしれない。□

(2011年1月11日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。