ちょっと前に「セリエA人材流出元年」という2007年に書いたテキストをアップしましたが、これはその続きというか、2年後にはどうなっていたかという話。多少歴史的な考察も入っています。それからさらに6年経った現在は、年俸の相場もチームとしてのステイタスもプレミアリーグやブンデスリーガ、あるいはスペインやフランスのメガクラブの方が明らかに上という状況が定着した一方で、イタリア人選手のクオリティ低下も進んで、国外のトップレベルで活躍しているのはシリーグとヴェラッティ(いずれもPSG)くらいですが……。

bar

レアル・マドリード、ヴィジャレアル、リヴァプール、バイエルン・ミュンヘン、リヨン、ガラタサライ。

これは、チャンピオンズリーグでベスト8に勝ち残ったチームのリストではない。2月に行われたブラジルとの親善試合に招集されたイタリア代表23人のうち、国外でプレーしている選手の所属クラブ一覧である。

ファビオ・カンナヴァーロ、ジュゼッペ・ロッシ、アンドレア・ドッセーナ、ルカ・トーニ、ファビオ・グロッソ、モルガン・デ・サンクティス。代表クラスのプレーヤーがこれだけ多く国外に「流出」しているというのは、過去には例がないことだ。

他にも、アンドレア・バルザーリ、クリスティアン・ザッカルド(共にヴォルフスブルク)、エミリアーノ・モレッティ(ヴァレンシア)、マッシモ・オッド(バイエルン)、フラヴィオ・ローマ(モナコ)といった有力プレーヤーが国外のクラブでプレーしている。

結論から言えば、これには2つの側面がある。ひとつは純粋に金銭的なそれで、ビッグ3(インテル、ミラン、ユヴェントス)を除けば、イタリア国内のクラブよりも、ドイツ、イングランド、スペインのクラブがオファーする年俸の方が条件が良くなってきていること。

もうひとつは、代表招集をめぐる環境の変化、つまり、国外でプレーする選手を代表に招集することに関して、かつてあったような抵抗がなくなっていることだ。そしてこのいずれにも、ヨーロッパの中でセリエAのレベルが相対的に低下してきた(経済的にも戦力的にも)という事実が直接、間接に関係している。

実をいえば、イタリア人選手の「国外流出」が最も盛んだったのは、現在ではなく今から10年ほど前、90年代末期のことだ。97-98シーズンに国外のクラブでプレーしていたイタリア人プレーヤーは、イングランド、スペイン、フランス、スコットランドの4カ国で計30人を数える。ボスマン判決によってEU圏内の外国人枠が撤廃され、イタリアに限らずEU各国で一気に人材の流動化が進んだのが、この時期だった。

イタリアからの主な「流出先」は、イングランドとスペイン。96-97シーズンに、ジャンルカ・ヴィアッリ(ユヴェントス→チェルシー)、ファブリツィオ・ラヴァネッリ(ユヴェントス→ミドルスブラ)、ジャンフランコ・ゾーラ(パルマ→チェルシー)という大物が移籍したのを皮切りに、その後ピエルルイジ・カジラギ、ロベルト・ディマッテーオ(共にラツィオ→チェルシー)、ステーファノ・エラーニオ(ミラン→ダービー・カウンティ)、ニコラ・ベルティ(インテル→トッテナム)といった代表経験者がイングランドに移籍している。スペインにも、アメデオ・カルボーニ(ローマ→ヴァレンシア)、クリスティアン・パヌッチ(ミラン→レアル・マドリー)、そしてクリスティアン・ヴィエーリ(ユヴェントス→アトレティコ・マドリー)が活躍の場を求めた。

これらのケースに共通しているのは、いずれもイタリアのビッグクラブで戦力として絶対不可欠な存在ではなくなりつつあった30歳前後のベテランだということ。まだ24歳でアズーリのエースとしてフランス98を戦うことになるヴィエーリ、クラブとの確執で国外に「亡命」した格好だったパヌッチを除くと、いずれも現役代表ではなく元代表だった。

当時、イングランドでは90年代初頭に発足したプレミアリーグが軌道に乗り、多くのクラブが株式上場を果たすなど、フットボールビジネスが拡大期にあり、イタリアやドイツからキャリアのピークを過ぎた有名選手を高給でリクルートし、戦力強化を図ろうとする中堅クラブが少なくなかった。

当時は、セリエAが文句なしにヨーロッパ最高のレベルを保っていたため(UEFAカントリーランキングでもイタリアがトップだった)、国外への移籍はそれ自体が「都落ち」と捉えられることが多かった。上に挙げた選手たちも、一握りの例外を除き、キャリアの終盤を迎えて、トップレベル(=イタリアのビッグクラブ)でプレーすることを諦める代わりに、より多くのカネを稼げる外国でプレーするという選択をした結果の移籍だった(ちなみにその嚆矢となったのは94年にインテルからジュビロ磐田に移籍したトト・スキラッチである)。

実際、当時の代表監督(マルディーニ、ゾフ、トラパットーニ)は、国外のクラブでプレーする選手を招集することにきわめて消極的だった。ロベルト・バッジョが、イングランドやスペインから巨額のオファーを受けながら、2002年のワールドカップに出たい一心でブレシアへの移籍を決めたことはよく知られている。

その後、ボスマン判決直後の無節操な人材流動化が一段落したこともあって、国外でプレーする選手の数は、2000年代に入ると減少傾向を辿り、02-03シーズンには4年前の半分以下にとどまっている。その大部分は、90年代末から継続してプレーを続けているプレーヤー(ゾーラ、ディ・カーニオ、シモーネ、カルボーニなど)だった。

だが、20代の若手・中堅プレーヤーが国外移籍を選ぶケースが出始めたのもこの頃から。マッシモ・マッカローネ(現シエナ)が、セリエBのエンポリから23歳でミドルスブラに移籍したのは02-03シーズンのことだ。04-05シーズンには、クラウディオ・ラニエーリを監督に迎えたヴァレンシアが、エミリアーノ・モレッティ(ボローニャ・23歳)、マルコ・ディ・ヴァイオ(ユヴェントス・28歳)、ベルナルド・コッラーディ(ラツィオ・28歳)、ステーファノ・フィオーレ(ラツィオ・29歳)と、4人のイタリア人を獲得、05-06シーズンにはファブリツィオ・ミッコリが26歳でユヴェントスからベンフィカに、エンツォ・マレスカが25歳でフィオレンティーナからセヴィージャに移籍している。

ここに挙げた若手・中堅は当時いずれも、イタリア代表にはあと一歩手が届かないというレベルにあったプレーヤーである。セリエAの中堅クラブではレギュラーが確約されるが、ビッグ3では難しいレベルと言い換えてもいい。こうしたプレーヤーにとって、国外のクラブでプレーするという選択肢が現実のものになってきたのが、2000年代半ばだった。

当時のセリエAは、フィオレンティーナ、ナポリ、トリノが破産、ラツィオ、パルマ、ローマが深刻な財政難に陥るなど、経済的に困難な時期を迎えつつあった。中堅プレーヤーの年俸水準は横ばいから下落傾向に向かい始め、同じくらいのレベルならば、プレミアリーグやリーガ・エスパニョーラのクラブの方が、金銭的に有利なオファーを出すようになってきた。

また、2004年に代表監督に就任したリッピは、前任のトラパットーニとは異なり、国外でプレーする選手を「差別」しない方針を打ち出していた(モナコでプレーするGKフラヴィオ・ローマが代表に招集されたのがその一例)。こうして、国外移籍を躊躇させる「壁」が低くなってきたというわけだ。

とはいえ、代表レギュラークラスの「流出」が本格化するためは、2006年夏のカルチョポリという大きな引き金が必要だった。セリエB降格処分を受けたユヴェントスから、カンナヴァーロがファビオ・カペッロ監督の引きでレアル・マドリードに、ザンブロッタはバルセロナにそれぞれ移籍する(イブラヒモヴィッチ、ヴィエイラはインテルに引き抜かれた)。

ワールドカップで優勝を勝ち取ったばかりのアズーリの主力選手が、国外のメガクラブに引き抜かれるというのは、ショッキングな出来事だった。しかし、ユヴェントスに加えてミランもカルチョスキャンダルの余波で大幅な減点処分を受けるという状況下では、イタリア国内にはインテル以外に彼らに見合った年俸を支払えるだけの「受け入れ先」がなかったことも事実だった。インテルは06-07シーズン、イブラヒモヴィッチ、ヴィエイラに加え、パレルモからグロッソも獲得している。

カンナヴァーロとザンブロッタに端を発した代表レギュラークラスの国外流出は、その後も続いている。07-08シーズンには、そのグロッソがインテルからリヨンに、トーニがフィオレンティーナからバイエルンに移籍し、今シーズンはバルザーリ、ザッカルド、ドッセーナが国外移籍を選んだ。

彼らに共通しているのは、オファーされた年俸が、セリエA有力クラブのそれを大きく上回る水準にあったということ。例えば、トーニがバイエルンを選んだのは、600万ユーロともいわれる高年俸が大きな理由だった(ミランも獲得を目論んだがその提示額は大きく劣っていたとされる)。フィレンツェ生まれのヴィオラサポであるバルザーリには、フィオレンティーナからもオファーが出されていたが、提示された年俸は160万ユーロで、ヴォルフスブルクのそれ(250万ユーロ)の3分の2にも満たなかった。ドッセーナもリヴァプールで、ウディネーゼ時代(30万ユーロ)の4倍の年俸(120万ユーロ)を稼いでいる。

プレミアリーグ、ブンデスリーガは、近年経済的に大きな成功を収めたことで、年俸の水準が上昇傾向にある。一方、セリエAのそれは相変わらず横ばいから下落傾向。ビッグ3もインテルを例外に人件費を圧縮する動きを強めており、ローマ、フィオレンティーナ、ジェノア、ナポリ、パレルモといったクラブですら、主力数人を除く大部分の選手は、年俸150万ユーロ以下、ウディネーゼ、サンプドリア、ラツィオになると、レギュラークラスの平均年俸は100万ユーロに遠く届かない。

この現状を考えると、今後もバルザーリやドッセーナのように、中堅クラブで頭角を現したが、ビッグ3から声がかかるにはあと一歩というレベルの若手・中堅が、国外から好条件のオファーを受けて「流出」する、というケースは出てくる可能性が高い。□
 

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。