アジア資本への株式売却(48%)が決まって、久々にメルカートで派手な動きを見せている今夏のミラン(久々すぎて動き方を忘れてしまったのか、コンドグビアをインテルに強奪されたりしていますが……)。ついこの間までの緊縮路線を決定づけた2012年夏のイブラ&T.シルバ売却事件の顛末についてのテキストをどうぞ。

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激動の夏。

ミランの12-13プレシーズンをひとことで表すならば、これ以上の言葉はないだろう。ガットゥーゾ、ネスタ、セードルフ、インザーギなど、アンチェロッティの下で00年代の栄光を築いたレジェンドたちが揃ってチームを去り、世代交代と共に人件費削減を主眼とするリストラが一気に進展するところまでは、予め予想がついていた。

しかし、シーズン終了直後の時点で「彼ら2人のトッププレーヤーが新たなチームの中核を担う」(ガッリアーニ副会長)と言われていたイブラヒモヴィッチとティアーゴ・シルヴァまでがミラネッロから姿を消すことになると予想した向きは、ほとんどいなかったはずだ。

イブラヒモヴィッチとティアーゴ・シルヴァを中核に据えてチームを再構築するはずだったミラン周囲にきなくさい空気が漂い始めたのは、11-12シーズン閉幕直後から。

イブラがロッカールーム内で周囲と対立しているという噂がマスコミに流れ、本人が「去就を決めるのは俺だ」とコメントしたのが5月下旬。代理人のミーノ・ライオラも「ズラタンがどうするかは9月1日の時点で明らかになっているだろう」と思わせぶりなコメントを出す。

6月に入ると、ティアーゴ・シルヴァの「第1次」PSG移籍騒動が勃発した。現時点で世界最高のセンターバックという評価を確立しているシルヴァが、バルセロナ、マンチェスター・シティ、PSGといった資金力でミランを大きく上回るクラブのターゲットになっていたことは周知の事実だったが、すでに見た通りミランは「出すつもりはない」と明言してすべてのオファーを断っているとされてきた。ところが6月11日、仏『レキップ』紙にPSGのレオナルドSDとの間で移籍話が具体化、と報じられ、翌12日にはガッリアーニ副会長がパリに飛んで交渉のテーブルに就く。移籍金4200万ユーロ、年俸750万ユーロの5年契約で話はほぼまとまった、と報じられるまで、それほどの時間は必要としなかった。

しかし、仏伊双方のメディアが「13日にはサイン」と報じたにもかかわらず、ガッリアーニは交渉をまとめることなく手ぶらでパリを後にする。最終決断はベルルスコーニ会長に委ねられた、というニュースが流れ、ミランのオフィシャルサイトに「我々のベルルスコーニ会長は決断を下した。ティアーゴ・シルヴァはミランに残る!」という公式声明が掲載されたのは、翌14日のことだった。

一度は両者が合意に達しながら、最後は会長の「鶴の一声」で破談になるという展開は、2009年1月に起こったカカのマンC移籍騒動と瓜二つ。その時と同じように、「ミランへの愛」を経済的利害に優先させるという決断を下してサポーターに恩を売ったベルルスコーニだけが株を上げることになった。それもあって、一部では「あの移籍話はベルルスコーニが仕組んだ茶番劇だった」という声も上がったほどだった。

カカのマンC移籍騒動が幕を閉じたのは冬のメルカート閉幕間際だったが、その半年後にカカはR.マドリーに移籍することになった。しかし今回は、夏のメルカートがクローズするまでに2ヶ月半もの時間が残されている。このままで終わるとは限らない、という味方をする向きも、一方では少なくなかった。

そうした観測の背景にあったのは、ミラン、そしてそのオーナーであるベルルスコーニ会長が抱える深刻な財政状況である。昨シーズンまでのミランには、クラブの売上高2億ユーロ強に対して、支出がおよそ3億ユーロに及ぶという赤字経営体質が染みついており、年間6000-7000万ユーロの支出超過が続いていた。その穴埋めをするのは、もちろんベルルスコーニである。イタリア指折り、世界でもトップ100に入る資産家だけに、この程度の支出は大したことはないはずだったが、ここに来て事情は大きく変わりつつある。ベルルスコーニの「本丸」であるグループの持ち株会社「フィニンヴェスト」(ミランの親会社でもある)の財政状況が急激に悪化しているのだ。

ここ数年深刻さを増している経済危機の影響に加えて、昨年7月には20年前にベルルスコーニが行った企業買収をめぐる不正行為の賠償金として、5億6000万ユーロという巨額の支払いを要求する高等裁判所の判決が下った。日本円にして約560億円もの大金を、しかもキャッシュで支払わなければならないというのは、ベルルスコーニほどの大富豪にとってもきわめて大きな負担である。なにしろこれはフィニンヴェストのキャッシュフローの3/4にあたる金額なのだ。いくら「ミランへの愛」にあふれたベルルスコーニといえども、本丸が傾きかけている時に道楽にこれ以上カネを注ぎ込むことは許されない。

実際、このオフにミランが取り組んでいる緊縮路線は、これまでとはレベルが違う徹底した内容だ。年俸には、ひと握りの主力を除いて上限200万ユーロというサラリーキャップが設定された。これは、ナポリ、フィオレンティーナといった中堅クラブのそれと同じ水準だ。ミランは元々、年間1億5000万ユーロ(売上高の約2/3)という高額の人件費を抱えており、収支改善のためにはこれをいかにして圧縮するかが唯一最大のテーマだった。その観点だけに話を限れば、税込み年俸240万ユーロのイブラヒモヴィッチと同120万ユーロのティアーゴ・シルヴァの放出は、最も劇的な効果をもたらす一手であることは間違いないところだった。それだけで、人件費の4分の1を削減することが可能なのだから。

しかしもちろん、問題は2人を放出すればチームの戦力水準もまた劇的に低下することは明らかだということ。昨シーズンのミランにとって、イブラヒモヴィッチは仕掛けからフィニッシュまで、攻撃のあらゆる局面を司る絶対的なキープレーヤーであり、ティアーゴ・シルヴァはチームが攻撃的に振る舞うがゆえに高い頻度で生じる守備のあらゆる綻びをたったひとりで縫い合わせ、失点の危機からチームを救う守備の要だった。この2人を一気に失うということが、ミランにとってどれだけ巨大な損失であるかは、誰にでも想像できる。

しかしミランが最終的に選んだのは、戦力維持よりも収支改善だった。7月に入ってPSGが改めて出してきたオファーは、イブラヒモヴィッチとティアーゴ・シルヴァがセットで6500万ユーロ。交渉が本格的に動き出したという噂が伝えられ始めた7月11日の時点で、ミランはすでに2人の放出に同意していたことは、その後流れてくる交渉の経緯がほとんど、イブラヒモヴィッチの代理人ミーノ・ライオラとPSGの間で進んでいる話し合いの経緯に関するものであったことからも、容易に想像がついた。ティアーゴ・シルヴァは6月の時点ですでに、クラブ間で話がまとまれば移籍を受け入れる姿勢を明らかにしていた。イブラがPSG行きを受け入れれば、それで話はまとまるということである。

ティアーゴ・シルヴァの移籍が決定したと報じられたのが7月16日。翌17日にはイブラヒモヴィッチの移籍も発表された。PSGはさらに、今季セリエAに昇格したペスカーラの若きプレーメーカー、ヴェラッティの獲得も発表する。翌18日の入団記者会見で、イブラヒモヴィッチはこうコメントした。

「ミランでプレーできたことは幸せだった。彼らには感謝している。しかしここにはミランで見るよりももっと大きな未来がある。このクラブはドリームチームを作り上げようとしている。全員がこのチームの持っている可能性を信じるならば、ヨーロッパでも指折りの強いチームになれるはずだ」

一方、ブラジル五輪代表合宿で19日、PSGの選手として初めての記者会見に臨んだティアーゴ・シルヴァはこう語っている。

「この移籍には満足している。しかしミランを去らなければならなくなったことは残念に思っている。ぼくの今があるのはすべてミランのおかげだから。サポーターには謝らなければならない。言っておきたいのは、この移籍はぼくの決断ではないということだ。ぼくは一度、ミランに残るという難しい選択をした。しかし、その思いとは別のところで別の決断が下された。ぼくはそれを受け入れなければならなかった。これがサッカーの世界というものだ」

確かなのは、イブラヒモヴィッチとティアーゴ・シルヴァは移籍を自ら望んでミランを去ったわけではなく、ミランが彼らを売却するという選択をしたということ。1986年にクラブを買収して以来20年以上にわたり、ベルルスコーニとガッリアーニは「ミランは金のためだけに主力選手を売ることはしない」と言い続けてきた。

それが初めて覆されたのは、3年前のカカ移籍(シェフチェンコのケースは事情が異なる)。しかしカカのケースは、R.マドリーから6800万ユーロという巨額の移籍金を提示されたという事情による、例外的なケースだと当時は受け止められていた。だが今回の一件は、ミランもついに、なりふり構わず「愛」よりも「カネ」を優先しなければならないところまで追い込まれたことを示している。ベルルスコーニが気前よく財布の紐を緩め、偉大なチームを支え続けるという幻想にも、ついに終わりが来たのだ。

すべての決着がついた7月20日、アッレーグリ監督は「ミランにとって今年は紀元0年だ」とコメントした。00年代の英雄たちはおろか、1年2ヶ月前にスクデットを勝ち取ったチームすら影も形も無くなってしまったのだから、そう言わなければならないのは当然のことである。今シーズンのミランは、大幅に刷新され、しかも大きく戦力を落としたチームにひとつの形を与え、クラブ経営にとって生命線であるCL出場権にしがみつくという、きわめて困難なミッションを戦う。□

(2012年7月25日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。