ひとつ前のエントリーの付録にあたる資料編。タイトル通り、時系列でカルチョポリの流れを振り返っています。

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2005年9月21日
トリノ検察局長が、ユヴェントの「2004年8〜9月に行ったユヴェントスとFIGC審判部に対する「スポーツにおける詐欺罪」容疑での電話傍受捜査(最終的には証拠不十分で不起訴)の報告書前半部分を、フランコ・カラーロFIGC会長に提出。

2006年3月4日
トリノ検察局長が、同報告書の後半部分をカラーロ会長に提出。FIGC調査室(イタロ・パッパ室長)が事実関係の調査を水面下で始める。

2006年5月3日
トリノ検察局の捜査資料がマスコミ各紙に流出。ルチアーノ・モッジ(ユヴェントスGD)、ピエルルイジ・パイレット(FIGC審判部指名責任者)、インノチェンツォ・マッツィーニ(FIGC副会長)の名前が挙がる。

2006年5月6日
ナポリ検察局が04-05シーズンを通じて大規模な電話傍受捜査を行っていた事実も判明。この後、膨大な捜査資料がマスコミ各紙に流出し、ほぼ2週間に渡って毎日のように新事実が報道される。捜査対象者のリストには、FIGC役員・職員、クラブ首脳、主審、副審、ジャーナリストなど、41人が名前を連ねていることが明らかになる。

2006年5月8日
カラーロFIGC会長が辞任。その後、検察の捜査対象となったマッツィーニ副会長、フランチェスコ・ギレッリ事務局長も辞任し、旧役員陣はジャンカルロ・アベーテ副会長(イタリア代表担当)が残るだけとなる。

2006年5月15日
首脳陣不在となったFIGCに、CONIが特別コミッショナーとして、グイード・ロッシ弁護士を任命。

2006年5月19日
FIGC調査室のイタロ・パッパ室長が辞任。後任に元ミラノ検事局長のフランチェスコ・サヴェリオ・ボレッリが任命される。トリノ、ナポリ両検察局から捜査資料の提供を受け、FIGC内での処分を決定するために行われるスポーツ裁判に向けた内部調査を開始。

2006年6月19日
FIGC調査室による内部調査が終了。調査結果を受け、ステーファノ・パラッツィFIGC検察官が、FIGC査問委員会(スポーツ裁判一審)に提訴する求刑内容の検討に入る。

2006年6月29日
FIGC査問委員会(スポーツ裁判一審/チェーザレ・ルペルト委員長)が、ローマのスタディオ・オリンピコ会議室で開廷。

2006年7月4日
パラッツィ検察官が求刑内容を陳述。

2006年7月14日
FIGC査問委員会(スポーツ裁判一審)の判決下る。内容は別表(この文末)の通り。

2006年7月22日
FIGC控訴委員会(スポーツ裁判二審/ピエトロ・サンドゥッリ委員長)が開廷。

2006年7月25日
FIGC控訴委員会(スポーツ裁判二審)の判決下る。内容は別表(この文末)の通り。

2006年7月26日
FIGCがUEFAに欧州カップ出場8チーム(CL4、UEFA4)の最終リストを提出。

2006年8月11日
レッジーナ、アレッツォを対象とするFIGC査問委員会(一審)が開廷。

2006年8月21日
FIGC査問委員会(一審)でレッジーナ、アレッツォへの判決下る。内容は別表(この文末)の通り。
2006年8月23日
スポーツ裁判の最終プロセスであるCONIの調停委員会がスタート。9月5日まで、ユヴェントス、フィオレンティーナ、ミラン、ラツィオが順次出頭し、FIGCとの間で調停が行われるが、いずれも調停は成立せず、二審の判決内容には変化なし。

2006年8月24日
ユヴェントスが、ラツィオ州行政裁判所に、FIGCスポーツ裁判の判決無効と1億3000万ユーロの損害賠償を求める民事訴訟を提訴。

2006年8月26日
FIGC控訴委員会(二審)でレッジーナ、アレッツォへの判決下る。内容は別表(この文末)の通り。

2006年8月31日
ユヴェントス、ラツィオ州裁判所に提出していた民事訴訟の提訴を取り下げる。

2006年9月18日
テレコム・イタリア会長に就任したグイード・ロッシが、FIGC特別コミッショナーを辞任。後任にはCONI副会長のルカ・パンカッリが就任。

2006年10月11日
スポーツ裁判の最終的な調停機関となるCONI審議委員会がローマで開かれる。

2006年10月27日
CONI審議委員会の調停結果が発表され、ユヴェントス、フィオレンティーナ、ラツィオ、ミランのペナルティが確定。内容は別表(この文末)の通り。

2006年12月12日
レッジーナ、アレッツォに対するCONI審議委員会の調停結果が発表。内容は別表(この文末)の通り。

※以下、各クラブに対する容疑と求刑、判決の推移一覧。表にした方がわかりやすいと思います。

<ユヴェントス>
容疑:審判に影響力を行使するための「モッジ・システム」構築の首謀者。ユヴェントス対ラツィオなど3試合に対する操作の疑い。
求刑:セリエAからの除名。過去2シーズンのスクデット剥奪。FIGCコミッショナーの判断により、セリエC1(3部リーグ)以下のリーグに降格の上、06-07シーズンはマイナス6ポイントのペナルティ。
一審判決:セリエA05-06シーズンは最下位扱いでセリエB降格。06-07シーズンはマイナス30ポイントのペナルティ。
二審判決:06-07シーズンのペナルティをマイナス17ポイントに減免。
CONI調停結果:マイナス9ポイントまでペナルティ減免。

<フィオレンティーナ>
容疑:ボローニャ対フィオレンティーナなど5試合について、「モッジ・システム」への働きかけを通じた操作の疑い。
求刑:セリエA05-06シーズンは最下位扱いでセリエB降格。06-07シーズンはマイナス15ポイントのペナルティ。
一審判決:セリエA05-06シーズンは最下位扱いでセリエB降格。06-07シーズンはマイナス12ポイントのペナルティ。
二審判決:05-06シーズンは勝ち点74ポイントから30ポイントを剥奪。4位から9位に格下げでセリエA残留。06-07シーズンはセリエAでマイナス19ポイントのペナルティ。
CONI調停結果:マイナス15ポイントまでペナルティを減免。

<ラツィオ>
容疑:ラツィオ対ボローニャなど3試合について、「モッジ・システム」およびフランコ・カッラーロFIGC会長(当時)への働きかけを通じた操作の疑い。
求刑:セリエA05-06シーズンは最下位扱いでセリエB降格。06-07シーズンはマイナス15ポイントのペナルティ。
一審判決:セリエA05-06シーズンは最下位扱いでセリエB降格。06-07シーズンはマイナス7ポイントのペナルティ。
二審判決:05-06シーズンは勝ち点62ポイントから30ポイントを剥奪。6位から16位に格下げでセリエA残留。06-07シーズンはセリエAでマイナス11ポイントのペナルティ。
CONI調停結果:マイナス3ポイントまでペナルティを減免。

<ミラン>
容疑:審判担当スタッフのレオナルド・メアーニを使い、ミラン対キエーヴォにおいてミランに有利な判定をする審判の指名を働きかけた疑い。
求刑:セリエA05-06シーズンは最下位扱いでセリエB降格。06-07シーズンはマイナス3ポイントのペナルティ。
一審判決:セリエA05-06シーズンは、勝ち点88ポイントから44ポイントを剥奪し、2位から8位に格下げ。06-07シーズンはマイナス15ポイントのペナルティ。
二審判決:05-06シーズンは勝ち点88ポイントから30ポイントを剥奪、2位から3位に格下げ。それに伴い、チャンピオンズリーグの予備予選出場権を回復。06-07シーズンはマイナス8ポイントのペナルティ。
CONI調停結果:ペナルティはマイナス8ポイントで変わらず。

<レッジーナ>
容疑:レッジーナ対アタランタなど11試合について、「モッジ・システム」への働きかけを通じた操作の疑い。
求刑:セリエA05-06シーズンは最下位扱いでセリエB降格。06-07シーズンはマイナス15ポイントのペナルティ。
一審判決:セリエA残留、06-07シーズンはマイナス15ポイントのペナルティ。
二審判決:一審判決と変わらず。
CONI調停結果:ペナルティをマイナス11ポイントまで減免。

<アレッツォ>
容疑:アレッツォ対アヴェッリーノなどについて、「モッジ・システム」への働きかけを通じた操作の疑い。
求刑:セリエB05-06シーズンは最下位扱いでセリエC1降格。06-07シーズンはマイナス3ポイントのペナルティ。
一審判決:セリエB残留、06-07シーズンはマイナス9ポイントのペナルティ。
二審判決:ペナルティをマイナス6ポイントまで減免。
CONI調停結果:ペナルティはマイナス6ポイントで変わらず。

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。