FC東京は、長友を売却した移籍金をチェゼーナからまだ払ってもらっていない、というニュースを耳にしました。これはそのチェゼーナからインテルに電撃移籍した経緯をまとめたテキスト。以前アップしたものはエルゴラに寄せた速報版でしたが、こちらはその1週間後、別の媒体に書いたロングバージョンです。

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「カルジャの獲得でインテルのメルカートは終了した。次の補強は6月。いくつかはすでに準備が進んでいる」
インテルの強化責任者であるマルコ・ブランカTDがそう語ったのは、1月29日土曜日のこと。

この日までにインテルは、ジェノアからCBアンドレア・ラノッキアとMFフシン・カルジャ、サンプドリアからFWジャンパオロ・パッツィーニと、凖レギュラー級を3人獲得し、ミランと並ぶメルカートの主役と言っていい活発な動きを見せていた。

この補強によって、戦力的にも穴らしい穴はほぼなくなり、カンピオナート、CL、コッパ・イタリアという3つのコンペティションを戦う後半戦の過密日程に向けた準備は整った、というのがインテルウォッチャーに共通の見方だった。メルカート期間中噂に上ったサンチェス、ガンソ、ベイルといった「大物」は、インテルの補強予算を超える値札がついており、いずれにしてもすぐに獲得するのは事実上不可能と考えられていた。

ところが、メルカート最終日となった1月31日月曜日、インテルの周辺では朝から左サイドバックの獲得に向けた慌ただしい動きが出始める。

最初に流れたのは、ドメニコ・クリーシト(ジェノア)が本命だという情報だった。しかしすぐに、インテルは移籍金600万ユーロ+ダヴィデ・サントンの保有権というオファーを出したが、ジェノアのプレツィオージ会長はそれを断ったという話が伝わり、レト・ツィークラー(サンプドリア)と長友祐都(チェゼーナ)も候補に上がっているという話がそれに続く。

ツィークラーはサンプドリアとの契約がこの6月に満了する見通しで、すでにラツィオとの間で来季からの契約について合意が成立していると言われている。インテルがそこに割って入るのは簡単ではないだろうという観測が強かった。

そうした流れの中で長友が本命に浮上してきたのは、時計が12時を回ってからのこと。チェゼーナのイーゴル・カンペデッリ会長が、近い関係にある代理人フェデリコ・パストレッロを伴ってミラノの中心部にあるインテルのクラブオフィスに姿を消した、と報じられたのだ。

しかしそもそも、どうしてインテルが最終日になって突然左SBの獲得にばたばたと動き出したのか。その秘密はおそらく、この前日、1月30日夜に行われたパレルモ戦にある。

パレルモに2点を先制されながら後半3点を挙げて逆転したこの試合、左SBに入ったサントンは先制点のきっかけとなったカバーリングミスをはじめ不甲斐ないプレーを繰り返し、前半だけで交代させられることになった。開幕からチャンスを与えられるたびに期待を裏切り、最近はゴール裏からもブーイングを浴びることが多かったこのユース上がりの若きタレントは、後半戦を戦う上で左SBのバックアップとして信頼できるレベルにはない、という結論を、インテル首脳陣はおそらくこの時点で下したのだろう。

こうして、サントンにはプレッシャーが少ないプロヴィンチャーレへのレンタルで安定した出場機会を得て経験を積んでもらい、その代わりに信頼できる左SBを獲得するというのが、メルカート最終日におけるインテルの唯一最大の目標になった。

14時過ぎ、インテルのオフィスから昼食を摂るために一旦出てきたカンペデッリ会長は、マスコミに対して「長友の移籍について話し合っている。交渉をまとめるための状況が整ってきている」とコメント。それから1時間後には、チェゼーナでの練習を終えた長友がミラノに向かって出発した、というニュースが流れる。この時点でインテルは完全に長友にターゲットを絞り、具体的な詰めの交渉に入っていたようだ。だが、移籍を成立させるためにはまだ、いくつかの障害が残されていた。

ひとつは手続き上の問題。FC東京からチェゼーナへの移籍が、買い取りオプションがついたレンタル移籍だったことは周知の通り。チェゼーナがこのオプション(設定された移籍金は推定150万ユーロ)を行使して完全移籍の手続きを取ったと伝えられたのは、このわずか3日前、1月28日のことだった。

しかし、FC東京とチェゼーナのいずれからも、完全移籍が成立したという発表は出ていないまま。チェゼーナのように経営規模が小さいクラブにとって、150万ユーロという大金を用意するのは簡単なことではない。この時点ではまだ、完全移籍の正式な手続きは完了しておらず、長友の保有権はまだFC東京に残ったままだった。

マスコミでは、「移籍金600万ユーロ+サントンの共同保有権で完全移籍」というオファーの内容も漏れ伝わっていた。しかし、保有権を持っていないチェゼーナの一存でインテルに「売却」するためには、完全移籍の手続きを完了させ、FC東京がJFAから国際移籍証明書を取得することが必要になる。この時点では日本はすでに真夜中に近く、たとえFC東京と連絡が取れたとしても、JFAから証明書の発行を受けることは不可能。レンタル移籍が残された唯一の可能性だった。

もうひとつの問題は、サントンだった。クラブ生え抜きの20歳は、インテルにとって数少ない「バンディエーラ」候補のひとり。期待と比べて伸び悩んでいるからと言って、この時点で完全移籍で手放すことは考えられず、選び得る選択肢は共同保有またはレンタルということになる。

しかしサントン本人は移籍そのものに積極的ではなく、チェゼーナ行きを受け入れさせるためには説得が必要だった。急遽呼び寄せられたサントンが代理人と共にクラブオフィスに姿を現したのは15時過ぎ。サントンがチェゼーナ行きをOKしたという情報が伝わったのは、時計が17時を回ってからのことだった。

移籍形態は共同保有ではなくレンタル、期間は半年で買い取りオプションはつけないというのがその内容。サントンにとっては、来シーズンのインテル復帰が保証されていることが移籍受け入れの条件だったわけだ。

しかし、これでもまだ、すべてが解決したわけではなかった。最も重要な長友との契約締結が、この時点でもまだ行われてはいなかったからだ。例えレンタル移籍であっても、長友本人がインテルとの契約書にサインし、それを31日の19時までにレーガ・セリエAに提出しなければ、移籍は成立しない。残り時間はすでに2時間を切っていた。

刻一刻と移り変わる移籍市場の状況をリアルタイムでレポートし続けていたスカイ・イタリアのメルカート特番が「長友が今インテルのオフィスに到着」と報じたのは、残りあと30分あまりとなった18時23分。すべてが整った移籍関連書類一式を持ったインテルのお抱え運転手が、5kmほど離れたレーガ・セリエAのオフィスに向かってスクーターを飛ばして登録手続を完了したのは、タイムリミットまで10分を切った18時50分過ぎのことだった。そして18時58分には、インテルのオフィシャルサイトが「メルカート:ユウト・ナガトモがインテル入り」という正式アナウンスを掲載する。

移籍の形態は、サントンとのレンタル交換。獲得オプションや共同保有権は双方共に設定されておらず、純粋な期限付きのレンタル移籍である。マスコミレベルでは、国際移籍証明書のファックスが直前に届いたという情報も流れていたが、これは明らかな誤報。イタリアサッカー選手協会(AIC)の選手リストを見ても、長友の保有権はFC東京が持っており、レンタル先がチェゼーナからインテルに変わっただけの形になっている。

とはいえ、チェゼーナとインテルの間では、すでにシーズン終了後の完全移籍について合意が成立しているともいわれる。客観的に見れば、降格の危機に瀕しているチェゼーナが、戦力としてみれば現時点ではサントンよりも高いパフォーマンスが期待できる長友を無償でインテルに貸し出すというのは、明らかに筋が通らない話だ。書類上の手続きが整わなかったためにレンタルという形態になったものの、実質的には完全移籍と変わらない「紳士協定」が両クラブの間で結ばれていると考えていいだろう。

条件は、移籍金が600万ユーロ、長友とインテルとの契約は年俸200万ユーロでの5年契約(2016年6月まで)になると伝えられている(細かい数字はメディアによって異なる)。だが、ある筋によれば、600万ユーロの移籍金はあくまでベースの数字であり、タイトル獲得に長友が貢献した場合には、さらなるボーナスも設定されているらしい。インテルとの移籍交渉を実質的に担った代理人フェデリコ・パストレッロの懐にも、数十万ユーロの報償金が流れるという噂である。

FC東京との移籍交渉を取り仕切ったのは日本とのつながりが深いマッシモ・フィッカデンティ監督だったが(FC東京の立石敬之強化部長は、セリエBのヴェローナで同監督のアシスタントコーチを務めた経験がある)、今回の交渉にはノータッチだったようだ。

ここまで見てきた経緯が示す通り、長友のインテル移籍は、メルカート最終日になって急遽動き出し、その日のうちに一気に決着がつくという文字通りの「電撃移籍」だった。長友自身、アジアカップを終えてイタリアに戻ってきた時には「チェゼーナの残留に貢献したい」と語っており、移籍決定後の囲み取材でも「話を聞いたのは今日」と明言している。

インテルの思惑としては、即戦力のレギュラーとして期待するというよりは、サントンに代わる左SBの信頼できるバックアップとして、その将来性も評価した上で白羽の矢を立てた、ということになるだろう。もし土壇場で登録手続のメドが立たなかった場合には、ジェノアに対して移籍金900万ユーロ+サントンの共同保有権というビッグオファーを緊急措置として用意していたという噂があるのを見てもわかる通り、本命はクリーシトであり、長友はセカンドチョイスだった。

とはいえ、チェゼーナで全試合にスタメン出場を果たし、左SBとしてはセリエAでも5本の指に入る評価を受けていたこと、その上アジアカップでの活躍でさらに印象点を高めていたことを考えれば、最もいいタイミングでステップアップのチャンスを掴んだと言うことができるだろう。

翌日の各紙はいずれも、長友のこの移籍をアレッサンドロ・マトリ(カリアリ→ユヴェントス)と並ぶメルカート最終日のビッグディールとして大きく取り上げ、スポーツ3紙すべての1面に「Nagatomo」の文字が並んだ。

「背は小さいが爆発的なスピードを誇り、ザッケローニ率いる日本のアジアカップ制覇に大きな役割を果たした将来性あふれる24歳」というのが、おおむねどのメディアにも共通した紹介文。インテルの「戦力」としての評価については、まだピッチに立っていないこともあって判断を留保するメディアがほとんどで、むしろどんなプレーを見せてくれるのか興味津々、というスタンスである。

果たして長友はインテルというメガクラブでも戦力として通用するのか?これは誰もが抱く疑問だろう。日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督は、2月5日に地元チェゼナティコで行われた凱旋記者会見において、次のようにコメントしていた。

「長友には移籍が決まった後に電話して、焦らず落ち着いてこの重要なチャンスに取り組むよう助言した。なにしろ3年前には大学のチームでプレーしていた選手だ。Jリーグで2シーズン、チェゼーナでセリエAを半シーズン経験しただけでインテルにたどり着いたのだから大したもの。それにふさわしいプレーを見せてきたということだ。

長友はインテリジェントな選手で、学習能力が非常に高い。監督のリクエストで移籍が決まったこともアドバンテージだ。焦らずに自分を磨き続ければ、インテルでも通用する選手になれるだろう。私はミランとインテルで都合4年間指揮を執ったからわかるが、インテルほどのクラブになるとプレッシャーも非常に大きい。サン・シーロのピッチに立った途端足が震え出す選手を何人も見てきた。それに押し潰されず、落ち着きを保ってプレーことがまずは重要だ」

しかし、チェゼーナでこの半年間長友を指導してきたアシスタントコーチ、ブルーノ・コンカは、長友のメンタル的な強靭さに太鼓判を押す。

「ナガはインテルでも十分やれる。あのスピードがセリエAでも通用したのはチェゼーナでのプレーを見ればわかることだが、何より素晴らしいのは向上心だ。『デーヴォ・ミリオラーレ』(もっと向上しなければ)というのが口癖だった。それに、あいつにはプレッシャーなんか関係ない。回りのことなんて全く気にしてないからね。サン・シーロだってオリンピコだってビビるようなことは全然なかった。どんな状況でも自分の力が出せるあの図太さは大きな強みだよ」

事実、並の選手ならば物怖じしてしまうような世界的なビッグネームが顔を揃えるインテルのロッカールームでも、長友は物怖じひとつせずすぐに回りに溶け込んで、自分の居場所を見つけ出してしまったようだ。移籍後最初の試合だったアウェーのバーリ戦では、終了後にベンチから出て、ピッチから戻ってくる主将サネッティと日本式のお辞儀を交わしていたし、続く2月6日のローマ戦で試合前にスカイ・イタリアのカメラがロッカールームに入った時にも、マテラッツィに「ナガトモー」と呼ばれるや、マッサージルームから戻ってきて、刀で切りつけるポーズを二度、三度と繰り返す道化ぶりを見せていた。

肝心のピッチ上のプレーはどうだろう。まだ移籍後ほんの数日しか練習の機会がなかったこともあり、バーリ戦、ローマ戦は共にベンチスタート。しかしローマ戦では、4-1とリードした後半30分にスナイデルと交代で途中出場し、中盤にポジションを上げたサネッティに代わって左サイドバックのポジションに入った。15分という短い時間ではあったが、守備の局面では最終ラインの一員としてカバーリングやラインの上げ下げという戦術的な動きをミスなくこなし、攻撃ではタイミングのいいオーバーラップで裏に飛び出してローマの右SBカッセッティを振り切り、サイドを深くえぐってマイナスのクロスを折り返すこと二度。スピードと走力という最大の持ち味を早速見せつける、上々の「試運転」だった。

インテルでプレーする上でも、長友の最大のストロングポイントとなるのは傑出したフィジカル能力、とりわけそのスピードと持久力だろう。90分間を通して手を抜かずに上下動を続ける運動量をベースに、攻守両局面でチームをサポートする献身的なハードワーカーとしての資質に関してはキヴを明らかに上回ってサネッティと肩を並べるし、そのサネッティと比較すればスピードという武器が長友にはある。

守備力やリーダーシップまで含めた左SBとしての総合力では、もちろんまだ2人の「大先輩」には及ばないだろう。しかし、ローマ戦で見せたような切れのある攻撃参加を90分にわたって見せることができるとすれば、左サイドからの攻撃に幅と奥行きをもたらす貴重な駒になる可能性は大きい。

CLはともかくセリエAに話を限れば、インテルの試合は引いて守りを固めた格下の相手をほぼ一方的に攻め続けるという展開になることが多い。そうなると、ピッチをワイドに使って相手を揺さぶりサイドから崩す攻撃が不可欠。レオナルド監督も当面はおそらく、守備力よりも攻撃力が求められるプロヴィンチャーレとの試合で長友をピッチに送って経験を積ませつつ、その成長を見守って行くことになりそう。まずは与えられたチャンスに持ち味を発揮し、実績を積み重ねて信頼と評価を勝ち取って行きたいところだろう。□

(2011年2月8日/初出:『週刊サッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。