冬休み読み物特集第5弾は、ロベルト・バッジョが現役引退直前(03-04シーズン)に、トラパットーニ監督の「粋な計らい」で1試合だけイタリア代表に復帰してプレーした「代表引退試合」のレポート。相手はスペインで、20歳になったばかりのフェルナンド・トーレスが輝きまくっていました。

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4月28日、ジェノヴァ。イタリア対スペイン。スタディオ・ルイジ・フェラーリスは、他のどんな試合とも異なる、不思議な空気に包まれていた。

イタリア代表の親善試合だから、セリエAのビッグマッチのような殺気立った雰囲気がないのはわかる。そうはいっても、ヨーロッパ選手権を間近に控えたアズーリが、強豪スペインと手合わせする貴重な機会だ。チームの仕上り具合をシビアにチェックしてやろうという、緊張した空気が漂っていてもまったくおかしくはないはずである。

しかし、3万4000人の観客で超満員になったスタジアムを支配しているのは、サッカーの試合よりもむしろビッグスターのコンサートを連想させるような、やけに賑やかで祝祭めいた空気だった。全員のお目当てはただ1人、5年ぶりにアズーリの背番号10を背負ってピッチに立つイタリアの至宝、ロベルト・バッジョだ。

すでに2ヶ月前から、イタリアサッカー協会とトラパットーニ監督は「その偉大なキャリアとイタリア代表への貢献に敬意を表して」、今シーズン限りの引退を表明したバッジョに、もう一度だけアズーリでプレーする機会を与えたいと表明していた。

試合前のウォームアップで、トレードマークのコディーノを揺らした主役がピッチに姿を現すと、バッジョを賛える横断幕やゲートフラッグで埋め尽くされたスタンドは大きな拍手と歓声に包まれた。どこからともなく「ロベルト・バッジョ!」というコールがわき起こり広がって行く。
 
誰もが知る通り、バッジョにとってアズーリは最も愛着のあるユニフォームである。しかし、バッジョはこれまで、アズーリとワールドカップを巡る様々な出来事を通じて、常に「イタリアをふたつに割る」存在であり続けてきた。

若き期待の星として初めて世界の舞台に立ったイタリア90では、スキラッチとの2トップで大活躍を見せながら、アルゼンチンとの準決勝でスタメンから外され、大きな論争を巻き起す。現役のバロン・ドールとして世界中の期待と注目を浴びて臨んだUSA94では、決勝のPK戦でシュートを外し、悲劇のヒーローとなった。フランス98では、22ゴールを挙げるボローニャでの活躍と世論を後押しに、土壇場で実質4年ぶりの代表復帰を果たし、デル・ピエーロとのポジション争いでマスコミを騒がせた。さらに4年を経た日韓2002の直前にも、左膝靭帯損傷という大怪我から僅か76日という神がかり的なスピードで復帰を果たしてトラパットーニ監督にアピール、バッジョ代表招集をめぐる侃々諤々の論争が大会直前まで続いた。

それからさらにまた2年、バッジョがかねてから「最後の目標」と公言してきたユーロ2004が近づいている。しかし今回はどうもこれまでとは様子が違う。イタリアはふたつに割れるどころか、バッジョ礼賛の声一色に染まっているのだ。それなのに、「バッジョをポルトガルへ」という声はなぜかよそよそしく、そして弱々しい。

キャリアの大きな節目となるセリエA通算200ゴールの達成。そしてついにその口から発せられた「今シーズン限りでプレーをやめるつもりだ」という引退宣言。「終わりの予感」を漂わせたバッジョは、もはやイタリアをふたつに割る危険な存在ではなくなってしまったのか。
 
試合が始まっても、ルイジ・フェラーリスを包む祝祭の空気が変わることはなかった。イタリアが攻撃に転じ、バッジョがボールに触れるたび、スタンドは「おお〜」という言葉にならないどよめきに包まれる。目の覚めるようなフェイントを見せたわけでも、意外性に満ちたパスでチャンスを演出したわけでもない。単にワンタッチでパスを捌いてボールを後ろに戻しただけに過ぎない。しかし、アズーリの10番を背負ってプレーするバッジョの姿をこの目で観られる、それだけでみんな十分に幸せだった。おそらく、いや十中八九、これが最後になるという思いが、祝祭の空気にセンチメンタルな湿り気を含ませている。

バッジョなら何かを起こしてくれる、という期待感を誰もがどこかに抱いていた。しかし、ピッチの上で何も起こらないまま時間が過ぎて行くうちに、そんなことはどうでもいいような気持ちになってくる。神様、願わくばこのまま交代せず、少しでも長くバッジョを観ていられますように。

トッティの代わりに、4-2-3-1のトップ下に入ってプレーするバッジョは、しかしほとんど中盤に戻ることなく、前線に残ってパスを待ち続ける。ゴールに背を向けて足下に受けたボールのほとんどは、ワンタッチ、ツータッチでシンプルにはたくだけ。強引に前を向いて仕掛けるドリブルも、フリーでスペースに走り込みパスを引き出す動きも、ほとんど見ることができない。

イタリアが守勢一方で、前線にあまりいいボールが供給されなかったこともある。だが、バッジョ自身のコンディションも、実のところ完調からはほど遠かった。3日前にブレシアで行われたペルージャ戦で、右脚大腿部に筋肉疲労を起こし、前半だけで退いていたのだ。走るよりも歩いている時間が長いのも、急激なダッシュや方向転換といった、負荷の高い動きを避けているのも、それゆえだった。

「たくさんの故障に左右されたキャリアだった。膝の大きな故障のおかげでバランスの崩れた走り方をずっと強いられてきて、それがまた新たな問題を引き起してきた。この齡になるとそれと戦うのがどんどん困難になってくるんだ」

これは、12月にバッジョが初めて今シーズン限りの引退をほのめかした時のコメントだ。その技と閃きには、衰えの兆しなど何ひとつ見えない。ただ、それを表現する媒体たる肉体が、否応なくきしみ始めているのだ。普通の人間ならとっくに音を上げているだろう膝の痛みと、あらゆる手段を使って戦いながら、力を振り絞ってピッチに立ち続けているのが、現在のバッジョだ。

この試合の2ヶ月前、あるTV番組でバッジョ代表招集の可能性について質問されたトラパットーニ監督は、こう答えている。

「ブレシアの練習を見てきた人なら、彼がもう周囲と同じメニューをこなしてはおらず、練習を休む日も少なくないことを知っているはずだ。万全なコンディションにない選手を重要な大会に招集するのは難しい」

アズーリ史上ほとんど例のない代表引退試合を仕立てたトラップの“粋なはからい”も、実は、最後の花道を用意してバッジョの背中を押し、体よくドアの外に送りだすための方便だったのかもしれない。——というのは、あまりに穿った見方に過ぎるだろうか。

それでも、もしイタリア中が、いや世界が注目するこの試合で華麗な活躍を見せ、ゴールでも決めようものなら、再びイタリアをふたつに割る“バッジョ待望論”が盛り上る土壌がなかったわけではない。それを期待する空気は、至るところに漂っていた。しかし、後半87分にバッジョが交代を命じられるまで、何かが起こることはとうとうなかった。だが、いったいそれがどうしたというのだ。ピッチを去るバッジョに、満場の観客が立ち上ってスタンディング・オヴェイションを送る。バッジョは両手を上げてそれに答える。偉大なカンピオーネへの感謝と惜別が込められた長い長い拍手は、1分以上鳴り止むことがなかった。

試合後、バッジョ自身はこう語っている。「アズーリでの56試合の中でも、この試合が一番の思い出になるだろう。長いキャリアの中で素晴らしいことがいろいろあったけれど、人々から示された愛情以上に価値のあるものは何もない。いまぼくは、とてもとても困難な時を迎えている。でも人々がくれた愛情が、引退の辛さを和らげてくれると思う。そう、ぼくは決断を下した。後戻りすることはおそらくないと思う」

これが本当にストーリーの締めくくりとなるのだろうか?

スペイン戦から10日、ホーム最終戦となった5月9日のラツィオ戦は、文字通りの祝祭日、「バッジョ・デー」だった。バッジョがアズーリから遠く離れ、ビッグクラブからも忘れ去られていたこの4年間、その活躍の唯一の舞台となってきたスタディオ・マリオ・リガモンティには、バッジョへの感謝のメッセージを大書した横断幕がいくつも掲げられている。スタジアムのスピーカーは、11人のメンバー紹介の最後に「彼こそがポエジー、彼こそがファンタジー、彼こそが伝説」と声を張り上げてバッジョの名を呼ぶ。

来シーズンのCL出場権を手にするためにどうしても勝ち星のほしいラツィオが一方的に攻め込みながら、ブレシアが必死に防戦するという展開のまま迎えた後半30分過ぎ、ボールボーイたちが一枚の横断幕を観客席に向けて掲げ、スタジアムを2周する。そこにはこう書かれていた。

「今日は私が皆さんに拍手を送ります。本当にどうもありがとう……ロベルト・バッジョ」。

まるでこれが合図であるかのように、ショーが始まった。35分には、右サイドからのクロスに走り込み、エレガントなヒールボレーで中央のマウリに絶妙のラストパスを折り返す。1-0。43分には、密集するエリア内でパスを受けると、フェイント一発でフェルナンド・コウトをかわし、間髪を入れずに左足でゴールネットを揺らした。2-0。アシストとゴール。トリッキーな技と一瞬の閃き。バッジョは自らのエッセンスが凝縮されたふたつの宝石で、ブレシアの人々に最大の感謝を示し、別れを告げた。

バッジョと並び、ここ20年のイタリアを代表する偉大なファンタジスタだったラツィオのロベルト・マンチーニ監督は試合後、微苦笑を浮べてこう語っている。「バッジョはまだ引退するべきじゃない。今なお偉大なプレーヤーだ。もし本当に引退するつもりならば、この試合の前に止めておいてくれればよかったのに……」。

たとえ1試合に数えるほどしか見ることができなくなってもなお、バッジョが見せてくれる珠玉のプレーは、見る者を魅了しその心を震わせる。バッジョが引退を口にするたびに「本当に止めるつもりですか?」という質問を繰り返して、最後のひとかけらのためらいを引きずりだし「まだ100%引退すると決まったわけではない」とグロテスクなまでに書き立てるマスコミは、バッジョのプレーをいつまでも見ていたいという私たちの願望の正確な代弁者だ。

「これほど困難な決断はないよ。できることならば永遠に下したくない決断なのだから。今も心の中では戦争が続いている。ぼくはサッカーを愛し過ぎている。血管の中を流れるサッカーへの情熱を感じ続けているんだ。どうやって抑えればいいのかわからないくらい。でも、ついに来る時が来たと思うんだ。痛みとの戦いも本当にもう限界だからね。もしこの両膝を取り換えられるのならば、話はまったく別だけれど……。だけど、すべての物事には始まりがあるように、残念だけど終わりもある。それは受け入れる以外にないことなんだ」

5月10日、生まれ故郷のカルドーニョでこう語ったバッジョは、セリエA最終戦を終えるとすぐに、アルゼンチンでのヴァカンスへ旅立つことになっている。心から愛するパンパの大自然。そこが、心の中の戦争に決着をつける場所、本当に最後の決断を下す場所になるだろう。■

(2004年5月12日/初出:『SPORTS Yeah!』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。