冬休み読み物特集第4弾は、あるイタリア人監督と交わした中田英寿についての対話。イタリアを去ってボルトンでプレーしていた、キャリア最後のシーズンでした。ドイツW杯を最後に引退してからもう8年も経ったんですね。オマケとして、その数カ月前、ボルトン移籍決定時に書いたテキストもつけておきます。

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——サッカーというスポーツはそれぞれの国の歴史・社会・文化を反映する、とはよくいわれることです。これは個々の選手のプレーにも当てはまるのではないかという気がするんですが。

「それは当然だろう。一般論だが、例えばブラジル人のプレーは、ゆっくりとしたリズムを持っており、テクニカルで、1プレーのボールタッチ数が多い。アルゼンチン人はぞれよりもずっとアグレッシブで闘争的なプレーをする。イタリア人のプレーは勤勉か狡猾かのどちらかだろう?(笑)」

——となると、われわれ日本人のプレーにも、日本の歴史や社会や文化が反映されているということになるわけで。イタリアでプレーした日本人選手の代表はやはり中田英寿ですが、彼のプレーをご覧になって、彼が背負っている文化のようなものを感じたことはありませんか?

「私は中田のプレーからいつも、感性よりも論理が勝っている、シンプルでクリーンなプレーを好みエゴイスティックなプレーを嫌う、強引さや厚かましさが足りない、というような印象を受け取っていた。そこには、彼が生まれ育った日本の社会や文化が何らかの形で反映されているに違いないと、私は常々思っていたよ。

彼のプレーの大半は、正確なインサイドキックによるグラウンダーのショートパスだ。そこには、常に合理的で確率の高い安全なプレーを選ぶ明らかな傾向がある。トレクァルティスタ(トップ下)というのは、個人の力によって単独で局面を打開し、決定的なチャンスを演出することが要求されるポジションなんだが、そこでも中田は、無理にドリブルで縦の突破を図ったり決定的なスルーパスを試みたりするより、無難な横パスや横方向へのドリブルで攻撃をスローダウンさせてしまう傾向があった」
 
——日本代表の中では、中田は最もリスクチャレンジの意識が強い選手なんですが……。

「私はそういう印象を受けたことはない。前線にパスを送る時にも、フォワードが求める通りのボールを送ろうという、利他的な意志が伝わってくることがしばしばあった。フォワードの最初の動きに合わせて素早く、正確なパスを送る。プレーの主導権をむしろフォワードの方に与えているわけだ。こちらの勝手な印象なんだが、そういうところは日本人らしい、と思わせられた」

——自分が主導権を握って主役になるという意識が希薄なのかもしれませんね。健全なエゴイズムが足りないということでしょうか?

「まあそうだな。トッティやジダンなどのプレーを見ていると、主導権は明らかに彼らが持っているからね。フォワードが自分の思い通りの動きをしない時には、一旦タメたり、自分で突っかけたりしてでも次の解決を探ろうとする。常に、おれが決めてやるからボールをよこせ、というようなふてぶてしさ、自分がこのプレーで決定的な仕事をしてやろうという、エゴイスティックな意志がみなぎっている。

こういう選手は、練習で2タッチのミニゲームをやらされると、面白くないから止めようとすぐに言い出すものだ。ボールをこねまわして楽しむことができないからね」
 
——逆に中田は、2タッチで正確なパスを送ることを心から楽しんでプレーしそうなタイプですね。
 
「そう言おうと思っていたところだよ。もうひとつ、私は彼がファウルで倒されて審判に文句を言ったり、不必要に痛がって時間を稼いだりするのを見たことがない。これにも、クリーンでフェアな態度を好み、ダーティーなそれを嫌うという、日本のカルチャーが反映されているとはいえないかな?」

——そうかもしれません。ブラジル人にも、日本人にはマリーシアがないとか、よく言われますからね。でも、単にイタリア人が審判に文句を言ったり時間稼ぎをし過ぎるというだけのような気もしますけど。

「悪かったな。ブラジル人も我々イタリア人も、ラテン民族にはそういうところがあるんだよ」
 
——中田のサッカー観が、イタリアサッカーのラテン的なメンタリティと最後まで相いれなかったことが、彼がセリエAで結果を残せなかった大きな理由のひとつだという気がするんですが。

「中田のように合理的・論理的な精神の持ち主には、イタリアよりも例えばオランダのような、組織的で秩序のあるサッカーが向いていると思う。ボールを持っていない選手もどんどん走ってフリーになり、パスの選択肢を増やしてボールをつないでいく。チームという組織の中で合理的な役割分担を行い、それぞれが役割をきちんと果たすことによって、高度にオーガナイズされたサッカーを展開する。彼に向いているのは、そういうスタイルのサッカーだ」

——なるほど。オランダはともかく、日本のサッカーはこの10年かそこいら、一貫してそういうスタイルを目指してきたところがあります。

「コンフェデのブラジル戦は私も見たよ。日本はピッチの4分の3、つまり敵陣半ばまでは、助け合いの精神に基づいてよく組織されたいいサッカーをしていた。中田も低い位置からよくゲームを作っていたと思う。イタリアのチームでトップ下としてプレーするよりは、日本代表でレジスタとしてプレーする方がずっと向いていることは間違いないね。昨日の夜、ボルトン対トッテナムの試合もちらっと見たけれど、イングランドのフィジカルなサッカーの中では、異質な印象を受けた。日本代表での中田が、一番自然にチームに溶け込んでいるように見えたな」

——ワールドカップを楽しみにしましょう。■

(2005年11月8日/初出:『El Golazo』連載コラム「カルチョおもてうら」)

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オマケ:ボルトンの中田さん(応援専用)

中田英寿のボルトン・ワンダラーズ移籍がほぼ決まったようだ。

「05-06シーズンのフィオレンティーナ監督はチェーザレ・プランデッリにほぼ内定」という情報がまことしやかに(というか事実だったわけだが)囁かれるようになった昨シーズンの半ばあたりから、何となく“予感”はあった。中田がプレミアリーグへの移籍を視野に入れているというのは、ここ数年既知の事実だったということもある。それだけに、意外というよりは、来る時が来た、という印象の方が強い。

98年のフランス・ワールドカップ直後に、ベルマーレ平塚(当時)からペルージャに移籍してからまる7年。イタリアでの中田の歩みは山あり谷あり、喜びよりも苦難の方がずっと多い日々だった。

コンスタントに試合に出てプレーし、誰もが納得する成績を残したのは、3-5-1-1のトップ下という攻撃的なポジションでプレーしたペルージャ時代の1年半、本人にとってはきわめて不本意なポジションである4-4-2の右サイドハーフとして献身的なチームプレーに徹し、31試合4ゴールを挙げたパルマでの2年目、そして3-5-1-1の中盤センターレフトで新境地を開拓したボローニャでの数ヶ月、この3つの時期に限られるといっていいだろう。

中田に限らず、プレーの量ではなく質で勝負する攻撃的なMFは、ゴールさえ決めていれば誰にも文句を言われないFWとは違い、周囲とのコンビネーションで攻撃を組み立てるのが最大の仕事。それだけに、チームの戦術や監督の好み、周りとのプレーの相性といった、不安定な変数にシーズンを左右される度合いが高い。少し前ならボバンやジョルカエフ、最近ならセードルフ、フィオーレ、ヴェロンといったこのタイプの選手は、いずれも浮き沈みの激しいキャリアを送ってきた。そういう宿命なのだ。

中田はこの7年間、弱小クラブ(ペルージャ)、中堅クラブ(パルマ、フィオレンティーナ、ボローニャ)、ビッグクラブ(ローマ)と、あらゆるタイプのクラブを渡り歩きながら、トップ下、サイドハーフ、3センターハーフの一角、2センターハーフの一角と、中盤のあらゆるポジションでプレーした。カルチョの酸いも甘いも十分に味わいつくしたことだけは確かだろう。

年齢的にも28歳と、フットボーラーとしての円熟期にさしかかった。フィレンツェでさらにまた1年、不完全燃焼のシーズンを送るよりは、新たな環境と新たな刺激、そして何よりもコンスタントな出場機会を求めて心機一転、別のトップリーグにチャレンジする方が、明るい展望につながる可能性はずっと高い。なんとなれば、シーズン終了後には彼にとって3度目となるワールドカップが控えているのだ。

プレミアリーグのサッカーは、セリエAのサッカーとはかなり質が異なっている。気になるのは、そのスタイルに中田がうまく適応できるかどうかだろう。昨季セリエBのヴィチェンツァで指揮を取った理論派監督マウリツィオ・ヴィシディに、以前、中田のプレーを詳細に分析してもらったことがある。その時に、イングランドサッカーとの相性について語ってくれた話は、なかなか興味深いものだった。

「イングランドサッカーは、プレーのリズムもボールの動きも速いし、攻守の切り替えも頻繁。正確性よりもスピード、テクニックよりもフィジカルコンタクトの強さやアグレッシブさが求められる傾向が強い。パスをつないで攻撃を組み立てるよりも、サイドから一気に持ち込んでクロス、というサッカーが主流。こうした傾向は、テクニカルでパスサッカー志向の強い中田のプレースタイルには、あまり適しているとはいえない。

とはいえ、イングランドのサッカーは、イタリアやスペインと比べると創造性、ファンタジーの含有量が大幅に低い。中田のプレーは、ラテンの国では合理的・論理的な部類に入るが、イングランドの基準からすれば十分に創造的で意外性に溢れているといえる。したがって、より前線に近いポジションでプレーすれば、決定的な差を作り出せるプレーヤーになる可能性がある。逆に、フィジカルコンタクト、ヘディングの強さ、アグレッシブさが求められるセントラルMFとして成功することは難しいだろう」

ボルトンは、ボールを奪ったらすぐに前線に展開、そこに2列目から押し上げて一気にフィニッシュに持ち込む、直線的なサッカーを基本とするチーム。アラーダイス監督は、中田をどのように起用するつもりでいるのだろうか。

可能性はおそらく3つ。(1) かつてのジョルカエフのように、やや左にオフセットしたセカンドストライカーのような位置に置くのか、(2) あるいは中盤低めの位置でトップ下のオコチャをサポートするボランチ的な役割を与えるのか、(3) はたまた、そのオコチャとトップ下(というか3センターハーフで最も攻撃的に振る舞うポジション)を争わせるのか——。

個人的には、オコチャ、イヴァン・カンポ、中田という中盤センターはバランスが悪い(前がかりに過ぎる)ような気もするが、これはイタリアサッカー的な感覚なのかもしれない。ともかく、こればかりは、蓋を開けてみないとわからない。今はまず、移籍のスムーズな成立と、一日も早いデビューを祈ることにしよう。■

(2005年8月13日:初出『El Golazo』連載コラム「カルチョおもてうら」)

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。