セリエA残留の望みがほとんどない上に、クラブが破綻の危機に陥っているパルマを悲壮な面持ちで率いるロベルト・ドナドーニ。まだ監督としてのキャリアがほとんどない時代にイタリア代表を率いるという、稀な経験の持ち主です。監督としての手腕はなかなかだと思うのですが(その片鱗はすでにここにも)、真面目過ぎて融通の利かない人柄ゆえマスコミ受けが悪くて損しているところが少なからずあるような気がします。そのイタリア代表監督時代、EURO2008を前にしてポルトガルと戦った親善試合について。
2月6日の国際Aマッチデーにチューリッヒで行われたイタリア対ポルトガルの親善試合。3−1で快勝したイタリアの戦いぶりで最も印象的だったのは、これまでのアズーリとは明らかに異なる攻撃のスタイルである。
2年前のドイツ・ワールドカップでもそうだったが、イタリアの攻撃というのは伝統的に「最少のリスクで最大の利益を得る」のをよしとする、効率第一(つか命)の思想に支えられている。理想は、裏へのロングパス1本で一気にシュートまで持って行くカウンター。そうでなくとも、できる限り時間も手数も人数もかけずにフィニッシュにつなげるのがいい攻撃だという感覚と価値観が、DNAにしっかり書き込まれている。
だが、このポルトガル戦のアズーリは、そういうストイックともいえる効率主義とは明らかに異なる空気を発していた。ボールポゼッションは60対40でポルトガルが圧倒していたのだが(はっきり言ってこれはイタリアのペースだ)、一旦ボールを奪うと、最短距離でゴールを目指すばかりではなく、中盤からワンタッチでボールを動かして複数の選手が組み立てに絡み、コンビネーションでしっかり相手を崩してチャンスを作ろうとするのだ。
無目的なボールポゼッションではなく、3人、4人のプレーヤーがシステマティックな動きでボールに絡んでの仕掛け/崩し。3日前に招集された代表チームとは思えない、クラブチームのようにコレクティブなサッカーである。
しかも、選手たちはそうした組織的な攻撃に参加するのを楽しんでいるようにすら見えた。ワールドカップを勝ち取った「リッピのイタリア」には、ストイックに無駄を削ぎ落として勝利を目指す凄味のようなものがあった。だが「ドナドーニのイタリア」は、そのストイシズムをちょっと緩めてそこにボールをプレーする歓びを付け加えたような、陽性の力強さを感じさせる。
その片鱗は、単なるフレンドリーマッチだったこの試合だけではなく、EURO予選突破をかけた修羅場であるアウェーのスコットランド戦でも感じられた。受けに回ることなく、自分たちのサッカーを積極的に見せようというポジティブな姿勢を最後まで貫き、引き分けでもOKの試合で勝利を持ち帰ったのだ。そうしたメンタリティをアズーリにもたらしたのは間違いなく、チームを率いるロベルト・ドナドーニである。
トーニを中軸に据えた1トップ+2ウイングというシステムを頑なに守り、守備の局面では9人がボールのラインより後ろに戻ることを求めながら、攻撃に転じれば前の3人に比べて、中盤から最低1人、さらに両SBのうちどちらか1人が敵陣深くに攻め上がって攻撃に絡む、組織的なコンビネーションを要求する。それを遂行するために必要な、献身とチームスピリットを保証できない選手は、トッティであろうとデル・ピエーロであろうと、代表に招集しようとはしない。
「イタリアの強みは守備」と言われることを喜ばず、「むしろどうやってボールを動かし攻撃しているか、そっちをちゃんと見てほしい」と語る。そこにあるのは「最少のリスクで最大の利益を得る」という(いい意味でも悪い意味でも)狡猾なメンタリティではなく、「相応のリスクを冒して得るべきものを狙う」という正攻法の姿勢である。
決してイタリア的とはいえないこのメンタリティがイタリア代表に戻ってきたのは、アリーゴ・サッキ監督の時代(1992-96)だろう。ドナドーニはそのサッキの下で、ミランでもアズーリでも、不動の右ウイングとして活躍した経歴を持っている。
このつながりは決して偶然ではない。実際、コレクティブなサッカーへの志向、リスクを取って積極的に主導権を握る戦い方へのこだわり、くそ真面目なほどの原理原則へのこだわり。サッキとドナドーニの間には、共通点が少なくない。
このドナドーニだけでなく、アンチェロッティ(ミラン)、ライカールト(バルセロナ)、ファン・バステン(オランダ代表)と、当時サッキの下でプレーした多くの元プレーヤーが監督への道を歩み、しかも重要な実績を残しているのは、非常に示唆的な事実である。彼らは、80年代末に「サッキのミラン」がフットボールの世界にもたらした「革命」を、直接の薫陶を受け当事者として生きた、唯一のグループなのである。
サッキという師がその彼らに何をもたらしたのか、もう少しちゃんと掘り下げたいと思っていたのだが、誌面がなくなってしまったので、それはまた機会を改めて。■
(2008年2月15日/初出:『footballista』)