今週は国際Aマッチウィークなので、久しぶりにイタリア代表ものを。ユーロ2008の後代表監督に復帰したマルチェッロ・リッピが南アフリカ2010に向けてチームを作っている途上の2009年4月に書いた、ドイツ2006優勝以降の中間総括です。今振り返ってみれば、すでに衰退への道は始まっていたわけですが……。

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2006年7月12日、ベルリンのオリンピア・シュタディオンでPK戦の末フランスを下し、24年ぶり、通算4度目のワールドカップ優勝を果たしたアズーリことイタリア代表。それから現在までの歩みは、いい意味でも悪い意味でも、その栄光を引きずり、またそれに縛られたものだった。
 
イタリアを世界の頂点に導いたマルチェッロ・リッピ監督は、大会中から、ワールドカップ後にその座を退く意思を表明していた。2006年7月、その後任に指名されたのは、43歳のロベルト・ドナドーニ。年功序列マインドの強いイタリアとしては異例の若い代表監督の誕生だった。

この監督交代劇の背景には、ちょうどこの時期にイタリアサッカー界を震撼させていたカルチョスキャンダルという大事件が大きく関わっていた。

ゼネラルディレクターのルチャーノ・モッジをはじめとするユヴェントスの旧経営陣が、サッカー協会首脳や審判部門のトップと癒着し、審判の判定を通じて試合内容や結果を自らに有利なように操作するなど、様々な不正行為を行っていたことが表面化し、一大スキャンダルに発展したこの事件は、ワールドカップ優勝という華々しい栄光の一方で、イタリアサッカーのイメージに大きな傷をつけることになった。

この恥ずべきスキャンダルを過去のものとし、心機一転して再出発を目指す革新の象徴として、フレッシュな若手監督に白羽の矢を立てる――。ドナドーニの大抜擢に、そんな意味合いが含まれていたことは想像に難くない。だが、監督として数年のキャリアしかなく、しかもセリエAではわずか半年の経験しかない若手を、ワールドカップ優勝直後に代表監督の座に据えるというこの選択が、大きな冒険であることに変わりはなかった。

「リッピ監督の路線を継承する。大きくチームをいじることは考えていない。私の色を出して行くのは、チームを掌握し理解してからでも遅くはない」

これがドナドーニの就任第一声だった。世界一になったばかりのチームを引き継ぐことを考えれば、当然の姿勢である。

だが本当の問題は、これからのイタリアを担うべき「次の世代」に、優秀な人材が育っていない点にあった。とりわけ重大なのは、バッジョ、ゾーラからデル・ピエーロ、トッティまで、ここ15年あまりの間常にアズーリの攻撃を主役として担ってきた「10番」、すなわち卓越したタレントを備えたファンタジスタの不在である。

果たしてドナドーニは、「10番」の存在を前提とせず、1トップと2ウイングで前線を構成する4-3-3システムを基本に据えて、新たなチーム作りをスタートする。しかし、その立ち上がりは決して楽観できるものではなかった。

次のビッグトーナメント、すなわちEURO2008に向けた予選Bグループは、イタリア、フランス、ウクライナというワールドカップベスト8のうち3カ国に加え、FIFAランキング20位台のスコットランドまでが同居するという激戦区になった。

予選の初戦となった2006年9月2日のリトアニア戦は、ホームで戦ったにもかかわらず1-1の引き分けに終わる。そしてその4日後、ワールドカップ決勝からわずか2ヶ月後の「リターンマッチ」となったフランスとの直接対決(アウェイ)は、立ち上がりから一方的に試合を支配され、最初の20分で2失点を喫した末に、1-3の完敗に終わった。

最初の2試合に連勝したフランスが、スコットランドと並んで勝ち点6でグループ首位に立ったのに対し、イタリアは1分1敗でわずか勝ち点1。思っても見なかった困難な立ち上がりに、マスコミからは、早くもドナドーニ解任説が飛び出すほどだった。

だがアズーリは、その後の9試合を8勝1分で乗り切って、最終的にはグループ首位でEURO本大会に駒を進めることになる。

メンバーの顔ぶれはワールドカップ優勝時のそれとほとんど変わらないまま。しかし、ドナドーニが導入した「10番不在」の4-3-3システムは、試合を重ねるにつれて攻守のメカニズムが噛み合い、バランスのとれた戦いを見せるようになっていった。

予選を通してのレギュラーメンバーは、GKが不動の守護神ブッフォン、最終ラインが右からオッド、カンナヴァーロ、バルザーリ、ザンブロッタ、中盤がガットゥーゾ、ピルロ、デ・ロッシ、そして3トップの前線がカモラネージ、トーニ、ディ・ナターレ。

11人中10人がワールドカップ組だが、最後の1人として、人材不足が指摘されてきた左ウイングに抜擢されたディ・ナターレが、そのドリブル突破力を活かしチャンスメーカーとして重要な役割を担うようになった。

2008年6月、EURO本大会に臨んだアズーリは、23人中ワールドカップ組が15人、レギュラー陣の平均年齢は30歳を超えるという、良く言えば「成熟」、悪く言えば「高齢化」したチームだった。世代交代が先送りにされたとはいえ、長年アズーリを担ってきたベテランによって構成されたチームが、組織的な完成度においてトップレベルにあることは疑いなかった。大会前の下馬評でも、フランス、ドイツ、ポルトガルと並んで優勝候補に挙げられていた。

だが、意気揚々とオーストリアに乗り込んだアズーリを、大きなアクシデントが襲う。開幕を1週間後に控えた6月3日、練習中にカンナヴァーロが左足首の靭帯を傷め、出場不能になってしまったのだ。

歴史的にディフェンスの強さを売り物にしてきたイタリアだが、この大会に限っては、最も選手層が薄く不安が大きいのは、ほかでもない最終ラインだった。ネスタはすでに代表を引退、マテラッツィもシーズン前半を棒に振った故障の影響でコンディションが上がっておらず、レギュラーの一角は国際経験のほとんどないバルザーリに頼らざるを得ない状況だった。そんな中で計り知れない存在感とリーダーシップを発揮して守備陣を引っ張ってきた百戦錬磨のキャプテンが、ピッチに立てなくなってしまったのである。

後になって振り返ってみれば、カンナヴァーロと共にアズーリが失ったのは、自らの強さに対する確信であり、それがもたらす精神的な余裕だった。

グループリーグは、オランダ、フランスという優勝候補と同居した、文字通り「死のグループ」。果たしてオランダとの初戦は、前半の早い時間に先制点を許した途端、不安に駆られて浮き足立ち、我を忘れて前がかりに攻め込んだ揚げ句、絵に描いたようなカウンターを2発喰らうという最悪の展開で、0-3の惨敗を喫することになった。

11人中5人のメンバーを入れ替えて臨んだ続くルーマニア戦も、結果は1ー1の引き分け。しかも、もしブッフォンが後半終了間際に相手のPKをブロックしていなければ、2連敗で敗退が確定していたところだった。

最後のフランス戦に2-0で勝利し、オランダがルーマニアを破ったおかげで、他力本願という形でどうにかグループリーグ突破を果たすことはできた。しかし、3試合を通して見せたのは、主導権を握るよりも受けに回って相手の攻撃を凌ぎ、攻撃はトーニへのロングボールが頼りという、煮え切らないサッカーでしかなかったことも事実である。

オランダ戦で躓いた後、試合ごとにメンバーを入れ替えてチームの「最終形」を模索したドナドーニだったが、最後までそれを見出すことも、チームに新たな確信を植え付けることもできずに終わった。つまるところ、カンナヴァーロの直前離脱がもたらした欠落を、戦力的にも戦術的にも、そして精神的にも埋め切れなかったということである。

それでもイタリアは続く準々決勝で、最終的に優勝することになる強敵スペインを相手に、一方的に攻められながらも120分を0-0でしのぎ切り、PK戦に持ち込むという健闘を見せる。結局、最後に残ったのはイタリア伝統の「カテナッチョのDNA」だけだった。しかし、PK戦はデ・ロッシ、ディ・ナターレが失敗。ドナドーニの代表監督としてのキャリアも、この敗退と共に幕を閉じることになった。
 
スペイン戦の敗北からわずか4日後、イタリアサッカー協会のジャンカルロ・アベーテ会長は、リッピの代表監督復帰を発表する。あたかも、それが大会前からの既定路線であったかのような迅速さだった。

だが、リッピにとって今回の仕事は、2004年にジョヴァンニ・トラパットーニからチームを引き継いだ時と比べると、ずっと困難で複雑なものだ。2004年のアズーリは、その後ワールドカップを勝ち取ることになる主力メンバーが20代後半の脂の乗り切った時期を迎えており、戦力的には申し分のない水準にあった。だが、彼らも2010年にはほぼ全員が30代。ドナドーニがほとんど手をつけないまま終わった世代交代は、もはや緊契の要事である。

幸いにして今回のワールドカップ予選は、アイルランド、ブルガリア、グルジア、モンテネグロ、キプロスという楽なグループに入った。世代交代を進めながら結果もきっちり残すという、いわば「二兎を追う」チーム作りが許される環境にある。

リッピは、「ワールドカップ優勝メンバーの多くは、年齢こそ高いがまだまだやれる。私の仕事は、彼らを中心にしたチームに若手を徐々に組み込んで、南アで勝てるチームを築くこと」と語り、思い切った若返り策は取らず、段階的な世代交代を進める方向性を打ち出した。

皮肉なのは、リッピが「再建」に取り組んでいるこのアズーリが、少なくとも今のところは、2006年に彼が率いてワールドカップを勝ち取ったチームよりも、ドナドーニの下でユーロ08を戦ったチームに、ずっとよく似ているということだ。

システムは「10番」を置かない1トップ2ウイングの4-3-3。これまで代表経験がなかった若手・中堅も何人かスタメンに抜擢されるようにはなってきたが(MFモントリーヴォ、アクイラーニ、FWぺぺ、ジュゼッペ・ロッシなど)、主力と呼べるような新たな有望株はまだ姿を現しておらず、リッピの構想の中でレギュラーと目されるメンバーの顔ぶれには、今のところほとんど変化がない。

今年2月にウェンブレーで行われたブラジルとの親善試合は、チーム作りの進捗状況を測る絶好の機会だった。だが結果は、ほぼ一方的に主導権を握られた末に0-2の完敗。試合後リッピは「今はブラジルの方が強いが、来年の6月にどうなっているかはわからない。ただ、思ったほどチーム作りが進んでいないことは確かだ」と悔しさをにじませながら語った。

残された時間は1年あまり。その間にどれだけ新しい血を注入し、チームの戦力的な高さと厚みを上乗せできるかがリッピの課題である。

ピルロ(30)、ガットゥーゾ(31)、デ・ロッシ(26)という脂の乗り切ったレギュラー陣に加えて、モントリーヴォ(25)、アクイラーニ(25)という実力派が育ってきた中盤には大きな不安はない。しかし、ザンブロッタ(32)、カンナヴァーロ(36)、キエッリーニ(25)、グロッソ(32)と、平均年齢が30歳を大きく超えている上に控えの選手層が薄い最終ライン、そして今なおトーニ(32)とジラルディーノ(27)が頼りの攻撃陣は、若手の思い切った抜擢が必要かもしれない。

その点で期待されるのが、インテルで今季大ブレイクした18歳のSBサントン、そして若手の中では唯一、国際レベルで結果を残しているFWである22歳のジュゼッペ・ロッシだ。

問題は、ロッシは1トップとしてプレーするには向かないタイプであり、現在の基本システムである4-3-3には収まりどころが見出せないこと。かつての素行不良がすっかり影を潜め、ここ2シーズンはサンプドリアでその卓越したタレントを存分に発揮して違いを作り出しているアントニオ・カッサーノを、リッピが招集したがらない理由の一端もそこにある。

2010年に向けた次のチェックポイントは、6月に南アフリカで行われるコンフェデレーションズ・カップ。イタリアはグループリーグでブラジル、エジプト、アメリカと対戦する。本大会の予行演習ともいうべきこの大会に、リッピはどんな顔ぶれで臨み、どんなサッカーを見せるのだろうか。■

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。