冬の移籍ウィンドウも終了間際。最終日のドタバタはイタリアの風物詩です。4年前のこの時期に起こった長友の電撃移籍(チェゼーナ→インテル)もそのひとつ。その顛末を当時まとめたのがこれです。
「インテルが長友を獲りに動いてる。これはたぶん決まるよ。そっちには何か情報行ってない?」
友人のインテル番記者から電話が入ったのは、移籍マーケット最終日(1/31)午後2時過ぎのこと。もちろんこちらは青天の霹靂である。前日までそんな動きは何ひとつなかったのだから。「そんな話全然知らなかった。大体チェゼーナの保有権買い取り手続きは完了してるのかな」。そう答えるのが精一杯だった。
アジアカップでの活躍もあって、チェゼーナが当初シーズン終了後に設定されていたFC東京からの保有権買い取りオプションを行使すると報じられたのは先週末のことだった。しかしチェゼーナからもFC東京からも、その後正式な発表はされていない。チェゼーナのように経営規模が小さいクラブにとって、150万ユーロ(推定)という移籍金を現金で用意するのは簡単なことではない。おまけに間には週末を挟んでいる。手続きが移籍期限に間に合うかどうかはまったく怪しかった。
そもそも、先週末の時点で「メルカートはこれで手仕舞い」(ブランカSD)と明言していたインテルが、突然長友の獲得に乗り出した背景には何があったのか。その鍵になったのは、日曜日のパレルモ戦における左SBサントンのプレーだった。左サイドを何度も破られ失点の原因を作ったそのあまりに不甲斐ないパフォーマンス(各紙の採点は軒並み4点台)は、首脳陣の信頼を失わせるに十分なものだった。サムエル、ルシオというCBのレギュラーを揃って故障で欠き、左SBのキヴ(「スワロフスキー」と呼ばれるほど故障が多い)を中央に回さざるを得ない状況の中で、シーズン後半戦のハードスケジュールを戦い抜いて行くためには、サントンに替わる左SBの獲得がどうしても必要、というのがメルカート最終日を迎えたインテルの判断だった。
ターゲットに挙がったのは、クリーシト(ジェノア/イタリア代表)、ツィークラー(サンプドリア/スイス代表)、そして長友。セリエAの左SBの中では今季最も評価の高い3人である。最も優先順位の高かったのはクリーシト。しかし、インテルがもちかけたサントンとのレンタル交換話に、ジェノアはまったく取り合おうとしなかった。より近い関係にあるミランとの間で、シーズン終了後の移籍話がまとまっているという噂が囁かれているので、それも理由のひとつだったのだろう。
インテルが最終的な標的を長友に定め、本格的に動き出したのは31日昼過ぎ。当初は完全移籍を前提に交渉が進められたようだが、その手続きのために不可欠なFC東京からチェゼーナへの国際移籍証明書が間に合いそうにない(日本はこの時点ですでに夜更け)こともあり、最終的にはシーズン終了までサントンとレンタル交換という形に落ち着いた。サントンのチェゼーナ行き説得から契約書へのサインまで、すべての書類が整ったのは、タイムリミットまであと30分を切った18時30分過ぎ。インテルの職員がクラブオフィスからレーガ・セリエAのオフィスまでスクーターを飛ばし、登録を完了したのは18時47分のことだった。
翌日の新聞各紙はいずれもトップ記事に近い扱いでこの移籍を報道している。いずれも、アジアカップでの活躍を大きく持ち上げたポジティブな取り上げ方である。「日本からは早速取材の申し込みが殺到している。アジアにおけるインテルのブランド価値向上にも大きく貢献するだろう」というお決まりの見方も付け加えられてはいるが、それはあくまでもオマケ扱い。メインはあくまで即戦力としての期待である。
特に地元ミラノの『ガゼッタ・デッロ・スポルト』は、アジアカップを取材したパオロ・コンドー記者が「ナタともは左サイドを突風のように駆け上がる」「ザッケローニも『長友はビッグクラブでプレーするのがふさわしいと太鼓判』」と長友のパフォーマンスを高く評価する記事を寄せている。
たった1年でJリーグから世界王者のタイトルを持つメガクラブへのステップアップ。この急激な変化がもたらすインパクトは小さくないだろうが、今の長友にはそれすらも蹴散らして前進するだけの勢いがある。デビューは早ければ木曜日のバーリ戦。週末にはローマとのビッグマッチも待っている。ネラッズーロ(青黒)のユニフォームで左サイドを蹂躙する姿を見ることができるか。□
(2011年2月5日/初出:『エル・ゴラッソ』)