ミランが「大きなサイクル」の末期症状というべき深刻な不振に陥って、またベルルスコーニのクラブ売却説が持ち上がっています。これは今から8年前に書いたテキスト。これからさらに8年も頑張っていると考えれば、ベルルスコーニはさすがだと言うべきなのかもしれません。

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11月26日日曜日、イタリア元首相でミランのオーナー会長であるシルヴィオ・ベルルスコーニが、遊説先のトスカーナ州モンテカティニ・テルメで、演説中に突然気分を悪くして失神、病院に運ばれるという出来事があった。

小さな工務店から身を起こし、自らの才覚だけで事業を拡げてメディア王に成り上がり、破産寸前のミランを買い取ったのが1986年、50歳の時。それからわずか数年でミランを世界の頂点にまで導き、93年には右派政党フォルツァ・イタリア(ふざけた名前だ)を立ち上げて政界に進出、二度に渡って首相を務めるなど、考え得るすべての野望を満たし、自らの帝国を築き上げてきた。

そんなエネルギッシュな野心家も今年で70歳。近年はリフティングやら植毛やらで老いを隠そうと苦心惨憺してきたが、イタリア一番の大富豪も老いという自然の摂理にだけは逆らえない。

幸いにもベルルスコーニはすぐに体調を戻し、三日間の検査入院後に政治家としての実務に復帰した。しかし、この出来事を機に、マスコミがベルルスコーニの政治生命について取り沙汰し始めるのは避けられなかった。

波風が立ったのは政界だけではない。カルチョの世界でも、“ベルルスコーニ後のミラン”という、これまでは仮定ですらあり得なかったテーマが、否応なく浮かび上がってくることになった。

そもそも、今シーズンのミランは、クラブとしての経営戦略からして、不可解なところが少なくなかった。

平均年齢30.2歳という数字が示す通り、チームの高齢化が進んでおり世代交代が急務であるにもかかわらず、この夏のメルカートでの動きはほとんどなし。戦力的にまったく上積みがないどころか、シェフチェンコに逃げられた穴を埋め切れないまま、チーム全体がひとつ歳をとったことで、逆に弱体化することになった。現在の不振も、その半ば必然的な帰結である。

カルチョポリをめぐる処分が確定し、CL予備予選で勝ち上がりを決めた8月20日過ぎまで、補強に動こうにも動けなかったというのが、経営の実権を委ねられているガッリアーニ副会長のエクスキューズ。

しかし、ミランのように赤字経営が常態となっており、その穴はオーナー会長が自腹で埋めるクラブの場合、補強予算の多寡はオーナーの一存で決まると言っていい。つまり、ミランが世代交代を含むチームの刷新を先送りにしたとすれば、それはベルルスコーニが望まなかったから、ということになる。

総選挙に敗北して首相の座を退き、ミランの会長職にも復帰した。しかも今年はミランのオーナーになってから20年目の記念すべき節目。ここで経営の実権をその手に取り戻し、大型補強に乗り出してチームを強化、タイトルを勝ち取れば、政治的にも再び上昇気流を作り出すことができるはず。夏の間、マスコミはそんなシナリオを描いてみせたものだった。

にもかかわらず、何の手も打たなかったのは何故なのか。最も説得力がありそうな推論は、今シーズンをあえて捨てて、その分もっと大きな花火を来シーズンに打ち上げようと考えている、というものだった。

いずれにせよ今年はカルチョポリでケチがついている。スクデットはインテルのものだし、CLでチェルシーとバルサに対抗するには、生半可な補強では間に合わない。そして、20年間にわたってミランを支えてきたマルディーニ、コスタクルタという重鎮も、ついに今シーズン限りで引退する。

大改革を断行して新たな黄金時代の幕開けをアピールするなら、むしろ来シーズン。変化は大きく派手であればあるほど、イメージ的な効果は大きい。やっぱりベルルスコーニは違う、と思わせるためにも、今シーズンは程々の成績で構わない——。そんな思惑が働いているというのも、あり得ない話ではない。

それだけではない。ベルルスコーニは、政界進出以来ミランの経営を任せてきたガッリアーニ副会長の手腕に、実はあまり満足していないとも言われる。1ヶ月ほど前から、一部のマスコミ(複数)が「ガッリアーニは今シーズン限り」という記事を流し始めているのも、おそらく偶然ではないのだろう。

ベルルスコーニは、成功を支えてきた昔からの腹臣を決して切らないことで有名なのだが、これは自分から切らないというだけの話。詰め腹を切らせるというやり方はもちろんありだ。そして、ガッリアーニ副会長、ブライダTD(テクニカルディレクター)というコンビが身を引いた後、その後釜に収まるのは、他でもないマルディーニとコスタクルタ、そしてアリーゴ・サッキだという説も、インサイダー情報として聞こえてきていた。

しかし、こうしたシナリオも、ベルルスコーニが健在であり、相変わらず野心に燃えているというのが大前提である。もしその前提が崩れてしまったときには一体どうなるのか。それはまだ誰にもわからない。ベルルスコーニが築いた帝国を引き継ぐであろう娘のマリーナ、息子のピエルシルヴィオは、ミランにはほとんど愛着を持っていないようだが……。■

(2008年12月2日/初出:『footballista』連載コラム「カルチョおもてうら」

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。