2010年、ワールドカップ南アフリカ大会の直後に書いたテキスト。理由はミランにカネがないから、という身も蓋もない話です。実際に移籍が実現したのはそれから3年半が過ぎた2014年1月、移籍金ゼロのフリートランスファーでした。

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最初に結論を言ってしまえば、本田圭祐がミランに移籍する可能性は、現時点では限りなくゼロに近い。7月初めにイタリアの一部マスコミが取り上げたこのニュースは、移籍報道にありがちな裏付けのない憶測記事に過ぎず、具体的な動きはその後もまったく出ていないというのが実際である。

しかしだからといって「本田がミランにふさわしい選手ではない」と考えられているわけではまったくない。W杯での活躍で大きな注目を浴びたこともあり、その評価は急上昇中。純粋に戦力的な観点に立てば、ミランが本田の獲得に乗り出したとしてもまったく不思議はないだろう。問題は、ミランがもし本当に本田の獲得を望んだとしても、もはやそれを実現するだけの資金力を持っていないという現実の方なのである。

「ミランが本田圭祐に興味」。
『ガゼッタ・デッロ・スポルト』が突然そう報じたのは、7月2日のことだった。カルロ・ラウディーザ記者による記事の内容は、要約すると、ミランが本田の獲得に興味を示し、代理人とコンタクトを取った模様、もし実現すればマーケティング的にも大きなビジネスになることが予想される――というもの。記事の大部分は本田の紹介やワールドカップでの活躍に費やされており、移籍に関する具体的な記述はほんの2、3行という、いささか説得力に欠ける内容だった。

通常、どこか一紙が取り上げた話題は、他紙も遅れを取らないようにと後追い報道をするのが普通である。しかしこの本田の一件については、他紙はほとんど取り合おうとしなかった。これはつまり、取り上げるに値しない噂だと判断されたことを意味する。実際その後も、『ガゼッタ』紙の同じ記者が3、4日ほどあまり中身のない続報を書いただけで、その後は他誌も含めてまったく新しいニュースがないまま、現在に至っている。

『ガゼッタ』紙による続報は、「ミランがCSKAに本田の獲得を打診したが断られた」(7/3)、「日本の『スポーツニッポン』が、今季からミランのスポンサーになるエミレーツ航空が資金を出すのではないかと伝えている」(7/6)、「スペインの『AS』紙が、レアル・マドリーも本田を狙っていると報じた」(7/7)など、国外メディアの受け売りが中心。

何もないところに自分で火をつけておいて、周りの反応を見てそれをまた記事にするというご都合主義的な展開だが、これはシーズンオフの移籍報道ではよくある話で、決して珍しいことではない。試合がまったくないどころかプレシーズンキャンプすら始まっていない純粋なシーズンオフに、毎日10数ページの誌面を埋めるというのは、どの国のスポーツメディアにとっても簡単なことではないからだ。ネタが足りなければ、憶測と願望で膨らませて読者の興味を引く記事に仕立て上げてこそプロの仕事、というものなのである。

だが、ミランが本田を獲得する可能性は現時点ではゼロに近い、と筆者が断言する最大の理由は別のところにある。単純な話、ミランには移籍市場に投下する補強予算がまったく不足しているからだ。

かつてミランといえば、金に糸目をつけずスター選手を買い集めてセリエA、そしてCLの優勝を狙う欧州指折りの金満クラブだった。しかしここ数年は、オーナーのシルヴィオ・ベルルスコーニ(イタリア共和国首相)が財布の紐を締め始めたことで、補強予算は年々縮小しており、レアル・マドリーやチェルシーと張り合ってビッグネームを獲得することはほとんど不可能になっている。

最も象徴的な出来事は、昨夏カカをR.マドリーに売却したことだろう。ミランはそれまで「カネのために選手を手放すことは決してしない」と言い続けてきた。そのポリシーを曲げざるを得なかったのは、ベルルスコーニ家が「今後はミランの赤字を私財で穴埋めすることはしない」と宣言したから。クラブの経営を預かるガッリアーニ副会長は、2009年12月期決算で見込まれていた6800万ユーロの赤字を埋めるため、ほぼ同じ金額でカカを売却せざるを得なくなったというわけだ。

チーム最強のプレーヤーをカネのために手放すことを強いられるほどだから、新たな選手獲得に投下する予算などないことは道理である。昨夏の移籍マーケットでも、ゼコ(ウォルフスブルク)、ルイス・ファビアーノ(セヴィージャ)といったストライカーの獲得を目論んだものの、予算がまったく折り合わず手が出せないまま終わった。何年も前から高齢化が指摘されながら、世代交代が遅々として進まないのも、予算不足が最大の理由だ。

その事情は今夏もまったく変わらない。手持ちの予算がない以上、もし補強に乗り出すとすれば、まず手持ちの選手を売却してその利益を獲得に投じるという順序にならざるを得ないはず。ここに来て、ロナウジーニョの放出話が現実味を帯びてきているが、もしミランが補強に動き出すとすれば、この話がまとまった時だろう。

純粋に戦力的な観点に立てば、本田はミランにとって十分獲得する価値がある選手だ。日本代表での1トップから、CSKAでのトップ下、サイドハーフ、ボランチまで、中盤から上ならどこでもこなせる戦術的柔軟性に加え、安定したテクニックと左足のキック力、そして大舞台でも物怖じしない強いパーソナリティは、『ガゼッタ』をはじめとするイタリアのメディアから高く評価されている。ワールドカップのTV中継でも、コスタクルタ、ボバンといったコメンテーター(2人とも元ミランである)が、本田のプレーを激賞していた。もしロナウジーニョが退団することになれば、トップ下で攻撃的な仕事ができるMFはベテランのセードルフただ1人になってしまうため、本田を獲得する理由は十分にある。

だが問題は、すでに見た通り獲得したくとも予算がないことだ。CSKAはVVVフェンロから本田を獲るのに900万ユーロを投じている。もし手放すとしても、1500万ユーロ以下の値札をつける可能性は低いだろう。たとえロナウジーニョを手放したとしてもなお、昨夏のゼコやL.ファビアーノと同様、結局手が出せないまま終わるのではないか、というのが筆者の予想である。■

(2010年7月17日/初出:『週刊サッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。