移籍制度に関して、ヨーロッパで問題になっているFIFA規程第17条の問題を整理した原稿があるので、追加でアップしておきます。昨年の8月と10月に書いた2本。一部話が重なっていますがそのままにしておきます。

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◆デ・サンクティスの移籍は「パンドラの箱」か

7月10日、ウディネーゼに所属していた元イタリア代表GKモルガン・デ・サンクティスがスペインのセヴィージャに移籍した。一見すると単なる国際移籍に過ぎないが、実はこのケース、今後の欧州移籍マーケットを大きく変化させる重要な前例になる可能性がある。

1995年のボスマン判決によって、契約満了後の自由な移籍が認められたことは周知の通り。しかしもちろん、契約期間中の移籍には、所属クラブ、選手、移籍先クラブの三者合意が必要だし、クラブ間には移籍金が発生することになる——はずだった。

「はずだった」というのは、実際のところ、しごく当たり前のように見えるこの大前提すらも、今や絶対ではないからだ。

問題は、2001年にFIFAが定め2005年に改訂された『選手のステイタスと移籍に関する規程』に盛り込まれた「クラブあるいは選手は、一定の保護期間(満28歳未満の選手は契約締結後3年間、28歳以上の選手は2年間)を経過した後であれば、一方的に契約を中途解消できる」という条項(第17条)の存在である。

これは何を意味するのか。それは、保護期間さえやり過ごせば、契約期間中であっても一方的に契約解消を通告し、他のクラブと新たな契約を結ぶことが許される、ということである(ただし、中途解消直後に前所属クラブと同じ国のクラブと契約を交わすことはできない)。

デ・サンクティスの移籍は、まさにこの条項を活用することによって実現したものだった。

デ・サンクティスとウディネーゼは、2年前の2005年に2010年6月までの5年契約を交わしている。だが、1977年生まれのデ・サンクティスは満30歳で、今夏の時点で2年間の保護期間はすでに経過済み。そこで、ウディネーゼに対し、FIFA規程に基づく契約の一方的解消を通告すると、かねてから接触のあったスペインのセヴィージャと、新たに契約を結んだというわけだ。

デ・サンクティス(とセヴィージャ)はウディネーゼに対し、FIFAの調停委員会が定める違約金を支払わなければならない。しかしその金額は、ウディネーゼがデ・サンクティスにつけていた値札(800-1000万ユーロ)の半分以下になるだろうと予想されている。つまりセヴィージャは、市場価格よりもずっと安い値段で狙った選手を手に入れることができたというわけだ。

欧州のプロ選手がこの「FIFA移籍規程第17条」を行使した事例は、今回のデ・サンクティスを除くと、1年前にスコットランドでひとつあるだけ。規程そのものはすでに2001年に公になっていたが、移籍マーケットの秩序を根底から揺るがす可能性があるため、これまではタブー視されて誰も行使しようとしなかったのだ。

しかしもちろん、一旦前例ができれば話はまったく違ってくる。例えば、もしロナウジーニョやランパードが現在の契約を更新しなければ、今シーズン終了後には同じ手を使って好きなクラブに移籍することが可能になるのである。

デ・サンクティスとセヴィージャは、新たなパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。□

(2007年8月30日/初出:『footballista』)

◆FIFA規程17条による移籍とその影響

EU域内においてサッカー選手に移籍の自由を保証する「ボスマン判決」を欧州司法裁判所が下したのは、今から12年前、1995年12月のことだ。

この判決によって、クラブ、選手間の契約交渉における力関係は大きく変化することになった。契約満了によるフリートランスファーの可能性を保証された選手側は、それまで圧倒的に強い立場だったクラブに対抗して、契約延長の拒否という強力な交渉カードを切れるようになったからだ。

しかし、「域内における労働の自由と公正な競争の担保」という原則に立つEUは、これでもなお満足していなかった。プロサッカー選手には、契約期間内に、自由意思による「転職」(移籍)が許されていない上に、移籍する場合にも移籍金という金銭の授受を伴う。

これは明らかに雇用関係として公平性を欠いており、「労働の自由」と「公正な競争」に抵触する——というのが、EUの論理だった。

ボスマン判決から3年後の1998年、EUスポーツ委員会は、移籍金の撤廃と移籍の自由化を含む制度見直しを進めるよう、FIFAに勧告する。これを受けたFIFAは2001年、渋々ながら『選手のステイタスと移籍に対する規程』を発表することになった。

EUの要求する「労働の自由」という原則を受け入れた結果、この規程は、双方の合意に基づかない一方的な契約解消を契約期間内においても認めるという、非常に重い内容を持っていた。

以下、現行の規定(2005年改訂)を具体的に見てみよう。

クラブと選手の契約関係についての原則論が記されている第13条には「契約は契約期間の満了あるいは双方の合意によってのみ、解消される」とある。しかし、これはあくまでも原則論でしかない。

実際、その3つ後の第17条は、次のようなセンテンスで始まっている。「相応の理由(注1)なく一方的に契約を中途解消した場合には、次のような罰則が適用される」。これは、罰則を受けさえすれば一方的な契約解消が可能であることを言外に意味するものにほかならない。しかもその罰則は、契約解消の権利行使を妨げないほどに軽いものでしかないのだ。

選手の側から契約を一方的に解消した場合の罰則は、1)4ヶ月から6ヶ月の出場停止、2)FIFAが個別に算定する違約金の支払い——という2つ。だが、1)の出場停止処分に関しては、一定の保護期間(満28歳未満で交わした契約は締結後3年、28歳以上は2年)を経た後の契約解消には適用されず、また2)の違約金も、マーケットにおける移籍金の相場を大きく下回るものになる。

ここまでの回りくどい説明を要約すれば、「すべての選手は、契約書にサインしてから3年が過ぎれば、通常の移籍金よりもずっと安い違約金によって自由の身になれる」ということになる。

もちろん、その違約金は本人ではなく、次に移籍するクラブが負担すれば済むことである。つまり、移籍先のクラブにとっても、市場価格よりずっと安いコストで選手を獲得できる抜け道が生まれたわけだ。

唯一の制約は、契約解消から12ヶ月は同じリーグの他のクラブに移籍してはならないというもの。だがそれも、FIFA規程では明文化されていない申し合わせでしかない。

これは、移籍マーケットの秩序を根底から揺るがす内容である。事実、規程そのものは2001年に公になっていたにもかかわらず、欧州のプロ選手や代理人は、2006年まで誰一人として行動に移そうとはしなかった。サッカー界全体にとって、ひとつのタブーのようなものだったのである。

だがそのタブーは、ボスマンがそうだったのと同じように、辺境から破られることになる。2006年夏、スコットランドのハート・オブ・ミドロシアンに所属していた24歳のDF、アンドリュー・ウェブスター(注2)が、クラブに一方的な契約解消を通告し、プレミアリーグのウィガンと新たに契約を交わした。

しかも、ウィガンには半年所属しただけで、今年の1月にはグラスゴー・レンジャーズにレンタル移籍している。背後で糸を引いていたのはどのクラブかは、言うまでもないだろう。

そして5月、FIFA調停委員会がハーツに対して支払うようウェブスターに命じた違約金(注3)は62万5000ポンド(約1億5000万円)。これは、ハーツが主張した500万ポンド(約12億円)のわずか12%に過ぎない金額である。6ヶ月後にスコットランドに戻ったことに対しては、たった2試合の出場停止が言い渡されただけだった。

一度前例が生まれてしまえば、タブーはその効力を失ってしまうものだ。今年の夏には、セリエA・ウディネーゼのGKモルガン・デ・サンクティスが、同じようにしてスペインのセヴィージャに移籍した。

別項で見るロナウジーニョをはじめ、ランパード(チェルシー)やマンシーニ(ローマ)など、今シーズン終了後には保護期間を過ぎる大物選手は少なくない。彼らが次々と「FIFA17条」を行使することになれば、来夏の移籍マーケットは、ボスマン以来の大激震に襲われる可能性もある。□

注1)相応の理由
移籍規定の第14条では「スポーツ的に相応の理由があれば契約の中途解消が可能」とされ、第15条ではその「相応の理由」について「出場試合がシーズンの全公式戦の10%に満たない場合」と明記されている。

注2)アンドリュー・ウェブスター
1982年、ダンディ生まれのスコットランド代表DF。2003年に21歳で代表デビューし通算22試合に出場。現在はウィガンからレンジャーズにレンタルされているが、故障でほとんどプレーしていない。

注3FIFAが算定する違約金
移籍規程の第17条第1項には、契約の残余年数、契約書記載の違約金規定、当該国の法律などを勘案して決定されるとある。決めるのはFIFA裁定委員会。支払い責任は、選手と新所属クラブの双方にある。

ケーススタディ:ロナウジーニョ移籍問題

ロナウジーニョとバルセロナは現在、2010年までの契約を結んでいる。推定年俸は900万ユーロ(約14億8000万円)。世界最高給フットボーラーの1人である。契約の残余期間はあと2年半強。これが並の選手であれば、まだ更新の話をする段階ではないが、彼ほどのレベルになれば事情は違ってくる。

現契約が満了する2010年には30歳。そこからさらに契約を延長するかどうかは、両者にとって非常にデリケートな判断を要する問題だ。

クラブ側から見れば、ロナウジーニョが32歳、33歳になっても15億円以上の年俸に見合ったパフォーマンスを提供してくれる可能性に賭け金を置くことを意味するし、ロナウジーニョにとっては、移籍の可能性を封印し、バルセロナでキャリアを閉じる決心をすることにほかならない。

その決心がすでについているのならば、年俸引き上げのために駆け引きをしながら、最も有利なタイミングを見てサインをするだけだ。だが、もしイングランドやイタリアのクラブから魅力的なオファーがあり、それに魅かれているとしたらどうだろう。

心身ともにフットボーラーとしてのピークにあり、あと少なくとも2、3年はトップレベルのパフォーマンスを保証できる28歳の今が、最高の売り時であることは間違いない。

問題は、移籍金の高さである。バルセロナは、ロナウジーニョを売る気がないと明言し、ミランやチェルシーの5000万ユーロ(約82億円)以上と言われるオファーにも首を横に振ってきた。

だが、ロナウジーニョが最後に契約更新にサインしたのは2005年。今シーズン末までに契約が更新されなければ、3年間の「保護期間」が終了し、バルセロナに一方的な契約解消を通告できる立場となる。一部報道によれば、ロナウジーニョ(と新たな所属クラブ)がバルセロナに支払うべき違約金は、2000万ユーロ前後。チェルシーやミランなら苦もなく支払える金額である。

この権利をロナウジーニョが行使するかどうかはわからない。代理人を務める兄ロベルト・アシスは不敵にこう語るだけだ。「ロニーはバルセロナに満足している。でもこの世界は流れが速い。移籍の可能性がないと言い切ることは不可能だ」。■
 
(2007年10月30日/初出:『footballista』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。