「ナポリサッカー」時代のナポリについてもう1本。デ・ラウレンティス会長は、「SSCナポリ」という名前に傷をつけたくないからか、C1で戦った「ナポリサッカー」時代の2年間をクラブの歴史からほとんどオミットしています。その当時、現地に取材に行って書いた1本。

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ナポリから北西におよそ30kmの海岸沿い、カステルヴォルトゥルノという町にある「ホリデイイン・リゾート・ナポリ」。松林に囲まれ、2つのプールにテニスコート、18ホールのゴルフコースまで備えた高級リゾートホテルである。喧騒とカオスに満ちたナポリの街から遠く離れたこの場所に、現在セリエC1(イタリア3部リーグ)で戦うナポリの本拠がある。

ゴルフ場に隣接して芝生のピッチが2面。ロッカールーム、トレーニングジムなどチームに必要な機能に加え、クラブ事務所やプレスルームも備えたクラブハウスも、ホテルとピッチの間に建設中だ。リゾートホテルを本拠にしているクラブは、イタリア広しといえども他にはない。

このナポリ、正確にいうと、マラドーナが活躍していたナポリと同じクラブではない。マラドーナとともにスクデットやUEFAカップを勝ち取ったSSCナポリ、すなわち「ソチエタ・スポルティーヴァ・カルチョ・ナポリ1926」は、セリエBで戦っていた03-04シーズンを限りに破産し、カルチョの世界から姿を消してしまった。今ここにあるナポリは、その後を受けて新たに設立された「ナポリサッカー」(なんと間が抜けた名前だろうか)である。とはいえ、アズーリ(スカイブルー)のユニフォームと、青地に白くNの文字が抜かれたエンブレム、すなわちナポリという都市を代表するクラブとしてのアイデンティティだけは、しっかりと受け継がれている。ナポリを愛するサポーター、ナポリ市民にとって一番大事なのはそこだ。

マラドーナを失ったSSCナポリは、少しずつ深い泥沼に沈み込むように凋落の一途をたどり、二度と浮上することがなかった。クラブは深刻な財政危機に陥り、順位は年々下がり続けて、97-98シーズンにはついに最下位でセリエBに転落。その後は一度だけA復帰を果たしたものの、1年で再び降格の憂き目に遭う。最後の数年間は、深刻な財政難や経営権の売却をめぐるトラブルなど、暗いニュースばかりだった。そして、2004年7月、銀行にも見放されて万策尽きた当時のオーナーは、自ら破産を申告する。その終わりはあまりにもあっけなかった。

破産裁判所による公開入札の末、その継承権を手に入れたのは、アウレリオ・デ・ラウレンティス。マルチェロ・マストロヤンニとジャック・レモンが共演した名作「マカロニ」(1985)、最近では「スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー」(2004)などで国際的に知られる映画プロデューサーである。ただし国内では、日本でいうと「釣りバカ日誌」みたいな、毎年年末恒例のシリーズ物喜劇映画が看板だったりする。

もちろん、プロサッカークラブの経営に関してはずぶの素人。自らはオーナー会長の座に収まって「5年計画でナポリをカルチョの主役の座に押し戻したい」と語り、その計画の立案と実行はゼネラルディレクター(以下GD)に招聘したピエルパオロ・マリーノに委ねられた。マリーノは、かつてマラドーナの時代に経営スタッフとしてナポリで働き、その後ウディネーゼのGDとして、セリエBで戦っていたイタリア北東部の小さなクラブを、10年足らずでUEFAカップの常連にまで押し上げた腕利きである。

2004年9月、旧SSCナポリの破産により所属カテゴリーを一段階下げられた「ナポリサッカー」は、セリエBではなくひとつ下のセリエC1(18チームx2のうちグループB所属)から再スタートを切ることになった。

その長い歴史をセリエAとBだけで過ごしてきたナポリにとって、3部リーグからの出直しは屈辱以外の何者でもない。しかし、サポーターは愛するナポリを見捨てはしなかった。昨シーズンの平均観客動員数は3万4000人。8万人収容のサン・パオロからすれば物足りない数字のように見えるかもしれないが、セリエAですら、この数字を上回っているのはミラン、インテル、ローマ、ラツィオの4チームのみである。天下のユヴェントスですら足下にも及ばない数字なのだ。

これだけのサポートを受けながらも、新生ナポリはセリエC1で苦戦を続けなければならなかった。セリエB昇格が「当然の義務」だったにもかかわらず、シーズン半ばの監督交代というお決まりの「儀式」を経て、04-05シーズンは3位止まり。プレーオフでも、同じカンパーニア州の宿敵アヴェッリーノに敗退して昇格を逃してしまう。5年計画の初年度から、早くも予定が狂ってしまった。

失敗が許されない今シーズンは、セリエA経験者数人に、セリエBで実績を持つ中堅、ベテランを交えた手堅いチーム構成でスタート。開幕から首位をキープし、2月初めの時点で2位に4ポイント差と、やっと安定軌道に乗った感がある。

にもかかわらず、今シーズンの観客動員数は不思議なことに昨シーズンよりも少ないという。ナポリ番30年超のベテラン、フランコ・エスポージト記者はこう解説してくれた。「ナポリの人々はマラドーナ時代の栄光を知っている。C1なんて楽勝だと思っていたのに昨シーズン昇格に失敗して、熱が冷めてしまった感がある。ナポリ人は熱狂と落胆の落差が激しいんだ。今年このままセリエBに昇格すれば、来年は間違いなくスタジアムに戻ってくるだろう」。

しかし、一般市民の関心がしぼんだわけでは全くない。象徴的なのが、マスコミのプレッシャーの大きさだ。我々が取材に訪れたのは、アウェーゲームで0-2の敗戦を喫した直後だった。その前の試合はホームで勝っており、しかもまだ2位に4ポイント差をつけての首位だというのに、試合翌日の地元紙には「アウェー2連敗。危機の予感」「監督の立場は微妙」「攻撃陣の補強が急務」といった文字が並んでいる。採点表も5とか4とか、及第点以下の数字で一杯だ。

「勝っている間は熱狂的に支持してくれるけど、ひとつ負ければ叩かれるのがナポリ。マスコミもサポーターも、今年も上に上がれなかったらどうしよう、という不安と恐怖にとらわれている。でもわれわれ選手にはそれを乗り越えてナポリに昇格をプレゼントする義務があるんだ」

これは、中盤を司るゲームメーカーで、チームの精神的支柱でもある35歳のベテランMFガエターノ・“ジミー”・フォンターナの弁。チームとしての戦力は、リーグの中では明らかに抜きん出ている。ここから先はプレッシャーとの戦いがすべてである。

デ・ラウレンティス会長の5年計画は、C1は1年で通過、Bで2年、Aに上がって2年目で上位進出を目指すというものだった。今シーズン首尾よくB昇格が達成できれば、当初の計画より1年遅れとはいえ、視界は大きく開けてくる……はずだ。だが、先のベテラン記者は「いや、Bに昇格したからといって、すべてがすんなり行くとは考えない方がいい。これからも間違いなく様々な困難に襲われる。カルチョの世界は甘くない」と警鐘を鳴らすことを忘れない。

確かに、チーム部門は充実しているものの、クラブの方は、広報とチームマネジャー以外、マリーノGDの下にスタッフらしいスタッフもおらず、オフィシャルサイトすら存在しない状況だ。「まずはB昇格。すべてはそれから」というのが広報担当者の弁。

ナポリの街は両手を広げてナポリの復活を待ち望んでいる。あとはチームがそれに応えられれば……。■

(2006年2月17日/初出:『STARsoccer』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。