1990年代のイタリアサッカー黄金期からプレーを続けている数少ないプレーヤーのひとりがフランチェスコ・トッティ。38歳になった今も、ローマのシンボルとして決定的な違いを作り出しています。彼のプレーを収めたDVDつきムックに寄せた軽めのテキストをどうぞ。

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「クッキアイオcucchiaio」。フランチェスコ・トッティのゴールについて語ろうとする時、イタリア語でスプーンを指すこの言葉を避けて通ることはできない。

カルチョの世界でこの言葉は、ボールの下をスプーンですくい上げるようにしてふわりと浮かすシュート、つまりループシュートを指す時に使われる。うまく成功してGKを出し抜けば拍手喝采を浴びるが、失敗すれば失笑と怒号は免れないリスクの大きなプレーだけに、本気で戦う試合のピッチの上では、テクニックと創造力を兼ね備えたごく一握りのファンタジスタだけに許される技だ。

流れの中のシュートシーンならともかく、PKでこれを試すというのは、それに加えてよほどの自信と度胸の持ち主でなければ不可能である。ところがトッティは、最もリスクの大きな大舞台で、平然とこの「クッキアイオ」をやってのけた。そう、このDVDのトッティ編冒頭に入っている、ユーロ2000準決勝PK戦のあのシュートである。

3人目のキッカーとしてペナルティスポットに向かったトッティは、その直前、チームメイトたちと、こんなやり取りを交わしていた。

—ディ・ビアージョ「フランチェ、おれ怖いよ」
—トッティ「誰に言ってんだよ。見ろよあのGKのデカいこと」
—ディ・ビアージョ「お前それで励ましてるつもりかよ」
—トッティ「心配すんなよ。今俺がクッキアイオ決めてやっから」
—マルディーニ「冗談だろ?お前頭おかしいよ。ユーロの準決勝だぞ」
—トッティ「わかってるって。見てろよ今決めて来っから」

このPKを見事に決めて以来、「クッキアイオ」はトッティのトレードマークになった。「今俺がクッキアイオ決めてやっからMo’ je faccio er cucchiaio」というセリフは、そのままトッティの自伝のタイトルにまでなった。

このエピソードから垣間見えるのは何よりも、天然系としか言いようのない無頓着であっけらかんとした愛すべきキャラクターの方である。しかしそこに、世界トップレベルのテクニックと想像力という、フットボーラーとしての卓越した資質が加わった時、フランチェスコ・トッティは、他に例を見ない唯一無二の存在となる。

このDVDに収録された映像が示すように、ユーロ2000以前から、ループシュートはトッティの十八番のひとつである。流れの中からループシュートを決めるのは、PKよりもさらに難しい。浮いているボールをボレー気味に合わせるならともかく、地上を転がるボールを「クッキアイオ」、つまりチップキックでリフトアップして、GKの頭上を越えるのは至難の業だ。

しかしトッティは、ドリブルでゴールに迫りながら、あるいはパスをトラップした次の瞬間、ボールとGKとゴール、3つの要素の位置関係を一瞬のうちに把握し、決してGKの手が届かない放物線の軌道を瞬時に割り出して、彼にだけ見えるその仮想上の軌道に、正確きわまりないタッチでボールを乗せて見せる。時にはやり過ぎてぶざまな失敗に終わることもあるが、それもまたご愛嬌と思えるほどに、決まった時のカタルシスは大きい。

ただ、この「クッキアイオ」を除くと、トッティのプレーには、観る者をわくわくさせるようなスペクタクル性があまり見られない。どんな難しいプレーもシンプルかつ当たり前のようにこなし、あっと驚くようなトリッキーな仕掛けを見せることはほとんどない。せいぜいがヒールキックくらいのものだろう。そのプレーから、ボールと戯れる純粋な歓びのようなものはあまり伝わってこない。そこが、同じ「ファンタジスタ」と呼ばれるプレーヤーの中でも、ジダンやロナウジーニョとの大きな違いである。

トッティのプレーから伝わってくるのは、むしろ、ゴールという唯一最大の目的にいかに効率的かつ効果的に近づくかという、そのアプローチへのこだわりであり、最短距離のそれを編み出した時の喜びである。ゴールしかり。アシストしかり。その意味で彼のプレースタイルは、同じラテンでも南米やフランスやスペインとははっきりと異なる、きわめて「イタリア的」なものであるといえる。

イタリアサッカーの最も典型的な特徴を挙げるとすれば、やはり結果至上主義ということになる。どんなにいい試合をしても、結果、つまり勝利を得られなければ意味はないという、身も蓋もないほどにリアリスティックな考え方だ。1960年代にヨーロッパを席巻した「カテナッチョ」以来、ドイツ・ワールドカップで優勝したイタリア代表までを貫く、堅守速攻を基本とするスタイルは、まさにこの考え方の申し子である。

実際イタリアでは、ユース年代からかなりしつこく、プレー選択の優先順位を叩き込まれる。ボールを持った選手は何をするべきか?まず最初に考えるべきなのは、もちろんシュートを打つことである。次が、敵DFラインの裏にボールを通すこと(スルーパス、クロス、ロングパス)。以下、DFラインの手前にいる選手に縦パスを当てる、サイドに開く、一旦後ろに戻す、と続き、最後がボールを外に蹴り出すこと。1対1で突っかける、という選択肢は、その能力を持った限られた選手にだけ許される「贅沢」であり、少なくともその先に、シュートかアシストという選択肢が見えない限り、試みるべきではないということになっている。

その背景にあるのは、攻撃の最終的な目的は、もちろんゴールを決めることだが、そのためにはシュートを打たなければならない、ゆえに、ボールを持ったときのすべてのプレーは、できるだけ早くシュートまでたどり着くという目的を達成するために行われなければならない——という、合理的だが身も蓋もないほどに現実主義的な、夢とロマンのかけらもないリアリズムである。

そしてトッティほど、このイタリア的なサッカー観をエッセンシャルに体現しているプレーヤーはいない。しばしば強引な一発狙いのプレーに出る大胆さ、必要ならばゴール前の密集にも飛び込んで行く勇気、華麗なテクニックを持ちながらそれを見せつけるためのトリッキーで派手なプレーよりも、常にゴールに直結するプレーを探し、それを試す姿勢。

トッティは、ジダンやロナウジーニョと同じくらい「10番」だが、彼らよりもずっと「9番」、つまりストライカーである。かつてミシェル・プラティニは、ロベルト・バッジョのプレースタイルを指して「9.5番」と言ったが、トッティのそれはバッジョと同じかそれ以上に「9.5番」である。

ローマのシンボルとしての地位を確立した97-98シーズン以来、カペッロ監督の下で純粋なトップ下としてプレーした時期を除き、毎シーズンコンスタントに2ケタゴールを記録。ここ4シーズンは平均15ゴール前後を記録して、よりストライカー的なプレースタイルに近づいている。今シーズンは「センターフォワードとしてプレーしたい」と明言し、ローマの機動性溢れる4-2-3-1システムの最前線でプレー、30歳にして新境地を拓きつつある。

今シーズンのローマは、セリエAだけでなくチャンピオンズリーグでも、ダークホースとして意外な躍進を見せそうな予感がある。ゴールへのこだわりをより強く打ち出しながら、その先頭に立ってプレーするトッティの活躍に期待が膨らむ。■

(2006年9月17日/初出:『サッカーベストシーン スーパーゴール1』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。