柳沢敦(ベガルタ仙台)が引退とのこと。37歳まで現役を続けたというのは素晴らしいことだと思います。おつかれさまでした。11年前、サンプドリアに移籍したシーズンに、一度長いインタビューをする機会がありました。雑誌(今はなき『Sports Yeah!』)に掲載された最終稿よりも長めのオリジナル原稿をどうぞ。

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サンプドリアの練習場は、ジェノヴァの中心街から海岸線を東に10kmほど行った隣町ボリアスコにある。海岸通りから外れて、海に迫った傾斜のきつい坂道を上っていくと、ちょっと回り込んで海が見えなくなったあたりに、山の中腹を削って作られたピッチが3面、階段状に並んでいる。三方が山に囲まれており、ちょっと下ればすぐに海だとはにわかに信じがたい雰囲気。

善戦しながら1ー2と敗れたセリエA第16節ユヴェントス戦から、オフを1日挟んで迎えた1月13日の火曜日。サンプドリアは早速、週末の試合に向けた準備に取りかかっていた。気候温暖で知られるジェノヴァでも例外的に暖かい15度という気温の下、午後3時から2時間弱続いた練習の大半は、次の対戦相手ローマを想定した戦術練習に費やされた。

インタビューはその練習の後、ボリアスコから車で10分ほどジェノヴァ方面に戻った高級住宅地ネルヴィに移動して行われた。サンプがホームゲームの前日の合宿に使っているという、こじんまりした4つ星ホテル。駐車場に停めたフィアットから降りた柳沢は、やや俯きがちにこちらに歩いてくる。Tシャツにブルーグレーのブルゾン、足下はスニーカーというカジュアルな服装。練習の疲れもあるだろうが、それを差し引いても表情には精気がないように見えた。

——イタリアに来てからそろそろ半年、手ごたえを感じたり思ったように行かないことがあったり、いろいろだったと思います。今の時点での○と×をひとつずつ挙げてほしいのですが。
「まずイタリアでの経験をしているということ自体は○だと思うし、新しい挑戦という意味で、自分の中でもいろいろ葛藤があるし、まあそういう意味ではいい経験をしているとは思います。ただ、結果という意味ではやはり、まあ僕自身もですし、見ている日本のファンのひとたちもそうだと思うけど、そういう点では×かなと思いますけれども」

あまり明るいとはいえない表情で、伏目がちに、言葉を探しながら話す。そこから伝わってくるのは、自分が実感できる手応え、何らかのブレイクスルーを求めて、日々葛藤し模索を続けるひとりのストライカーの姿だ。

本人が「結果という点では×」と言うように、シーズンが折り返し地点にさしかかろうとする今も、まだ実力を十分に発揮して活躍するまでには至っていない。シーズン序盤は、7試合連続出場を含め、セリエA第11節までのうち9試合に出場、うち3試合で、後半からの途中出場ながら得点に絡む働きを見せた。

開幕からここまで、柳沢は主に本来のフォワードではなく、左サイドハーフとしてプレーしてきた。持ち前のスピードと、攻撃に縦の奥行きを作る質の高い動きを活かしたいから、というのがノヴェッリーノ監督の弁だが、柳沢自身はこれをどう受け止めているのだろうか。

「監督から与えられたポジションですから、それを必死でやっているという状況ですけれど」

——サイドでプレーする中で、具体的に何が一番難しいですか?
「守備の時に慣れていない分、ポジショニングのズレが出たりというのは非常に大きく感じるし、守備も非常に多くしなくちゃならないという部分で、肉体的な部分もやっぱり大変ですし……」

だがもちろん、柳沢が目指すのは本来のポジションであるフォワードとしてプレーし、チームに貢献することだろう。

柳沢が狙うセカンドストライカーのポジションは、現在フラーキが務めている。守備に回ると前線からのプレッシングをサボるし、攻撃でも戦術的な動きよりも本能的な動きの方が多く、バッザーニとのコンビネーションが必ずしもいいわけではない。その点でノヴェッリーノ監督の評価は辛く、開幕当初はレギュラーの座をマラッツィーナに譲っていた。しかしゴールに対する姿勢は貪欲で、隙さえあれば強引にシュートを放つ。オーバーヘッドで3点も入れているのはその象徴だろう。ここまでの16試合すべてに出場して7ゴール。途中出場するたびに得点を決めるという結果を積み重ねて、いつの間にか定位置をもぎ取ってしまった。

そうした一部始終をチームの一員として経験する中で、そしてゴールという結果がなかなか出ない状況の中で、柳沢はどんな風に自分のサッカーを見つめ直しているのだろうか。そこに興味があった。

左サイドハーフで、試合の流れを変える“ジョーカー”として一定の評価を受けるところまでは行った。しかしそこからさらに前進しようというところで、壁にぶつかってしまった印象は否めない。

コッパ・イタリアなどで何度か、フォワードとしてプレーするチャンスを得たがそれを生かせず、このところ出場機会は減りつつある。これまでならば必ず投入されていた同点あるいはビハインドを背負った局面でも、そのままベンチを暖めて終わることが多くなった。インタビュー直前のユヴェントス戦では、1点リードされた後半27分からピッチに立ったものの、目立ったプレーを見せられずに終わっている。

「あのプラティニだって、ジダンだって、イタリアのサッカーに慣れるまで何ヶ月もかかった」というのは、新外国人選手の活躍を評価するときの常套句である。しかしそれがエクスキューズになるのは、前半戦いっぱいがいいところ。柳沢にとっては、ここからの2、3ヶ月が本当の勝負どころといっていいだろう。必要なのは、やはり“結果”である。

——フォワードという仕事をやっている以上、自分でゴールを決めるというのが非常に大事なことだと思います。ここまでまだ結果が出ていないわけですが、早くほしいなという気持ちはありますか?
「う〜ん。ゴールは非常に、いろんな意味で大きな力を与えてくれますけれども、それ以上に戦術の中で、チームの中でいいプレーをするほうが先決だし、やっぱり監督はそこを求めてるんで、まあ、今は決していい状況ではないと思いますけれども」

——ゴールよりも、チームの中でもっとうまく機能したいというか、組織の一部としていいプレーをすること、それを毎日考えながらやっている、と?
「それがいま一番必要なことだと思っています」

自分がゴールを決めることが重要ではない、チームがゴールを決めることが大事、自分の仕事は最善のやり方でそれに貢献すること——というのは、柳沢が以前から語ってきたサッカー観である。

いま、イタリアという生活環境もサッカーの環境も全然違う場所で経験を重ねる中で、そしてゴールに限らず内容においても満足できる結果がなかなか出ない状況の中にあって、柳沢はなお自らの基準点に深いこだわりを持ち続けているようにみえる。

——柳沢選手は、自分がとにかく決めるというよりも、回りとのコンビネーションでフィニッシュの局面を作って決める、というイメージを強く持っているような気がするんですが、いかがですか?
「そういう時もあるし、やっぱりそうやって早く攻めたほうがいい時もあるし、それはいろいろできたほうがぼくはいいと思っていますけれども。ぼくは考え方としては、点が入ればどんな攻め方でもいいと思っていますから、別にぼくがこうしたいとか、そういうのはないです」

——実際のゴールシーンも、裏にすっと抜け出してスルーパスをもらうとか、ワンツーで自分が中に入って行くとか、戻ってはたいてから走り込むとか、コンビネーションから決めるパターンが多いですよね。
「わりとそういうプレーが得意なのかもしれないですね。結果が出る時はそういうプレーから出ているという意味では」

——そういうプレーをいつも狙っている?
「う〜ん。どうですかね。まあ、ボールがあって敵がいて、毎回どうその敵をかいくぐってゴールするかということを考えて動いていますけど、別にいつも、引いてきてとかばっかり考えているわけでもないし、何て言えばいいのか難しいですけれど」

——強引に打つという選択肢の優先順位があまり高くない印象があるんですが。
「まあ、打て打てといわれますからね。打てるところでも打たない、と」

——それに関しては?
「非常に難しいですけれど、う〜ん、そういう時も、打つ時もあっていいんじゃないですかね」

——シュートに自信がないということはありますか?
「特にはないです」 

この日の練習は、オフ明けの火曜日だというのに、早くも週末のローマ戦に向けた戦術練習が中心だった。

ビブスをつけたレギュラー組はいつもの4ー4ー2、ビブスなしの控え組はローマと同じ3ー5ー2の布陣を敷いている。ビブスをつけずにピッチに立つ柳沢敦は、右サイドの高い位置に張り出している。ローマの攻撃的な右サイドハーフ、マンシーニの役回りだ。

「ヤナ、ロングパスに合わせてエリアに斜めに走り込んで」。ノヴェッリーノ監督が指示すると、松山通訳がそれを日本語で伝える。まだイタリア語の指示を理解するところまでは行っていないようだ。柳沢は黙々と、右サイドとペナルティエリアを往復するが、ボールに触れる機会はあまりない。戦術練習前のミニゲームも含め、この日の練習を通して、柳沢がレギュラー組のビブスをつけることはなかった。
 
柳沢が目指すように、戦術の中で、組織の一員としてプレーするためには、チームメイトとの相互理解、いわば共通のノリを感じることが重要なはずだ。ピッチの上で周囲と波長が合うという感触をどのくらい持っているのか、それが気になった。

「やっぱりそういうのを感じて行かないとね。なかなかこう選手間の信頼関係というのも生まれないし、戦術が非常に重要視されている分、くりかえしくりかえしやっている動き方というのもありますし、それがうまく行った時にはお互い、みんなでこう喜びを感じると思うし」

——その回数は多くなってきてますか?オー、ヤナ!ブラーヴォ!!みたいなの。
「どうですかねえ。あまり増えてないかな」

——それについては?
「(苦笑)。努力してます。増やすように」

ミニゲームなどを見ていても、頻繁に声をかけ合いながらプレーしている選手たちの中で、柳沢だけはひとり黙々と動いている印象が強い。周囲から「ヤナ!ヤナ!」という声はかかるが、柳沢が声を発する場面は、見ていた間たぶん一度もなかった。最前列ではなく中盤サイドでプレーしていたから、声をかける相手はいたのだが。

言葉の壁がいまだ厚いことは容易に想像がつく。おそらく言葉だけではなく文化の違いも含んだ壁だ。チームメイトとの関係もそのひとつ。

——チームメイトとの関係とか距離感に日本との違いはありますか?日本では先輩後輩みたいな関係が何となくあるけど、こっちは10歳年上でもタメ口みたいな印象があります。実際にはどうですか?
「まず言葉がわからないから、(関係が)どういう感じかわからないっていうのがあります。でも(自己主張は)非常に強いですね。それはでも、文化の違いということなのかなと思いますけれども」

——ひとりひとりの自己主張の強さというか、その辺の違いというのは?
「非常に強いと思います。日本だと、嫌われそうな存在になり得るくらい、非常に自己主張が強いというか、よくいえば自己主張ですけれど」

——悪く言えばわがまま。
「まあそうですね。こちらではそれが普通の感じですからね。ぼくなんかは、ちょっと理解しにくい部分もあるし、正直」

——そういうチームの輪の中に入って行くというか、溶け込めてきた感じはありますか?転校生は転校生でも、だいぶクラスの一員になってきたというか。
「あんまり変わらないかな。最初の頃と。まだ言葉も全然憶えてないし、ちゃんとした会話ができてないですから」

——言葉は難しいですか?
「まだ憶えてないですね」

——最近は、練習が終わった後ファンと話をしているということも聞きましたが。
「そんなことはないですねえ」

そう言った柳沢の顔には、ちょっと弱々しい微苦笑が浮かんだ。
  
サンプドリアと並ぶもうひとつの戦いの場、日本代表は、2月からワールドカップ予選に突入する。日韓2002は開催国枠で予選がなかったため、柳沢にとっては、これが初めての経験になる。

「代表でのキャリアは、非常に重要だと思っています。ワールドカップは一度経験して、やはり素晴しいものだと感じましたし、今度はぜひ予選から戦って本大会に出たいという気持ちがあります」

7月にサンプに移籍してきて以降、ほぼ毎月のように代表に合流してプレーする機会があった。本人は「(サンプと代表の)どちらも大切にしたい」と模範的なコメントに終始しているが、移籍したての大事な時期に、頻繁にサンプドリアを離れることについてはジレンマもあっただろう。しかし、10月のチュニジア戦、ルーマニア戦ではそれぞれ1ゴールずつを決めるなど、結果はしっかり残してきた。

——日本代表に戻ってプレーして、イタリアでの経験が代表でのプレーに生きているという感触は?
「う〜ん。あんまりわかんないですね。生きてんのか生きてないのか。(苦笑)」

——2ゴールという結果にイタリアでの成果が表れているとか、我々マスコミはどうしてもそういうことが書きたくなっちゃうんですけれども(笑)。
「書くのは自由ですけれど、ぼくはそういう風には考えてないですよ(笑)」

イタリアでの半年間を通じて一番成長した部分は、という質問にも、返ってきたのは「わからないですね」という答えだった。

——ではまだ足りない部分は……、いや、きっとそういう風に考えないんですね。
「別にそういう風には考えてないです」

——ただ毎日を大事にしながら、自分の中でトライ&エラーを繰り返して行く、と。
「ええ、もうそれを繰り返して。それでどう変わってくるかだと思うし。自分の中でも、あとは結果として監督に使われたりとか、そういう変化もあるし。サッカーは、やって、自分なりの結果が出て、自分なりの納得の仕方だと思うんですよね。あとは、もちろんチームの中でやってるから、さっきの話じゃないですけどチームメイトにブラーヴォっていわれたり、監督にいわれたりすればどんどん自信になるし、こういうプレーがいいんだっていうふうに自分の中でも理解できるし、そういう繰り返しかな」

——それが着実に積み重なってきている感覚はありますか?
「感覚はいままで感じたことないですね(笑)。日本でも。きっと積み重ねてるんじゃないですかね。積み重ねだと思うんですけど……。わからないです」

いつ向う側に突き抜けるのかわからないトンネルを黙々と掘り進んでいる。いつ“その時”が来るのかはわからない。しかし来るという希望だけは失うことなく、毎日手探りで少しずつ壁を穿ち続けている。インタビューを終えて頭に浮かんだのは、そんな柳沢のイメージだった。

「サッカーを言葉で語るのは難しい」と柳沢はいう。何度も「わからない」と言いながらも、言葉にはできない、自分にしかわからない何かを追い続けているのだろう。
 まだ今のところ「結果は×」だ。しかし模索と葛藤の日々を重ねる中で、突然壁の向う側に突き抜ける日が来るかもしれない。

——最後にひとつ。いま、イタリアに来て良かったなと思っていますか?
「はい」

——充実感とか満足感は?
「別に満足感があればすべてがいいかと言えば、そうでもないかなとも思うし」

——そうですね。苦しい時も苦しいなりに。
「ね。また後になってそれがいい経験だと言える時もあるかもしれないし。とにかくここでの経験は素晴しいものだと思っているし、きっとぼくにとってプラスになると信じています」

(2004年1月16日/初出:『Sports Yeah!』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。