2007年1月にパルマの経営権を買収したトンマーゾ・ギラルディ会長、就任2年目(07-08シーズン末)の野心と希望に満ちたインタビューです。
それから6年あまりが過ぎた今シーズンのパルマは、ピッチ上でここまで2勝10敗(勝ち点6)の最下位、それ以上に問題なのは、3ヶ月分の給料が未払いのままで、近いうちに勝ち点剥奪(たぶん2ポイント)は必至という深刻な財政危機に陥っていることです。地元パルマでは「ギラルディがお母さんからお小遣いを止められたせい」という噂がまことしやかに囁かれていますが……。

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■プロフィール:トンマーゾ・ギラルディTommaso Ghirardi

1975年生まれと、セリエAで最も若いオーナー会長。北イタリア・ブレシア近郊の小さな町カルペネードロに本拠を置く工業用ベアリングメーカー「ラ・レオネッサ」の御曹司で、現在は同社の副会長を務める。21歳の時に、当時テルツァ・カテゴリア(10部リーグ=アマチュアリーグで一番下のカテゴリー)だった地元のクラブ・カルペネードロの会長となると、6年連続で昇格を果たし、2005年にはプロリーグであるセリエC2(4部リーグ)まで引き上げるという偉業を成し遂げ、一部で評判を集める。2007年1月、パルマの経営権を買い取り会長に就任、現在に至る。

■インタビュー

——07-08シーズン終盤になってもセリエA残留が微妙という、非常にデリケートな状況に置かれているわけですが、この状況をどのように受け止めていますか?
「今シーズンは、苦しむことなく残留を勝ち取るのに十分な戦力を整えたと自負している。チームの補強に2200万ユーロを投資し、さらに1月にはクリスティアーノ・ルカレッリという年間15-20ゴールを挙げる実力を持ったストライカーも獲得したわけだから。その点から考えれば、現在のパルマは、本来の実力を大きく下回るパフォーマンスしか発揮していないと言わざるを得ない。正直なところ、この現実には少なからず傷ついている。ベストを尽くしていないということだからね」

——チームが、ということですか?
「そうだ。勝利にしても敗北にしても、その最大の責任者は常に選手たちだと私は思うんだ。もちろん、クラブはチームをサポートしなければならないし、優秀な監督も必要だ。だが実際にピッチに立って戦うのは選手だ。今シーズンに向けて迎えた監督(ドメニコ・ディ・カルロ)は、若手の中では最も評価されている成長株だった。実際、下部リーグでは大きな実績を残してきたし、それゆえセリエAの他のクラブも獲得に乗り出してきていた。残念ながらパルマでは結果を残せず、解任という結末を迎えざるを得なかったが、その後任にも、ヘクトル・クーペルという、世界で最もよく知られた監督のひとりを招聘した。にもかかわらず結果がついてこないということになれば、責任は選手たちにあると考えるしかないでしょう」

——何が原因だとお考えですか?
「パルマは美しい町だし、サポーターのプレッシャーも強くない。そうした環境が気の緩みをもたらした可能性はある。これは私にとっても貴重な経験だった。もしすべてが上手く運んで来シーズンもセリエAで戦えることになったら、より強いパーソナリティを持った選手を集めた、闘争心の強いチームを作らなければならないと思っている」
 
——あなたはセリエAで最も若い会長でありながら、すでにカルチョの世界では10年近い経験をお持ちですよね。20歳そこそこで、地元のクラブであるカルペネードロを手に入れ、アマチュアのテルツァ・カテゴリア(10部リーグ)からセリエC2(4部リーグ)まで引き上げた。
「6年連続で昇格を果たして、アマチュアの最下層からプロリーグであるC2までチームを引き上げたんだ。C2の1年目は5位に入って、2年目にはプレーオフの決勝まで行ったけれど、そこで敗れてC1(3部リーグ)への昇格はならなかった」

——それだけの結果は、大きな情熱なしでは残すことができなかったと思います。その情熱はどこから来たのでしょう?
「子供の頃は自分でもプレーしていたけれど、上手いわけじゃなかった。でもサッカーがすごく好きで、違う形ででもこのスポーツとかかわり続けたかったんだ。サッカーは私にとって、昔も今もひとつの楽しみであり歓びであり情熱の対象だ。ビジネスだと考えたことは一度もない。残念ながら今のイタリアでは、あまりにも多くの人たちがサッカーはビジネスだと考えている。金儲けのための投機の手段として捉えているオーナーが少なくない。それがイタリアサッカーを歪めている部分もあると思う」

——カルペネードロを手に入れた時には、どんなビジョンを持っていたのでしょうか?
「サッカークラブのオーナーとして存分に楽しもうということだけだった。楽しむためには、やはり試合に勝たないと。負けてばかりいても全然楽しくないからね。そうやっているうちに、テルツァ・カテゴリアからC2まで昇格していたというわけだ。今パルマの会長として考えているのも、とにかく一つでも多くの試合に勝ちたいということだけだ」

——サッカークラブの経営というのは、単なる趣味、楽しみの追求としては、あまりにも大きな時間と労力を奪う活動のような気がするんですが。
「パルマの会長としての仕事は、カルペネードロ時代のそれとは比べ物にならないほど多いことは確かだ。週のうち3、4日はこちらに取られているのが実際だから。さらに、今年からはレーガ・カルチョの役員になったので、そちらの仕事もある。週7日間毎日休みなく働いて、その半分以上をカルチョに費やしていることになるね」

——今シーズンのパルマは、その情熱に見合っただけの歓びをもたらしてくれていないわけですが。
「確かにその点では今シーズンは厳しいね。勝利という満足をほんの少ししか味わうことができずにいるし」

——カルペネードロでいつも勝つのに慣れ過ぎたのかも。
「パルマでも昨シーズンはそのトレンドが続いたんだけどね。私が1月にクラブを買った時にはビリから2番めで、残留は不可能だろうと言われていた。それを最終的には12位まで引き上げたんだから、優勝したのと同じくらい大きな成果だった。今シーズンは、苦しむことなく落ち着いて未来に向けた土台を築く年だと信じていたんだけれど、それが良くなかったのかもしれない。反対にこれまでで一番苦しいシーズンになってしまった。カルチョの世界では、安心したり落ち着いたりすることは許されないということを学ばされたよ。残留するためにはミラクルが必要だけれど、私はその可能性を信じている。私は今までも、困難な状況に追い込まれれば追い込まれるほど、大きな力を発揮してきたから」

——カルペネードロ時代は毎試合、ベンチから試合を見守っていたそうですが。
「いや毎試合ということはないよ。ベンチに入ったことも少なくなかったことは事実だけれど。でも今はちょっと無理だね。パルマのように重要なクラブの会長になった以上、やはりスタンドから落ち着いてチームを見守るのが正しい振る舞いだと思うから」

——カルペネードロを持っていたにもかかわらず、パルマの経営権を買い取るという決断を下した理由はどこにあるのでしょうか?
「最大の理由は、カルペネードロでは可能なことをすべてやり尽くしてしまったということだ。あのクラブが望めるのは、最高でもセリエC1までで、そこから上を目指すことは、町の規模やスタジアムの規模から言っても不可能だった。スタジアムに関しては、C2に昇格してプロリーグに参加した時に、私自身の資金で観客席を拡張しなければならなかったくらいだから。ちょうどそういう時期に、私の家から60km離れたパルマという都市の、世界的にも知名度のある重要なクラブを手に入れる可能性が巡ってきたというわけだ」

——ということは、セリエAやBのクラブを買収しようという構想は以前から持っていたわけですか?
「そういうわけでもない。パルマを買ったのは、家から近いというだけでなく、非常に重要なクラブであり、スタジアムや練習場、質のいいサポーターといった様々な要素も整っていたからだ。以前にも、ヴェローナ、ブレシア、クレモネーゼをはじめ、クラブを買わないかという話はたくさんあったが、すべて検討することすらせずに断ってきた。パルマはそれらのクラブと比べても、様々な点で格が違う」

——あなたがパルマ買収に乗り出したというニュースが最初に流れたのは、2006年5月のことでした。しかしその直後にカルチョスキャンダルが勃発して、買収話も一度は流れることになった……。
「ちょうど今から2年前のことだ。『ガゼッタ・デッロ・スポルト』にニュースが抜かれた時には、事実上買収の話はまとまっていたんだ。でもカルチョスキャンダルが起こって状況がまったく変わってしまった。イタリアサッカーの歴史の中で最も暗いスキャンダルが起こっており、サッカー界全体が困難に陥っている時に、その中に入って行くというのは、どう考えてもいい選択ではなかった。それで私は、当時パルマの経営責任者でもあったパルマラットの破産管財人エンリコ・ボンディ氏に、買収の話は白紙撤回してほしいとお願いすることになった」

——カルチョスキャンダルというネガティブな事件を経た後、改めてパルマ買収に乗り出した理由はどこにあったのでしょう?
「正直言って、一度は全てを諦めようと決心していた。セリエAのクラブを手に入れようとしたまさにその時にこんな事件が起こったこと自体、ひとつの運命であり神の声なのだろうと思ったから。しかし、それから1年半が過ぎてボンディから改めて、競売に参加する気はないかという打診の連絡を受けた時に、カルチョのトップレベルで自分の力を試したいという気持ちがふつふつと湧いてくるのを抑えることができなかった」

——買収した昨年1月末の時点でパルマは降格ゾーンにいたわけですが、セリエBから再出発を強いられる可能性も考慮していたのでしょうか?
「プロジェクトを立てる上では、すべての可能性を想定しておかなければならないから、降格ももちろんその中には入っていた。でも、新しい取り組みを始める時には、ポジティブな姿勢を保つことが何よりも大事だ。だから私は最後まで残留できると信じていたし、今シーズンも同じように最後には残留を勝ち取れると信じている」

——残留いかんにかかわらず、パルマをどんなクラブに育てて行くのか、長期的なビジョンをお持ちだと思います。それを聞かせて下さい。
「私はパルマの会長としてこれからも長くカルチョの世界とかかわって行きたい。その中で大きな満足を手に入れるためには、トップチームはもちろんだが、クラブのあらゆる面を少しずつ着実に強化して行くことが必要だ。パルマは非常に質の高い育成部門を持っているので、そこにさらに投資して強化を進めているし、中国の上海フットボール・アソシエーションと提携して新しいマーケットの開拓にも取り組んでいる。来年は日本ともコラボレーションを始められればいいね」

——中期的にはパルマをどのレベルまで引き上げることが目標なのでしょうか?
「まず最低限のラインとして、経営を健全に保ち赤字を出さないこと、毎月の給料をきちんと支払うこと(これを実行しているクラブは決して多くない)。そして、トップチームに生え抜きの選手を供給できる育成部門を持ち、セリエAに定着することはもちろんとして、常に1ケタ順位を確保し、チャンピオンズリーグとは言わないまでも、UEFAカップの出場権を争うチームになること。それが、パルマという都市とこのクラブにふさわしいレベルだと思っている。そこにたどり着くまでには、少なくともあと数年は必要だろうが、重要なのは毎年着実に進歩を積み重ねて行くことだ。フィオレンティーナだって、今でこそチャンピオンズリーグ出場権を狙うレベルにいるけれど、セリエAでの最初の2シーズンは残留するのがやっとだったわけだから」

——パルマの会長になったことで、あなたの人生はどう変わりましたか?
「一番の変化は、常に世間の注目を浴び詮索を受けるパブリックな存在になったこと。パルマというクラブと都市を代表する人間として、その行動も言動も常に人々やマスコミからチェックされている。イタリアではカルチョは国民的な関心事だから、そういう扱いを受けることは避けられない。毎日の生活をテレビカメラに追い回されて過ごしているわけだから、リアリティショーの主人公とほとんど変わらない。気が休まる暇がないことは事実だね」

——あなたにとってそれは快感ですか、それとも面倒なことですか?
「みんなが自分のことを知っているというのは確かに快感だ。でも、オフタイムでさえ、どこにいて何をするか、常に自分の振る舞いに気をつけなければならないのには、ちょっとうんざりさせられる。でもそれはコインの裏表だからもう仕方がないことだと受け入れるしかないね。でもそれは私がカルチョに大きな情熱を持っているから。情熱がなければ、このストレスには耐え切れないだろうと思うよ」□

(2008年5月8日/初出:『footballista』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。