2014年11月現在、6年前にクラブを買収したギラルディ会長が資金繰りに行き詰まり、給料未払いという困難に直面しているパルマ。実は経営危機に瀕したのはこれが初めてではありません。2004年にも、当時の親会社パルマラットが、史上稀に見る大規模な粉飾決算の末に破綻し、その煽りを受けてカルチョの世界から消えかけたことがあります。そのあたりの経緯をまとめた短いテキストを。

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90年代を通してセリエA、そして欧州カップで重要な成績を収め、世界的にその名を知られるようになったACパルマが、当時の親会社である国際的な乳業・食品企業パルマラットの破綻によって、経営危機に瀕したのは03-04シーズンのことだった。

親会社が政府が組織した再建委員会の管理下に入ると、同委員会のエンリコ・ボンディ委員長は「サッカーはパルマラットの本業とは何の関係もない」という理由で、クラブを整理する方針を固めた。しかし、社会的影響の大きさも考えて破産・消滅というドラスティックな解決は避け、まずは2億ユーロ(約320億円)近くまで膨れ上がっていた累積債務を解消し、財務を健全化して企業価値を高めた後、適正価格で売却することによって、クラブとしての存続を保証するという方向性に落ち着いた。

しかしもちろん、2億ユーロもの負債を短期間で整理することは不可能だ。そこでひねり出されたのが、パルマラットの子会社だったACパルマを負債ごとパルマラットの破産手続きに組み込み、それとは別に新運営会社パルマFCを設立して、プロサッカークラブとしての活動はそちらに引き継ぐという特例措置だった。

イタリアでは、2002年のフィオレンティーナ破産劇(新運営会社はセリエC2からの再出発を強いられた)を教訓として、プロクラブが破産した場合には、新たに設立された運営会社がひとつ下のカテゴリーから再出発することを認めるというルールができた。しかしパルマFCは、同様の経緯をたどったにもかかわらず、続く04-05シーズンにもセリエAへのエントリーを認められるという幸運な(そして非常に不透明な)特例措置を受けた。これは、降格によって売却価格が下がることを嫌った政府の圧力があったためと見る向きが多い。

その04-05シーズンの半ばには、1999年までレアル・マドリーの会長を務めたロレンツォ・サンスがクラブの買収に興味を示していることが伝えられ、水面下で交渉が進められた。ところが、いざ買収のための手付金を支払う段階になると、サンスはなぜか資金を振り込まず、結局2005年の1月半ばに交渉は白紙撤回という結末を迎えることになった。

その後、パルマは2シーズン続けてA残留を果たしたものの、新たな買い手はなかなか現れない。2006年5月には現オーナーのトンマーゾ・ギラルディとの交渉が一旦まとまったが、インタビュー(※昨日掲載済み)にもある通り、カルチョポリによって白紙に戻される。

クラブの経営が安定し、売却の条件が整ったと判断した再建委員会は2007年1月、パルマFCを競売にかけることになった。買収に名乗りを挙げたのは当初、ナポリ出身の実業家ガエターノ・ヴァレンツァとサンスの2人だけ。このいずれも信頼に足る売却先ではないと判断したボンディは、ギラルディに競売への参加を打診する。

ギラルディがそれに応えたことでやっと、パルマはまる3年間にわたる管理経営のくびきから抜け出し、新たなオーナーの下で安定した歩みを取り戻すことになったのだった。□

(2008年5月8日/初出:『footballista』)

By admin

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。