ミラノダービーにちなんで、際立って個性的だったけれど短命だった月刊サッカー誌『STAR SOCCER』のミラノ特集(2006年9月)に寄せた、ミラノダービーのゴール裏事情についてのテキストを。その後8年の歳月を経て、多少状況が変わっているところもありますが(クラブからカネが出なくなってミラン側のコレオの質が落ちたりとか)、大筋は今も同じです。ミランのゴール裏は「CURVA SUD MILANO」というグループが仕切っていますが、その中では下の文中に出てくる「バローネ」が相変わらず偉そうにしています。
コレオグラフィ
ミランとインテルが都市の覇権をかけてぶつかり合うダービーの見どころは、ピッチ上の熱い戦いだけにとどまらない。ゴール裏に陣取ったウルトラスが意地とプライドを賭けて繰り出す、大がかりな応援パフォーマンスの応酬も絶対に見逃せない。これこそがミラノダービーの華、と言い切ってもいいくらいだ。
アップをしていた選手たちがロッカールームに戻り、無人のピッチを見下ろすスタジアムを人々のざわめきだけが満たす中で、双方のクルヴァが音もなく動き出す。そこから選手入場の瞬間に大団円を迎えるまでの数分間に繰り広げられるスペクタクルは、呆気にとられるか感動するか笑い出すかは別として、常にその場にいる者を虜にする磁力に満ちている。両チームのファンはもちろん、カルチョ好きからJのゴール裏に通うコアサポまで、一度は「生で」見る価値があると断言してしまおう。
「出し物」のパターンは次の3つに大別できる。(1) 我々こそミラノの盟主なりという主張。(2) チームへの鼓舞。(3) 敵サポへのイジり、からかい、愚弄。
一番リキが入っているのはやっぱり(3)である。日本ではこの手のからかいはスポーツマンシップに反するというポリティカリー・コレクト過ぎる理由でご法度だが、イタリアの皆さんはこういう露骨でキツい嘲笑や愚弄のやり取りを、むしろ積極的に楽しんでいるようなところがある。もしかするとマゾなのかもしれないが、きっと、やられた悔しさよりもやり返した時のザマミロ的カタルシスの方がずっと大事なのだろう。
グラフィック的な完成度の高さは、明らかにミラン側に軍配が上がる。横断幕の文字にはフォントが使われているし、クルヴァを覆うビッグフラッグのデザインもかなり凝っている。ブリガーテのリーダー、バローネにいわせれば「最近は若い連中がコンピュータでデザインするから、凝ったものがきれいにできるようになった」のだそうだ。
一方インテルの方は、まだゴール裏までIT革命が及んでいないのか、それとも資金的な制約からか、まだ手作り感が強く、グラフィック的にも洗練度が低い。だがその分、情熱や必死さが伝わってきて、ほろりとさせるものがある。
ダービー1回の応援パフォーマンスにかける予算は、多い時には1万5000ユーロ(約225万円)にも及ぶらしい。準備期間は数ヶ月。相手をコケにする歓びを味わいたい一心で、たった数分の「一発芸」にこれだけの情熱を本気で傾けてしまうバカバカしさこそが、イタリアの真骨頂なのである。
それぞれのゴール裏事情
かつて、ミランとインテルのゴール裏は、社会階層や政治信条をめぐってもはっきりと色分けされていたといわれる。労働者階級に愛されるミランと、ブルジョアに支持されるインテル。ミランサポが左翼系なら、インテルサポは右翼系、などなど。しかし現在では、そうしたはっきりした色分けはほとんど見られなくなっている。
なにしろ、ミランのオーナー会長であるシルヴィオ・ベルルスコーニからして、右派政党フォルツァ・イタリアの党首で、中学生の頃にバイトで反共のビラ貼りをやっていたといわれるほどの左翼嫌い。一方、インテルのオーナー会長マッシモ・モラッティは政治的には中道左派シンパであり、夫人に至っては緑の党からミラノ市長選に打って出たくらいの左派なのである。オーナーの政治的傾向とサポーターのそれからして、露骨なねじれ現象を起こしてしまっているわけだ。
しかし、ピッチ上でプレーするチームに、自ずとそのクラブのカラーやカルチャーが反映するのと同様、ミランとインテルのゴール裏にもまた、それぞれのクラブのありようが刻印されている。
サン・シーロのクルヴァ・スッド(南ゴール裏)2階に陣取るミランのウルトラスは、総勢およそ8500人ほど。80年代までは左翼系のグループが勢力を持っていたが、もはや政治色はほとんど薄れており、どちらかといえばむしろ右派シンパが多いようだ。これは、ベルルスコーニ会長が右派政党の領袖であることと、もちろん無関係ではない。
昨シーズン(05-06)半ばまで、クルヴァ・スッドは「ブリガーテ・ロッソネーレ(赤黒旅団)」、「フォッサ・デイ・レオーニ(ライオンの穴)」という2つの勢力が覇を競い合う状況が長く続いていた。ともに、70年代から続く歴史的なサポーターグループだったが、今年2月にその一方の雄だったフォッサが突然解散を発表。3000人近い最大勢力だったグループのメンバーは、一部はブリガーテに吸収され、別の一部は新たなグループを結成するなどして分散した結果、現在はブリガーテが最大派閥となっている。
興味深いのは、このブリガーテが歴史的に、ミランと非常に友好的な関係を維持しているのに対し、フォッサはしばしばクラブ首脳(とりわけガッリアーニ副会長)に対して敵対的な立場を取ってきたグループだったということ。2月の解散騒動は、クルヴァの内部で長く続いてきた権力闘争の結果だといわれ、いわば「親クラブ勢力」が「反クラブ勢力」を駆逐した格好だ。ちなみに、ミランにおいてゴール裏との関係はガッリアーニの専管事項である。
そんなウルトラスのリーダーはどんな強面かと思いきや、サン・シーロの待ち合わせ場所に表れたブリガーテのボス、ジャンカルロ・カペッリは、その辺のバールでサッカー談議に花を咲かせているのが似合いそうな、普通のおっさんだった。本名よりも「バローネ(男爵)」という名前で知られている伝説的な存在らしいのだが。
とはいえ、話を聞いて見ると、ゴール裏歴はすでに40年以上、いくつものグループを渡り歩いた末、11年前からブリガーテのリーダーになったという強者だった。58歳になった今はすでに年金生活に入っており、事実上「ウルトラス専業」という感じである。
——ブリガーテのメンバーは何人くらい?
「4000人に足りないくらいだな。クルヴァ・スッド全体で9000人くらいいるが、その中で一番大きなグループだ」
——ダービーで大仕掛けな応援をしたり、ウルトラスをやるのにも先立つものが必要だと思うんですが、資金はどうやって調達しているんでしょう?
「年会費とオリジナルのグッズ類の売上、それに会員へのチケット販売マージンで、すべて自前で賄っている。クラブからの援助は一切受けていない。これははっきりそう書いておいてくれ。クラブと友好的な関係にあることは事実だが、それとこれとは話が別だ」
——年間の予算は大体どのくらいですか?
「4万から4万5000ユーロ(600-675万円)くらいだな。横断幕や応援を仕込む材料費だけでなく、アウェーに遠征する時に金のない若い連中の費用を肩代わりするのにも使っている」
——あなた方のポリシーは?
「センプレ・エ・オヴンクエ(いつも、どこへでも)。常にチームと共に戦う、そのための犠牲は厭わないというのがウルトラスの生き方だ。ミランがセリエBに落ちた時だって何も変わらなかった。当時も今も、片道20時間バスに揺られてシチリアの果てにだって行けば、ベオグラードにだって行く」
クルヴァ・スッドとミランとの蜜月が続いている最も大きな理由は、この10数年、ミランがいくつものタイトルを勝ち取り満足を与えていることだろう。実際、90年代後半に2年続けて2ケタ順位に沈んだ時、あるいは不振をかこった00-01シーズンの終盤などには、ベルルスコーニ会長やガッリアーニ副会長に対する厳しい抗議も見られたものだ。
ちなみに、それを主導していたのは今はなきフォッサ・デイ・レオーニだった。そのフォッサが消えたことで、クルヴァ・スッドでは事実上の「ミラン翼賛体制」が完成したことになる。それで誰がほくそ笑んでいるかは、想像するまでもないだろう。
インテリスタが陣取るクルヴァ・ノルドは、その点ではまったく事情が異なっている。クラブとの関係は友好的どころか、完全な没交渉。かなり深刻な冷戦状態が続いているのだ。それを象徴するのが、おそらく過去10年にイタリアのゴール裏が引き起こした最も醜い出来事だった、04-05シーズンのチャンピオンズリーグ準々決勝ダービー(第2レグ)における、発煙筒大量投入事件である。
第1レグを0-2で落とし、第2レグも後半半ばを過ぎて0-1と、勝ち上がりの可能性がほぼなくなると、クルヴァ・スッドから100本を超える大量の発煙筒がピッチに投げ込まれ、試合は途中打ち切り、没収という前代未聞の幕切れになった。インテルはこの事件によって大きなイメージダウンを被っただけでなく、翌シーズンのチャンピオンズリーグでホームゲーム4試合を無観客で戦うという厳しい処分を、UEFAから受けている。
何があってもチームをサポートすべきゴール裏が、こともあろうにクラブに甚大な損害を与えるような行為に及ぶというのは、普通の感覚では理解できない。確かに、02-03シーズンのチャンピオンズリーグの準決勝に続いて、再び仇敵ミランに行く手を阻まれるというのは、悔しさの極致に違いない。しかし、だからといってこのような暴走行為が許されていいはずもない。
その背景を解明するためには、クルヴァ・ノルド内部の勢力関係を理解する必要がある。現在、クルヴァの中央に陣取り、最も大きな横断幕を掲げているのは、最も古い歴史(75年設立)をもつ「ボーイズSAN」だが、勢力的には今や少数派。それに対して支配力を強めているのは、クルヴァの右側に位置する「イリドゥチービリ(不屈)」と「ヴァイキング」。前者は、ネオナチ系極右結社のメンバーで構成されており、後者もネオファシストとのつながりが深いといわれる。インテルのゴール裏は元々右翼色が強いことで知られるが、近年さらに拍車がかかっているのだ。
そういうゴール裏が、中道左派シンパのモラッティに好意を持っているはずがない。彼らに言わせれば、89年のスクデットを最後に、99年にUEFAカップをここ2年のコッパ・イタリアを除けば、獲得したビッグタイトルはゼロ、常にミラニスタの嘲笑に晒されているという状況は、すべて「あの無能な“アカ”の責任」(某ウルトラス掲示板の書き込み)であり、モラッティをインテルのオーナーの座から追い落とすことには正義がある、ということになる。発煙筒を正当化しようとした論理もそれだった。
しかし、理由はそれだけではない。モラッティは95年にオーナーとなって以来、ゴール裏との非公式な接触を通じた「利益供与」、すなわち金銭の提供を初めさまざまな便宜を図ることを、拒否し続けているからだ。ミランの場合はどうか知らないが、一般論として言えば、ウルトラスはほとんどの場合、何らかの形でクラブとつながりを持ち「利益供与」を引き出しているといわれる。ビッグクラブのゴール裏で勢力を誇るグループのリーダーは、ほとんどが「ウルトラス専業」らしい。発煙筒投入という暴挙は、毅然とした態度でウルトラスと関係を持つことを拒み続ける、モラッティへの恐喝行為という側面がむしろ強かったという見方は、地元の記者の間でも根強い。
実際には、クルヴァ・ノルドを埋める1万人近いウルトラスのうち、発煙筒投入のような恥ずべき挙に出るのは、ほんの数百人に過ぎないはずだ。残る大半は、愛するインテルに情熱を傾けるまっとうなサポーターに違いない。しかし、その数百人に支配され操られているのが、クルヴァ・ノルドの現実なのである。
「クルヴァとはお互いに無視し合う関係ですね。連中がインテルを攻撃したりする時には、私たちもそれに対してブーイングの口笛を浴びせて、何とかそれを打ち消そうとするんですが……」
そう語るのは、全世界のインテルクラブ(インテル公認のファンクラブ)を統括するインテルクラブ連合の事務局を務めるアントニオ・ピジーノ。もう50年以上もサン・シーロに通い続けているという筋金入りのインテリスタである。「インテルクラブを全部合わせれば、年間チケットホルダーは1万人もいるんですが、なにしろスタジアムのいろいろなところに散らばっているから、連中みたいにまとまることができなくて……」
モラッティ会長は、発煙筒事件の翌日、そんな多数派サポーターに向けてこうコメントしたものだった。
「スタジアムには、あの騒ぎを引き起こした200人だけでなく、それに同調することなく振る舞った8万人近いインテリスタがいた。彼らこそがインテルの本当のシンボルだ。私はこれからもずっと、彼らとともにあり続けたい」
このナイーブなほどに清く正しい姿勢にこそ、インテルというクラブのカルチャーが象徴的に表れている。カルチョスキャンダルで何の傷もつかなかったのは、決して偶然ではないのだ。
とはいえ、生き馬の目を抜くカルチョの世界では、清濁併せ呑むがごとくにウルトラスを取り込むミランのしたたかな振る舞いの方が、「結果」という名のリターンは大きいことも事実だったりするわけだが。■
(2006年9月5日/初出:『STAR SOCCER』)