およそ10年前に書いたファビオ・カペッロについてのテキスト。今はもう過去の人となりつつあるカペッロですが、当時はイブラヒモヴィッチ、トレゼゲ、ヴィエイラ、トゥラム、カンナヴァーロ、ブッフォンといったワールドクラスがずらりと顔を揃えた機甲師団のようなユヴェントスを率いて無敵を誇っていたのでした。

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インテルの強引な追い上げに遭って、2-0と一度は手中に収めていた勝利を逃した「イタリアダービー」のユヴェントス。数少ないチャンスを確実に生かし、あるいは相手のミスを見逃さずつけ込んで1点取ったら、あとは余裕で守り切ってしまういつもの戦いぶり(チャンピオンズ・リーグではここまで5試合すべてが1-0!)からすると非常に珍しい、まったくユーヴェらしからぬ失態だった。

カペッロ監督が試合後、その原因として挙げたのは「2点リードして気を緩め、無意味なボールポゼッションに走ってしまった」こと。

確かに、2-0となった直後のユーヴェが、明らかに意気消沈するインテルを尻目に、すっかり上機嫌になったサポーターの「オーレ!」の掛け声に乗せられるように、サイドで行き詰まったボールを後ろに戻し、逆サイドに振ってはまた無理をせず戻すという“ポゼッションのためのポゼッション”を何度か見せていたことは事実である。

しかし、それはほんの1-2分のことに過ぎず、その後はまた、決してバランスを崩すことなく整然と布陣して数的優位を保ち、執拗なプレッシャーと激しい当たりでボールを奪っては素早く前線に展開する、いつものユーヴェに戻ったように見えた。だがカペッロには、その1-2分の弛緩がどうにも気に入らなかったようだ。

イタリアの監督の多く、とりわけディフェンスを重視する監督たちは、ボールポゼッションを重視しない傾向が強い。というよりも、そんなものは贅沢品だと考えているような印象すら受ける。いくらきれいにパスをつないでも、その間に相手は守備陣形を整えてしまうから、ゴールに近づくことはむしろ難しくなる。逆に、パスをつなげばつなぐほどチームは前がかりになるから、不用意なミスからカウンターを喫する確率が高まる。それよりも、ボールを奪ったら手数をかけず一気にゴールに迫った方がずっと効率的だし安全だ——という考え方である。攻撃の戦術としての“カテナッチョ”も、基本的な発想はまさにそこにある。

リードした時にチームが“ひと息つく”ためのポゼッションさえ否定する(とは言わないまでも好まない)カペッロも、このカテナッチョ的メンタリティの正統な継承者のひとりであることは間違いない。完全主義者で知られるカペッロにとっては、90分間テンションを緩めることなく相手の攻撃を潰し続け、ほんの小さな隙を逃さずゴールを奪ってそれを守り切る、リアリズムの極北のようなサッカーが理想なのだろう。

もしユーヴェがカペッロの理想にもう一歩近づいていたら、今回の「イタリアダービー」は2-0のまま終わっていたかもしれない。しかし、インテルのエキサイティングな、というよりクレイジーな追い上げがなかったら、この試合、どうしようもなく退屈な内容の、記憶にも残らないような一戦になっていたに違いない。そう考えると、ユーヴェの強さも今くらいでちょうどいい、という気がしてくる。

93-94シーズン、34試合で36得点しか挙げずにスクデットを勝ち取ったカペッロのミランは、強かったけれど本当に退屈なチームだった。■

(2004年11月29日/初出:メールマガジン「スポマガ ワールドサッカー」)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。