冬休み読み物特集第8弾は、ちょっと趣向を変えて「ファンタジスタ」についての長い論考を。かつてのマラドーナやバッジョのように、ファンタジスタという言葉をそのまま体現するプレーヤーはすっかり見当たらなくなった、その理由はいったいどこにあるのか、という話です。かなり長大なので覚悟してお読みください。

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「ファンタジスタ」という言葉が似合うフットボーラーは、本当に少なくなった。

80年代ならジーコ、ミシェル・プラティニ、ディエゴ・アルマンド・マラドーナ。90年代ならロベルト・バッジョ、ジネディーヌ・ジダン、マヌエル・ルイ・コスタ、ジャンフランコ・ゾーラ、そして98年に膝を怪我する前の若きアレッサンドロ・デル・ピエーロ。

しかし、21世紀に入ってからの8年間を振り返ってみると、何の注釈もつけずにファンタジスタと呼びたくなるような選手は、ほんの一握りしか思い浮かばない。誰もが異論なくそう認められるのは、バルセロナ時代のロナウジーニョだけではないだろうか。筆者が日常的に見ているセリエAに話を限ると、FW転向以前のフランチェスコ・トッティ、そしてここ2シーズンのアントニオ・カッサーノくらいか。

80-90年代の偉大なファンタジスタたちは、それぞれの時代における最高のプレーヤーであり、また最大のスターだった。だが、今はもはやそうではない。現時点においてプラネット・フットボールの頂点を争っている偉大なプレーヤーたち、すなわちクリスティアーノ・ロナウド、リオネル・メッシ、カカ、ズラタン・イブラヒモヴィッチらを、手放しでファンタジスタと呼ぶのに、少なからず抵抗を感じるのはおそらく筆者だけではないだろう。だとすれば、その理由はどこにあるのだろうか。
 

ファンタジスタとはトップ下である(あった)

ミランのカルロ・アンチェロッティ監督は、本誌連載『カルチョ百科全書』の第1回(2006年10月)で、ファンタジスタを「中盤と前線の間でプレーし、最終局面を打開してシュートに結びつく状況を作り出す仕事を担うプレーヤー」と定義している。そしてそれは、1970-80年代の「10番」、それ以降の「トレクァルティスタ」(トップ下)と同義語だとも。

以下、少し引用しよう。

<どの時代においても、ファンタジスタはほとんど常に、チームで最も質が高くタレントに恵まれたプレーヤーだ。敵DFラインの直前という、プレッシャーが大きくスペースを見出すことが難しい高い地域で決定的な仕事をするためには、ボールスキル、スマルカメントの技術、戦術眼、視野の広さ、すべてにおいて卓越していることが不可欠だ。簡単に言えば「サッカーが誰よりも上手いプレーヤー」でなければ務まらない。

そのタレントは、敵の守備が最も堅い最終ラインに穴を開けるため、具体的には的確なタイミングとコースのラストパスをFWに供給しシュートを打たせる、あるいは自らが直接シュートを打つために使われる。

そのためには、外に開いた位置ではなく中央にポジションを取り、数多くのボールに触って、試合の流れの中心にいる必要がある。したがって、ポジション的に言えば、ライン際でプレーするウイングではあり得ないし、ペナルティエリアの中でプレーするフォワードでもない。

実際、90年代の一時期、戦術主義的な4-4-2が全盛を誇った時代には、ファンタジスタというポジションはピッチ上に存在しなかった。4-4-2においては、セコンダプンタとしてプレーするか、サイドハーフとしてプレーするか、そのどちらかの選択肢しかなかったからだ。>

アンチェロッティは、ファンタジスタという言葉をプレースタイルやプレー内容よりも、むしろポジションの問題として捉えていることがわかる。実際、ファンタジスタは「サッカーが誰よりも上手いプレーヤー」であり、そのポジションはほとんど常に「サイドではなく中央、中盤と前線の間」、つまり「トップ下=トレクァルティスタ」——。少なくともバッジョ、ジダン、トッティの時代まで、これは疑う余地のない常識だった。

しかし現在はどうだろう。C.ロナウド、メッシ、カカ、イブラヒモヴィッチという、今を代表する超ワールドクラス4人の中で、これに当てはまるプレーヤーはカカ1人しかいない。これは何を意味しているのだろうか。それは「サッカーが誰よりも上手いプレーヤー」の居場所は、もはやトップ下ではなくなっているということだ。

変質の理由:守備戦術の高度化

この事実は、90年代から現在までの約10年間にサッカーの戦術に起こった変化、より具体的に言えば守備戦術の進化と密接に関わっているように思われる。その観点に立って21世紀に入ってからの大きなトレンドを挙げるとすれば、「プレッシングエリアの後退」、「3センターハーフ」、「ハードワーク」という3つになるだろう。

80年代末に「サッキのミラン」が始めて導入した、最終ラインを高く押し上げて前線からアグレッシヴにプレッシングをかける守備戦術は、今や稀にしか見られなくなった。オフサイドルールの解釈が変わり、プレーに絡まない選手はオフサイドの位置にいてもファウルを取られなくなったこと、それを利用して時間差で2列目から裏のスペースに走り込むオフサイドトラップ破りの戦術が発達したことなどにより、最終ラインを押し上げることで背後にできる広いスペースを突かれるリスクは、当時と比較すると格段に大きくなったからだ。

最近はむしろ、最終ラインをペナルティエリアから10m以内という低い位置に設定して密度の高い守備陣形を敷くことで、ラインの裏を突かれるリスクを消すと同時に、最終ラインの前のスペース(いわゆるバイタルエリア)も圧縮しようという戦い方が主流になってきている。

マンU、ミラン、チェルシー、リヴァプールといった、近年のチャンピオンズリーグで主役を演じてきたチームの多くが、このタイプの守備戦術を採用してきた。例外はバルセロナだが、ライカールト前監督も04-05シーズン、チェルシーに高いラインの裏をシステマティックに突かれて敗れた教訓から、CLで優勝した05-06シーズンには、最終ラインを低く設定した現実的な守備戦術に切り替えている。

だが、最終ラインを低く設定するということは、自軍のゴールから近い場所で守るということでもある。そこでは、ひとつのミスが決定的なピンチに直結する確率が高くなるし、また相手にフリーで前を向いてプレーできるだけのスペースと時間を与えれば、それだけで致命的な結果を招くことになりかねない。その意味で、バイタルエリアをしっかり埋めることは、これまで以上に死活問題になって来る。

4+4の2ライン、計8人で構成する守備ブロックは、最もオーソドックスで、かつバランスよくスペースを埋めることができる布陣だが、唯一の弱点は、その2ラインの間隔が開いた時に、バイタルエリアに致命的なスペースができやすい点にある。その事態を避け、常にバイタルエリアをカバーするための方策が、中盤の底に3人目のセンターハーフを置く布陣である。

システムで言えば、4-3-3/4-1-4-1(前線は1トップと2ウイング)、あるいは4-3-1-2/4-3-2-1(前線は1ないし2人のFWとトップ下)。前者は、チェルシー、バルセロナ、昨シーズンのマンU、リヨンなど、後者はインテル、ミランがその代表だ。

システムの「数字」にだけ注目すると、3センターハーフ・システムの守備ブロックは4+3が基本になるので、2センターハーフの4+4に比べて1人少ない勘定になる。実際、4+3の守備ブロックは中央こそ守りが厚いが、両SB前のスペースのケアに大きな問題を抱えており、サイドチェンジによって揺さぶられると後手に回って困難に陥りやすい。それをカバーするために要求されるのは、両ウイング(4-3-3/4-1-4-1の場合)やトップ下(4-3-1-2/4-3-2-1の場合)の守備参加である。

攻撃の中核を担うポジションでプレーしているにもかかわらず、守備の局面になるとボールのラインより下まで戻り、守備ブロックの一員としてMF陣を助けるというハードワークが要求されている。昨シーズンのCLを制したマンUにおける、ルーニー、テヴェス、C.ロナウドといった攻撃陣の献身的な守備参加は、きわめて象徴的だ。

今や、守備の局面においてボールのラインの下まで戻り守備ブロックを形成するプレーヤーの人数は、7人でも8人でもなく、9人が標準になったと言っても過言ではない。2トップのシステムを採用するチームが減り、1トップ(3トップという名前でカムフラージュされていることもあるが)がむしろ主流になっているのも、まさにそれゆえである。2センターハーフのシステムにおいても、2トップの4-4-2よりも、4+4の8人に加えて前線から1人がボールのラインよりも下まで戻ることで帳尻を合わせる4-2-3-1の方が、ずっとポピュラーだ。

ファンタジスタの生きる道その1:セカンドトップ

さて、ここまで見てきた「プレッシングエリアの後退」、「3センターハーフ」、「ハードワーク」という、守備戦術における3つのトレンドはいずれも、これまでファンタジスタの主戦場だったトップ下のスペース、すなわちバイタルエリアを徹底的に潰すことを主眼としたものだ。

その結果として、かつてのジーコやプラティニ、バッジョやジダンのように、このスペースに常駐してボールを集め、そこから司令塔として攻撃を操ったり自らがシュートを狙ったりすることは、どんなに「サッカーが上手いプレーヤー」にとっても不可能になった。今やトップ下のスペースは、「ポジションを取る場所」ではなく「入り込む場所」、「こじ開ける場所」になったと言っていいだろう。

「サッカーが誰よりも上手いプレーヤー=トップ下でプレーするファンタジスタ」という図式が崩れた今、彼らはどこに行ったのだろうか。10年、20年前なら間違いなく「10番」を背負ってトレクァルティスタとしてプレーしていたであろう、傑出したテクニックとセンスを備えた偉大なタレントたちは、どこに自らの居場所を見出しているのだろうか。

その「行き先」は、大きく3つに分かれたように思われる。

まず1つ目はFW、とりわけセカンドトップである。トップ下を起点にすれば「ポジションをひとつ上げる」というソリューションだ。すでに90年代にバッジョ、ゾーラ、デル・ピエーロといった、比較的小柄で軽量級、スピードとテクニックを武器とするファンタジスタたちがたどっていた道である。

ジーコ、プラティニが活躍した80年代はまだ、リベロを置いたマンツーマンディフェンスが主流の時代であり、ピッチ上には広いスペースがあったしプレーのリズムも今と比べればずっとゆっくりしていた。当時の「10番」たちは、中盤に下がって組み立ての基点となり、ペナルティエリアの手前からドリブル突破やスルーパスで決定機を作り出し、自らもエリアに入り込んでシュートを放つ、万能のアタッカーだった。

<組み立て→仕掛け/崩し→フィニッシュ>という攻撃の3つのプロセスすべてに絡み、決定的な仕事を果たすところが、「10番」の「10番」たるゆえんだったともいえる。

だが「サッキのミラン」が4-4-2のゾーンディフェンスによるプレッシングサッカーを「発明」し、90年代に入ってそれがスタンダードになると、「10番」たちは居場所を失って行く。

ミランでサッキの後を継いだファビオ・カペッロは「モダンフットボールにファンタジスタの居場所はない」とまで言い切り、ズヴォニミール・ボバン、デヤン・サヴィチェヴィッチといった生粋のトレクァルティスタを4-4-2のサイドハーフとして起用、ユヴェントスから移籍してきた全盛期のバッジョは控えのFWに追いやられた。

そのバッジョに取って代わってユヴェントスの10番を背負ったデル・ピエーロも、当初は4-3-3の左ウイング、その後は4-4-2のセカンドトップとしてプレースタイルを磨き、キャリアを過ごすことになる。ゾーラがほかでもないアンチェロッティ(当時は4-4-2の使い手だった)によってポジションを奪われてパルマを飛び出し、プレミアリーグの新興勢力チェルシーに移籍したことは、よく知られている通りだ。

前線にポジションを上げたファンタジスタは、守備の負担からほぼ完全に解放される代わり、中盤に下がって数多くボールに触る機会を失い、組み立てのプロセスから遠ざかることになった。その分より強く求められるようになったのはゴールである。

<組み立て→仕掛け/崩し→フィニッシュ>という攻撃の3プロセスのうち、組み立てを切り捨てて後の2つに特化する方向にサバイバルの道を見出したのが、90年代後半のバッジョやゾーラ、デル・ピエーロだったと言えるだろう。さらに言えば、80年代後半から常にセカンドトップとしてプレーし、「9番にゴールを決めさせる10番」だったロベルト・マンチーニは、ある意味ではその先駆者だったのかもしれない。

この系譜に連なるファンタジスタには、トッティ、そしてアントニオ・カッサーノがいる。

トッティは、4-4-2の「流行」が一段落し、「7人で守って3人で攻める」3-4-1-2システムがセリエAの主流になった90年代末にトレクァルティスタとしての地位を確立した。カペッロ監督の下で00-01シーズンのスクデットを勝ち取ったローマは、3バックと4MFの7人に加えて、2トップの一角を占めるマルコ・デルヴェッキオを守備に動員することでトッティをその負担から解放した。

前線から中盤に下がってきて敵2ライン間にクサビの縦パスを引き出し、それを1タッチで「前方に」捌いて攻撃を加速させ、一気にフィニッシュに結びつけるという独特のプレースタイルは、当時も今も基本的に変わっていない。変わったのは、ポジションがひとつ前に上がって、トレクァルティスタからセンターフォワードになったことだけだ。その分、組み立てに絡む頻度が下がりフィニッシュに絡む頻度が上がって、得点王ランキングの上位に顔を出すようになった。

カッサーノは、元々組み立てのプロセスには縁がなく、仕掛け/崩しとフィニッシュに特化したセカンドトップだという点で、プレースタイル的にはマンチーニに近い。中盤に下がるよりはサイドに流れてパスを引き出し、そこからドリブルで仕掛け、決定的なラストパスを出す。自らが決めるよりも「決めさせる」方が得意なところもマンチーニと同じだ。何人もの敵に囲まれプレッシャーを受けながらもピッチ上の状況を俯瞰的な視点から把握し、一番遠いところに走り込んでくる味方にピンポイントで決定的なスルーパスを送り届けるなど、ラストパスのアイディアとクオリティにかけては、現在のセリエAでナンバー1だと言っていいだろう。

ファンタジスタの生きる道その2:ウイング

セカンドトップに続くファンタジスタ第2の「行き先」はサイドライン際、すなわちウイングである。トップ下から「ポジションを横にずらす」というソリューションだ。人口密度が高く、前後左右360度からプレッシャーを受けるピッチの中央から離れ、人口密度が薄い上に片側をタッチラインに守られた「180度の世界」を起点とすることで、常にゴールに向かい前を向いてプレーすることが可能になる。

もちろん、組み立てのプロセスからは切り離されるし、ゴールからの距離が遠い分フィニッシュに直接絡むことも難しくなる。しかし常に得意な形でプレーできる分、仕掛け/崩しの局面では決定的な仕事をすることができる。

いま世界の頂点を争っている2人の超ワールドクラス、C.ロナウドとメッシ、そして2005年のバロンドールであるロナウジーニョと、現時点における「サッカーが誰よりも上手いプレーヤー」が、いずれもこのカテゴリーに属しているというのは、象徴的な事実だ。

彼らの最大の持ち味は、前を向いて1対1の突破を仕掛け、数的優位の状況を作り出すところにある。回りのチームメイトを動かして攻撃を組み立てる「司令塔」的な役割にはあまり適性がないし、おそらく興味も持っていないはずだ。チームリーダーというよりも自己中心的、というか、戦術的な文脈から離れて、目の前の相手を抜き去るという「ボールをプレーすることの根源的な喜び」を追求することを通じて、結果的にチームに貢献するというタイプのプレーヤーだと言うことができるだろう。

とはいえ、C.ロナウド、メッシとも、キャリアを重ねるにつれて、よりゴールに近いところで決定的な仕事をする頻度が高くなっており、実際にゴールの数も毎シーズン増加している。かつて全盛期(90年代前半)のロベルト・バッジョは、背番号10を背負いながらよりFWに近いプレースタイルを持っていたため、ミシェル・プラティニに「9.5番」と評された。当時のバッジョも「司令塔」的な色彩は非常に薄く、ボールを持って前を向いたらドリブルで仕掛けるか預けて前線に走り込むかという、アタッカー的なプレースタイルを持っていた。

C.ロナウドやメッシも、当時ならばおそらく似たようなタイプのプレーヤーになっていたのかもしれない。だが、最初に見たような守備戦術の進化はそれを許してくれなかった。トップ下という「360度の世界」からサイドという「180度の世界」にポジションを移すことによって、仕掛け/崩しにプレーを特化し、そこからフィニッシュ(=ゴール)という最終目的地にアプローチする。これもまた、21世紀におけるファンタジスタのひとつのあり方なのかもしれない。

ファンタジスタの生きる道その3:中盤

前線、サイドライン際と並ぶファンタジスタの第3の行き先、それは中盤である。トップ下から「ポジションをひとつ下げる」というソリューションだ。前線に上がるのとは逆に、攻撃の3つのプロセスからフィニッシュを完全に切り捨てることによって、仕掛け/崩し、そしてとりわけ組み立てに特化するという方向である。

この代表格は、言うまでもなくアンドレア・ピルロである。トレクァルティスタとしてはスピードと突破力に欠け、FWにもウイングにも適性がなかったピルロは、インテルからブレシアにレンタルされた00-01シーズン、カルロ・マッツォーネ監督によって中盤の底にコンバートされ、レジスタとして新境地を見出した。

ミランに移籍し、本格的にレジスタへの転向を果たした02-03シーズンから現在までの活躍ぶりには、改めて触れるまでもないだろう。広く奥行きの深い視野、左右両足を自在に駆使した長短のパスワークを活かして、センターサークルを中心としたピッチ中央浅めの位置で数多くのボールに触れ、攻撃をオーガナイズする。並のMFと違うのは、敵のプレスを軽々とかわしてスペースにボールを持ち出し、局面を前に進める質の高いパスを出すテクニックと展開力に加えて、敵最終ラインの裏にピンポイントで決定的なラストパスを送り込めるところだ。

かつての「司令塔」がゴールから30m離れたトップ下のバイタルエリアで行っていたことを、ピルロは60m離れた自陣内から行うことができる。現時点においてなお、世界最高のMFのひとりであることに疑いはない。

同じ00-01シーズンには、左利きのファンタジスタ、ファビオ・リヴェラーニが、セルセ・コズミ監督率いるペルージャで同じように中盤の底にポジションを下げて、レジスタとして新境地を開拓している。リヴェラーニはその後、ラツィオ、フィオレンティーナと渡り歩き、今シーズンもパレルモで質の高いゲームメイクを披露している。今シーズンのセリエA序盤戦で台風の目になったウディネーゼでも、ガエターノ・ダゴスティーノというやはりレフティの元ファンタジスタが、レジスタとして攻撃をオーガナイズしている。

彼ら「レジスタ=司令塔」は、組み立てに特化するためにポジションを下げた。だが、ポジションを下げる目的はそれだけではない。カウンターアタックというある特定のシチュエーションで自らの持ち味を最大限に活かすために、あえて低めのポジションを取るという特殊なケースが、2007年のバロンドールであるカカだ。

彼については、師であるアンチェロッティに説明してもらおう。

<カカがその長所であるスピードを生かすためには、前を向いてプレーすること、そして目の前に十分なスペースがあることが必要だ。したがって、ファンタジスタの中でも、前線に近いゾーンを基点に動くよりも、中盤に近い下がり目の位置を基点にしてプレーすることで生きるタイプのプレーヤーだ。最近彼は、1トップよりも2トップの方がプレーしやすい、2トップだと前方にボールを預ける場所が複数あるのに対して、1トップでは1人しかおらずしかもマークされていることが多いので、単独での突破を選ばざるをえない局面が多くなる、と言ってマスコミに物議をかもしたが、彼の言っていることは100%正しい。カカのスピードを生かすためには、ドリブルで持ち上がった後前線に預け、そこからのコンビネーションで一気にフィニッシュにつなげるというのが、最も効果的で危険な展開だからだ。>

カカは、現代の超ワールドクラスの中では、ピッチ中央を起点にしてプレーする数少ないトレクァルティスタである。しかしそれでも、かつての「10番」のようにトップ下に常駐して自らにパスを集め、仕掛けからフィニッシュにまで絡む万能のアタッカーではない。C.ロナウドやメッシがサイドという「180度の世界」に起点を移したのに対して、彼はプレーの開始点を10m後方に下げることで、その最大の持ち味を活かすためのスペースを手に入れた。そして、彼らがドリブル突破というプレーに特化したように、カウンターアタックというシチュエーションに特化した。

ファンタジスタの生きる道その4:特殊事例化

かつて「サッカーが誰よりも上手いタレント」たちは、ほぼ例外なく背番号10を背負い、組み立てからフィニッシュまで攻撃のすべてのプロセスに絡む「万能のアタッカー」としてピッチに君臨した。それは、当時のサッカーにそれを許してくれる時間とスペースがあったからだ。

しかし、ピッチ上で最も重要な場所であるトップ下のゾーンからそれが奪われた現在、どんなに優れた技術、インテリジェンス、創造性を備えていても、「万能のアタッカー」として存在することは、もはや不可能だ。偉大なタレントたちは、その持てる能力の中で最も優れた部分を見出し、プレースタイルをそこに絞り込んで磨き上げることによってはじめて、決定的な違いを作り出す超ワールドクラスとして傑出した存在になることが許される。それが、現代サッカーが彼らに(そしてわれわれに)突きつける現実である。逆に言えば、いかなるタレントを神から授かっていたとしても、プレースタイルを絞り込んで特化しない限り、もはや個人の力で違いを作り出すことができないほど、守備戦術のレベルが上がったということかもしれない。

そんな中で、21世紀に入ってもなお古典的な「10番=トレクァルティスタ」としてプレーし、違いを作り出した例外的なプレーヤーが2人いる。ジネディーヌ・ジダンとファン・ロマン・リケルメがそうだ。

彼らに共通するのは、ディフェンダーとしても通用するような強靭な体格に繊細極まりないテクニックを備え、屈強なDFに厳しいプレッシャーを受けてもなお、ボールを収めることができる驚異的なキープ力を持っていたこと。彼らはトップ下のバイタルエリアで2人、3人に囲まれた状況でもボールを足下にキープしたまま向きを変え、複数の敵を自らに引き寄せたがゆえに生まれたスペースに、決定的なラストパスを通すことができた。とはいえ彼らも、80年代の偉大なファンタジスタのように、ラストパスはもちろんゴールまで量産する万能性を持っていたわけではない。その意味では、やはり彼らもまたトップ下からのラストパスという「司令塔」的なプレーに特化したことで違いを作り出す存在となったということができるだろう。

強靭な体格にトップレベルのテクニックを備えた特異なタレントという意味で、かつて存在したことがなかったタイプのプレーヤーが、ズラタン・イブラヒモヴィッチだ。

192cm84kgという、フットボーラーというよりはラガーマンのような身体に、パワーだけでなくスピードと敏捷性、そして高いテクニックまでも備えたアスリートは、欧州サッカーのトップレベルには今まで1人もいなかった。彼は生粋のストライカーであり、「司令塔」的な役割には、C.ロナウドやメッシと同様適性も興味もない。とはいえ彼もまた、ファンタジスタの21世紀的な姿のひとつだと言うことができるかもしれない。■

(2008年12月23日/初出:『ワールドサッカーダイジェスト』)

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片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げ、カルチョそして欧州サッカーの魅力をディープかつ多角的に伝えている。 最新作は『チャンピオンズリーグ・クロニクル』(河出書房新社)。他の著書に『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)、『モウリーニョの流儀』(河出書房新社)、『モダンサッカーの教科書』(共著、ソル・メディア)、『アンチェロッティの戦術ノート』(共著、河出書房新社)、『セットプレー最先端理論』(共著、ソル・メディア)、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』(共著、光文社)、訳書に『アンチェロッティの完全戦術論』(河出書房新社)、『ロベルト・バッジョ自伝』(潮出版社)、『シベリアの掟』(東邦出版)、『NAKATA』(朝日文庫)など多数。