10月6日土曜日。パルマ、エンニオ・タルディーニ・スタジアム。ジョヴァンニ・トラパットーニ監督率いるイタリア代表は、ワールドカップ欧州予選の最終戦でハンガリーを1-0で下し、やっとW杯への切符を手にした。

3月のルーマニア戦に勝った時点で、グループ1位抜けはほとんど確実になっており、9月のリトアニア戦に勝てば余裕でゴールイン、のはずだった。ところが、ここで思わぬ引き分けを喫してしまった。

それまで1分6敗でグループ最下位だった、FIFAランキング100位台のチームに足元をすくわれる詰めの甘さがイタリアらしいところ。おかげで、自力で出場権獲得を決めるためには、このハンガリー戦に勝たなければならなくなっていた。
 
イタリアの先発メンバーは次の通り。システムは例によって3-4-1-2である。

GKブッフォン/DFカンナバーロ、マテラッツィ、マルディーニ/MFザンブロッタ、トンマージ、アルベルティーニ、ココ/OMFトッティ/FWインザーギ、デル・ピエーロ

故障で出場できない2人の大黒柱、ヴィエーリ(FW)とネスタ(DF)を除けば、ほぼベストといっていい顔ぶれだ。

イタリアの誇る2人のファンタジスタ、トッティとデル・ピエーロは、1年数ヶ月前のヨーロッパ選手権で、前代表監督のディノ・ゾフの下、セカンドトップのポジションを争っていた。

しかしトラパットーニは、この2人をひとつのチームの中で共存させることに成功している。「デル・ピエーロは純粋なアタッカンテ(フォワード)、トッティは攻撃的な傾向が非常に強いチェントロカンピスタ(ミッドフィールダー)。ポジションが重なることはない」。
 
試合が始まってすぐに明らかになったのは、このイタリアはASローマと同様、文字通り背番号10を背負うトッティのチームだということだった。

DFラインが深めに位置を取り、中盤も攻撃よりもむしろボールを奪われた後のことを気にしてあまりダイナミックには動かないから、イタリアが前線にボールを送り届けるためにはトッティを経由しないわけにはいかないし、ハンガリーもそれは十分承知でマンマークを貼り付けてきていた。

しかしそれでも、相手のディフェンスと中盤、2つのラインの間を縦横無尽に動き回るトッティは、いつの間にかマークを外してボールを自らに引き寄せると、次の瞬間には正確きわまりないラストパスを前線に供給しつづける。

ディフェンスラインから中盤への、凡庸でアイディアのないパス回しが、そこにトッティが絡んだ途端、一瞬にして危険な決定機へと展開していく場面が、何度あっただろうか。

後半10分過ぎの選手交代に伴い、トップに上ってからはペースダウンしたが、前半45分を通しての鬼気迫るプレーは本当に圧倒的で、ため息をもらす以外にない素晴らしさだった。
 
一方、背番号11を背負って2トップの一角を占めるデル・ピエーロは、前線でディフェンダーとの駆け引きを続けながら、パスを呼び込む一瞬のタイミングを窺っている。こちらに期待されているのは、トッティがお膳立てしてくれた決定機をゴールで締めくくることだけだ。

しかし、自らに課されたこの仕事を、デル・ピエーロはしくじり続ける。前半20分から30分にかけて5度も巡ってきたシュートチャンス。トラップをミスしたかと思えば、今度は無理なドリブルを仕掛けてボールを奪われ、得意の左45°からのシュートも再三、クロスバーの遙か上を飛び越えていった。気負いばかりが先走っている印象だ。

33分、今度は右サイドから放った左足のシュートが、力なくハンガリーのGKキラリの胸に納まったとき、ついにしびれを切らした観客がデル・ピエーロに浴びせたのは、ブーイングの口笛だけではなかった。「バッジョ、バッジョ、バッジョ…」。
 
メインスタンドの一角から上がった声は、ゴール裏へとさざ波のように広がっていく。ご存じの通り、あと3ヶ月あまりで35歳を迎えるロベルト・バッジョは、もう3年もアズーリから遠ざかっている。

しかし、今シーズンも出足から好調を維持しており、この時点までの5試合で5ゴールを決めて、セリエA得点王争いのトップを走っていた。数日前に行われたブレシアでの記者会見で「ワールドカップには代表に復帰して日本に行きたい」と改めて語ったことは、誰の記憶にも新しかった。

さらに1分後、再び決定機を得たデル・ピエーロが、またもシュートをふかすと、今度はさっきとは反対側のゴール裏から、さらに大きなコールが上がった。「ロベルトバッジョ!!!!!ロベルトバッジョ!!!!!」。

パルマのオペラ座は、イタリアで最も辛辣な観客を持つ劇場として知られている。スタジアムというもうひとつの劇場を埋めた観客もまた、残酷なほどに皮肉の効いたコールをデル・ピエーロに浴びせることを、むしろ楽しんでいるようにさえ見えた。

しかし、ここで終わらないところはデル・ピエーロもさすがだった。前半も終わりに近づいた45分、ペナルティエリア直前、中央やや左寄りからドリブル突破を図りファウルで倒されると、 俺が蹴ろうか?とばかりに歩み寄るトッティを無視して、平然と、そして丁寧にボールをセットする。

この時ばかりは観客席も重苦しい沈黙に支配された。もしこのフリーキックが枠に飛ばなければ一体何が起こるか、想像することはあまりにも簡単だ。それを誰よりもよくわかっているのは、おそらくボールの前に立つデル・ピエーロ自身だっただろう。

主審のホイッスルが鳴り、見守る誰もが息を呑む。次の瞬間、短い助走から振り抜かれた右足インフロントが捉えたボールは、壁の上を越えて左に曲がり落ち、ゴール左上隅に飛び込んでネットを揺らした。GKは一歩も動けなかった。
 
試合は、後半に入るとすぐにイタリアが安全運転に切り替え、あとは大きな波乱もなく1-0で終了した。

後半の戦い方は、いかにもイタリアらしいものだった。まだ後半も11分だというのに、トラップはFWのデル・ピエーロに代えて守備的MFのガットゥーゾを投入し、3-5-2にシステムを変更。

最終ラインはもはや自陣の真ん中付近から前には上がろうともせず、相手がボールを持つや否や恥ずかしげもなくずるずると後退し、ペナルティエリアの直前で布陣を固める。中盤ももちろん引きっぱなし。前線との間隔はたっぷり40mはあっただろう。

イタリアらしいのは、スタジアムの観衆もこれですっかり満足して、後半20分過ぎからウエーブなんぞを始めてしまうところ。まだ1点差だし何が起こるかわからないじゃないか、と思うのだが、きっと、ここまで来たら絶対に点を取られるわけがないという固い確信があるのだ。

こういう傲慢さをごく自然に持ててしまうところが、カテナッチョの国の伝統である。ぼくの前の席に座っていた年配のジャーナリストに至っては、試合終了10分前に、ノートに大きな字で「任務完了」と書き付けると、早々に席を立ってどこかに消えた。
 
この試合に勝ってW杯出場を決めること自体は、当然起こるべきことだと誰もが思っていたので、とりわけ大きな喜びでこの試合結果が迎えられたわけではない。

試合後、そして翌日のマスコミの(そして国民の)関心はむしろ、観客席のバッジョ・コール、そしてトラパットーニがいつバッジョを代表に呼ぶのか、という一点に集中した。

コールを浴びたデル・ピエーロは「バッジョの価値に疑いはない。でもあそこでああいうコールをされた時にははっきりいって不快だった。あそこでぼくたちが求めていたのは応援であり激励だったのに」とコメント。これは当然だろう。

トラパットーニはトラパットーニで、翌日の記者会見で、マスコミがしつこくバッジョのことを質問するのに業を煮やして、「もうバッジョのことは二度と喋らない」と断言。それでもしつこく「いつになったら喋るのか。5月か?」と訊かれて「いや6月だ」とやり返した。

これを、5月の代表召集リストに彼の名前はない、という宣言だと取ることも可能だ。バッジョの復帰を求める声が強くなれば強くなるほど、それを巡る賛否両論が巻き起こり、代表を取り巻く平穏な空気をかき乱す。ロベルト・バッジョは今もなお「イタリアをふたつに割る」存在であり続けているのだ。

今度で4度目のW杯を迎えるパオロ・マルディーニは「このアズーリは今までの中でも特別に強力だ。こんなに個々の選手のレベルが高く欠点の少ない代表は、いままでなかった」と語っている。

果たして、そこにロベルト・バッジョが加わるのは、プラスなのかマイナスなのか。おそらく大会直前まで続くであろうその議論そのものが、優勝候補イタリアが抱える最大の爆弾なのかもしれない。

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。