日韓2002で韓国にやられたトラパットーニのアズーリが、ユーロ2004に向けてスタートを切った2002年秋、ナポリで行われたユーゴスラヴィアのマッチレポートです。当時のユーゴにはまだミヤトヴィッチやミハイロヴィッチがいて、決定的な仕事をしたりしていたのでした。それが今やレアル・マドリーのSDとインテルの助監督w。

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レジスタ(中盤下がり目のゲームメーカー)として代表初スタメンを果たしたピルロは、期待通りのプレーを見せた。今シーズンすでに11ゴールと絶好調のデル・ピエーロは、きっちりフリーキックを決めて結果を出した。しかしそれでも、アズーリは勝利をつかむことができなかった――。

欧州選手権予選グループ9の最初の山場、イタリア対ユーゴスラヴィア戦は1-1の引き分けに終わった。アウェーのユーゴにとっては結果オーライ、ホームのイタリアにとっては、先行きに不安を残す結末である。

この試合を前に、イタリアのトラパットーニ監督を悩ませたのは、故障や体調不良による主力選手の大量欠場だった。最も頼りになる2人のエース、ヴィエーリとトッティは、ともに直前の試合で軽い故障を起こし招集不能。さらには、中盤の要ディ・ビアージョまでが、風邪による発熱で戦列を離れてしまう。

持ち駒が大幅に限定されてしまったトラップが、数少ない選択肢の中から採用したのは、大胆なほどの攻撃サッカーで快進撃を続ける今シーズンのミランに倣い、ピルロを“レジスタ”として中盤の底に置くという解決策だった。システムもミランと同じ4-3-1-2だ。

主力不在ゆえに強いられた苦肉の策とはいうものの、インザーギとデル・ピエーロの2トップ、トップ下にドーニ、中盤の底にピルロと、攻撃的なキャラクターを持った選手を4人「も」並べた布陣は、「トラップのアズーリ」にしては注目に値する新機軸である。もしこれが機能するようだと、これまで守備的過ぎるという批判を浴び続けてきたアズーリに、「棚からボタモチ」的に新たな展開がもたらされるかもしれない。

対するユーゴスラヴィアは、3-5-2というよりは5-3-2に近いしごく守備的な陣形を敷いてきた。監督のサヴィチェヴィッチは、90年代ヨーロッパを代表するファンタジスタのひとりだったが、その采配は当時のプレーとはまったく裏腹に堅実そのもの。守備の局面では8〜9人がボールよりも後ろに戻って守りを固め、攻撃はポスト(コヴァチェヴィッチ)への放り込みとカウンターだけが頼りという、典型的なアウェー戦術である。

そのせいもあって、試合は立ち上がりからイタリアがボールを支配して進んだ。注目のピルロは、最終ラインのすぐ前に位置してディフェンダーからのボールを受け、組み立ての起点としてパスを散らす。ワンタッチ、ツータッチでシンプルかつ確実にさばくため、後方でのボールの動きはいつもと比べて格段にスムーズだ。

しかし、敵陣に入ったところから先の局面になると、相手の固い守備を崩すだけのコンビネーションはなかなか生まれない。インザーギが前線中央で相手DFとの駆け引きを続けるのはいつもの通りだが、その周囲を動くデル・ピエーロとトップ下・ドーニの呼吸がなかなか合わないのが問題だった。

デル・ピエーロは、左サイドに流れてフリーでボールを受ける動きと、縦に下がって足下への縦パスをはたくポストプレー、2つのパターンを使い分けるのだが、ドーニがそれにうまく対応できず、ポジションを探して右往左往してしまう。そのため、敵エリアの直前でいい形のパス交換ができず、最終的な仕掛けの局面が作れないのだ。

事実、前半イタリアが作った数少ないチャンスは、いずれも中盤からの組み立てではなく、ピルロが浅い位置から一気に前線に供給したピンポイントのロングパスによって生み出されたものだった。ショートパスによる組み立てだけでなく、遠い前線の動きを読み、40m級の正確なロングパスを蹴れるところが、レジスタとしてのピルロのもうひとつの強みである。

イタリアがボールを支配しながらも攻めあぐねる中、唯一に近いチャンスをモノにして前半28分に先制したのは、ユーゴスラヴィアの方だった。中盤での奪い合いからこぼれ球を拾ったミハイロヴィッチが、前線左サイドのミヤトヴィッチに一気にフィード。これに1対1で対応したネスタが、ボールをカットし損ねて抜き去られてしまう。ミヤトヴィッチはそのまま左から持ち込んで、悠々とファーポスト際に流し込んだ。

この失点で浮き足立ったイタリアは、最終ラインから焦って前線に放り込む悪い癖が出始める。このまま前半を終えるようだと試合の流れとしては最悪の部類だったが、それを救ったのは、それまでやや消化不良ぎみのプレーが目立ったデル・ピエーロだった。

中央やや左寄り、ゴールから30mほどの位置で得たフリーキック。いつものようにゴール左上隅を狙って右インフロントから蹴り出されたボールは、ジャンプした壁に当たって右にコースを変えると、タイミングを外されたGKジェヴリッチをあざ笑うようにゴールに飛び込んだ。幸運なゴールではあるが、こういう形でも点が取れてしまうところが、今のデル・ピエーロの好調ぶりを表している。

後半のイタリアは、プレー中に足首を痛めたドーニに替わってFWのヴィンチェンツォ・モンテッラが入り、インザーギ、デル・ピエーロと3トップを形成する。相手ボールになっても3人がそのまま前線に残る正真正銘の4-3-3システムだが、これまでおそらく練習ですら試したことのない布陣、さらに相手が5バックできっちり対応してきたこともあり、前線にいい形でボールが供給される場面は皆無。チャンスらしいチャンスすら生まれないまま時間が過ぎて行く。

ユーゴスラヴィアはもはや完全な引き分け狙いに徹していた。前線をミロセヴィッチ、ケズマンの大型2トップに替え、8人で守りを固めてボールを奪うと、後方から一気に放り込んでくる大ざっぱなサッカーに終始する。そのユーゴの狙い通り、後半は大きな動きもないまま膠着状態で進み、1-1のままで試合は幕を閉じた。

確かにピルロは組み立ての起点としての仕事をよく果たした。しかしそれでも、この日のアズーリのサッカーは、中盤からの組み立てを欠き、ロングパスに局面打開を頼る、要するにいつも通りの「トラップのアズーリ」のそれでしかなかった。起点を作ってから攻撃の最終局面まで、中盤と前線の間でのもう一工程が質・量ともに足りないのだ。結局のところ、それを担えるのはトッティ以外にはいないのかもしれない。■

(2002年10月12日/初出:『週刊WSDエクストラ』)

By tifosissimo

片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家) 1995年からイタリア在住。ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を拡げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。 著書に『チャンピオンズリーグの20年』、『増補完全版・監督ザッケローニの本質』、『アンチェロッティの戦術ノート』、『モウリーニョの流儀』がある。『アンチェロッティの完全戦術論』などイタリアサッカー関連の訳書多数。